13話『銀色のパクト』
「カナリア……」
アンナは、悲しげに俯く親友の姿に胸を締め付けられながら、そっとその冷たくなった手を握りしめた。
「ごめんね。話すのが、少し怖かったの。信じてもらえないかもしれないって……それに、カナリアたちを、私の戦いに巻き込んでしまうのが、嫌だったから」
アンナの偽らざる気持ちだった。優しく、温かいこの世界の仲間たちを、前世からの因縁に引きずり込みたくはなかった。
その二人のやり取りを、ブリジットは腕を組んだまま、黙って見ていた。やがて、彼女はふいっと顔をそむけると、ぶっきらぼうに言った。
「……別に、驚きはしませんでしたわ。貴方が、ただの田舎令嬢でないことくらい、とっくに気づいていましたから」
それは、彼女なりの不器用な気遣いだった。アンナの正体が何であろうと、共に戦い、背中を預けた事実は変わらない。自分は、アンナ・ミラナティアという少女の仲間になったのだ。その事実だけで、もう十分だった。
「ブリジット……」
アンナが感謝の気持ちを込めてブリジットを見つめる。三人の間に、秘密の共有を経て生まれた、新たな形の絆が芽生えようとしていた。
その、シリアスな雰囲気を木っ端微塵に吹き飛ばすかのように。
「できたぞォォォォッ!!」
キルケの甲高い声が、部屋中に響き渡った。
突然の大声に、三人はびくりと肩を跳ねさせる。見れば、キルケが解析装置の前で、子供のように両手を上げて飛び跳ねていた。
「な、何ができたんですか、キルケさん!」
我に返ったカナリアが、驚いて尋ねる。すると、キルケはぷくりと頬を膨らませて、ビシッとカナリアを指さした。
「キルケちゃんと呼べい! このワシを、そこらの年寄り研究員と一緒にするでないわ! ワシはまだ、二百歳もいっとらんのじゃぞ!」
「(二百歳未満でも十分年寄りなのでは……)」というツッコミを、三人は必死に飲み込んだ。
「あ、あっ、はい! し、失礼しました! 何ができたんですの、キルケちゃん!」
ブリジットが、若干引きつった笑顔で聞き返す。
「ふっふっふ、それはのう……」
キルケはもったいぶるように笑うと、実験台の上に置かれていた布を、バッと勢いよく取り払った。
そこに鎮座していたのは、二つの、見慣れたコンパクトだった。アンナが持つミラージュパクトと寸分違わぬ形をしているが、その色は鈍い銀色に輝いていた。
「これは……ミラージュパクト?」
「その通り! ミラージュパクトの複製品じゃ!」
キルケは胸を張り、得意満面で解説を始める。
「お主の過去からすると、元になったティアドリームとかいう戦士の『アモーレパクト』のコピーであるミラージュパクト、そのさらにコピーということになるのう。いわば、コピーのコピーじゃな!」
「「「えええええええ~~~!?」」」
三人の驚愕の声が、再び綺麗にハモった。
「ど、どうしてこんなものが……!? いえ、どうやって……」
アンナが、信じられないといった様子で、銀色のパクトと自分のパクトを見比べる。
キルケは「何を驚くことがある」とでも言いたげに、意気揚々と語りだした。
「ミラージュパクトの構造は、解析してみれば実に簡単じゃったぞ。あれはいわば、限定的な『願望を実現する』魔法の超高密度結晶体じゃ。持ち主の強い『願い』や『想い』をトリガーにして、それを物理的な事象として具現化させる、一種の願望器じゃな。理論さえ分かってしまえば、この王立魔法研究院が誇る技術と潤沢な資源をもってすれば、その器の『形』だけをコピーすること自体は、赤子の手をひねるより簡単なのじゃ!」
「がんぼうき……」
アンナは、自分の持つ力が、そんな大それたものであることに改めて驚かされた。
その時、それまで目を輝かせてキルケの話を聞いていたカナリアが、期待に満ちた声で尋ねた。
「じゃあ、キルケちゃん! これで、私達もアンナ様みたいに変身出来たりするんですか!?」
メイド服の戦士。あるいは、魔法のティーセットで戦うエレガントな魔法少女。カナリアの頭の中では、すでに様々な想像が繰り広げられている。
その純粋な問いに、キルケはにっこりと、天使のような笑顔で答えた。
「無理じゃ!」
「え?」
「じゃから、絶対に無理じゃ!」
「無理なんですの!?」
希望に満ちたカナリアの瞳が、一瞬で絶望に染まる。その隣で、ブリジットが「期待させておいて、それですの!?」と、盛大にずっこけた。
