石
信じられないけど実話
「お母さんこのフライパン使っても良い?」
「良いよー」
ベランダに置かれたフライパンを目ざとく見つけた我が子が、早速玩具にしても良いかと声をかけてきた。
私もテフロンが剥げ、次のゴミ収集の日にただ捨てるだけの調理器具の活用を許可した。
子ども達は早速フライパンに何か物を入れ、炒る動作をしては、楽しそうにしていた。その内ベランダに置いてある小物を入れて遊ぶより、もっと本格的に何か入れて、フライパンを振りたくなったのか、マンションの玄関外に置いてある拾ってきた石を家に持って入って、遊んでもいいかと聞かれた。
答えはYES。もう捨てるフライパン、好きに遊べば良い。
「遊び終わったらちゃんと石はまとめといてねー。」
まあ、当然遊び終わったらまとめる事なく、放置されてた。後で片付けるよう言っておこう。踏んだら痛いのは、一番出入りする私なのだから。
ふと夢を見た。
誰も居ない自宅で、玄関扉の取っ手をガチャガチャと激しく回され、何だなんだ、気味が悪いなと廊下を歩く。
しばらくガチャガチャと回してばかりだった扉が、がちゃりと徐ろに扉が開けられる。
それはそうだ。普段から私の在宅時であれば子の出入りの為、鍵をかけないのだから。
ヤバい!
入られた!
咄嗟に玄関に走る。
だが開かれたと思ったドアは閉まったままだった。
どういう事?
何となく玄関扉の外には誰居るような気配が有る。
恐ろしくはあったが、安全の為に気持ちを奮いたたせ、ドアスコープを覗くため、音を立てないように扉に手をつき、そっとのぞき、外を伺う。
見える範囲には誰も居ない。
どういう事?
扉を開ける。
誰も居ない。
そこで目が覚めた。
何だか恐ろしい夢だった。
あれは本当の事だったのか?夢にしても、意味が分からない程のリアリティを感じていた。
何でもない、と捨て置けるような事なのか区別がつかなかった。
動揺は収まらないが、昼寝をしていた布団から起き上がる。夢と同じ景色を実際歩いて、玄関に向かう。
扉は閉まってはいる。
近付き鍵を確認する。
鍵は開いていた。
急いで施錠をする。
気味が悪い。
気味の悪さを払拭したいが、所詮は夢の話。
子ども達に、安全の為に施錠をちゃんとすることを言い聞かせ、兎に角入りこまれないように此方が用心する程度の事しか、できることがなかった。
その夢を見た日から、何だか家の中が変わった。
空気が何だか余所余所しいと言うか、とにかく今までと何かが違う。目には変わらない部屋の風景でしかないのに、何がどう、とは言えない違和感。
日の入り方のせい?な訳ないか。
だけど私だけではなく、夫もそう感じたようだった。
何か変だね?何だろうね?と二人で首を捻るが、互いに明言出来る事も、心当たりも、何もなかった。
何か変だ、何か変だ。そうこうしている内に、まだ幼い末の子が私に不思議そうに尋ねてきた。
「ママ、あの人誰?」
「さ、さあ?誰だろうね?居ないよ?そんな人。」
脱衣所の暗がりを見ながら尋ねられた言葉に、見ないようにしていた事実を突きつけられたような気がした。
薄々人ならざる何かが家に入ってきていたのではないか。そんな馬鹿げた事を考えたこともあるが、自分ではどうすることもできない何かが、現実だなんて…そんな考え追い払ってしまいたかった。
「ねえ、今日子どもがこんな事言ったの。」
夫に話しても、小さい子は見えるて話もあるよね。程度の慰めにしかならない様な言葉しか交わせなかった。
ぎしり ぎしり ぎしり
その足音は二人で聞いた。
誰かが襖一枚隔てた廊下を歩く音
しかも子どもじゃない。大人が歩く音だった。
「今………誰か歩きよったよね……」
重さで軋む音からすれば多分成人男性。スピード的に老人。明らかに家族構成にない人物が玄関側から廊下を歩き、台所へと抜けていったのが分かった。
その夜はどう明けたのか、記憶がなかった。
これはいよいよヤバい。
何とかしないと居着かれでもしたらたまったものじゃない。
二人で廊下を誰かが歩いたのは分かった。分かってしまった。だけどどうすればなんて、手立てなんて何もない。物理で鍵をかけたって防げない。
お祓い?盛り塩?
