推しが前髪をかきあげたら…
推しが前髪をかきあげたら…
いけ蔵
京王線井の頭線渋谷駅アベニュー口、土日であっても他の改札口と比べると午前10時は静かな印象を受ける。ここが渋谷では無いような、あくまでも皆「ここは通過点」といしか思わないのだろう。40代ぐらいのマネージャーらしき男が、小学生3、4年ぐらいの女の子たちに話をしている「第一印象が大切だからね、大きな声であいさつしっかりとね」と伝えている。元気な声で「はい」と返事をする女の子たちを横目に見ながら、22歳ダブルワークのフリーター山縣慶は、またいつものように叔母が社長を務める芸能事務所に向かう。
自分のどこかドライな心に少し嫌気がさす。あいさつはどの仕事においても大切だ。初対面の人に好き好んで、印象を悪くふるまう人はいないだろう。でも、だって、だからこそ元気なあいさつは印象には残らない。みんな行っている事だから印象には残らない。そう。みんなと同じでは。
グループアイドルはいくらでも替えがきく、変わりがない唯一無二の存在になりたいと心から願うのは間違いなのだろうか?バイト先でも。まぁお客様に迷惑をおかけしない為にも急な休みにも対応が出来るように、仕事情報の共有をしておくのは大切な事である。
特にこの仕事が好きなわけではないが、前職での人間関係の煩わしさから転職をした。デイサービスで相談員業務を経験したのちに、所長となった。所長というと「立派な仕事ですね」と言われる事もあったが、あくまでも会社員なので中間管理職といったところだろうか、デイサービスのメリットは夜勤がないことだろう。介護業界特有かも知れないが、働くママさんが多く急な休みの時には、所長自ら入浴介助などのヘルプに入る事もある。自分が採用した職員の名前も覚えていない。だからこそ高齢者向けに分かりやすいようにひらがなで書かれたネームプレートが役に立つ。結婚に興味がなかったわけでは無いが、新しい人間関係から始まり恋人関係に移行させていくのは難しく、そして何よりも違和感がある。
特に趣味もなく、仕事終わりにコンビニのスイーツを買うのが細やかな幸せでもあり、42歳になった今では、その幸せがひとりであることを紛れもない事実と痛感させられる。自分だけを見てくれる人に出会いたいというのはわがままなのだろうか?30代の時に散々言われていた「結婚しないのか?」「まだ、実家住みなの?」という言葉はもう耳に刺さる事が無い。今まではえぐられた傷口がふさがる前に、同じ刃が刺さったというのに。
バイト先叔母の芸能事務所とは別に平日のデイサービスでも働いている。週2-3日ほぼ曜日は固定で入っている。同じ介護士仲間であっても子育てしている訳ではないので、送迎業務も担当している。一部のお宅を除いて基本的には玄関先でおじいちゃん、おばあちゃんをお預かりする。20代男は印象に残る。ある意味もう一つのバイトの力が活かせているのかも知れない。15人いる中での1人、担当カラーは赤・黄色・水色・緑・藤色5色あり、同じ色の担当が3人ずついる。つまり各色の3人でシフト制のアイドルなのである。自分の年齢では年長者組。最年少は中学1年生。好きな仕事であるがこれだけでは食べていけない。その中で、デイサービスの仕事は、あまった食事を分けてもらう事も出来る。そして、休憩時間も交代制なので食べている姿を見られることが少ない。マスクを外すこと、食べている姿をみられる事が苦手な僕には丁度良いというものである。
僕の唯一の強みとしていえる事、ファン層の平均年齢が高い事、そして男性率が高い事である。高校時代の元カレには「妙な妖艶さがある」と言われた事がある。
当時は全く興味が無かった。オーディション応募者数嵩増し、そして一見すると平凡のような自分でも叔母からしてみたら、可愛い甥っ子なのだろう。
お互いに自信の無い二人がなぜか交わっていく…
半年前に面接をした。若林優輝には彼の印象は良い人。通信課程の福祉過程を卒業見込みだというのに週2でのバイトを希望している。「福祉業界を希望して大学に入ったのではないのだろうか?」「今は人手不足で夜勤やシフト制でも良いのであれば、学生一人に対して求人が20社以上あるというのに」と心の中で思っていた。親戚の会社で働きながらダブルワークをすると言っていた。週2なので雇用保険などは、親戚の会社持ちだし、福祉大学卒業予定だし。バイトとしては問題が無い人材であった。若林は送迎のおじさんたち以外では初めての20代の男性職員の面談であった為とても印象に残っていた。
