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転生令嬢冒険者は元・ニセモノ魔法少女!  作者: 軟膏
第四章『誇り高き剣!ミラージュティアウィング登場!』
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19話『侯爵、アントゥルーと化す!』

庭園での語らいは、三人の少女の間に流れる絆を、月光の下でより一層強く、そして確かに結びつけていた。涙を拭い、迷いを振り払ったブリジットの瞳には、もう以前のような苛立ちや焦りの色はなかった。そこにあるのは、自らの進むべき道を見定めた戦士の、静かで、しかし燃えるような決意の光だった。


「行きましょう」

ブリジットは、二人の大切な仲間に力強く頷きかけると、きらびやかな喧騒が戻りつつある侯爵邸へと、毅然とした足取りで歩き出した。アンナとカナリアもまた、その頼もしい背中に、言葉なく続く。


三人が向かったのは、パーティで賑わう大広間ではなく、その喧騒から離れた父の書斎だった。重厚なマホガニーの扉をノックすると、中から「入れ」という、疲れの滲んだ声が聞こえた。

書斎の中では、スヴァンフルート侯爵が一人、暖炉の火をぼんやりと眺めていた。その背中は、先ほどよりもさらに小さく、寂しげに見える。娘の帰還を祝う華やかな宴の中心にいるべき主は、その心を埋めがたい孤独に苛まれていた。


「父様」

ブリジットの声に、侯爵はゆっくりと振り返った。その顔には、娘の反発に対する怒りではなく、深い悲しみと苦悩の色が浮かんでいる。

ブリジットは、父の前にまっすぐに立つと、深々と頭を下げた。それは、これまでの反抗的な態度を詫びるためのものではなく、一人の人間として、そしてスヴァンフルート家の後継者として、父と向き合うための、敬意の表れだった。


「先ほどは、感情的な物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした」

その丁寧な謝罪に、侯爵はわずかに目を見開く。

「ですが」と、ブリジットは顔を上げた。そのアメジストの瞳は、暖炉の炎を映して、強く、美しく輝いている。

「わたくしの決意に、揺るぎはございません。父様がわたくしを深く愛し、心配してくださっているお気持ちは、痛いほど理解しております。その愛情に、心から感謝しています。ですが、わたくしはもう、父様に守られるだけのお人形ではいられないのです」


彼女の言葉は、もはや感情的な反発ではなかった。一人の戦士として、そしてスヴァンフルート家の血を引く者としての、揺るぎない覚悟の表明だった。

「母が命をかけて守ってくれたこの命を、わたくしは、ただ安全な城の中で安穏と終わらせるつもりはありません。この剣で民を守り、苦しむ人々を救うこと。それこそが、母が望み、わたくしが選び取った、わたくしの誇りなのです」


隣に立つアンナとカナリアが、その言葉を肯定するように、力強く頷く。彼女たちの存在が、ブリジットの言葉に、何よりも雄弁な説得力を与えていた。この仲間たちと共に歩む道こそが、今のブリジットにとってのすべてなのだと。


娘の、あまりにも真っ直ぐな瞳と、その隣で彼女を支える仲間たちの姿。侯爵の心は、激しく揺さぶられていた。娘は、自分の知らない間に、これほどまでに強く、気高い女性へと成長していた。その成長は誇らしい。だが、それを受け入れることは、亡き妻を失ったあの日の悪夢を、再び呼び覚ますことでもあった。妻を守れなかった無力な自分。その腕の中で冷たくなっていく最愛の人。もし、この娘まで失ってしまったら。その恐怖が、鉛のように重く彼の心にのしかかり、決断を鈍らせる。


