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第四章 mad‐detective

上海港は夜の闇に包まれていた。海は原初の泥のような暗黒を湛えて落ち行く者を口を開けて待ち構えている。


並んだコンテナの合間から、クレーンが空を駆ける龍のようにそびえ立っていた。

街の方では夜店のネオンサインが輝き、蒸気機関の上げるスチームが夜の闇に溶けて消える。


埠頭に置かれた大量の木箱を挟んで並ぶいくつもの影。影たちは二つの集団に別れていた。一方は粗野な身なりをした辮髪の清国人の集団。もう一方は皺ひとつない漆黒のスーツに身を包んだイギリス紳士たち。


清国の闇社会にその名を轟かす犯罪集団青幇と世界情勢の裏で暗躍するイギリス諜報部MI6の秘密会談の現場である。


青幇の先頭に立つのは巌のような巨漢。青幇幹部、改造ブタのハッカイ。ハッカイのすぐ後には用心棒としてフォン・フェイフォンが控えていた。緊迫したその場の雰囲気などどこ吹く風と言った様子で欠伸をしている。


対してMI6を率いるのはハッカイの半分ほどの背丈もない少年だった。被った鹿撃ち帽がまるで大人からの借り物に見えた。少年の名は――シャーロック・ホームズ。類い希な推理能力の高さから、十六歳の若さでMI6の諜報員に抜擢された少年だ。


「なんだぁ。ヴィクトリアのバァバァは、この俺様との取引に子供を使いに寄越すのかぁ?」


間延びしたそれでいて地獄の底から聞こえるような声音でハッカイが言った。


「あなた程度の小物、子供の使いで充分ですよ。ワトソン君。我々イギリス政府が相手をしているのはこの世界という巨大な怪物そのものなのですから」


シャーロックが鼻で笑うのを見てハッカイの豚鼻が憤怒で震えた。


「ガキが!! ママのおもちゃでイキがるなよ」


ハッカイが右手をシャーロックのあどけない顔に向けた。その右手は鋼鉄のガトリング銃だった。ヒュドラの頭のように獲物を狙う無数の銃口を、シャーロックはまるで子供だましのおもちゃだとでも言うように見つめた。――悪いけど、おじさん。ボクは、そういうおもちゃで喜ぶ歳はもうとっくに過ぎちゃってるんだ。


「まぁまぁ、落ち着いて、ワトソン君」


シャーロックが小馬鹿にしたように言う。


「誰だ。ワトソンって奴ぁ。俺様はハッカイだ」


ハッカイが顔を憤怒で赤く染め上げて怒鳴る。シャーロックは不思議そうに目を丸くしたかと思うと、成績の優秀な悪ガキがするような笑みを浮かべた。


「これは失礼。ワトソン君というのは、マイクロフト兄さんが買ってくれたボクの犬でしてね。いつも考えをまとめるときはワトソン君を話し相手にしていたものですから、誰彼構わずワトソン君と呼ぶ癖がついてしまいましてね」


シャーロックの唇の端が皮肉っぽくつり上がるのを見て、ハッカイのガトリング銃が金切り声を上げて回り始めた。――死を呼ぶバンシーの叫び。


親分が臨戦態勢に入ったのを見て青幇の構成員たちが一斉に銃を構えた。MI6の諜報員たちも懐から拳銃を取り出す。


それに合わせてシャーロックの両腕が振るわれた。その両手に握られたのは二本のトンファー。先端には深淵への門のように開いた銃口。銃を仕込んだ、ガン・トンファー。シャーロックが繰り出すのは東洋の神秘の粋を極めた武術バリツだ。


両者のにらみ合いが続く。冷たい海の風に頬を嬲られるが、男たちは微動だにしない。誰かが動けば、大勢が死ぬと分かっているからだ。

 

そんな緊張を嘲笑うかのように、港の闇に場違いな拍手が鳴り響いた。暗がりから歩み出てきたのは、洒落た洋服を着こなした、伊達な二枚目だった。――新撰組副長、土方歳三。土方の後には新撰組隊士たちが控える。


「いやぁ、全く。シェイクスピアも青ざめるつまらない茶番劇だったぜ。ここらでひとつてこ入れが必要じゃないか? 例えば一度舞台に登場したら引き金を引かなければ終幕できないチェーホフの銃のような」