慶が大学卒業をしてしばらくしても勤務内容や時間もほぼ変わらない、むしろ、週3日勤務してくれる日もあるので、所長としては安心感を持ったまま勤務をしていた。同僚のおばさんたちも慶の事を「一見暗そうだけど意外としゃべる」「入浴介助をしていた時の脚がきれいだった、並びたくないよね」などと談笑しながら食事をしていた。男性職員はいい意味で、女性職員と同じ土俵に立っていない。立たせてもらえないという方が正しいのだろうか?職場の噂話にも参加しなければ、話題の人として名前が挙がる事も無い。「男の脚でこんなにも盛り上がるか?」「まぁ、今迄みたいに誰かのミスや仕事が遅い」などの会話よりは平和だなと思いながら事務仕事を恬淡と行っていた。
人が足りない時、所長も入浴介助の手伝いに入る。入浴介助の職員は卓球部のような半袖短パン、サンダルで作業する。職員4人体制。40人の利用者様を入浴させるには、看護師からの入浴許可及び浴室に連れてくるリーダー役、洋服を脱がす係、浴場で洗身の手伝いをする係、入浴後の服を着せる係。と4人チームで行う。実をいうと今日は慶と初めて入浴介助のチームになった。確かに細すぎない脚。でも無駄な脂肪などと付いていなく。何かスポーツでもしているのだろうか?質問してひかれないかな?と思ってしまうぐらいだった。特に、彼に脚は、妙に柔らかそうで触ってみたくなる。優輝は脱衣室で服を脱がす係に配置され、慶は浴室介助の担当だ。デイサービスの浴室は基本自分で身の回りの事が出来る人向けの設計。10人ぐらいは入れそうな湯船。シャワーの4台ある。
利用者様が出来ない所だけサポートするので、肩の調子が悪くシャンプーが届かないという利用者様のサポートにしゃがまずに、左側の足を少し上げ、右手をシャンプーに伸ばす、その時の妙に妖艶お尻のライン。「老人の中に居るからなのか?」または「黒い短パンと白い脚というバランスだろうか?」「ムダ毛が一切ないから?」色んな考えが思い浮かんでしまったが、すべて別の女性職員にも共通する事だ。
なぜだか慶の脚と黒い生地の隙間を覗きたいと思ってしまう。更衣室で着替えている姿は見た事があるでも、ためらいもなく脱いでは着ていく姿を見ても何も思わなかったはずなのに、見えている面積は少ないはずなのになぜだろうか。数秒手が止まっていたのだろう。
次の利用者様が、リーダーとともに入室してきた。
妙に頭から離れない
優輝には老親にばれないようにこっそりとハマっているアイドルがいる。担当カラーが5色あり、各色3人で回している。つまりは合計15人がチームに所属している。初恋は女の子であった。しかし今となってはloveとlikeの違いが判らず、小学校での好きな女の子トークはlikeだったのかもしれないと思ってしまう。男性地下アイドルを推しているのだから。男と付き合った事は1度もない。恋人だと思っていた人にセフレと言われた。男同士だからしょうがないと、ネットの記事で文字が刺さってきたときは悲しかった。だからこそ、関係はあるが、“恋愛経歴書”に記載するような人物はいない。三十代も後半になった時に、運命を感じてしまった。アイドルそれがcottonだ。テーマは“あなたに触れられたい”というあたかも女性向けの母性をくすぐるものであったが、男やもめに蛆が湧くと言われ続けた自分にはとてもピッタリな趣味だと思っている。結婚して幸せな友人の話でもお気に入りの大人な映像をこっそりとPCに隠しているのだから、ゲイの自分が現場にはいかずに、推しの配信を見る分には問題が無いと思っていた。
