10話『仲間と一緒に!』
吹き荒れる砂塵の向こうで、禍々しい巨体を誇るアントゥルーが、破壊の衝動に満ちた咆哮を上げた。その圧倒的な威圧感を前に、ブリジットはレイピアを握る手に汗が滲むのを感じ、カナリアは恐怖で顔を青くしていた。もはや、通常の手段で勝てる相手ではない。
「二人とも、下がってて!」
アンナの凛とした声が、絶望的な空気を切り裂いた。彼女は一瞬のためらいも見せず、ブリジットとカナリアの腕を掴むと、後方の崩れた壁の陰まで二人を押しやる。
「アンナ様!?」「あなた、一人で何を!」
戸惑う二人を振り返ることなく、アンナは単身、再び荒れ地の中央へと躍り出た。その華奢な背中は、これから対峙する怪物の巨体とはあまりに対照的だった。だが、その背中には、仲間を守るという揺るぎない覚悟が満ち溢れていた。
「私が、相手よ!」
アンナはアントゥルーを真っ直ぐに見据えると、胸元から取り出した、砕けたミラージュパクトを天に掲げた。
「チェンジ・ミラージュ!」
魂からの叫び。それは、この世界を救うための、そして自らの運命を受け入れた少女の、戦いの始まりを告げる聖なる呪文。
その言葉に呼応し、アンナの胸の中心が、淡い薄紅色の光を放つ。光は、この世界で育んだ彼女自身の「夢」の結晶――『ドリームクリスタル』となって形を成し、アンナはそれをパクトの中央、砕けた鏡の窪みへと、祈るようにはめ込んだ 。
カチリ、と小さな音が響くと同時に、光が爆発した。
凄まじい光の奔流が、アンナの全身を包み込む。夜明けの空のようだった薄紅色の髪は、影を帯びた鮮烈なダークピンクへと染まり、瞳もまた、同じ色に輝きを増す。顔や剥き出しになった腕には、ひび割れた鏡のような黒い紋様が走り、両手両足には鋭角的なデザインのガントレットとブーツが装着されていく 。
それは、パクトが破損しているために完全な力を引き出せない、不完全な戦闘形態『ゼロモード』 。しかし、今の彼女が持ちうる、最大の力だった。
光が収まった時、そこに立っていたのは、決意に満ちた一人の戦士。彼女は高らかに、自らの真の名を叫んだ。
「夢写し出す、無限の鏡! ミラージュティアドリーム!」
名乗りを終えると同時に、ミラージュティアドリームは地面を蹴った。その体は弾丸のように加速し、一直線にアントゥルーへと突進する。
「はあああっ!」
ダークピンクのオーラをまとった拳を、アントゥルーの巨大な腹部へと叩き込んだ。故郷の町でアントゥルーを打ち破った時と同じ、渾身の一撃。
だが――
ガギンッ!という、金属同士がぶつかったかのような鈍い音が響いただけだった。
ミラージュティアドリームの拳は、レッサードラゴンの強靭な鱗と融合した、漆黒の外皮にやすやすと弾かれてしまったのだ。
「なっ……!?」
驚愕する彼女に、間髪入れずアントゥルーの反撃が襲いかかる。背中から生えた不気味な腕の一本が、見えないほどの速度で薙ぎ払われた。ミラージュティアドリームは咄嗟に腕を交差させてガードするが、そのあまりの衝撃に、後方へと大きく吹き飛ばされる。
なんとか体勢を立て直し、砂煙を上げて着地するが、休む暇はなかった。アントゥルーは巨体に似合わぬ俊敏さで距離を詰め、嵐のような連続攻撃を仕掛けてくる。
鋭い爪、岩をも砕く拳、鞭のようにしなる尻尾。そのすべてが、一撃必殺の威力を持っていた。ミラージュティアドリームは、それらを紙一重で避け、あるいはガントレットで受け流すだけで精一杯だった。完全に、防戦一方だった。
「ハッハッハ! どうした、失敗作! その程度か!?」
教会の屋根の上で、グリーヴァが腹を抱えて高笑いしている。
「レッサードラゴンと、そこの村にいた人間の負の感情を吸収した、俺様の最高傑作だ! てめえみてえなニセモノが敵う相手じゃねえんだよ!」
グリーヴァの嘲笑が、ミラージュティアドリームの心を苛む。だが、今はそれに構っている暇はなかった。
(くっ…速い、重い…! 攻撃の隙がまるでない…!)
