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第二章 bloody‐samurai

蒸気機関がけたたましくスチームを上げる悲鳴が上海の海に響き渡った。上海行きの蒸気船の甲板は、ようやく見えようとしている上海の街並みを見物しようと多くの乗客たちで賑わっていた。


カラミティ・ジェーンもまた多くの乗客と同じように、甲板の縁にたわわな二つの乳房を乗せ、煙草を燻らせながら上海の街並みを眺めていた。


男たちが遠巻きにジェーンを見てひそひそと言葉を交わしていた。その誰もが興奮で頬を紅潮させていた。男たちの一人、若い資産家風の男が、意を決してジェーンに歩み寄った。


「どうだい?  僕と一緒に飲まないか?」


若い男が両手に持ったグラスの片方をジェーンに差し出した。ジェーンはまじまじと男の手にしたグラスを見つめると――煙を男の顔面めがけて吐き出した。ゴホッゴホッと男が咽せた。男が怯んだ瞬間――男の顎にジェーンのリボルバーが突きつけられていた。


「あんたの自慢のブツがあたいのリボルバーよりデカいってなら考えてやってもいいぜ」

 

ジェーンが獰猛な笑みを浮かべた。若い男は青ざめると悲鳴を上げて逃げ出した。フンと鼻で笑うと、ジェーンはリボルバーを腰のホルスターに収めた。船は上海の港に着こうとしていた。


タラップを降りた途端、混沌を煮詰めたような空気がジェーンに纏わり付いてきた。

辺りは賑やかな上海の景色に囲まれている。ラリったヤク中/客に媚びを売る機械娼婦/露天で焼売を売る、闇針灸師が細胞の経穴をナノ針で押すことで遺伝子改良された改造パンダ/ケバケバしい赤色の楼閣。そのどれもが目に毒だった。


「強盗よ!!」


船を下りたばかりのジェーンの耳を女の耳障りな悲鳴が打った。ダッダッダッと駆ける足音。金をたんまり入れた袋を小脇に抱えた男が走ってくる。袋から溢れた紙幣が風に攫われる。浮浪者たちが金に群がる。強盗の手には穂先にバズーカを備えたキャノン・スピア。


「そこを退け! マヌケ!」


強盗がジェーンに向かって叫ぶ。キャノン・スピアの砲口をジェーンに向けた。ジェーンはそれを見て退屈そうに煙を吐き出した。


強盗がキャノン・スピアの引き金を引こうとした瞬間――男の額にぽっかりと風穴が空いた。遅れて銃声。ジェーンの手には煙を吐き出すリボルバー。強盗は自分に何が起きたかさえ理解できていなかったろう。


糸の切れた操り人形のように強盗が倒れる。ジェーンは男の亡骸に歩み寄ると――咥えていた煙草の吸い殻を男に空いた風穴へと押し込んだ。ぶすぶすと音を立てて血が燃える。


「ちょうどいい。灰皿を探してたんだ。ありがとよ」


そう嘯くジェーンを野次馬たちの拍手が包み込んだ。


          * * *


函館、五稜郭――


「土方さんが!! 土方さんが撃たれた!!」


砲撃の轟音が止まない中、それに負けない新撰組隊士の怒声が響き渡った。腹部を銃で撃たれた新撰組副長、土方歳三が担架で運ばれてくる。土方を囲んだ隊士たちが心配そうに土方をのぞき込む。


「もう助からない」誰かが言う。


「ふざけんじゃねぇ!!」


弱音を吐いた隊士を他の隊士が殴り飛ばした。


「だ、だってよ」

 

腫れ上がった頬を押さえて気の弱そうな隊士が漏らす。


「止さないか、土方さんの前で」


眼鏡をかけた冷冷静沈着な様子の隊士が制する。


「もう、あれを使うしかない」島田魁がこぼす。


「あれを使うって言うのか!? 土方さんを化け物にするつもりか!」


中島登が島田の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。


「もう、それしかないんだ」


島田が中島から目を反らして言った。


「クソッ」


中島が半ばヤケクソ気味に機械式アタッシュケースを開けた。その中には一本の注射器。筒の中には赤い液体。吸血鬼の血。


中島が土方の首筋に注射器の針を当て島田の顔を見る。


「やってくれ」


島田が苦しげに呟いた。

中島が重々しく頷く。

 

注射器の針が土方の皮膚を突き破る。注射器の押し子がゆっくりと押され、土方の体内に吸血鬼の血が流し込まれる。


土方の身体が大きく痙攣した。その目が大きく見開かれ――瞳が妖しく赤く光った。


          * * *


「さん――土方――土方さん!!」


永倉新八の呼ぶ声で物思いに耽っていた土方は現実へと引き戻された。酒場の喧噪が渦を巻き、周囲の景色が色を取り戻す。


「もぅ、どうしちゃったんですか。ぼーっとして、しっかりして下さいよ」


永倉の幼い顔が土方を心配そうにのぞき込む。


「止めないか。永倉。土方さんにだって一人の時間が必要なときもある」

 

