6話『旅立ちの時!』
アントゥルーの襲撃から数日が過ぎた。ミラナティアの城下町は、領民たちの懸命な努力によって、少しずつ元の活気を取り戻しつつあった。壊された城門の修復作業が進み、広場の噴水も清掃され、子供たちの笑い声が再び聞こえるようになった。あの日の悪夢が嘘だったかのような、穏やかな時間が流れていた。
自室の窓辺に座り、アンナはその平和な光景を眺めながら、手のひらの上にある割れたミラージュパクトを見つめていた。ドリームクリスタルは、今はその輝きを潜め、静かに眠っている。だが、アンナには分かった。これは終わりではなく、始まりに過ぎないのだと。
ラメントと名乗った、あの謎の人物。世界中に散らばっているという『ダークミラー』。そして、その先にある『鏡の女王』の復活。この世界のどこかで、今この瞬間にも、ダークミラーによってカナリアのように苦しんでいる人がいるかもしれない。そう思うと、じっとしてはいられなかった。
「…決めた」
アンナは静かに呟くと、パクトを握りしめて立ち上がった。向かう先は、父と母がいる書斎だ。
書斎では、ゴードンとリアナが、今回の事件の報告書に目を通していた。アンナが音もなく入室すると、二人は顔を上げた。娘のその真剣な表情を見て、すべてを察したようだった。
「父様、母様。私、旅に出ます」
アンナは、両親の前にまっすぐに立つと、決意を告げた。
「鏡の女王を復活させようとしている人たちがいます。その人たちを止めて、すべてのダークミラーを見つけ出し、浄化します。それが、この力を与えられた私の使命だと思うから」
リアナが悲しげに目元を覆う。ゴードンは、静かに目を閉じ、深く息を吐いた。そして、まるでとうの昔に覚悟を決めていたかのように、穏やかな声で言った。
「…やはり、予言通りになってしまったな」
「予言?」
アンナが聞き返す。ゴードンは、遠い昔を懐かしむように語り始めた。
「お前がまだ赤子だった頃だ。領内を旅していた一人の高名な魔術師に、お前を見てもらったことがある。その魔術師は、お前の顔をひと目見るなり、こう言ったのだ」
父は、十三年間胸に秘めてきた言葉を、ゆっくりと紡いだ。
「『この子はいずれ、大いなる使命の元、その故郷を旅立つ運命にある』…と。そして、お前が握りしめていたこのパクトを指し、『その時が来れば、この欠けた鏡が道しるべとなるだろう』とも言っていた」
だからこそ、夫妻はいつか来る日のために、この危険なアイテムを隠し続けていたのだ。娘に、過酷な運命を背負わせたくない一心で。
「だが、お前は自らの意志でその運命を選び取った」ゴードンは、誇らしげな目で娘を見つめた。「ならば、親として、ミラナティア家の当主として、お前の旅立ちを全力で支援しよう」
彼は、壁に掛かったミラガルド全土の地図を指さした。
「闇雲に探しても、ダークミラーは見つかるまい。お前のその不思議な力だけが頼りでは、あまりにも危険すぎる。旅に出るのなら、まずは冒険者ギルドを訪ね、冒険者としての準備をしなさい」
ゴードンは王都の位置を指し示す。
「冒険者になれば、ギルドを通じて各地の情報を得やすくなる。それに、正式な身分があれば、何かと動きやすいはずだ。まずは王都へ向かい、そこで基盤を整えるのがいいだろう」
それは、領主としての的確な助言だった。アンナは、父の言葉に力強く頷いた。
「わかったわ、父様。まずは王都の冒険者ギルドね」
話がまとまったその日の午後。アンナの部屋では、旅立ちの準備が始まっていた。しかし、それは少々、おかしな方向へと進んでいた。
「アンナ、これも必要ですわ!」「母様、それは夜会用のドレスだよ!?」「あら、旅の途中で高貴な方とお会いするかもしれませんもの!」「これも! 我が家の紋章が入った特注の銀製ティーセットですわ!」「そんなの持ってけないってば!」
母リアナが、メイドたちに指示して、山のような荷物を運び込ませていたのだ。中身は、フリルが幾重にも重なった豪華なドレス、日傘、宝石箱、そしてなぜか本格的なティーセットまである。
「冒険者になるにしても、ミラナティア家の令嬢としての品位は保たねばなりません! 野宿の際も、優雅に紅茶を嗜むくらいの余裕がなくては、一流の貴婦人とは言えませんわ!」
力説する母に、アンナは頭を抱えた。その隣では、準備を手伝っていたカナリアも、顔を真っ青にしている。
「お、奥様! さすがにティーセットは、その…馬車が重さで壊れてしまいます!」
「それに、こんなにたくさんのドレス、どこにしまうのよ!」
アンナとカナリアが二人で慌てて止める、という一幕がありながらも、なんとか荷物は冒険に必要な最低限のもの(と、母がどうしてもと譲らなかった少しだけ上等な服)に絞られた。
そして、出発の朝がやってきた。
城の門前には、王都行きの馬車が一台用意されている。アンナが最後の別れを告げようと両親の前に立つと、その隣には、すっかり旅装を整えたカナリアが、自分の荷物を抱えて立っていた。
「カナリア…?」
「私も、行きます」
カナリアは、きっぱりと言い切った。その緑色の瞳には、かつての気弱さはなく、強い意志の光が宿っている。
「先日の一件で、よくわかりました。アンナ様のお側には、身の回りのお世話をする人間が必要です。それに、アンナ様の無茶を止められて、いざという時についていけるのは、この私ぐらいですからね!」
彼女はえっへん、と自信満々に胸を張る。その手には、大きな鞄。きっと中には、救急用品や着替えと一緒に、大量のお菓子が詰め込まれているに違いない。彼女は低級ながらも治癒魔法や防御魔法が使える 。その力は、きっと旅の助けになるだろう。
「カナリア…ありがとう」
アンナは、親友の覚悟を嬉しく思い、にっこりと笑った。
ゴードンとリアナも、カナリアが一緒ならと安心したようだ。リアナは涙ながらに二人を抱きしめ、「体に気をつけるのですよ」と何度も繰り返した。ゴードンは、ただ молча、力強く娘の肩を叩いた。
「行ってまいります」
アンナとカナリアは、人々の見送りを受けながら、馬車に乗り込んだ。御者が鞭を軽くならすと、馬車はゆっくりと動き出す。遠ざかっていく城、手を振り続ける両親と領民たち。アンナはその光景を目に焼き付けながら、寂しさを振り払うように、前を向いた。
「…てっきり、自分の足で走っていくものだと思ってた。徒歩じゃないんだ…」
動き出した馬車の揺れに身を任せながら、アンナがぽつりと呟いた。
「もう、アンナ様は仮にもご令嬢なんですから、使えるものは使いましょう!」
カナリアが、少し呆れたように、でも楽しそうに答える。
「それに、道中で美味しいお菓子屋さんを見つけられるかもしれませんし!」
その言葉に、アンナは思わず吹き出した。そうだ、これは暗いだけの旅じゃない。親友と二人で、まだ見ぬ世界へと向かう、冒険の旅なのだ。
「それもそうだね!」
二人の少女の明るい笑い声を乗せて、馬車は王都へと続く道をひた走る。
鏡の女王の復活を阻止し、囚われた人々を救うため。そして、自らの運命と向き合うため。
令嬢戦士アンナ・ミラナティアの、本当の旅が、今、始まった。
第一章はここまでです。
お付き合いいただきありがとうございました。




