15話『新たな戦士!ミラージュティアミラクル誕生!』
王都から馬車を乗り継ぎ、さらに徒歩で半日。ミラージュアモーレの一行が足を踏み入れたのは、かつて良質な鉄鉱石を産出し、今は完全に放棄された古い鉱山地帯だった。錆びついたトロッコのレールが、まるで巨大な獣の肋骨のように剥き出しになり、風が岩肌を撫でる音が、亡霊の呻き声のように空虚に響いている。
「……なんとも、陰気な場所ですわね」
ブリジットが、腰に提げたレイピアの柄に手をやりながら、警戒を露わに呟いた。彼女の鋭い感覚が、この場所に漂う不自然なまでの静寂と、その奥に潜む邪悪な気配を敏感に感じ取っていた。
「ええ。それに、この空気……なんだか、胸がざわつきます」
カナリアもまた、モスグリーンのローブのフードを目深にかぶり、不安げに周囲を見回す。彼女の背負う大きな鞄が、心なしかいつもより重く感じられた。
アンナだけが、黙って鉱山の入り口――ぽっかりと口を開けた、闇への入り口を見つめていた。彼女の持つミラージュパクトが、微かに、しかし確実に反応している。ダークミラーの気配。それも、これまで遭遇した中でも特に濃密で、悪意に満ちたものが、この奥で待ち構えていることを示していた。
「罠だとわかっていても、行かなきゃね」
アンナは二人の仲間を振り返り、覚悟を決めたように微笑んだ。その笑顔に勇気づけられ、ブリジットとカナリアも力強く頷く。三人は互いの顔を見合わせると、意を決して、鉱山の暗がりへと足を踏み入れた。
内部は、ひんやりとした湿った空気が淀み、カンテラの灯りだけが頼りだった。壁には、かつての鉱夫たちが振るったであろうツルハシの跡が生々しく残り、彼らの怨念が染みついているかのようだ。しばらく進むと、道は開けた広い空間へと続いていた。そこは、採掘された鉱石を一時的に集積する場所だったのだろう。天井は高く、壁際には選別から漏れた鉱石クズの山や、打ち捨てられた道具類が散乱していた。
そして、その広間の中心に、一人の青年が佇んでいた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
背筋をすっと伸ばし、銀縁の眼鏡の奥で、知的な光を宿した瞳が三人を静かに見つめている。月光を溶かしたかのような銀髪が、カンテラの頼りない光を反射してきらめいていた。その優雅な立ち姿は、こんな埃っぽい廃鉱山にはあまりにも不釣り合いだった。
「君たちがミラージュアモーレ? なんだ、思ったより子供だね」
青年は、品定めをするような視線を三人に向け、穏やかな、しかしどこか見下すような口調で言った。その声には、アンナたちが感じていた邪悪な気配の源であることを隠そうともしない、絶対的な自信が満ちていた。
「貴方は?!」
ブリジットが、即座にレイピアに手をかけ、鋭く問い返す。
青年は、くすりと楽しそうに笑うと、芝居がかった仕草で優雅に一礼した。
「僕はヴェクサス。お察しの通り、ダークイマージュの幹部の一人さ」
その名乗りと共に、ヴェクサスの周囲の空気が、明確な殺意をもって歪んだ。彼は懐から、まるで手品師がカードを取り出すかのように、何枚もの黒い鏡の破片――ダークミラーを抜き出すと、それを無造作に周辺へとばら撒いた。
「実験に付き合って欲しくてね。君たちのデータは、僕にとって非常に興味深い研究対象なんだ」
ダークミラーは、それぞれが意志を持っているかのように、周辺の鉱石クズや、廃棄されたツルハシ、錆びついたトロッコの車輪へと吸い込まれていく。
「現れちゃってよ、アントゥルー!」
ヴェクサスが呪文を唱えると、黒い鏡に侵されたガラクタたちが、ぎちぎちと軋む音を立てて蠢き始めた。鉱石クズは寄り集まって岩の体を持つゴーレムとなり、ツルハシはひとりでに宙を舞い、青白い炎をまとった亡霊の鉱夫の姿を取る。それらが、ヴェクサスの命令一下、ダークミラーの力と完全に融合し、一体一体は小さいながらも、おびただしい数のアントゥルーへと変貌を遂げた。
「グルルルル……」「キシャアアアッ!」
広間は、瞬く間に異形の怪物たちで埋め尽くされた。その数は、ざっと見て三十体は下らないだろう。
「前はグリーヴァが『質』でやられちゃったみたいだけど、学習しないのは馬鹿のやることだ。だから、今回は『数』で勝負といくよ」