だが人間は欲がでる生き物だろう。四十路を過ぎてから現場というものに参加したくなった。今までせいぜい推しのライブの有料生中継。そして、お金で5分間ほどSNSの一対一の会話時間を買っている。藤色担当のAGATA(22)は、主要メンバーといえるかもしれないが、中学生・高校生と比べると母性をくすぐる感じではなく、30代後半以上のお姉さんとおじさんの相手をしているイメージが強い。だからこそ俺も惹かれたのかも知れない。数回AGATAの一対一会話が落選してしまい、中学生のメンバーの時間を買った事があるが、元気いっぱいで同じような言葉。癒してもらうというよりも“愛でる”感じなのだと懐と胸が痛んだ。AGATAも自分の子供でもおかしくない年齢ではなるが、成人している。いくらなんでも中学生の時間は買うものではないのかと思ってしまった。それ以降は抽選に外れた時は、次回の運に期待をしている。次回といっても地下アイドルの収入源なのだから来月にはまたチャンスがある。勇気をだして直接足を運ぶ事も出来る。
偶然が重なるとき
慶は少し疑問に思っていた。最近優輝と担当が被るのだ。他の職員のシフトなどを考えれば当然の事かも知れない。今まで送迎まで一緒という事が無かったからだ。前髪をあげていたとしても、眼鏡をかけていたとしてもさすがに気が付くだろう。まぁ悪い事をしている訳ではないので良いのだが、利用者様をご自宅まで送迎し、職員しか乗っていないハイエース車内でふと後部座席からバックミラー越しに運転席の優輝を視界に入れていた。
10月の18時過ぎ、周りの暗さも目立ち始め、住宅の外灯が目に染みる。グループアイドルとしての立ち位置も理解しているつもりだ。若い子たちのアテンドがするのが自分の仕事のような気がしている。そして、まえの席で運転している40代男は「応援しています」と、言っていたのに気が付かないのか。普段はワイシャツに介護士と同じジャージを羽織っている。AGATAに会いに来てくれる時は一張羅のスーツなのに…いくら介護職員として働くときは楽だからと前髪をあげて、眼鏡、そしてマスクを着けていたとしても休憩時間はマスクを外すのに。
今までアイドルを行っている事にさほど自信が無かった。でも、ようやく30人のBOXを満席にすることが出来て、立ち見の人も出てきた嬉しさ。優輝が気付いてくれない事が心地よかったのに、今はなぜがみじめに感じることもある。
慶は少し賭けに出た。自分でもそんな事をするなんて思いもしなかった。自分の中には叔母に言われて始めたアイドル。執着なんて無縁だと思っていた。でも今は風呂介助のふりして、所長をたぶらかす生足出さずに介護できないから、「入浴介助で生足にならない訳にはいかないから、少しおじさんをたぶらかすか。不可抗力ですよね」と思うようになった。僕は期待に応えるアイドルではない。構って貰える事が生きがいだ。
まぁ見られている事には気が付いていたので、湯船のふちを跨ぐのが身体的に難しい利用者様のお手伝いをする時に、どうしてもズボンのすそが濡れてしまう事がある。だからこそ、すそを2回ほど折っても違和感がない。だが、こいつは気が付くだろう。日頃の時ですら見ているのだから。更衣室でマスクを外した顏にすら興味を示さなかったこいつでも。
結果は惨敗。だれからも注目されていない
むしろ気が付いているのは僕だけだ。優輝が初めてBOXに来た時。いつもよりも男性ファンが少ない日であった。アイドルもシフト制なので事務所が駅から少し離れた所に持っているBOXは年中無休である。ファンはあらかじめ目星の推しがステージに立つ日をネットで把握している。もちろん備考欄に「当日変更有や空欄の所にはお楽しみ」などと書かれている。そんなシフト調整のようなものなどを行うのも慶の仕事だ。ネットに書く前にグループで共有するシフトを、時に介護施設の休憩エリアでつくる事もある。エクセルの色と割り振られた番号を入力して、偏りが無いように工夫している。出勤できるがステージに立たないメンバーももちろん出てくる。その場合補欠兼雑務係となる。流行りのおしゃれメガネではない地味目な、慶がパソコンをいじっていても、親戚の会社の手伝いといえば誰にも興味を示されることは無かった。
11月のアイドルとしては特にイベントは無い。デイサービスでは七五三の塗り絵や、お孫さんの写真を見せられ感想を求められるという。イベントほどではないが季節の習慣のようなものがある。この時期はほぼ希望シフトも通りやすい。土日は休日手当てが付くので子育てが落ち着いた人や実務経験が長く、介護福祉士を持っている人が優先的にシフト表に名前が記載されている。まぁ会社なのだから同じ時給を払うなら働きぶりが良い人が優遇されるのは当然だ。一方慶は基本、土日祝は希望休を出している。なぜなら地下とはいえアイドルだからだ。意外にもこんなにもシフト調節が楽だとは思わなかった。
