17話『侯爵令嬢、父と決別す』
鉱山での死闘から数週間。Cランク冒険者チーム『ミラージュアモーレ』の名は、王都フォーギヴンの冒険者たちの間で、畏敬と賞賛の的となっていた 。デビュー戦でレッサードラゴンを討伐し、ダークイマージュの幹部グリーヴァを退けただけでなく、新たに覚醒した魔法少女ミラージュティアミラクルの力で、より凶悪な合体アントゥルーをも浄化したという離れ業 。その目覚ましい活躍譚は、まるで吟遊詩人が歌う英雄譚のように、ギルドの酒場で毎日のように人々の口の端にのぼっていた 。
その日も、当の本人たちは冒険者ギルドの談話スペースの一角を陣取り、作戦会議という名目のお茶会を開いていた。テーブルの上には、ギルドの酒場には不似合いな、カナリアが淹れた薫り高い紅茶と、王都で評判の店の焼き菓子が並んでいる。
「うーん、この『沼地に咲く月光花の採取』っていうのも、なんだかロマンチックで素敵ですけど…」
カナリアが掲示板から持ってきた依頼書を眺めながら、うっとりとした表情で呟いた 。彼女の頭の中では、幻想的な月光の下、キラキラと輝く花を摘む自分たちの姿が再生されているのだろう。
「あら、それよりこちらの『盗賊団『黒猫の牙』の討伐』の方が、わたくしのレイピアの腕が鳴りますわ」
ブリジットが、優雅にティーカップを傾けながら、涼しい顔で物騒な依頼を指差す 。彼女にとっては、手応えのある強敵こそが、冒険の醍醐味だった。
「どっちもいいけど、もっとこう、ガツンとアントゥルーが出てきそうなやつはないかなあ」
アンナはすっかりテーブルに突っ伏しながら、つまらなそうにクッキーをかじった 。鉱山での一件以来、ダークイマージュは鳴りを潜め、アントゥルーの目撃情報もぱったりと途絶えていた。平和なのは良いことだと頭では分かっているが、すっかり戦いが日常になりつつある彼女にとって、普通のクエストはどこか物足りなく感じ始めていたのだ 。
そんな、三者三様のやり取りが繰り広げられていた時だった。
ギイ、とギルドの重厚な扉が開き、一人の壮年の男性が、従者と思しき数人の男たちを伴って入ってきた。日に焼けた肌と鍛え上げられた肉体を持つ冒険者たちとは明らかに違う、滑らかな所作。その男が身にまとっている豪奢な衣服と、腰に提げた見事な装飾剣は、彼が高い身分の者であることを示している。昼日中からエール杯を呷っていた冒険者たちのざわめきが、一瞬にして静まり返った。
男は、値踏みするようにギルド内を見渡すと、一直線に三人がいるテーブルへと歩み寄ってきた。そして、ブリジットの前に立つと、背筋を伸ばしたまま、しかし恭しく深々と頭を下げた。
「ブリジットお嬢様。侯爵様からの、たってのご依頼でございます」
その言葉を聞いた瞬間、ブリジットの顔が、見る見るうちに不機嫌に歪んでいく。優雅に保たれていた口元は固く結ばれ、アメジストの瞳には冷たい光が宿った。
「…父からの、ですって?」
その声は、冬の湖を覆う薄氷のように冷たかった。
「はい。こちらを」
従者の男性が、恭しく封蝋の施された依頼書を差し出す。アンナとカナリアが興味深そうに覗き込む中、ブリジットはそれを受け取ると、無造作に封を破った。依頼書に書かれていたのは、彼女の父、スヴァンフルート侯爵からの名指しの依頼。「領地であるスヴァンレーク湖畔に出没する、正体不明の魔物の調査と討伐」というものだった 。
「嫌ですわ。お断りなさい」
ブリジットは、依頼書に最後まで目を通すこともなく、きっぱりと拒絶した 。
「お、お嬢様、そうおっしゃらず! これは緊急の案件でして、侯爵様も大変お困りのご様子で…」
「緊急? 父がわたくしに直接依頼してくる時など、ろくなことになった試しがありませんわ。どうせまた、ろくでもない貴族の息子との見合い話でもセッティングして、わたくしを無理やり連れ戻す魂胆なのでしょう」
吐き捨てるように言うブリジットに、アンナとカナリアは顔を見合わせた。
「ええっ、お見合い!?」
「素敵じゃないですか、ブリジット様!」
二人の素直な反応に、ブリジットは「どこがですの!」と、さらに眉をつり上げた。彼女にとって、親の決めた相手と結婚し、貴族の妻として城の中で一生を終えることなど、耐え難い屈辱でしかなかった。
「とにかく! わたくしは行きませんわ! 自分の領地の問題くらい、父が自慢の騎士団を使ってどうにかすればよいのです!」
そう言って、ぷいっとそっぽを向いてしまうブリジット。その頑なな態度に従者は困り果てていたが、アンナはその依頼書から、微かな、しかし無視できない不吉な気配を感じ取っていた。まるで、鉱山で感じたヴェクサスの気配にも似た、冷たくて粘つくような嫌な感覚。
「…でも、ブリジット。この依頼、本当かもしれないよ」
「何ですって?」
「なんだか…嫌な感じがするんだ。この紙から。もしかしたら、本当にアントゥルーが関係してるのかも」
アンナの真剣な表情に、ブリジットの決意がわずかに揺らぐ。アンナの直感は、これまでの戦いで何度も彼女たちを救ってきた。それを無視することは、ブリジットにもできなかった。そこへ、カナリアがキラキラした瞳で追い打ちをかけた。