ヴェクサスは、眼鏡の位置を指先でくい、と直しながら、冷ややかに告げる。
「一体一体は弱いけど、それでもアントゥルーだ。この数を前に、君たちがどこまで耐えられるか、じっくりとレポートを取らせてもらうよ」
その意気揚々とした挑発を前に、アンナたちの闘志に火がついた。
「レポートですって? 随分と、舐めた事を言ってくれますわね!」
ブリジットが、アメジストの瞳に怒りの炎を燃やす。
「行くよ、皆!」
アンナの叫びが、鉱山内に木霊した。
「チェンジ・ミラージュ!」
アンナは天にパクトを掲げ、光に包まれる。不完全な変身形態『ゼロモード』へと姿を変えたミラージュティアドリームは、即座に両手を広げ、仲間へと力を分け与えた。
「はっ!」
金色のオーラがブリジットを、若葉色のオーラがカナリアを包み込む。二人の身体能力と魔力が、ティアドリームの力によって飛躍的に向上した。
「よそ見をしている暇はなくてよ!!」
ブリジットが、誰よりも早く動いた。彼女の体は、まるで風になったかのようにアントゥルーの群れへと突っ込み、その手にしたレイピアが閃光を放つ。シルフの舞。その華麗な剣技は、アントゥルーの硬い装甲の隙間を的確に突き、次々と敵を沈黙させていく。
「そこですわ!」
ブリジットが切り裂いた小型アントゥルーの背後から、中型のゴーレムが巨大な腕を振り下ろす。
「させません! フリーズ・アロー!」
その動きを読んでいたカナリアが、杖の先から氷の矢を放つ。矢はゴーレムの足元に着弾し、その場に分厚い氷塊を生成して動きを封じた。
「ナイス、カナリア! とどめ!」
動きを止めたゴーレムに、ティアドリームの拳が炸裂する。ダークピンクのオーラをまとった一撃は、いともたやすくゴーレムの岩の体を粉々に打ち砕いた。
「どうだ!」
アンナが、ヴェクサスに向かって叫ぶ。三人の連携は完璧だった。あれほどいたアントゥルーの群れは、わずか数分でそのほとんどが浄化され、塵と化していた。
しかし、ヴェクサスは眉一つ動かさなかった。彼は余裕の笑みを浮かべたまま、手にした水晶板に向けて、何事かをすらすらと書き込んでいる。
「へぇ、報告通り、中々やるじゃないか。小型かつ魔物ベースのアントゥルーは、強化された非変身者でも十分に対処可能、と……。ふむ、興味深いデータだ」
その、あまりにも他人事のような態度に、ブリジットの怒りが頂点に達した。
「よそ見をしている暇はなくてよ!!」
彼女は最後の一体を切り伏せると、その勢いのままヴェクサスへと肉薄し、渾身の一撃を加えようと飛びかかった。
だが、ヴェクサスは水晶板から目を離すことなく、嘲るように言った。
「おっと、そう焦らないで。君がそう来ることは、計算済みだよ。じゃあ、暇を作ってあげようか」
その言葉が、合図だった。
ゴゴゴゴゴゴ……!
突如、鉱山の内部が激しく震え、周囲の岩壁が崩れ落ちる。そして、その向こうの暗闇から、ぬっと、複数の巨大な影が姿を現したのだ。
それは、先ほどの小型アントゥルーたちとは比較にならない、大型の個体だった。身の丈は三メートルを超え、全身がこの鉱山で採れる最も硬い鉱石の鎧で覆われている。その数は、一体、二体ではない。五体もの大型アントゥルーが、ぎろりとした憎悪の瞳を三人に向けていた。
「これは!?」
ブリジットが、驚愕に目を見開いて後退る。
「前もって仕込んでおいたんだよ。脳筋のグリーヴァじゃあるまいし、何の用意も無しに、君たちみたいな危険因子をこんな埃っぽい所に呼び出すはずないだろう?」
ヴェクサスは、ようやく水晶板から顔を上げると、心底可笑しそうに肩をすくめた。
「それにしても、馬鹿正直に来てくれるなんてねぇ。正義の味方っていうのは、そういう風にプログラムされているのかい? それもまた、実に興味深いサンプルだ」
「くっ……!!」
アンナは、自分たちの行動が完全に読まれていたことに、悔しげに歯噛みした。
「さあ、第二ラウンドと行こうか! 今度はちゃんと中身の詰まった大モノだよ! 『質』と『数』、その両方を揃えたら、一体どんな面白いデータが取れるのか、ぜひ見せてくれると嬉しいな!」
ヴェクサスの声に呼応するように、五体の大型アントゥルーが、一斉に咆哮した。