しかし、今月は優輝がBOXに来るらしく、土日に出勤を打診された。まぁ誰かさんが2番目に推している中学生がステージに立たない日なら良いかと思い、シフトを変更することを了承した。
申し訳ない気持ちももちろんあるが、こればかりは僕のせいでは無い。中学生や高校生のメンバーをファンは“制服組”と呼んでいる。様々な呼び方があるのは嬉しいが、自分たちとの年齢の差を痛感させられるのが少しイヤになる。
自分の意地悪さには少し戸惑ってしまったが、10月の送迎者車内のような場面があった。少し落ち込んでいる印象を受けたが、優輝は自分からそんなに話すタイプではないので、まぁこんなもんだろうと思っていた。しかしそのイメージは違っていた。「この前シフト調整してくれてありがとう」「実を言うと地下アイドルにハマっていて初めて会場に足を運んだけど、推しに会えなかったんだよね」とつぶやいていた。優輝に対するイメージが変わった。職場でプライベートの話をするなんて珍しいなと素朴に感じた。「好きな人に会えないと寂しいですよね」と優しく、目線を合わせずに伝えて相槌を軽くした。
赤信号になった時「クリスマス出勤してくれる!!」「叔母の手伝いがあるので無理です」と自分でもびっくりするくらい、すんっとした返事をしてしまった。嘘はついていない。契約の時にも伝えていた。「親戚のイベント会社での手伝いがあるのでクリスマスやお正月などは出勤できないです」と伝えた。大した恋愛などはしてこなかった。だからこそ、こんな駆け引きみたいのが、妙に面白いなと思った。
画面越しの両片思い
今夜は2カ月ぶりに画面越しに会話が出来る。AGATAが思うのはおかしなことである。まるで推しに会うための気持ちの様だ。古参の時期から応援して貰っているので、優輝こと“ゆうき”の事は知っている。基本的に自分はファンの人にあまり喋らせないようにしている。どんなに好きかを力説され、笑顔で傾聴していてもリピートにはあまり繋がらない気がするかだ。もちろん“制服組”は別だ。自分の場合、AGATAに認知して貰っていると錯覚させることを意識的に行っている。事前に会話相手のアカウント名とファンクラブ番号がわかるのがありがたい。毎回印刷される表の余白に、会話で出てきた単語を書いている。イベントが終わると、もとのエクセルデータに再度打ち込むのだ。そして、次回以降イベントの表が渡されると、エクセルのフィルター機能で探し出す。
アイドルが行うと微笑ましいのかも知れないが、自分はストーカーなのではと思う時もある。しかし慶はこの快感をやめることが出来ない。
SNSで会話が始まるとアカウント名で相手の名前を呼び挨拶を行う。そして、「確かまえ、BOXに来る時のアイシャドーの話してくれた人だよね」とか「新しい洋服買う時に、色違いで迷ったから藤色買ってくれたって言ってたよね」とあたかも今思い出しましたみたいな表情で相手に伝えるのがとても面白いと思ってしまっている。
いよいよ、優輝の番が来た。出だしはいつものように「先月抽選外れちゃったの」「寂しかった」「今日もコンビニスイーツ教えてね」とジョブを打つ。
残り45秒が来た時に今日のメインディッシュ。僕の気持ち、そして僕の存在に気が付いてくれない所長に「今夜もありがとねBOXでも会いたいな、若林さん、おやすみなさい」とつぶやいた。今までイベントの中では、優輝は“ゆうき”としてしかアカウント名として名乗らなかった。そして会話の際中も自分の名前を話すことも無かった。しかし、まぁファンクラブに入会しているので、そこで名前がばれたと思うのが普通だろう。最後の5秒の驚いた顔が見れたのがとても嬉しいと感じた。
それ以降なぜか優輝こと所長との距離が近くなった気がした。決してファンと推しでもなければ、恋愛関係としてでもない。こいつは僕の事をビリケンさんの足かと勘違いしているのではないかというぐらい。山縣くんに話と良い事があるからと、推しに名前で呼んでもらった事を淡々と説明してくれた。