土方/シャーロック/ハッカイ/フォン――対峙。


パンという破裂音が鳴った。男たちは互いに顔を見合わせる。だが、男たちの誰一人として引き金を引いた者はいない。


まさかと思いつつ、男たちは皆、空を見上げた。


天かける龍のようにそびえるクレーン。その天辺に金髪をなびかせて少女は立っていた。――荒野に悪名轟くアウトロー・ガール。カラミティ・ジェーン。


「フォン! おまえを殺しに来てやったぜぇーーー!!」


大声で叫ぶジェーン。退屈そうだったフォンが満面の笑みを浮かべた。ジェーンは夜の闇に踏み出す。落下。


着地した瞬間、ジェーンはダンサーのように回った。リズムを刻むように鳴る銃声。


土方はつまらなそうに顔を背け飛んでくる弾丸をかわし、シャーロックはガン・トンファーで弾丸をたたき落とした。フォンは歯で噛んだ弾丸を唾と共に吐き出す。ハッカイは額に風穴を開けてどうっと倒れた。


青幇の構成員、MI6の諜報員たちが呆気にとられて棒立ちになる中、フォンは叫んだ。


「さぁ!! 殺戮ショーの始まりだ!!」


その叫びに背中押され男たちが一斉に動き出した。辺りはあっという間に乱戦となる。


混戦の中、ジェーンは群がる男共をなぎ伏せながら、フォンへと歩を進めた。その前に立ち塞がる影――少年探偵シャーロック・ホームズ。


「僕はこの混乱の中心はあなただと推理しました。だからあなたにはここで死んでもらいますよ。ワトソン君」


「ガキはママのおっぱいでも吸ってな」 


          ** *


血しぶきが飛び交う中、二人の男が対峙する――新撰組鬼の副長、土方歳三/中国三千年の歴史の頂点に立つ拳豪フォン・フェイフォン。


「ジェーンには悪いが今日の俺のメインディッシュはあんただって決めてんだ。土方歳三」フォンが嗤う。


「俺は踊るならレディとがよかったね」


言うやいなや土方はウィンチェスターの引き金を引いた。フォンは徐に伸ばした人差し指を弾丸に向けた。――弾丸がフォンの人差し指で止まる。


「化け物かおまえ……」飄々としていた土方の表情が強張る。


「あんたもそうだと俺は期待してるんだけどなぁ!!」


フォンが人差し指に力を込めると、気の力に押された弾丸が反対方向に飛んだ。土方は手にした刀で弾丸を斬る。土方が弾丸に気を取られた一瞬の隙を突いて、フォンは土方の目の前にまで迫っていた。――このままじゃ、やられる!! そう思った土方は己の刀を深々と自分の懐に突き刺した。


「ジャパニーズ・ハラキリ!?」


フォンが驚愕に目を丸くすると同時に楽しそうに笑う。土方の腹から飛び出した血しぶきが矢のようになってフォンに襲いかかる。


「波ァッ」


フォンが裂帛の気合いの叫びを発すると、血の矢はフォンの身体へと到達することなく砕けた。フォンが気のバリヤーを張ったのだ。


土方の余裕の笑みが引きつる中、蒸気自動車に乗った永倉が叫んだ。


「土方さん、アヘンと銀は積み終わりました。はやく乗ってください」


「でかしたぞ永倉」


土方が永倉の乗る蒸気自動車へと駆ける。それをフォンが追うが、永倉の放った弾丸に阻まれる。


蒸気自動車は土方を乗せると走り去った。それを追って走ったフォンの姿も見えなくなった。


新撰組が去ると戦いは終わった。上海港は死屍累々の有様だった。


「もう行くのですか?」 


その場を去ろうとするジェーンにシャーロックが声をかけた。


「フォンの野郎がいなけりゃ、あたいはここに用はないね」


そう言うジェーンの瞳は悲しげだった。まるで思い人に袖にされたように。


          * * *


ジェーンが安宿に戻るとボロいソファでシャーロックが優雅に紅茶を啜っていた。ジェーンはリボルバーをシャーロックに向けた。シャーロックは気にする様子もなく紅茶に舌鼓を打っている。


「まぁ、ワトソン君。そう慌てないで、僕は君に用があってきました」


「あたいは毛も生えそろってないようなガキの相手をする暇はないね」


「下品ですね。ワトソン君。僕を邪険にするとあとで後悔しますよ?」


「なんのようだ?」


「土方さんたちは列車にアヘンと銀を積んで香港に運ぶつもりです。恐らくフォンもその後を追うでしょう」


「それをあたいに話してあんたには何の得がある?」


「いえ、得なんてありませんよ。ただ仕事を邪魔していただいたお礼がしたいだけですよ」


「いいぜ。ママのお使いができないって泣き叫ぶガキの代わりにあたいがケリをつけてやるよ」


「楽しみにしてますよ。ワトソン君」

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