「「「アントゥルーーーーーッ!!」」」
地響きと共に、絶望的な戦いの幕が、再び切って落とされた。
深層の鉱石と融合したアントゥルーの猛攻は、先ほどのガラクタたちとは比べ物にならないほど、苛烈で強烈だった。
「シルフの舞!」
ブリジットが放つレイピアの連続突きは、アントゥルーの硬い甲殻の前で、甲高い音を立てて弾かれるばかり。鱗の継ぎ目などという、都合の良い弱点はどこにも存在しなかった。
「プロテクション・ウォール!」
カナリアの防御魔法も、巨腕の一撃でガラスのように粉々に砕け散る。彼女の魔法は、そよ風のように何の意味もなさなかった。
「くっ…対処しきれない…っ! きゃあっ!!」
ブリジットが巨腕に薙ぎ払われ、壁際まで吹き飛ばされる。
唯一、互角以上に渡り合えていたのは、ティアドリームだけだった。
「はあああっ!」
ティアドリームは、アントゥルーの一体の攻撃をかいくぐり、その懐に飛び込むと、渾身の蹴りを叩き込んだ。さすがに巨体がよろめくが、それだけだった。致命傷には程遠い。そして、彼女が一体に集中している隙を、他の四体が見逃すはずもなかった。
四方から迫る、岩のような拳。
「しまっ…!」
回避が、間に合わない。
ティアドリームは、アントゥルーたちの集中砲火を浴び、くの字に体を折り曲げながら、紙切れのように宙を舞った。
「がはっ……!」
凄まじい衝撃と共に、彼女の変身が強制的に解除されていく。ダークピンクの髪は元の薄紅色に戻り、ガントレットとブーツが光の粒子となって消え去った。
アンナが地面に叩きつけられるのと同時に、ブリジットとカナリアを包んでいた金と緑のオーラもまた、霧散した。力の供給源を失い、二人の強化も解けてしまったのだ。
状況は、一瞬にして最悪のピンチへと転落した。
「……ふむ。変身解除までのタイムは、1分3秒か。やっぱり、これまでの報告より変身時間が長いな。浄化したダークミラーのエネルギーを、パクトが吸収して自己修復と強化を行っている、という仮説が裏付けられたか」
ヴェクサスは、淡々と水晶板にデータを書き込みながら呟く。
「ま、それもここいらで、どうでもいい過去の情報になるかもしれないけどね」
彼の冷たい視線が、倒れ伏すアンナに向けられる。アントゥルーの一体が、その巨体でゆっくりとアンナに近づき、とどめを刺さんと拳を振り上げた。
「アンナ!!」
「アンナ様!」
ブリジットとカナリアが、悲鳴に近い声を上げる。
「う…うぅっ…まずい……!!」
アンナは必死に動こうとするが、これまでにないほどのダメージと消耗で、身動き一つできない。目の前で振り上げられる、死を告げる拳。もはや、これまでか。誰もがそう思った、その時だった。
「動けないなら、そのまま潰しちゃいなよ」
ヴェクサスの、無慈悲な声が響く。
「させ、ないっ!」
アントゥルーとアンナの間に、決死の覚悟で割って入ったのは、カナリアだった。彼女は、震える足で必死に立ち、その小さな体で、主人の盾となったのだ。
カナリアは、愛用の杖をアントゥルーに向け、力の限り叫んだ。
「アンナ様には、私が指一本触れさせない!!」
「カナリア…! 無理だよ、逃げて…!」
アンナが、か細い声で制止する。強化も解けた今のカナリアでは、あの怪物の一撃を受ければ、ひとたまりもない。
だが、カナリアは決して退かなかった。彼女は振り返り、アンナに向かって、涙ながらに、しかし凛とした笑顔で告げた。
「アンナ様は…この身に代えても、守ってみせます…!」
「カナリア…ッ!!」
アンナは必死に手を伸ばすが、その指先は虚しく空を切るだけだった。
「んー、美しい友愛だね。実に感動的だ。でも、状況的に見て、あまりにも非現実的じゃないかなあ」
ヴェクサスは、まるで悲劇の舞台を鑑賞しているかのように、つまらなそうに呟いた。
「まあいいや。先にそっちから、やっちゃえ」
その声に、アントゥルーが躊躇なく拳を振り下ろす。
カナリアは咄嗟に、杖を掲げて防御の姿勢を取った。その杖の先端には、王立魔法研究院でキルケから渡された、あの銀色のミラージュパクトが、まるで最初からそこにあったかのように、ぴったりと装備されていた。
(一瞬で良い、ほんの一瞬で良いから、奇跡を…!!)