今度抽選に当たたら「指ハートをしてもらう事が夢」「プレゼントしたスニーカーを履いてもらう事が夢」とつぶやいていた。絶対に内緒だからなと一言すべての夢に付け加えながら。「ところで若林さん、そのアイドルの靴のサイズ知っているんですか」「SNSの対話イベントじゃ靴見えないじゃないですか」と笑いながらつぶやいてしまった。
秘密の共有
デイサービスで唯一、山縣慶の素性を本当の意味で知っている女性がいる。同い年の武部美沙である。大学と高校は違うが、美沙も福祉系の大学を卒業し実家から通える範囲での就活をして、このデイサービスで正社員として働いている。正社員の中でもランクがあるらしく、引っ越しを伴わない契約の美沙は賞与が少ないらしいが、めざせ玉の輿、そしてAIに仕事を奪われない安心感が福祉にはあると言っていた。慶もアイドルで挫折しても福祉の仕事を増やせばいいやと思えるこのバイトは、心のお守りになっていた。
中学校まで一緒だった2人がこの職場で再開したときは、お互いに驚いた。週2バイトとは言え、半年先に入職していた慶に美沙は職場の人間関係についてこっそり教えてもらっていた。専任介護士として正規職員として働いているのは、この職場では美沙だけだ。他の正規職員は相談員と兼務や、優輝の様に所長業務と兼務している。その為、優輝が慶に対して、女性職員と同じ土俵に立っていない事に安心感を抱くように、美沙も安心していた。
慶のもう一つの仕事は知っていたが、特に興味はないし、それよりもお互いに好きなスニーカーブランドやキャラクターが好きな事で休憩時間は話に花を咲かせていた。共通の趣味の会話で盛り上がっていたからこそ、入社してから仲良くなったとみんなから思われていた。若い男と話していると嫉妬される事もあるが、2人の会話内容が、誰でも入ってこれ無いようなので、会話に混ざりたいおばさんたちがいたら、慶が普通にスマフォの画像を見せて対応をしていた。
バズるって、本当に突然なんだね…
昼の情報番組のひとコーナー「今バズり始めました」でcottonが紹介された。
AD中岡祐二が、15人いるグループならMCが注目してくれるメンバーも見つかるだろうし、視聴者のマダム世代も注目してくれるだろうと思ったからである。cottonの存在を教えてくれたのは、共通の趣味友達兼、仕事仲間みたいな関係な武蔵亮である。武蔵とはcotton以外での男性アイドルやBLの話題で盛り上がって仲良くなった。腐男子であることを隠したかった為、女性視聴者の心をつかむ為の情報収集ということとして、会話を楽しんでいた。しかし、実際の所自分の趣味謳歌することで、仕事にもつながるなんて最高だなと感じながら過ごしていた。あくまでも仕事の関係ということで淡々と過ごしていたが、内心は着眼点が一緒であることに激しく同意をしていた。このままオタク友達なんて出来ないと思っていたが、まさかのcottonのBOX公演終了後に行われていた握手会場の列で発見されるというとんでもない展開を迎えた。もしかしたら武蔵は週刊誌記者だからこそ、ゴシップを狙って通っているだけかもなども考えていた。
“あなたに触れられたい”という気持ちは実際の所、女性よりも男性ファンの心を掴んでいたらしいと心の底から思えた。
握手会の様子などを中岡らは取材していた。舞台でのパフォーマンスよりも古参を大事にしている姿がとても印象に残った。同じ場所で同じ場面を共有していたのに、万人受けする企画としては、やはり“制服組”なのだろうという事で、地上波放送された映像には最年長の慶は映ってはいなかった。ただ、一番納得いかなかったのは山縣みすずであろう。会社経営社としては、テレビではテレビクルーが注目するメンバーを、他の媒体では、他の媒体が注目するメンバーをしっかりと注目させることが重要であるとわかっている。しかし、やはり叔母として自分の甥っ子が注目されたいというのが本音だ。“制服組”が放送されたが、お蔵入りになった企画として「チームを引っ張る最年長」という企画もあり、その時の映像は権利を会社もらえることが出来たため、動画配信サイトで公開するという流れにした。
テレビの影響なのか動画サイトに公開された非公開映像というのが注目を浴びたのか、俗にいうバズり始めたらしい。最年長の紫の子が前髪を少しかき上げた姿が「妖艶だ」「最年長っていっても今年23歳でしょ」「しっかりしているな」「若い子と違ってステージと裏で表情が違うのがまた良い」などのコメントが書かれていた。