「それに、スヴァンレークは『湖上の都』と呼ばれるくらい、とっても景色が綺麗な場所だって本で読みました! 美味しいお菓子も、きっとありますよ!」
「ぐっ…」
アンナの確かな直感と、カナリアの純粋な食欲。そして何より、父への反発心とは裏腹に、自分の生まれ故郷である領地と、そこに住む民のことが、心のどこかで気にかかっている自分に、ブリジットは気づいていた。もし、アンナの言う通り、本当にアントゥルーがそこにいるのだとしたら。
彼女は大きな、大きなため息をつくと、観念したように立ち上がった。
「……分かりましたわ。行けばいいのでしょう、行けば! ただし!」
ビシッと、白魚のような指が従者に突きつけられる。
「もしこれが父のくだらない芝居だった場合は、屋敷のステンドグラスを一枚残らず叩き割ってやりますから! そう、お伝えなさい!」
物騒な宣言と共に、ミラージュアモーレの一行は、ブリジットの故郷であるスヴァンレークへと向かうことになったのだった。
王都から数日の馬車の旅を経て、一行はスヴァンレークの地に足を踏み入れた。その美しさは、カナリアが聞いていた噂以上だった。広大な湖の周りに、白壁と青い屋根の優美な建物が宝石のように点在している。街中に張り巡らされた水路をゴンドラが行き交い、陽光を反射した湖面が、街全体をきらきらと輝かせていた。
しかし、一行を出迎えたのは、魔物の脅威に怯える人々の沈んだ姿ではなかった。それどころか、街の入り口には歓迎の横断幕が掲げられ、道行く人々は色とりどりの花を手に、何かを待ちわびるようにざわめいている。まるで、祭りの準備でもしているかのような、陽気で華やかな喧騒だった。
「……おかしいですわね」
ブリジットの眉間に、深いしわが刻まれる。この陽気さは、魔物に脅かされている街のそれとは到底思えなかった。
その疑念は、湖畔に立つ白鳥の城、スヴァンフルート侯爵邸に到着したことで、確信へと変わった。
「おお、ブリジット! よくぞ戻った!」
馬車を降りた一行を出迎えたのは、ブリジットの父、威厳のある口ひげをたくわえたスヴァンフルート侯爵その人だった。彼の後ろには、見知らぬ貴族たちがずらりと列をなし、まるで凱旋将軍を迎えるかのような、大げさな歓迎ぶりだった。
そして、侯爵の口から告げられた言葉に、ブリジットの怒りはついに頂点に達した。
「さあ、お前の帰還を祝して、今宵は盛大なパーティを開こう! 将来有望な若者たちも、大勢呼んでおいたぞ! はっはっは!」
やはり、魔物の話はすべて嘘だった。娘を王都から連れ戻し、無理やり見合いをさせるための、父が仕組んだ壮大な茶番だったのだ。アンナの感じた不吉な気配すら、父が用意した魔法道具か何かで偽装したに違いなかった。
その夜、侯爵邸の大広間は、まばゆいシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの楽しげな会話で満たされていた。アンナとカナリアは、用意された客室で目を輝かせながら豪華な食事に舌鼓を打っていたが、主役であるはずのブリジットの姿は、そこにはなかった。
父の書斎で、しぶしぶ着替えさせられた窮屈なパーティドレスのまま、彼女は父親と対峙していた。
「どうして、またこんな真似をなさるのですか! わたくしを騙してまで呼び戻すなんて!」
「騙したわけではない。お前に帰ってきてほしかった、ただそれだけだ」
父である侯爵は、重々しい口調で答えた。
「ブリジット。お前の活躍は嬉しく思う。アントゥルーと戦い、民を救うその姿は、スヴァンフルート家の娘として、実に誇らしい。だがな、父親としては、お前がいつ命を落とすやもしれぬ危険な冒険に身を投じているのは、もう耐え難いのだ。お前には、もう剣を置いて、この安全な城で、身を固めて穏やかに暮らしてほしい」
父の言葉は、偽りのない、娘を深く愛するが故の心からの願いだった。その声は、悲痛ですらあった。
しかし、ブリジットはその切なる想いを、受け入れることはできなかった。
「安全な暮らしですって!? 今、この国の民がアントゥルーという正体不明の脅威に怯えている時に! わたくしたち貴族は、民の盾となり、剣となるのが務めですわ! 民の苦しみから目を背け、自分たちだけが安全な場所で優雅に暮らすなど、決して許されることではありません! 積極的に行動を起こして、一人でも多くの民を救うべきではないのですか?!」
「それはお前の役目ではない! お前は女なのだぞ!」
父の言葉に、ブリジットの瞳が怒りの炎で燃え上がった。
「いいえ、これがわたくしの選んだ道ですわ! 仲間と共に、この剣で、わたくしの信じる正義を貫く道です! 父様、貴方はわたくしの誇りを、この手で掴んだ絆を、踏みにじるおつもりですか!」
二人の視線が、激しく火花を散らす。分かり合えない父と娘。深い愛情と、揺るがぬ信念が、皮肉にも二人を隔てる壁となっていた。
ブリジットは、これ以上話しても無駄だと悟ると、踵を返し、書斎を飛び出してしまった。美しいドレスの裾を翻し、彼女はパーティの喧騒を抜け、一人、月明かりが照らす夜の庭園へと駆け出していく。
後には、何も言えずに立ち尽くす父親の、寂しげな背中だけが残されていた。