同じテーブルを囲んだ長身痩躯の男、斎藤一が永倉を諫める。二人とも函館戦争終結後に土方と合流した。


五稜郭の戦いで敗走した土方たちは今はこうして、気ままな傭兵として世界中を流浪する身だ。日の本のために忠義を尽くす夢は潰えた。後は自由気ままに生きるだけ。かつて厳しい戒律を自らに課していた新撰組も、今じゃならず者の集団。だがそれもいい。元はどいつもこいつも田舎で暴れ回っていたバラガキばかり。こうなったら悪名を五つの大陸中に轟かせてやるだけ。土方はそう考えていた。


土方は杯になみなみと注がれた赤い液体を眺める。ワインか、それとも……。どこからか舞った桜の花びらが杯の中に落ちて波紋を立てた。温室で栽培された季節外れの桜が郷愁を湧き起こさせた。


土方が杯に口をつけようとしたそのとき/騒音。そちらを見やれば、何やら新撰組隊士三人が一人の娘と言い争っている。恐らく隊士たちが女に言い寄ってあしらわれたのだろう。


「止めましょうか」斎藤が静かに言った。


「いい。たまには息抜きが必要だ。それにもう俺たちはお国のために刀握ってるわけじゃないんだ。それぞれ勝手に生きるだけさ」


「あなたは意地悪な人だ」斎藤が笑った。


隊士三人が一斉に銃を抜いた。その瞬間――三人は娘=カラミティ・ジェーンの持つ拳銃で強かに殴られ地に転がされた。隊士の一人のこめかみに銃口が当てられる。


「あばよ。むこうにあたいくらいのカワイイ子ちゃんがいることを願ってな」


ジェーンが嗤って引き金を引いたそのとき――土方の刀がジェーンの拳銃の銃口を跳ね上げていた。弾丸が酒場の天井に穴を開ける。


「おいおい、せっかく人がこれからイクってときに、邪魔するバカがいるか?」


ジェーンが土方の顔を睨み付ける。土方は飄々とそれを受け流す。


「口の悪いお嬢さんだ。大和撫子の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぜ」


「爪の垢? ジャパニーズはそんなもの飲むのか? そりゃそうだろうよ。グリーンティーなんて牛のゲロみたいなもんをありがたがって飲むくらいだからな。悪いがあたいはビールでいいぜ」

 

土方が口の端をつり上げた。寒気のするような美貌だ。


「俺も同じさ。ビールの方がいい。ところで銃を収めちゃくれねぇか。部下の失礼は詫びる。代わりと言っちゃ何だが、部下に代って、俺がベッドであんたの相手をしてやってもいい。これでも娼婦たちには具合がいいってんで評判なんだ」


「ド玉にきたぜ。それじゃ、相手をしてもらおうじゃねえか。死のワルツのな!!」


ジェーンが土方の美貌に拳銃を向け引き金を引いた。飛んできた弾丸を土方が刀で一刀両断にする。


土方は背中からウィーンチェスター・ライフルを抜いた。刀とライフルの二刀流それが土方のスタイル。


土方がライフルを横に薙ぐ。ジェーンは後ろに身体を反らしてそれを躱す。ライフルの銃口がジェーンに向いたそのとき、土方が引き金を引いた。弾丸が飛ぶ。ジェーンはそれを手にしたリボルバーで弾いた。


ジェーンが突きを繰り出すと同時に引き金を引いた。弾丸が先陣を切り、拳が後に続く。


土方は弾丸を刀で切ると、拳をライフルの銃身で受けた。ライフルが軋みを上げる。


刀でジェーンに斬りかかる。ジェーンは刃をリボルバーで受けた。二丁の拳銃とライフル、日本刀が鍔競り合う。膠着。


ジェーンが鋭い蹴りを放った。押されて土方のガードが解ける。がら空きになったボディにジェーンはありったけの弾丸を叩き込む。――静寂。


硝煙の匂いが辺りに立ちこめる。誰かがくしゃみをした。土方は蜂の巣にされたまま立ち尽くしている。その唇が歪んだ。


突然、土方が服をはだけた。その雪のように白い身体には計九つの弾痕。その傷口からポトポトと弾丸が地面に落ちた。


「てめぇ、なにもんだ」

 

ジェーンが驚愕して訊いた。


「新撰組副長、土方歳三。そして今はついでにドラキュラ伯爵のしがない眷属の一人ってわけさ」


「ケッ、吸血鬼かよ。止めだ止め。興が冷めちまった。死人をいくら撃ってもつまらねぇ」

 

土方に率いられて新撰組隊士たちは酒場を後にする。 酒場の出口で土方とジェーンがすれ違った瞬間――


「おまえとはもう一度会う気がするね」

 

土方はそう言い残していった。

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