「亀の甲より年の功」というぐらい、最年長だからというよりは福祉大学で、学んだ傾聴力が活かさているのだろう。SNSの個別対話時間の前にはリストを印刷しているのは“制服組”にはない自分の強みだと思っている。以前、父に「すべての仕事は水商売につづいている」と言われたことがある。たとえ一般の企業に入ったとしても人の話を聞くことと、そして伝えることは必須であるからである。当時高校生の自分にはわからなかったし、建築系の仕事をしている父の口から水商売という単語が出た事も意外過ぎた。まぁ今となっては、福祉のバイトですら、送迎時にヘルパーさんや、訪問看護師の方への引継ぎ時に愛想を振りまくことの大切さを痛感している。何よりもそのあとの引継ぎが楽だ。問い合わせの電話が来た時など、相談員とのやり取りの時も。父の様に営利目的が強い。数字が重視される職種ならなおさらなのだろう。
画面越しの約束
年明けしばらくして、SNS動画サイトでライブ配信することになった。15人で自己紹介をするのは、いつぶりだろうか?そんな事を考えていた。オープニングでは“制服組”が最前列で「あなたに触れられたい」と少し声の高いトーンで話し、「せーの」の掛け声とともに、全員で「cottonでーす!」と最初と比べてトーンとしては低めになりながら、みんなで合わせた。「まぁ自分は口パクなのだが」と心の中で思いながら、司会席に移り、MC用の台本を読んだ。アイドルグループ特有なのかも知れないが、あまり売れていないアイドルだと、専任の司会者がいる事はまずない。だいたい最年長が司会役を行う。15人のグループだからこそ、一人が司会役になる事で、14人の偶数になりチームゲームなども行える。慶が画面に映るのはゲームの準備をしている間に、コメント欄を読み上げる時という感じになった。
目線を少し下げコメント欄が表示されている画面を見る、その時に少し前髪の半分ぐらいをかき上げた。おでこが少し見えた。そしてそのまま、全体を映すカメラを見た。少しだけ斜め上を見上げるような形になりコメントを読み上げた。カメラがチームゲームの準備し終わった方にスイッチングする。カメラに自分が映る事が無い事を確認して、慶は自分の前髪を直した。
対面ではあまりバレる事は無いが、照明の光が当たると少し優しい茶色になる慶の髪質。そして、おでこのテカリを隠しつつ、他のメンバーとは被らない為重めの前髪をキープしている。
善之はその一瞬を見逃さなかった。打ち合わせの時はなんか地味で数合わせのアイドルだな。でも15人もいればこんなものなのかと思いながら、今仕事をしていた。カメラマンを目指しながらも、それだけでの生活はまだ難しいだからこそ、自分の写真をSNSで載せ単発での仕事依頼を大切にしている。今日の仕事も今後また単発での仕事を貰えればと思うぐらいでいた。「こいつを撮りたい」うまく言えないが本気で思った。売れるカメラマンになるには、大体が女性を被写体にしたグラビアが登竜門のような思いでいたが、「こいつを撮ることで有名になる」と本気で考えた。
締めの言葉で、2列目センターの慶にカメラがズームされ、「これからも、cottonをよろしくお願いいたします。直接皆さんに会えるのを楽しみにしております」と伝えた所で配信は終わりを迎えた。
アーカイブにも残るので、優輝はしっかりと眺めていた。そして、後日に公開されたマネージャやスタッフの方たちが撮った写真をSNSに載せていた。善之が見逃さなかった、前髪をかき上げた姿も残っていた。伯母の配慮があったのか、若いメンバーたちがあまりにも無防備な姿だったから映せなかったのか、心なしか最年長メンバーの写真が多いような気がした。
俺が疑問に思うまで
今まで、シフト調整や送迎の時間まで勤務が可能、そして女性職員とも上手くなじみ、俺の話も聞いてくれた。そして話してしまった。趣味の事まで。
週に2‐3日の勤務であったとしても職場では会うし、何よりもアーカイブ動画と共に公開されたオフショット。“制服組”が推しのオタクからしてみると物足り無いものであったが、AGATAが推しの自分からしてみると、とても見ごたえのあるもので、思わずスクショした。