「カナリアーっ!!」
アンナの絶叫が響き渡る。
カナリアは強く、強く祈り、杖にありったけの魔力を込めた。
アントゥルーの振り下ろした岩の拳と、カナリアが掲げた杖の先端――銀色のパクトが衝突する、まさにその瞬間。
『それ』は、起きた。
パァァァァァァンッ!!
銀色のパクトが、太陽と見紛うほどの凄まじい光を放った。
光は、エネルギーの奔流となって鉱山内を駆け巡り、闇を切り裂く。
「なっ…!」
ヴェクサスの、初めて浮かべた驚愕の声。
光の奔流は、五体の大型アントゥルーの体をいともたやすく貫き、その動きを完全に停止させた。怪物の体からは黒い煙が上がり、その鉱石の装甲に、無数の亀裂が走っていく。
「これは…一体…?!」
カナリア自身も、自らの手の中で起こった、信じられない出来事に驚いていた。杖を握る手が、熱い。自分の魔力ではない、何か別の、温かくて強大な力が、パクトから流れ込んでくるのを感じていた。
戸惑うカナリアの握る杖が、その材質を変え始めていた。ただの樫の木だったはずの杖は、まるで生きているかのように形を変え、紫水晶を削り出したかのような、優美で洗練されたデザインの杖へと生まれ変わっていく。
そして、杖の先端に輝く銀色のパクト。その表面が、まるで古びたメッキを剥がすかのように、内側からの光によって弾け飛んだ。現れたのは、高貴なロイヤルパープルに輝く、真の姿を取り戻したパクトだった。
「パクトが……!?」
ブリジットが、呆然と呟く。
「ううん…驚いている場合じゃ、ない!!」
カナリアは、自分の中で何かが目覚めようとしているのを、はっきりと感じていた。恐怖はない。あるのは、仲間を守るという、揺るぎない決意だけ。
その決意と共に、カナリアの胸の中心から、強い光が放たれた。光は、彼女の胸の前で収束し、一つの美しい結晶へと姿を変えた。
それは、森のような緑色の輝きを秘めた、奇跡の結晶。
カナリアは、それを手にとると、迷うことなく叫んだ。
「チェンジ・ミラージュ!」
その言葉を合図に、カナリアの視界は、まばゆい光に完全に染め上げられた。
光の中で、彼女の目の前に、一枚の美しい鏡が現れる。鏡面には、一人の少女のシルエットが、ゆらりと浮かび上がった。
そして、カナリナの脳裏に、優しく、そして力強い声が直接響き渡った。
『――見届けたわ。貴女の仲間を、友達を、大切な人を守りたいという、その強い気持ち…』
「貴女は…?」
カナリアの問いに、鏡の中のシルエットが、慈愛に満ちた笑みを浮かべたように見えた。
『私は…そうね、今は貴方の鏡像と名乗っておこうかしら。さあ、時間がないわ。叫んで。あなたの胸に生まれた、そのハートクリスタルの名前を…!』
「私の…クリスタル…」
『そう。その名は、奇跡。絶望の闇に、希望の光をもたらす、想いの奇跡!』
その言葉と共に、クリスタルの正式な名が、カナリアの魂に直接刻み込まれる。
「ミラクルクリスタル!」
カナリアは、自ら名付けた『ミラクルクリスタル』を、紫色のパクトの中央に、祈りを込めてセットした。
カチリ、と心地よい音が響く。
その瞬間、変身のシークエンスが始まった。
光の奔流が、カナリアの全身を駆け巡る。きっちりと結ばれていた三つ編みが、まるで意思を持ったかのように解け、輝くロイヤルパープルへと染め上げられていく。解放された長い髪は、空中でくるりと舞い、美しいツインテールとなって結び直された。瞳は、吸い込まれそうなほどにきらめくエメラルドグリーンへと変化する。
メイド服は光の粒子となって消え、代わりに現れたのは、紫と白を基調とした、優雅で可憐な戦闘服だった。幾重にも重なったフリルのスカートが、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れる。胸元には、ミラクルクリスタルを宿した紫色のパクトが、誇らしげに輝いていた。
光が収まった時、そこに立っていたのは、もはやただのメイドではなかった。
絶望を打ち破る、二人目の奇跡の戦士。
彼女は、生まれ変わった紫水晶の杖を手に、高らかに、そして凛として、その真の名を叫んだ。
「想いを紡ぐ、絆の奇跡! ミラージュティアミラクル!!」
二人目の戦士が、ここに降臨したのである。
その神々しいまでの姿を前に、ヴェクサスは初めて、計算外の事態に直面した者の顔をしていた。そして、動きを止められていたアントゥルーたちが、新たな敵の出現に、警戒の唸り声を上げるのだった。