焦りが、動きをわずかに鈍らせる。その一瞬の隙を、怪物は見逃さなかった。
アントゥルーは、地響きを立てて高く跳躍すると、ミラージュティアドリームの真上から、その巨体で押し潰そうとしてきたのだ。逃げ場はない。
ミラージュティアドリームは、最後の抵抗として両腕を天に突き上げ、落下してくる巨大な足を真正面から受け止めた。
ズウウウウンッ!!
凄まじい轟音と共に、彼女の体が大地にめり込む。
「ぐっ…う……あああああああっ!」
ミラージュティアドリームは絶叫し、渾身の力でアントゥルーの巨体を支えた。全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。だが、アントゥルーは少しずつ、しかし確実に、その体重をかけてくる。彼女の膝が折れ、ついに地面に片膝をつかされてしまった。
そして、無情にも、胸のミラージュパクトにはめ込まれたドリームクリスタルの光が、変身の限界が近いことを告げるように、弱々しく明滅を始めた。タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
(だめ…もう、もたない……)
力が抜けていく。視界が霞み、意識が遠のき始める。絶対的な力の差。覆すことのできない現実が、彼女の心を絶望の色に染め上げていった。
その、あまりにも絶望的な光景を、壁の陰から見ていた二人の少女がいた。
「……アンナ様……」
カナリアは、涙を浮かべながら、祈るように両手を胸の前で握りしめていた。
ブリジットは、悔しさに唇を噛みしめていた。自分の無力さが、プライドの高い彼女の心を深く傷つけていた。あの少女は、自分たちのために一人で戦っている。それなのに、自分はこうして、恐怖に竦んで見ていることしかできない。
(このまま、見ているだけでいいの……? わたくしは、このまま……!)
ブリジットの脳裏に、ギルドでのやりとりが蘇る。『あなた、心配してくれてるんだね』。あの時の、アンナの屈託のない笑顔。
そうだ、自分は心配していたのだ。この無鉄砲な少女のことを。そして今、その彼女が目の前で押し潰されようとしている。
「……見てられませんわッ!!」
ブリジットは、心の底からの叫びと共に、恐怖を振り払って駆け出した。
「えっ!? ブリジット様!?」
驚くカナリアを置き去りにして、ブリジットはアントゥルーの巨大な足元へと走り寄る。そして、自らのレイピアを鞘から抜き放つと、その切っ先を、アントゥルーの足の甲に突き立てた!
キンッ、という甲高い音が響く。だが、彼女の渾身の一撃は、漆黒の鱗に浅い傷をつけただけだった。
「くっ……!」
それでも、ブリジットは諦めなかった。レイピアを杖のようにして、ミラージュティアドリームと一緒になって、アントゥルーの巨大な足を支え始めたのだ。
「アンナ様!」
その姿に勇気をもらったカナリアもまた、杖を握りしめ、二人の元へと駆け寄る。
「私も……私も、ご一緒します!」
彼女もまた、ブリジットの隣で、小さな体で必死に怪物の足を支え始めた。物理的には、ほとんど意味のない行動だった。少女二人が加わったところで、この圧倒的な重量を覆せるはずもない。
「ハッ! 馬鹿な奴らめ!」
その滑稽な光景を見て、グリーヴァが腹の底から嘲笑った。
「そんな無力な者たちの助力が、今さら何になるというのだ! まとめて潰れて、後悔するがいい!」
だが、ミラージュティアドリームは違った。
支えてくれる二人の手のひらから、温かい何かが流れ込んでくるのを感じていた。それは、ただの体温ではない。友情、信頼、そして、自分を想ってくれる、かけがえのない仲間の心。
その温かさが、消えかけていた彼女の心の炎を、再び燃え上がらせた。
「……なるよ」
ミラージュティアドリームは、絞り出すような声で、しかし力強く呟いた。
「なる! 仲間がいれば、一人では出来ない事だって……できるんだ!!」