自分の勤め先のバイト職員がアイドル?しかも推し? 地味目でさほど目立たない感じだしアイドルというイメージではない。おでこも全開にしている。そりゃ少し愛想のいいバイトだとは思った事もあるが、彼が正規職員だったら褒められるレベルではなく、出来て当たり前のレベルだと思う。実はAGATAと山縣慶は同一人物なのではと思うほどである。
オンラインイベントなども含めるとかなりAGATAに会ってきた。いつも画面に映る自分の緩まった笑顔が恥ずかしいと思うぐらい推していた。もし同一人物だとしたら、もし俺だとバレていたら、思い返せば、12月の2カ月ぶりに会えたイベントで若林さんと言われたのは、バレていたのか、だとしたらなぜ声をかけて来てくれない。推しの話したのに、バレているのに俺の話を聞いているなんてと考えてしまう。
一人で悶々と考えている内に、慶から「バイトを辞めたい」と言われた。武部に確認したところ「親戚の会社の手伝いが忙しくなったためと聞いてますよ」と答えが返ってきた。まぁもともとフリーターで、1年未満で退職する職員などは珍しく無い。気にするレベルの事ではない。でもなぜ数少ない男性スタッフが辞めてしまうのかという表面上の理由を武部に伝えた記憶までは残っている。
慶の退職手続きがおわった頃、AGATAは単独でのSNSでイベントの回数が増えてきた印象だ。あとは後日貸与していた制服を持ってきてもらえてばお別れといた感じだろうか?少し寂しい気持ちが残っている。そんな中AGATAが週刊誌に載った。週刊誌に載るとなると恋愛話が多い印象があるが、今回は地下アイドルのバイト事情のようなものであった。決してAGATA一人の特集ではない。デイサービス近くにあるスーパーと同じ会社のスーパーでお気に入りのキャラクターがおまけで付いているペットボトル飲料を買っていた。スーパーなどいくつもあるのだから必ず同じという訳ではない。
美沙から、シフトの写真を送ってもらった。アイドルと叔母の会社の手伝いだけで食べていけるようになったからこそ、バイトを辞めた。美沙からは「今月のシフトだから、休みの日被っていたら、また遊びに行こう」とメッセージと共に送られた写真はシフト表全体が映っていた。シフト表を見てどうせならお世話になった人がいる日に行きたいと考えていた。
慶自身最後に慶として若林に会いたかった。以前のSNSイベントにて「街で見かけたら、声掛けてもいい?」と言われ「もちろん。そしたら握手しようね」「でも、普段と違って眼鏡だから気付かれないかも」と伝えた記憶がある。そしてその質問に優輝は「絶対に気が付く。約束だ」と啖呵を切っていた。悔しいけど古参に気が付かれなかったのが寂しいのか、それとも優輝だから寂しいのか本当に歯がゆい気持ちだ。借用物品返却届にサインをして、帰宅する時に優輝がいたので、こっそりとそばにあった付箋に「結局、握手できなかったね」と文字をしたためた。手に隠し持つような形で席から立ち、最後の挨拶を職員用通用口でした時に優輝の唇に張り付け、外に出た。
あっけにとられた優輝はしばらく固まってしまい、慌てて駐車場に出た。慶の後ろ姿を追いかけ、右手で左手首を掴んだ。慶を軽く引っ張り、自分が慶の進行方向を塞ぐような形になり目と目が合う。追いかけたはいいものの口がこもる。慶が慶の顔でなくAGATAの表情で「僕らのテーマは“あなたに触れら。。。」とつぶやくと最後まで伝える前に、唇を塞がれた。決して付箋のような乾いたものではなく、ぬくもりを感じるもので。
後日談として、武蔵亮に写真を撮られていた事に、山縣みすずから教えられた。大手事務所では無い為、写真のデーターと何かを交換などの交渉などは無いが、週刊誌の小さな記事として載るらしい。ATAGAはいかにも他人事のような気持ちで話しを聞いていた。そこを社長である叔母は見逃さなかった。溜息ともに「あんたらしいわね」「責任を取ってアイドルは続けなさいよ。cottonがつぶれるまでね。それが最年長としての責任よ。あんたのファン層の平均年齢高いんだから」と言われた。
幸い、社長の思惑通りというか、BLブームなどもあってかAGATAらしいという感じでチームの認知度の急上昇につながった。