12話『慧眼少女キルケちゃんじゃ!』
Cランク冒険者チーム『ミラージュアモーレ』の鮮烈なデビューは、噂となって瞬く間に王都を駆け巡った。Cランク認定クエストであったレッサードラゴン討伐のみならず、ダークイマージュの幹部を退け、凶悪なアントゥルーを浄化、さらには囚われていた村人まで救出したという話は、尾ひれがついて英雄譚のように語られた。
そして、その噂はついに、王都の中心にそびえる白亜の塔――王立魔法研究院にまで届くこととなった。
「召喚状……ですって?」
ギルドの談話スペースで、ブリジットが眉をひそめながら、羊皮紙に書かれた流麗な文字を読み上げる。それは、国王の名の下に発行された、ミラージュアモーレ一行を王立魔法研究院へ召喚するという、半ば命令に近い要請書だった。
「一体、何事でしょう……」
カナリアが不安げにアンナの顔を見上げる。
「うーん、わからないけど、行ってみるしかないよね!」
アンナはいつもの調子で、あっけらかんと笑った。
翌日、三人はおずおずと、王立魔法研究院の巨大な門をくぐった。
冒険者ギルドの、汗と鉄の匂いが染みついた武骨な雰囲気とはまるで違う。そこは、知的好奇心と、膨大な魔力が渦巻く、慌ただしい空間だった。
大理石の廊下を、分厚い魔導書を小脇に抱えた研究員たちが早足で行き交う。壁一面に備え付けられた本棚は、天井に届くほどの高さまで魔導書で埋め尽くされている。床には幾何学的な魔法陣がいくつも描かれ、時折淡い光を放っていた。空中には、様々な情報を映し出す水晶玉がいくつも浮遊し、カチャカチャと小気味よい音を立てている。古い羊皮紙の匂いと、錬金術の実験室から漏れ出してくる薬品の香りが、独特の雰囲気を醸し出していた。
「わあ……ギルドとは全然違うね」
「なんだか、目が回りそうですわ……」
アンナとブリジットが感心と困惑の入り混じった声を漏らす。カナリアは、あまりの場の違いに、ただただ目を白黒させていた。
案内されたのは、研究院の最上階にある一室だった。『アントゥルー対策本部』と書かれたプレートが掲げられた部屋の前で、三人は息を整える。
「失礼します」
アンナがノックをして扉を開けると、そこはさらに輪をかけて混沌としていた。部屋の中央に置かれた巨大なミラガルド全土の地図には、無数のピンが打たれ、そこから伸びた色とりどりの糸が複雑に絡み合っている。壁の黒板には、誰も読めないような数式や古代ルーン文字がびっしりと書き殴られていた。
「おお、来たか来たか! 待ちかねたぞ、ミラージュアモーレの諸君!」
部屋の奥から、快活な声が響いた。声の主を認め、三人は一瞬、固まった。
そこに立っていたのは、フリルのついた豪奢なドレスに身を包んだ、小さな、小さな少女だったのだ。歳は十歳にも満たないように見える。つやつやの銀髪をツーサイドアップにし、大きな瞳は好奇心に満ちてキラキラと輝いていた。
「ち、小さい……女の子……?」
アンナが、思わず心の声を漏らす。
すると、その少女は「むん!」と仁王立ちで胸を張り、得意げに宣言した。
「いかにも! ワシが『慧眼のキルケ』ちゃんじゃ! この王立魔法研究院アントゥルー対策本部の、偉い部長であるぞ!」
「「「ええええええっ!?」」」
三人の驚きの声が、綺麗にハモった。肩書の重々しさと、本人のノリの軽さ、そして何よりその幼い見た目とのギャップが、三人の理解の範疇を遥かに超えていた。
「まあ、そこに座るがよい」
キルケは、自分の身長よりも高い椅子にひょいと飛び乗ると、足をぷらぷらさせながら、早速本題に入った。
「さて、お主たちを呼んだのは他でもない。例の、アントゥルーを浄化したという件でのう」
キルケの瞳が、アンナの胸元に下げられたミラージュパクトに注がれる。
「ギルドの報告書によれば、アンナ・ミラナティア。お主が、そのコンパクトのようなものを使って別の姿に変身し、怪物を浄化した、とある。非常に興味深い。念のため、ワシにその『ミラージュパクト』とやらを、少し解析させてはくれんかのう?」
「え……」
アンナは、咄嗟にパクトを胸に抱きしめた。これは、自分の力の源であり、前世からの唯一の繋がりだ。見ず知らずの(しかも、どうにも信用しきれない)人物に、やすやすと渡していいものだろうか。
アンナが迷っていると、キルケは「ふむ」と頷き、懐から一枚の紹介状を取り出した。
「無理強いはせん。じゃが、これはギルドマスターのフェルディナンドからの紹介状じゃ。お主たちの力は、今後のアントゥルーとの戦いにおいて、重要な鍵となるやもしれん。ワシらは、その力を正しく理解し、サポートしたいだけなのじゃよ」
フェルディナンドの名前が出たことで、アンナの警戒心は少し和らいだ。彼女はしばらく考えた後、覚悟を決めてキルケにパクトを差し出した。
「……分かりました。お願いします」
「うむ、話が早くて助かるぞ!」
キルケは嬉しそうにパクトを受け取ると、それをまじまじと観察し始めた。そして、おもむろに椅子から飛び降りると、部屋の中央に進み出て、天に向かってミラージュパクトを高く掲げた。
そして、叫んだ。
「チェンジ・ミラージュ!!」
「「「!?」」」
