1. 混乱
「んん……」
うつらうつらしていたユタカ(裕)は、顔に触れる柔らかな感触に目をこすりながらゆっくりと目を開けた。それが女性の胸だと気づいた瞬間、彼は飛び上がるように驚いて跳ね起きた。
そして、目の前の光景に愕然とする。なんと、6人もの裸の女が、彼を取り囲むように眠っていたのだ。
彼の気配に気づいた女たちは、慌てて互いを揺さぶり起こすと、一斉にひざまずいた。
「お目覚めになられましたか、陛下」
呆然としたまま、ユタカはこの光景を見つめていた。
(な、なんだよ、これ……? 俺が王様だって? こんな夢あるか?)
ぼんやりするユタカの前に、冷たい蜂蜜水と果物を載せた銀の盆が差し出された。言われるままに蜂蜜水を飲み、果物を口に入れる。 だが、目は覚めない。夢は続いている。やがて自分が全裸であることに気づき、慌ててあたりを見回す。すると女たちが彼にガウンを着せてくれた。
しかし、裸の女たちが行き来する光景に、視線の置き場に困って顔を上げられない。
「えっと、とりあえず……服を着てくれないかな」
敬語で言うべきか、フランクに言うべきか迷い、語尾が濁る。
女たちはようやくそれぞれガウンを羽織った。
ユタカはベッドから起き上がり、違和感に気づいた。体の感覚が、自分のものではない。確認のため、部屋を見回しても鏡がない。
「どうなさいました? なにかご入り用でございますか?」
一人の女が恐る恐る尋ねてきた。
「あ、ああ……大きな鏡が欲しいんだけど……」
言うが早いか、女たちは忙しなく動き、やがて大きな鏡が運び込まれた。
そこに映った姿を見たユタカは、絶句した。長く垂れた黒紺の髪、灰色の瞳、高い背丈。そして、ぶよぶよと太った白い体。
どこからどう見ても、自分ではない。とりわけ突き出た腹を見下ろした彼は、呆然とつぶやいた。
(嘘だろ……こんな体、誰だよ……!)
夢だと信じて、頬を自分で叩いてみる。だが、効き目はない。
両手で強く叩くと、痛みで口の中に血の味すら広がった。
「陛下!」
「どうなされましたか!」
女たちは慌てて彼の様子をうかがう。
(俺が叩いても駄目なら……他人にやってもらうか?)
しかし、さっきの打撃が強すぎて、怖気づく。一番華奢な体つきの女を指差した。
「そこの君、私の頬を打ってみよ」
女は顔を真っ赤にして震えた。
「わ、わたくしが……? とても恐れ多く……」
「構わん、早く」
おそるおそる、女は小さな手で頬をぽんと叩いた。
「いや、そんな優しくじゃなくて。もっと強くだ」
「えっ?」
仕方なく少し強めに叩いた。だが、羽根のように軽い。
「こうだ、こう!」
ユタカは女の手を取り、自分の頬をパァンと打たせた。
しかし全然痛くない。
女は恐怖で身を震わせ、その場にひれ伏した。
「ひ、ひぃ……! 死罪に値する不敬を……! どうかお慈悲を……!」
完全にいじめているみたいになってしまった。ユタカは慌てて女をなだめた。
「いや、違う! これは私がやらせたのだ。あなたに罪はない。安心せよ」
彼女をなだめ終えると、気が抜けて座り込んだ。
その隙に侍女たちが近寄り、豪華な衣服を着せ、頭には王冠まで載せられる。鏡の中の姿は、まるで本物の皇帝だった。
いや、待て。この顔、どこかで見たことがある。
必死に記憶をたどる。
(まさか……あのゲームの、クズ皇帝……!?)
ユタカが大好きだったゲーム『黒き太陽、血に濡れる月』のラスボスであるクズ皇帝。それが、今の自分の姿だった。
(なんで勇者じゃなくて、よりによって、こいつなんだよ!? そんな展開ありか!?)
納得できない現実に茫然としていたユタカは、ふと別の可能性を考えた。
(……もしかして、俺、病院で昏睡状態にあるんじゃ……?)
最後の記憶は、ブレーキの壊れたようなトラックが人ごみに突っ込もうとしていたところを見て、自分の運転していた車でそれを壁に押しつけ、必死で人々を救おうとした、あの瞬間だった。
あの事故で大怪我を負い、今は病院で意識不明になっていて……これはただの幻覚かもしれない。
(だとしたら、頬叩き程度じゃ目は覚めないか……別の方法を探さないと)
ユタカはそう思い立ち、部屋を出てみた。すると、若い秘書風の男が待ち受けていた。彼に導かれて自室へと向かう道は、想像以上に長い。建物を出て庭を横切る回廊を通り、さらに別の建物へ。やがて皇帝の居室へと案内され、朝食が並べられた。
テーブルいっぱいに豪華な料理が並ぶ。何もしていないのに、腹は空いていた。侍女が味見をしてから皿を置くと、ユタカは夢中で食べ始めた。
(……うまい……!)
聞いたことも見たこともない料理ばかりなのに、どれも絶品だ。
気づけば、彼は我を忘れて食べ続けていた。
ふと恐ろしい考えが頭をよぎる。
(……待てよ。これが夢でも幻でもなかったら……?)
女たちの寝所からここへ来る途中に見た、美しい庭園と壮麗な建物。長く豪華な回廊、この部屋の贅沢な調度。そして、この舌を震わせる美食。
ゲームでは一度も描かれなかった光景だ。勇者視点のプレイでは、クズ皇帝の情報など設定程度しかなく、皇宮も最終盤に戦闘の舞台として登場する限定的な場所しか知らなかった。
(……ゲームの再現じゃない。俺がどこかで見た風景の再構築でもない。これは……現実だ)
そう気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走り、髪が逆立つ。
(もしこれが本当の現実だとしたら……? 今目覚めを待つ幻じゃなく、ここから始まる新しい人生だとしたら……?)
さっきまで止まらなかった食欲が、一気に消え失せた。
侍従長カティルが恐る恐る尋ねる。
「どうなさいました、陛下。何かお気に召さないことでも?」
「……いまは何年だ?」
「帝国暦221年でございます」
「帝国暦221年……」
ゲームの始まりは、大飢饉で両親を失った主人公が、養父に拾われ、しかしその養父すらも失い、皇帝への復讐を誓って旅立つところからだった。
数々の試練と困難を乗り越え、幾多のクエストを達成し、ついには聖剣を手にして、魔王となった皇帝を討つ。それがゲームの最終局面だった。
(……勇者が旅立つのは帝国暦222年。そして、皇帝を討つのは224年……)
つまり――
(破滅は……三年後に来る……!?)
ユタカは愕然とした。
自分が大好きで、何度もエンディングまで駆け抜け、最短クリア記録に挑戦して世界一のスコアまで叩き出したゲーム。細部にいたるまで熟知していると豪語できる、そのゲームの〈終わり〉は、3年後に定められていた。