第一章 shotgun‐train
西部の荒野を走る列車が一本。黒々とした巌のような巨体が通ると荒野の乾いた空気が嵐となって吹きすさぶ。その様は巨大なバッファローの如く。
一等車両の車内は豪勢に彩られている。染みひとつない赤いカーペット/爛々と輝くシャンデリア/光沢のある革の座席/テーブルに盛られた脂の滴る肉。
イギリスから鉄道事業の関係でこの地を訪れた資産家階級の乗客たちは、有り余る金の使い道についてワイン片手に話し込んでいる。
その一等車両に場違いな男が一人。漢服を着た剃髪のイギリス人=少林寺の僧侶。少林寺僧の膝の上には大事そうに抱えられた機械式アタッシュケース。中身=デジタル・スクロール/少林寺拳法の極意のデータ。それをアメリカ軍の戦闘用アンドロイドにインストールし報酬をもらうのが男の目的。男=破戒僧。破戒僧の傍らに彼を警護するアメリカ軍のサイボーグが控える。
所は打って変って貨物車両。そこに家畜や干し草と一緒に押し込まれているのは、金のない中国人出稼ぎ労働者たち=苦力。彼らは中国本土より誘拐同然にアメリカ大陸に連れてこられ、雀の涙ほどの賃金で鉄道工事や土地開拓に従事させられる。
アメリカの繁栄。それは先住民の血と黒人の涙、それに彼ら苦力たちの屍からなっているのだ。
苦力たちは心細さを紛らわせるために一所に集まっていた。だがその輪に弾かれた男が一人。
フォン・フェイフォン。貨物車両の最後尾の暗がりに座り込んで鋭い眼光を放つ彼の手には鋼鉄の手錠が掛けられている。
他の苦力たちは鎖で繋がれてはいない。彼らには逃げる気力などなかった。だがフォンは違う。そのことが苦力たちをフォンに関わらせまいとさせているのだ。
母親の傍らで黴びたパンを囓る小さなお団子頭の少女が一人。お団子頭の少女はフォンの鋭い眼光にすっかり怯えてしまって肩を縮こまらせていた。そのくせフォンのことが気になってちらちらとフォンのことを盗み見ていた。
フォンの飛刀のような視線と少女の好奇心旺盛な猫のような視線がぶつかった。
「ふにゃっ」少女の小さな悲鳴。
ぐ、ぐぅー。バカでかいフォンの腹の音。
フォンの腹の音に少女が目を丸くして驚く。それから自分の小さな手に包まれた黴びだらけのパンを寂しそうに見つめる。――決心する。
「はい。これどうぞ」
母親が止める間もなく少女はフォンに駆け寄るとなけなしの食料を差し出していた。フォンが手錠の着いた手をゆっくりと持ち上げた。ジャラリと鎖が鳴る。その手が少女に伸びる。
「ヒッ!」誰かが息を飲んだ。
少女が恐怖に身をすくめ目を閉じた。だがいつまで経っても予想したような痛みはやってこない。しばらくして何か柔らかいものが少女の頭の上に置かれた。
恐る恐る目を開ける。置かれたのがフォンの大きな手だと気づいたときには、その手がワシャワシャと少し乱暴にそれでいてどこか優しげに少女の頭を撫でていた。
少女は「子供扱いするな!」と抗議しようかと思ったが、フォンのあまりの手癖の悪さに気分がフワフワしてきて思わず気持ちよさげに声を漏らしそうになる。
少女のまん丸の目がフォンを見上げる。そのときフォンは鋭い目つきを三日月型に曲げて、ニカッと満面の笑みを浮かべた。その少年のような微笑みに少女の心臓が高鳴った。
「謝謝」
そう言うとフォンの手が鳶のように少女の手からパンを攫った。大きく開けた口にパンの欠片を放り込む。ペロッとひと飲みにすると、フォンは目をつぶって小さく寝息を立て始めた。貨物車両ににわかになごやかな雰囲気が流れ始めた。
ガダン!! と大きな音がして列車が止まった。乗客たちに動揺が走る中、一等車両の蒸気機関駆動の扉が重々しく開いた。
なだれ込んでくるならず者達。先頭を切るのは荒野に悪名を轟かせるアウトロー・ガール=カラミティ・ジェーン。豊かな金髪を後ろで三つ編み/あどけない少女の顔立ち/鼻の辺りにそばかす/豊満なバスト/カウボーイハット/両手に拳銃――グリップに太極図の刻印。
後ろから続くのはジェーンの相棒にして恋人ワイルド・ビル・ヒコック――名前に恥じない逞しく割れた顎にダンディな口髭。
破戒僧を警護していたサイボーグがいち早くジェーンに反応する。サイボーグの右手が変形してショットガンに。――発射。
鉛玉の雨がジェーンに降り注ぐ。――ジェーンが嗤った。
ジェーンのしなやかな身体が猫のような俊敏さで弾丸の雨の間を縫う。ジェーンの後ろに流れた銃弾が乗客の一人を赤い花に変えた。
ジェーンが鋭い突きを繰り出す。サイボーグの顔面に突きが吸い込まれる。白い歯を砕いてリボルバーの銃口がサイボーグの口内に押し込まれる。――射撃。
――サイボーグの頭蓋が花火になって弾ける。
護衛をやられた破戒僧が素早く立ち上がる。懐から取り出したのは二丁の拳銃を鎖で繋いだ武器――ガン・ヌンチャク。
破戒僧がガン・ヌンチャクを振るう。ジェーンの目の前に拳銃が迫る。当たったら顎を砕かれしばらくはまともに食事をすることもままならないだろう。ジェーンが膝を折る。