それは、父ゴードンの言葉。そして、彼女自身がこの世界で見つけ出した、真実。
魂からの叫びに呼応するように、胸のミラージュパクトが一際強く、まばゆい光を放った。
その光は、もはやミラージュティアドリーム一人だけのものではなかった。黄金色の光の奔流となって、隣で支えるブリジットと、カナリアの体をも包み込んでいく。
「きゃっ!?」「これは……!?」
二人の体から、それぞれの髪の色を宿したオーラが立ち上る。ブリジットからは輝く黄金の、カナリアからは若葉のような緑の光が。ミラージュパクトが、三人の心を繋ぎ、その力を分かち合ったのだ。
力が、みなぎる。
一人では支えきれなかった重圧が、嘘のように軽くなっていく。
「うおおおおおおおおおおっ!!」
三人の雄叫びが、一つになった。
心を一つにした三人は、アントゥルーの巨大な足を、一気に押し返した。
「なっ……!?」
ズシン、と巨体を揺らし、アントゥルーがたたらを踏む。ありえない光景だった。
「ば、馬鹿なーっ!? てめえら、何をしやがったァ!?」
屋根の上で、グリーヴァが呆気に取られて叫んでいる。その顔から、余裕の笑みは完全に消え失せていた。
押し返され、体勢を大きく崩したアントゥルーの胸元に、一瞬の、しかし決定的な隙が生まれる。
ミラージュティアドリームは、その好機を見逃さなかった。
(今しかない…!)
彼女は、仲間から注がれた温かい力を、そのすべてを、右の拳へと集中させる。ダークピンクのオーラをまとったガントレットが、これまでとは比べ物にならないほど強く、そして、夜明けの空を思わせる希望に満ちた薄紅色の光を放ち始めた。
それは、ミラージュティアドリームの力と、アンナ・ミラナティアの心、そして、二人の仲間の絆が完全に一つになった証の光だった。
「受けなさい! これが、私たちの…みんなの夢の力よ!」
ミラージュティアドリームは、光り輝く拳を構え、必殺の技の名を叫んだ。
「ミラージュ・アモーレ・コメットォォッ!!」
彗星の名を冠した、愛の光の拳。
それは、ただの破壊の力ではない。負の感情を浄化し、囚われた心を解き放つ、絆の光 。
閃光となって放たれた一撃は、アントゥルーの胸の中心、その核となっていたダークミラーを、寸分の狂いもなく正確に撃ち抜いた。
「アントゥルゥゥゥ……ッ!?」
怪物の断末魔が、浄化の光の中に溶けていく。そのおぞましい巨体は、漆黒の粒子となって内側から崩壊し、核となっていたダークミラーには無数の亀裂が走った。
やがて、パリン、と澄んだ音を立てて砕け散り、邪悪な存在は光の中に完全に消滅した。
光が収まった後には、一体のアントゥルーも、レッサードラゴンもいなかった。ただ、荒れ地の真ん中で、気を失って倒れている一人の村人らしき男の姿があるだけだった。彼こそ、このアントゥルーの素体とされていた人間だったのだ。
「くっ……! あの失敗作が、これほどの力を……! 信じられん……!」
形勢不利と見たグリーヴァは、忌々しげにそう吐き捨てた。
「これは本部に報告せねば! 覚えてやがれ、ミラージュティアドリーム!」
彼はそう言い残すと、その巨体を影の中に溶かすようにして、音もなく姿を消した。
戦いは、終わった。
ミラージュティアドリームの変身が解け、アンナは元の姿に戻ると、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。全身の力が抜けきって、指一本動かすのも億劫だった。
しかし、彼女の体が地面に倒れることはなかった。
「大丈夫ですの、アンナ!」「アンナ様、お見事でした!」
ブリジットとカナリアが、両側からその体を力強く支えていた。
三人は、互いの顔を見合わせる。服はボロボロで、顔も煤で汚れている。だが、その表情は、達成感と、確かな絆で結ばれた仲間の、晴れやかな笑顔だった。