アンナ、ブリジット、カナリアの三人は、驚きに飛び上がった。周囲にいた他の研究職員たちも、一瞬だけ動きを止めたが、すぐに「やれやれ、また始まった」という顔で、自分の仕事に戻っていく。
もちろん、何も起こらなかった。シーンと静まり返った部屋に、キルケの「残念」という声だけが響く。
「ふぅむ、呪文だけで認証が行われている訳ではないようじゃの……。あるいは、所有者との魂の繋がり、いわゆるソウルバインドが必要なタイプか。実に興味深い……」
一人で納得したように頷くキルケ。その様子を見て、アンナとブリジットはひそひそと囁き合った。
「変な人なのかな…キルケさん…」
「なのかな、というか…派手に変な人でしてよ…」
その後、アンナ立ち合いのもと、パクトの本格的な調査が始まった。キルケは、パクトに直接触れることはせず、いくつもの水晶玉を周囲に浮遊させ、そこから放たれる解析魔法の光をパクトに当てていく。
「ほうほう、この結晶体……『ドリームクリスタル』と言ったか。これは、術者の精神エネルギー、特に『夢』や『希望』といった正の思念を物理的な魔力に変換する、極めて高純度の触媒じゃな。しかし、パクト本体の材質は、この世界のどんな鉱物とも違う。異世界の物質……いや、概念そのものを固めたような、不思議な構造をしておるわい……」
キルケが専門的な分析を続ける中、手持ち無沙汰になったブリジットが、ずっと心に引っかかっていたことをアンナに尋ねた。
「そういえば……アンナ。貴方、前の戦いで、あのグリーヴァとかいう敵に”失敗作”と呼ばれていましたわよね? 何か関係がおありなの?」
「あ……」
ブリジットの言葉に、カナリアも「そういえば、そうでした……」と不安げな顔でアンナを見つめる。
アンナは、二人の真剣な眼差しを受けて、観念したように小さく息を吐いた。
「……そっか。まだ、二人にはちゃんと話してなかったね」
アンナは、自分の過去について、静かに語り始めた。
自分が、このミラガルドとは違う、別の世界から来たこと。
その世界には『ティアドリーム』という伝説の光の使者がいて、自分はそのティアドリームの鏡像、コピーとして生み出された闇の戦士『ミラージュティアドリーム』だったこと 。
兵器として生まれたはずの自分に心が芽生え、ティアドリームとの戦いを経て改心したこと 。
そして、自らを生み出した『鏡の女王』との最後の戦いで、ティアドリームを庇って命を落としたこと 。
気がついた時、自分は赤ん坊の姿でこの世界に転生し、ミラナティア伯爵夫妻に拾われたこと。
そして今、滅んだはずの鏡の女王の負の思念が、ダークミラーとなってこの世界にまで飛び散り、アントゥルーを生み出していること 。
自分は、それを止めるために、この力をもう一度使うことを決めたのだと……。
「まさか、アンナ様に、そんな過去が……」
カナリアは、信じられないといった様子で、両手で口を覆っている。
「異世界からの転生……生まれ変わり、ですって? にわかには信じがたい話ですわね……」
ブリジットは腕を組み、疑わしげな表情を浮かべていた。無理もない。常識的に考えれば、到底受け入れられる話ではなかった。
「――そうでもないぞ!」
にゅっ、と音もなく、三人の会話にキルケが割って入った。いつの間に解析を終えたのか、彼女は自信満々に胸を張って語りだす。
「転生というのは、この世界では、実は時たま起こっておる現象なんじゃ!」
「えっ!?」
「古くからの伝承に、こうある。『天乱れる時、運命の魂が、世界を超えて導かれる』とな。世界が大きな危機に瀕した時、それを救うに足る魂が、別の世界から呼び寄せられることがある、というわけじゃ」
キルケは、芝居がかった仕草で言葉を続ける。
「何を隠そう、このヴェネディクト王国の祖にして、古の魔王を倒したとされる建国の勇者クライヴも、自らが異世界からの転生者であったと、その手記に書き残しておるのじゃ!」
「建国の勇者が……!?」
ブリジットが、驚愕に目を見開く。それは、この国の国民であれば誰もが知る、伝説中の伝説の人物だ。
「いかにも。まあ、そんなに頻繁に起こることでもないし、本人もあまり公にはしておらんかったから、今では王族と、ワシのような一部の研究者くらいしか知らん事実じゃがの」
キルケの言葉は、アンナの途方もない告白に、絶対的な信憑性を与えた。
アンナは、ただの「おてんば令嬢」ではなかった。世界を救うために、運命に導かれてこの世界にやってきた、特別な魂の持ち主だったのだ。
一行が、その衝撃の事実に言葉を失う中、カナリアがぽつりと、かき消えそうな声で呟いた。
「私……アンナ様のこと、何も知らなかったんですね……」
その声は、震えていた。
彼女にとってアンナは、物心ついた時からいつも側にいた、手のかかる主人であり、活発な姉のような存在だった。暴れ馬を素手で止めたり、常人離れした身体能力を持っていたり、少し変わったところがあるとは思っていた。しかし、その背景に、これほど壮絶な過去と、過酷な宿命が隠されていたとは、夢にも思わなかったのだ。
一番近くにいたはずなのに、自分はアンナの本当の姿も、その心の痛みも、何も理解していなかった。その事実が、カナリアの胸に、ずしりと重くのしかかった。
アンナは、悲しげに俯く親友の姿に、胸が締め付けられる思いだった。