101. ピクニック
魔導士らの準備が進むあいだ、クラインたちはロジテアン家が所有する島へピクニックに出かけていた。海を見てみたいというマリゼの願いに応えたのだ。
砂浜には大きなテントや設備が設営され、料理人たちがバーベキューをはじめ、さまざまな料理の支度に追われており、本格的な野外行事といった雰囲気だった。
マリゼは、生まれて初めて見る海が珍しくてたまらないといった様子で、侍女のエマと神官戦士ジェニンと並んで浜辺を歩いたり、海水に手を浸したりしていた。
「海って、本当にどこまでも広いんだな」
セイツ、マクシムと横一列に並んで海を眺めながら、クラインが感嘆の声を漏らした。
「さっきまで船べりにつかまって、中身を全部吐いてたのはどこの誰だっけなあ?」
マクシムが意地悪く冷やかす。
「船に乗ったの、初めてだったんですよ。うちの近くには小川しかなくて、大きい川もなかったんですから」
悔しそうな顔で抗議していたクラインは、ふと浜辺を歩いている何組の恋人たちの方へ目を向けた。
シラードとリシュラに加え、バランは弓使いのマレンカと並んでいて、メイナードの弟子である薬師ジョアナは、筆頭従士と恋人同士になっていた。そのほかにも、従士たちの中に何組か恋人同士ができている者たちがいる。
クラインにつられてそちらを見たマクシムが口を開いた。
「そういえば、うちの一行って恋人同士、けっこういるよな。いつの間にこうなった?」
「シラードとリシュラはもともと婚約してましたけど、他の人たちは旅の途中でいつの間にか、ですね」
そう説明してから、クラインはセイツに問いかけた。
「セイツは女の人に人気あるのに、どうして彼女いないんです?」
セイツは海を見つめたまま、短く答えた。
「今は、そういう気はない」
マクシムがニヤリと笑う。
「こいつ、結構理想が高いんだよ」
そう言って大きく背伸びをすると、ひとりごとのようにつぶやいた。
「久しぶりに海に来たら、昔のこと思い出してきたな……。たまには素潜りでもしてくるか」
そう言うが早いか、近くにいるマリゼに向かって大声で呼びかけた。
「マリゼお嬢さん! 海に入って、魚とか貝なんかをちょっと獲ってきてもいいですかね?」
するとマリゼは、目を輝かせて答えた。
「そんなこともできるのですか? ぜひ見せていただきたいです」
マリゼのお許しが出るや、マクシムは嬉々として武器と防具を外し、上着も脱ぎ捨てた。
「よっしゃ、許可出た! なあ、お前も行くぞ」
マクシムの誘いを、セイツは即座に切り捨てる。
「俺はいい。お前ひとりで行け」
「なんだよ、今さらカッコつけんなって」
マクシムはくるりと身を翻すと、セイツを背後から羽交い締めにし、大声で叫んだ。
「おい、今日はうちの団長を、海に一回沈めてやろうぜ!」
「おーっ!」
近くにいた傭兵団の団員たちが一斉に飛びかかり、セイツの腰のベルトを外して武器を地面に置かせ、防具もあっという間に脱がせてしまった。そしてそのまま彼を担ぎ上げると、どっと浜辺を駆け出し、勢いよく海の中へ放り投げた。
結局、全身びしょ濡れになったセイツは、マクシムをにらみつけながらとぼとぼと浜に上がってくると、観念したように上着を脱いだ。マクシムは高らかに笑いながらセイツの背中をぱんと叩き、先に海へ飛び込む。
アシカのように素早く泳いで潜っていったマクシムは、ほどなくして、手のひらほどもある大きなアワビを掲げ、興奮した声を上げた。
「うお~、ここ、こんなのがごろごろしてるぞ!」
それを見た傭兵たちも、次々と海へ飛び込んでいった。
マリゼの護衛として同行しているロジテアン家の兵士たちも、大半が海辺の出身とあって、その様子を見ているうちに、体がうずうずしているのがありありとわかった。士官がマリゼの許可を取ってくれると、彼らも嬉しそうに次々と海へ駆け込んでいく。
マクシムのように素潜りして貝や甲殻類を獲る者もいれば、銛や投網で魚を狙う者もいた。
マリゼは、そんな彼らの姿を不思議そうに、そして楽しそうに見守っていた。
夕方になると、砂浜には大きな焚き火が焚かれ、盛大な夕餉の宴が始まった。
昼間に獲った貝や甲殻類、さまざまな魚に加え、マクシムが苦戦の末に仕留めた大きなタコが炭火で焼かれていく。料理人たちが用意した各種バーベキューに、焼きたてのパン、みずみずしい果物や野菜まで、卓の上にはごちそうがずらりと並んだ。そこに上等な酒まで惜しみなく振る舞われ、場の空気はいやが上にも高まっていった。
みな楽しそうに飲み食いするうち、誰かが楽器を鳴らして興を添えると、それに続いて歌い出す者が現れた。やがて合唱のように皆で歌を口ずさみ、陽気に踊り出す者まで出る。まるで祝宴のような賑わいだった。
マクシムが上機嫌でビールをあおり、焼き上がった貝を一つつまんで口に放り込むと、もぐもぐやりながら感嘆の声を漏らした。
「くぅ〜……たまんねえな。こんなの、俺の口に入る日が来るとはなあ」