「な、なぜですの!? 願望器なんじゃありませんの!?」
ブリジットが、納得いかないといった様子でキルケに詰め寄る。
キルケは「やれやれ、これだから素人は」と肩をすくめると、小さな体には不釣り合いな、大学教授のような口調で説明を始めた。
「よいか? 『願望を実現する魔法』というのは、本来、この世で最もコストのかかる魔法なのじゃ。何十年、何百年と魔力を高め、国中から秘宝を集めた大魔法使いが、その生涯の研究成果すべてと引き換えに、ようやく一つ、ささやかな奇跡を起こせるかどうか、という程にな。お主の持つミラージュパクトは、その奇跡の塊じゃ。じゃが、それはあくまで『器』に過ぎん。車で言えば、エンジンもガソリンも積んでおらん、ドンガラだけの車体というわけじゃ」
「エンジンと、ガソリン……って何??」
アンナはキルケの言葉に小首を傾げる。キルケは構わずにまくしたてた。
「まぁ馬車のようなものじゃ。うむ。その願望器を発動させるためには、トリガーとなる莫大なエネルギーリソースが必要なのじゃ。アンナの『ドリームクリスタル』というのが、おそらくそれに当たるのじゃろうが……あれは、お主自身の魂が、この世界で育んだ『夢』や『絆』といった正の思念と、前世からの強烈な使命感が奇跡的に結晶化した、唯一無二の代物じゃ。発生条件も、そのメカニズムも、ワシの解析魔法をもってしても全くの不明。そんなものが、そう簡単にポンポン生まれてたまるか」
キルケは、ため息まじりに結論づけた。
「……というわけで、今のところ、この複製品は形を真似ただけの、ただの玩具に過ぎん、ということじゃ」
「た、ただの玩具……」
カナリアのがっくりと肩を落とす。あれだけ大騒ぎして「できたぞ!」と言っていたものが、ただの玩具だったとは。
アンナは、自分のドリームクリスタルが、そんなにも特別で奇跡的なものだったという事実に、改めて自分の力の重さを感じていた。
「じ、じゃあ……なんでまた、そんなものを作ったりしたんですか……?」
カナリアが、素朴な、そして最もな疑問を口にした。
するとキルケは、ニヤリといたずらっぽく笑った。
「何事も、形から入るのが肝要じゃからな!」
「形から!?」
「そうじゃ! 鰯の頭も信心から、と言うじゃろ? 偽物でも、本物だと信じていれば、いつか本物の力が宿るやもしれん。それに……」
キルケは、二つの銀色のパクトを手に取ると、カナリアとブリジットにそれぞれ手渡した。
「お主の持つオリジナルのミラージュパクトの傍にあれば、その共鳴効果で、何かしら奇跡の一つや二つ、起こせるようになるかもしれんぞ? ま、気休め程度じゃがな!」
「は、はあ……」
「こんな玩具……」
カナリアは戸惑いながらも、ブリジットは不満を漏らしながらも、銀色のパクトを受け取った。ひんやりとした金属の感触が、手のひらに伝わる。それは確かに、今のところは何の力も持たない、ただのガラクタなのかもしれない。しかし、なぜか不思議な期待感が胸に湧き上がるのを、二人は感じていた。
こうして、研究院での目的は果たされ、三人は帰路につくことになった。アンナはキルケに深々と頭を下げ、改めて礼を言った。
「キルケちゃん、色々とありがとう。自分の力のことも、世界のことも、たくさん知ることができたわ」
「ふん、礼には及ばん。ワシは、ワシの知的好奇心を満たしただけじゃ。それより、せいぜいダークイマージュの情報を集めてくるんじゃな。期待しておるぞ」
キルケは素っ気なく手を振り、さっさと研究室の奥へと戻っていった。
研究院を離れ、王都の雑踏の中を歩く三人の後ろ姿を、キルケは最上階の窓から、じっと見送っていた。
その小さな横顔は、先ほどまでの子供のような無邪気さとは打って変わって、全てを見通すような、賢者のそれに変わっていた。
彼女は、窓の外の空を見上げながら、一人、静かに呟いた。
「奇跡というのは、待つものではない。自らの手で掴み取る物じゃ」
その言葉は、誰に言うでもなく、風に溶けていく。
「……そうじゃろう? クライヴ」
彼女の視線は、遥か彼方、今はもうこの世にいない、伝説の勇者の面影に向けられているようだった。
銀色のパクトに込められた、彼女の本当の願い。それは、まだ誰にも明かされてはいなかった。