最後はパー
初投稿です。おてやわらかに。
その日、日本中のテレビ、スマートフォン、ラジオからけたたましい音が鳴り響いた。午前0時ちょうど、国民全員に告げられた「ゲーム」のルールはシンプルだった。
1. 国民全員が同時にじゃんけんをする。
2. 参加しない者は即座に処刑される。
3. 勝負はランダムに選ばれた相手と行われ、負けた者は次のラウンドに進む。
4. 最後の1人になるまで続けられ、その者は殺される。
「参加しない者は殺される」。その言葉が現実味を帯びたのは、最初の拒否者が公開処刑された瞬間だった。街角の巨大スクリーンに映し出された男は、「こんな馬鹿げたゲームに付き合えるか」と叫んだ直後、頭部が爆発した。誰もが理解した。逃げ場はない。
初日、全国1億2千万人が一斉に手を挙げた。グー、チョキ、パー。どこからか送られてきたスマートフォンの画面には、ランダムに選ばれた対戦相手の名前と手が表示される。勝者はそのまま日常に戻り、負けた者だけが次のラウンドへ。引き分けの場合は両者とも次のラウンドに残る。人口の半分近くが初戦で脱落し、残りは約6千万人となった。
「運だよ、ただの運ゲーだ」と誰かが呟いた。確かにその通りだった。戦略も技術も意味をなさない。ただの手の出し合い。しかし、運が悪い者は生き延びられない。
2日目、3日目とゲームは続いた。街は静まり返り、笑い声も会話も消えた。人々は自分の手を見つめ、次の対戦相手が誰かを恐れた。家族でさえ互いに目を合わせなくなった。負けた者が部屋を出ていく姿を見送るたび、残された者は安堵と罪悪感に苛まれた。
1週間後、残りは100人。その頃には、生き残った者たちは英雄扱いされ、同時に呪われた存在と見なされていた。ニュースでは彼らの名前が流れ、SNSでは「次はお前が死ね」と罵声が飛び交った。誰もが知っていた。このゲームは1人しか殺さない。でも、その1人になる恐怖は全員を狂わせていた。
そして最終日。残った2人。東京の片隅に住む女子高生の彩花と、北海道で漁師をしていた中年男の健司。国民全員が見守る中、彼らの最後のじゃんけんが始まった。画面越しに、二人は互いの目を見た。彩花の瞳は涙で潤み、健司の手は震えていた。
「せーのっ!」
彩花が出したのはパー。
健司が出したのはチョキ。
勝負は一瞬で決まった。彩花が負けた。
巨大スクリーンに映し出された彼女の顔が、静かに涙を流す。観衆は沈黙した。誰も喜ばなかった。誰もが思った。「自分がそこにいなくて良かった」と。
次の瞬間、彩花の首が音もなく切り落とされ、ゲームは終わりを告げた。アナウンスが流れる。「お疲れ様でした。これにて終了です。明日から日常をお楽しみください。」
健司は膝をつき、漁船の甲板で泣き崩れた。1億2千万人のうち、たった1人だけが死に、自分は生き残った。だが、彼の心はすでに死んでいた。
翌日、街には再び笑い声が戻った。人々はゲームを忘れ、日常を取り戻した。誰も彩花の名前を口にしなかった。ただ、時折、誰かが自分の手を見つめ、震える瞬間があるだけだった。
YouTubeの2chの切り抜き動画にあったやつを書きました。