第三章 sword‐wolf
蒸気パイプが複雑に入り組み、あちこちで白い煙が吹き出す路地裏、そこにワンの焼売屋があった。ワン・ズーチン、改造パンダである。
ワンの店は表の顔は焼売屋だが、裏の顔は上海の闇を隅々まで知り尽くした情報屋である。そんなワンの店を訪れた客がまた一人。カラミティ・ジェーンである。無論、焼売を食べにきたわけではなかった。
ドン!! と重々しい音を立ててワンの屋台の上に袋が置かれた。ワンがなにも言わずに袋の口を開けた。中身=金の妖しい輝きにワンは圧倒されると袋を閉じた。
「で? 何が知りたい?」
「フォン・フェイフォンの居場所」
「ここではちと話せんな」
そう言ってワンは立ち並ぶ店の一つ。寂れた中華料理屋にジェーンを連れて行く。回転テーブルに着いて北京ダックを貪る客を尻目に店の奥へと進む。厨房では大きなブタがさばかれていた。
「ケモノがケモノを調理すんのかい?」
「人間だって同じだろ?」
二人は今まさに料理が続けられる調理場の隅に腰掛けた。
「ここの連中は俺の配下だ。遠慮せずに話せる」
「さっさとフォンの居場所をゲロっちまいな」
「まぁ、そう慌てんな。おまえさんアヘン戦争って知ってるか? ちょっとした社会のお勉強さ」
「あれだろ。イギリスが中国をアヘン漬けにして儲けようとして起きた戦争だろ」
「まぁ、概ねそんなところだ。それでそのアヘンの取引は今も続いていて、中国の犯罪組織、青幇とイギリス諜報部MI6の間で、またアヘンと銀の取引が行われる」
「おい待てよ。ヴィクトリア婆さんのスカートの下の恥部とあたいの復讐とどこでつながるって言うんだい」
「なに、俺も婆さんがパンツに糞漏らしていようがいまいが興味ねぇよ。問題なのは青幇の方よ」
「ハハーン、読めたぜ。連中のお守りがフォン・フェイフォンその人って訳か」
「当り」
ワンが笑った。歯の隙間に笹の食べかす。そのときだった。――店の窓が一斉に割れ、弾丸の雨が降り注いだ。ワンが蜂の巣に。
ジェーンは近くにあった丸テーブルを盾にして難を凌いだ。割れた窓ガラスを踏み砕いて店に侵入する複数の人影=新撰組。
「おまえら知ってか? 郵便配達屋が鳴らしていいベルの回数は二回までって相場が決まってんだ」
ジェーンがテーブルから顔を覗かせて吠える。
「それは失礼なことをしたな」
新撰組の先頭に立った斎藤一が言った。
「アヘンと銀は我々新撰組が貰い受ける。悪いが取引のことを知るものは生かしてはおけない」
「ハッ! まったくハッピーだぜ。嬉しさのあまり涙が出てくるぜ」
「やれ」
斎藤一の号令で再び銃弾の雨が降る。ジェーンは丸テーブルを転がしながら移動し店の外に出た。
「よっしゃ! 幸運の女神はあたいに股を広げてるみたいだね」
裏に停めてあった蒸気バイクを見つけるとジェーンはそれに跨がった。幸いなことにキーは刺しっぱなしだった。
エンジンをかけアクセルを回す。一気に走り出した。
表の大通りに出ると、後ろから八百屋の店先に積まれた箱を蹴散らしながら二台の蒸気自動車が猛追してきた。ジェーンはサイドミラーでそれを確認すると肩越しに背後に銃口を向けた。――トリガーを引く。
タイヤを撃たれた一台の蒸気自動車が、バランスを崩して服屋の店先に突っ込んだ。
「あれだけ新聞がアクセルとブレーキを間違えるなって言ってたろうが!!」
残った蒸気自動車の荷台で男が車に備え付けられた重機関銃を構えるのが見えた。ダッダッダッ!! と子気味いい音を立てて機関銃が乱射される。
ジェーンはバイクを横に倒して道路を滑らせて銃弾の雨を躱す。突き当たりの壁が穴だらけになった。体勢を立て直してカーブを曲がる。敵から姿が見えなくなったところで、出鱈目に入り組んだ小道へと入っていく。
「ふーっ、なんとか巻いたか」
ジェーンが安心してバイクから降りたとき――
「残念だが、ここがおまえ終着駅だ」
背後から気配――振り返る。
そこにいたのは新撰組三番隊組長斎藤一。
斎藤は背中の得物を抜いた。――柳葉刀とライフルが一体となったライフル・ブレード。
「ヘッ、イカした武器だが、ご自慢の日本刀はどうした?」
「フン、ガンフーの伝来で我々の武術も変ったということさ。新撰組と同じようにな。厳しい規律という鎖から解き放たれた壬生の狼の恐ろしさ、とくと堪能していただこう」
斎藤が上着を脱いで上半身裸になる。筋肉が盛り上がり、漆黒の毛で身体が覆われる。顔が前に迫り出し、牙が剥き出しになる。その姿は――まさに人狼。
「本物の狼ってわけかい。ワイルドな男は好きだが、あたいのダーリンには敵わないね」
「土方さん、あなただけを修羅の道へと行かせるわけにはいかなかった」
闇針灸師による改造手術で得た変身能力、それは友の隣に立つために必要なことだった。
二人が互いの得物を構える。
「あたい、獣姦の趣味はないけど、イカせてやるよ!!」
「ほざけ!!」
――二人が交錯する。
静寂が訪れた。
「土方さん……最後までお供できなくて、すみません……」
斎藤の痩躯が倒れた。
「ケッ、最後まで辛気くさいヤローだったぜ」
ジェーンはそう言うと懐からウィスキーのボトルを取り出し口にする。それから斎藤につけられた肩の傷にウィスキーをかけ顔をしかめた。
「やるじゃないか」
ジェーンはそう言って路地を後にした。
残されたのは斎藤一の亡骸と、弔いのウィスキーボトル一本。