「……ブリジット」

侯爵は、呻くように娘の名を呼んだ。

「お前の成長は…眩しいほどだ。だが…すまない。もう少しだけ…もう少しだけ、考えさせてはくれんか…」

それは、威厳ある侯爵の姿ではなく、ただ一人の、傷ついた父親の、悲痛な懇願だった。


その、時だった。

父娘の間に流れる、張り詰めた、しかし温かい空気を切り裂くように、書斎の影が、不自然に揺らめいた。

そして、暖炉の炎が届かない部屋の隅の暗闇から、音もなく、一人の人物が姿を現した。

フードを目深に被り、性別すらも窺わせない、中性的な美しさを湛えた人物。その全身から放たれる、底知れない絶望のオーラに、三人は咄嗟に身構えた。


「ラメント…!」

アンナが、忌々しげにその名を呼ぶ。森で遭遇した、ダークイマージュ三幹部の一人。なぜ、こんな所に。

ラメントは、三人の緊張など意にも介さず、くつくつと喉の奥で笑った。その視線は、ブリジットではなく、苦悩に顔を歪める侯爵へと注がれている。


「あぁ、たっぷり考えるといい。暗く、冷たい、絶望の鏡の中でな…」


その言葉と同時に、ラメントの手の中に、一枚の黒い鏡の破片――ダークミラーが出現した。

「貴様っ! 何をする気だ!」

ブリジットがレイピアに手をかけようとするが、遅かった。ラメントは、侯爵の背後に、まるで最初からそこにいたかのように瞬間移動すると、その耳元で、甘美な毒のように囁いた。


「お前の心には、素晴らしい闇がある。妻を守れなかった後悔。娘を失うことへの恐怖。その絶望、その嘆きこそ、我が主の糧となる」


「やめなさいッ!!」

ブリジットの絶叫が響く。だが、ラメントは嘲笑うかのように、ダークミラーを侯爵の背中に突き立てた。


「ぐ…あ…あああああああっ!!」

侯爵の体が、激しく痙攣する。その瞳から理性の光が急速に失われ、代わりにどす黒い憎悪と絶望の色が浮かび上がった。

「お、お前たちを…娘を…危険な目には…合わせん…! わしが…わしが、守らねば…!」

その歪んだ守護の誓いは、もはや愛情ではなく、狂気的な執着だった。ダークミラーは、侯爵の心の最も弱い部分を的確に抉り、増幅させていく。

彼の体は、ありえない角度に折れ曲がり、その上質な衣服を内側から引き裂いて、禍々しい何かが膨張を始めた。筋骨隆々の体はさらに巨大化し、皮膚は硬質な甲殻のように変質していく。背中からは、歪んだ翼のような突起が生え、その手は鋭い鉤爪へと変わっていった。


「お父様っ!!」

ブリジットの悲痛な叫びも、もはや届かない。

やがて、人の形を完全に失った怪物が、天に向かって、絶望の咆哮を上げた。


「アントゥルーゥゥゥゥッ!!」


その声は、パーティの喧騒をいともたやすく打ち消し、城全体を揺るがした。

書斎の扉が内側から吹き飛び、アントゥルーと化した侯爵が、大広間へとその巨体を躍り出させる。

まばゆいシャンデリアの光の下、優雅なワルツを楽しんでいた貴族たちの間に、一体の異形の怪物が降り立った。一瞬の静寂。そして、次の瞬間、平和な宴は、阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とされた。


「きゃあああああっ!」

「ひ、怪物だ!」

「衛兵! 衛兵は何をしておるか!」


着飾った貴族たちは、我先にと逃げ惑い、テーブルは倒され、高価な食器が床に散らばって砕け散る。アントゥルーは、その混乱の中心で、ただただ破壊の衝動に身を任せていた。その赤い瞳は、ブリジットただ一人を捉えている。まるで、愛する娘を、自らの手で「安全な場所」へと閉じ込めようとするかのように。


「ククク…素晴らしい。実に美しい絶望の誕生だ」

書斎から現れたラメントが、その惨状を満足げに見下ろしている。

「さあ、始めようか。お前たちの絆が、この父親の絶望に勝てるかどうか、見せてもらおう」


ブリジットは、目の前の光景が信じられなかった。優しく、威厳に満ちていた父の姿はどこにもない。そこにいるのは、ただの破壊の怪物。自分のせいで、父は。自分の未熟さが、父をこんな姿に変えてしまった。その罪悪感が、彼女の足を縫い止める。

「…しっかりして、ブリジット!」

アンナの力強い声が、ブリジットの心を現実に引き戻した。

「今は、嘆いている場合じゃない! ブリジットのお父さんを、助けるんでしょ!」

「アンナ様、ブリジット様、私が援護します!」

カナリアもまた、恐怖を押し殺し、杖を強く握りしめていた。


そうだ、仲間がいる。一人じゃない。

ブリジットは、涙をぐっとこらえ、ドレスの裾を躊躇なく引き裂いた。動きやすくなった足で、床に転がっていたレイピアを拾い上げる。

「ええ…そうですわね…!」

彼女は、アントゥルーと化した父を、真っ直ぐに見据えた。その瞳には、もう絶望の色はない。

「わたくしの手で、必ず父様を元に戻してみせますわ!」


パーティ会場は、瞬く間に戦場へと変わった!

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