そう言って、クラインの方へ貝を差し出す。
「ほら、お前も食ってみろよ。どうだ、うまいだろ?」
「はい。本当においしいです。海のそばに住んでたら、いつもこんなの食べられてよかったでしょうね」
クラインの感想に、マクシムは呆れたように笑った。
「なんだよ、その坊ちゃんみたいな感想は。こんな高ぇもん、俺らみたいな漁師が食えるかっての。みんな偉い連中に献上するか、売っちまうに決まってんだろ」
「今日だけでもこんなにたくさん獲れたのに、そんなに貴重なんですか?」
「ここは領主様の持ち島だからな。勝手に獲ったりしたら大目玉だ。だから、こんなでかいのがごろごろ残ってたんだよ」
マクシムは、自分の手のひらほどもある大きなアワビの殻をつまみ上げた。
「このサイズだと、だいたいお前と同じぐらいの年じゃねえか?」
「えっ、そんなにゆっくり育つんですか」
「だから、大きけりゃ大きいほど貴重なんだっての。あ〜あ、ばあちゃんが生きてるうちに、こういうの一度でいいから食わせてやりたかったな……」
そうぼやいてから、今度はセイツに突っかかる。
「にしてもお前、どうして海に入ると、毎回食い物じゃなくて飾り用の貝ばっか拾ってくるんだよ?」
生業としての勘がよみがえったマクシムが、食材になりそうなものを山ほど引き揚げてきたのに対し、セイツは殻の形や色が美しく、装飾品として使われる貝を、やたらと大ぶりなものばかりいくつも拾ってきて、女性たちに一つずつ配っていた。
「食べる分は、お前みたいなのがちゃんと獲ってくるだろ。俺まで同じことをする必要はない」
セイツは、何でもないことのように無表情でそう返した。
マクシムに引きずられるようにして久しぶりに海へ入ったとき、セイツの目に見覚えのある種類の貝が映った。かつて彼が、よく母に持ち帰っていたものだった。
味はたいして良くないが、独特の殻の形と美しい模様、色合いのおかげで、小さいものはボタンやブローチなどの装飾品に、大きいものはアクセサリーを入れる小箱として加工される類の貝だ。
怠け者で酒びたりの夫のせいで、いつも生活に困窮していた母には、満足に「持ち物」と呼べるものがほとんどなかった。そんな母に、セイツが唯一贈ることのできた「きれいな物」が、その貝だった。
貝を持ち帰るたび、母はぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。その顔が見たくて、セイツは海に入ると、他の獲物そっちのけで、まっさきにその貝を探したものだった。
後になって知ったことだが、母は磨き上げて加工したその貝を、夫に内緒でこっそり売り、セイツのためのへそくりを貯めてくれていた。
目に留まった以上、気づけば昔の癖のように、その貝を探し回っていた。人の手がほとんど入らない場所だったこともあり、思った以上に大きく、出来の良いものをいくつも見つけることができた。せっかく拾ってきたのだからと、マリゼをはじめ女性陣に一つずつ手渡したのだった。
マリゼは、騒がしくも楽しげな人々の様子を、嬉しそうな面持ちで見つめていた。笑い声、ひそひそと交わされるおしゃべりの声、歌声が、ひとつの楽しい音楽のように耳に届く。
彼女の手には、昼間セイツが拾ってきてくれた、美しい貝殻が握られていた。神官戦士ジェニンや侍女のエマたちにも同じものは配られている。それでもマリゼは、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じていた。
いちばん最初に、いちばん大きくてきれいな貝を自分にくれたのは、身分ゆえだと分かっていながらも、もしかしたら彼の心がこもっているのではないか――そんな淡い期待が、甘やかな気持ちを誘ったのだ。
だが、その想いをセイツに打ち明けるわけにはいかない。メイナードやブラッドら魔導士たちが力を尽くしてくれてはいるが、おそらく自分はデシオールとの戦いで命を落とすだろう。
マリゼの中には、ほとんど確信にも近い予感が巣食っていた。だからこそ、この想いは胸の奥にしまったまま、あの世へ持っていくのがふさわしいのだと、自分に言い聞かせる。
指先で貝殻の模様をそっとなぞりながら、マリゼは無理に視線を別の方へとそらした。
そのとき、誰かが大声を上げた。
「わっ、流れ星だ!」
「え、本当だ!」
その声に、テントの中にいた者たちまで揃って外へ出てくる。宝石をばらまいたようにきらめく夜空の下、いくつもの星が長い尾を引きながら、遠い水平線の方へと降り注いでいた。
流れ星を見ると願いが叶うという言い伝えにならい、人々は手を合わせ、それぞれに心の中で願いごとを唱えた。
「本当に運がいいですね。お天気にも恵まれて、こんな流れ星まで見られるなんて。お嬢様は、どんなお願いをなさったんです?」
エマが浮き立った声でささやきかける。
マリゼは、ただ微笑みを返すことで、答えの代わりとした。