そのまま膝で赤いカーペットの上を滑る。ジャパニーズの秘技スライディングドゲザ。違うのは頭を下げる方向だけ。反らした胸の上を破戒僧の銃が通り過ぎる。僅かに銃のグリップがジェーンの胸に当たる。ぶるんぶるん。「ひゃん!!」乳首がこすれたジェーンが甘い悲鳴を上げる。
破戒僧が引き金を引く。連動した鎖に繋がれた銃が火を噴く。ジェーンの背後の仲間が一人撃たれる。だがそれだけ。
ジェーンが二丁拳銃を突き出す。――発射。ありったけの弾丸を叩き込む。シリンダーが世話しなく回る。――破戒僧が蜂の巣に。
どうっと破戒僧が倒れる。立ち上がったジェーンは破戒僧のシートに置かれた機械式アタッシュケースを手にした。
この中のデジタル・スクロールをインド独立を目指すノーチラス号のキャプテン・ネモに売り渡すのがジェーンの目的だった。アウトローたちは各々、思い思いに乗客たちから金品を巻き上げる。
「やったなジェーン。これで俺たちは億万長者だ」
ワイルド・ビルが口髭を撫でながら言う。
「素敵なハネムーンにしようぜ」
ジェーンがワイルド・ビルに熱いキス。手下たち/呆れ。
「なぁ、そういや、姉御はなんで`カラミティ`ジェーンなんて呼ばれてんだ?」
手下の一人が素朴な疑問。
他の手下が呆れた笑みを浮かべる。
「そりゃ、今まで付き合った男たちが全員不幸な死に様を遂げたからさ。だから疫病神ジェーンさ」
仲間たちがくすくす笑いを堪える。ジェーンが顔を真っ赤に。その手が腰のリボルバーに伸びる。そのとき――
「そしてそのジンクスを愛の力で打ち破ったのがこの俺、ワイルド・ビルってわけさ」
ワイルド・ビルは厚い胸板を反らしてそう宣言する。
「素敵!!」
ジェーンがワイルド・ビルの二の腕に飛びついてぶら下がった。手下たち/また呆れ。
ジェーンたちは皆それぞれ金目のものを両手に抱えて列車を降りた。そこにはジェーンたちの乗ってきた蒸気バイク――その一台、ワイルド・ビルの愛車、ブラック・パイソンの上に人影。苦力、フォン・フェイフォン。その手の手錠は獣に食い千切られたかのように鎖が途絶えている。
「なぁ、あんたら、もう行っちまうのかい。せっかく久しぶりに強い奴らとやり合えると思ったのに。俺と遊んで行けよ」
フォンの言葉にアウトローたちが盛大に笑う。
「おい、ピエロ。おまえの名は? 気に入ったから撃ち殺す前に聞いといてやる」
ワイルド・ビルが白い歯を剥き出して言う。
「フォン・フェイフォン。それが俺の名だ」
それを聞いたならず者たちはまた盛大に笑った。
「おまえがあのフォン? 恋人を殺した敵流派の門弟百人を皆殺しにして中国全土で賞金がかけられているって言うあの伝説の? こいつはひでー冗談だ」
フォンが指でピストルの形を作って嘲笑った男に向けた。
「なんの冗談だ?」
「バン!!」
フォンがそう口にした瞬間――男の頭が弾けた。
そのときにはもうフォンの言葉を疑う者はいなくなっていた。実銃を使わず、気で練った弾を指先から飛ばす無銃流ガンフー、それを使えるのはこの江湖でただ一人――伝説の侠客フォン・フェイフォンだけだ。
仲間の死に恐れを成したアウトローの一人が慌てて銃を抜く。――発射。
放たれた弾丸は一直線にフォンの額へと吸い込まれていき――その目の前で、フォンの二本の指に挟まれた。
「バカな!!」
男が驚愕する。その見開かれた眼窩目がけてフォンが掴み取った弾丸を投げた。――男の右目が弾ける。
男が倒れるのを見届けて、フォンは指で作ったピストルを膝が震えて動けないジェーンに向けた。
「ジェーン!!」
「バン!!」
フォンが再びそう口にしたとき、ワイルド・ビルがジェーンを突き飛ばしていた。ワイルド・ビルの胸にぽっかりと穴が空く。
ジェーンが倒れたワイルド・ビルに駆け寄る。抱き起こしたワイルド・ビルがごぼっと血の塊を吐いた。
「ジェーン、愛してるぜ……」
そう言ったきりワイルド・ビルは静かに眠るように目を閉じた。
「よくも、あたいのダーリンを!!」
ジェーンがフォン目がけて疾る。その予想外のスピードにフォンは目を見開く。口元が楽しそうに緩む。そのにやけた面にジェーンの拳銃が叩き込まれる――血と共に奥歯が一本宙を舞った。
「やるじゃないか」
フォンが切れた唇を指で拭って獰猛な笑みを浮かべたかと思うと――彼我の距離が一瞬で消失していた。
「痛ッ――!!」
ジェーンは鋭い痛みを胸に感じて声を漏らす。見れば、フォンがジェーンの右胸を鷲づかみにして乱暴に揉みしだいていた。
「いい女だ。脳が痺れちまう」
フォン――獣の嗤い。
ジェーンがフォンを振りほどこうとリボルバーを振り上げる――フォンの拳がジェーンのどてっ腹に叩き込まれる。ジェーンの意識が消えゆく――
「仲間の仇を取りたければ中国まで俺を追ってこい。次会ったそのときは……俺の嫁にしてやるよ」
どこか遠くでフォンの言葉が木霊していた。