でも盛り塩は結界を張るものであって、中に居られたら家の中に閉じ込める事にならない?
何かないか、何かないか。
仕事の合間合間一日考え答えが出ない、子どもを寝かしつけた夜中の時間、台所で洗い物を終え、無駄に気合を入れたシンク掃除をする。
何時から変わったと思った?変わる前後で何かいつもと違う事をやった?なにか、なにか………
その瞬間思った。
石だ!
今まで子どもが拾って帰る石を家の中に絶対入れたことがなかった。だけど、玄関外に貯めてた石をベランダに移動させて、まだそのままだ!
ベランダに飛び出ると、テフロンが剥げ、子ども達に遊ばれるままに放置されたフライパンを掴み、散らばった石を入れていく。
素早く、取りこぼし無いよう、全部。
そのまま握り慣れて馴染むフライパンをぎゅっとつかみ、ベランダから台所に入り、廊下を駆け抜け、玄関のチェーンとロックを外し、急いで外に出る。
石を溢さないよう気を付けながらも、荒く階段を駆け下り、駐車場を抜け、道路を渡り河土手に上がり、急いでフライパンの中でじゃらじゃらと鳴る石ころ達を草むらに返してばら撒いた。
こんな石、触りたくもなかった。
だけど、そうかもと思ったら、もう一刻も早く家の外に放り出したかった。
本当はもっと家から離れた場所にばら撒けば良かったかも知れない。
だけど、だけど、限界だった。
鳥肌が立つ。
本当に家から出て行ってほしかった。
寒さではない、体の震えを無視して踵を返す。
来た道を戻り、階段を上がる。
今まで石を貯めてたあった玄関脇のアプローチにはまだ少し大きめの石が何個か置いてある。これも早く捨てなければ。
だけど、先ずは玄関に入りドアに鍵をかけ、ドアチェーンをかける。
廊下を抜け台所に行き、集めそびれた石はないかと一通り見渡す。
多分目印を拾ってしまったんだ。
道の目印の石を拾って、今までは玄関の外にあったから何ともなかったけど、家に持って入ってしまったから、目印を無くした何かがドアから入って、台所を抜け、ベランダに出て、道を作ってしまったんだ。
その道中暗くて空気のたまる場所に何かがとどまって、末の子に見えていたのかも知れない。
多分獣道と一緒だ。
道は暫く残る。
でも、目印は移ったから、暫くすれば道はなくなる。
分からないけど、多分これで大丈夫なはずだ。
それでも数日間の通じた道がなくなるのには時間がかかった感はあったが、何か変が、少しづつ少しづつ薄れ、何か感じる部屋の暗さも減った。
よどみに居座る何かが指摘されなくなり、心底ほっとした。
あの頃を振り返り思う事は、原因は有るものなんだな。
思いつけたのはファインプレーだったな。
そして、ただ道標通りに来たのに、扉で道を塞いでしまって悪いことをしたな。
多分相当困ったんだろうな、ドアノブガチャガチャは苛ついてやって、ガチャガチャしたら開いたから入ったんだろうな。
それにしても、もう、二度と、拾った石は、家に、持ち込ませないようにしよう。
リアルな夢を見ているとき、絶対に扉の外には何か居る。と分かっていたけど、一言文句言ってやろうという気概で開けた。でも何もなかった。多分あの落差の感覚は精神疾患を患った人なら理解できる感覚だった事を今でも覚えます。