シャーロットの赤いマントと金の刺繍
豪華絢爛なサジタリアス王城から北の位置。
日の半分は王城の影がかかる場所に、アンドリュース公爵のタウンハウスは建っている。
白亜のアンドリュース城と同じく屋敷の壁は白を基調とした花文様のレリーフが刻まれ、色鮮やかなステンドグラスの窓がタウンハウスの美しさを引き立たせるが、建物背後には最下層の者が住む貧民街が広がる。
シルビア生誕祭一週間前に王都入りしたシャーロットは、タウンハウスの天蓋付きベッドの上でチクチクと針仕事に勤しんでいた。
『僕がゲームのシャロちゃんフィギュアが欲しすぎて、同じ顔のシルビアフィギュアを加工して衣装を作ったテクが、まさか異世界で活かせるとは思わなかった』
「ゲームオ様、夜中に針仕事をしたら、シャーロット様の目が悪くなってしまいます」
エレナはシャーロットの手元をランプで照らしながら、戸惑った様子で声をかける。
中の人は王都に到着してから、夜中じゅう赤いマントに金の糸で複雑な模様の刺繍を刺した。
『あと四日でマントの刺繍を仕上げないと、生誕祭に間に合わない』
壁に掛かるカレンダーの赤い日付、シルビア生誕祭はサジタリアス王国祝日として定められている。
『そういえば姉のシャロちゃんが秋生まれで、妹シルビアが春に生まれるって早すぎる。妊娠期間十月十日の計算が合わない』
「シルビア様は手のひらに乗るほど小さく産まれ、自らの五つ星魔力で育ったと聞きます。母親を苦しませず産まれた親孝行な娘だと言われています」
『へぇ、知らなかった。早産で未熟児だったシルビアは、自らを治癒して成長したのか』
同じ年子でも、巨人族の血を引く頑丈なシャーロットと未熟児のシルビアでは、母親メアリーは弱い方を守ろうと愛情を注いだ。
もしかしてシルビアが早産で生まれたのは、シャーロットの【老化=成長促進】が原因かもしれない。
でもなんだか腑におちない、気になるな。
「それよりもゲームオ様が一晩中目を酷使しているせいで、シャーロット様は目の下に濃いクマができて、昼間とても眠たそうにしているんですよ」
エレナに愚痴られた中の人は、しぶしぶ針仕事をやめる。
赤いマントの刺繍はヘキサグラム魔法陣模様で、中心には半魚の女が自分の尻尾を掴んで丸くなり二重円の周囲に古代語呪文が書かれていた。
「ゲームオ様、この怪しげな魔法陣で何ですか?」
『これはゲームキャラを上限解放する時に使われた魔法陣。クレカ枠限界まで課金してガチャを数千回まわしたせいで、魔法陣の残像が眼球に焼き付いて寸分間違えず再現できる』
ゲームの三段階上限解放は、魔法陣上で同血族&星上位キャラクターカードを消費してランクをあげる。
砂漠で魔亀数十匹とキング魔亀六匹討伐したシャーロットの魔力は、四つ星レベル320MAX。
シャーロットの三段階上限解放には、血の繋がった姉妹である五つ星魔力シルビアを消費する必要があった。
しかしメインヒロイン・シルビアは、初回ゲームログインでしか入手できない超激レアキャラ。
中の人はたった一枚のシルビアカードを使ってシャーロットの三段階上限解放を試みたが、ゲーム強制力が働いてシルビアを消費出来なかった。
『見栄っ張りの母親メアリーは、シルビア生誕祭にクレイグ伯爵家一族を招待しているはずだ。シャロちゃんが強くなるには血族から魔力を奪い、三段階上限解放するしかない』
「だからシャーロット姫は、僕をスパイとしてクレイグ家に潜り込ませたの? いくら身内でも魔力強奪は犯罪だよ」
客間の隅に控えていたジェームズは、甘いマスクの色男アートを部屋に招き入れる。
ひとたらしで芸術面に優れたインキュバスのアートは、クレイグ伯爵家執事に化けて情報収集を行っていた。
『クレイグ一族はシャロちゃんの父親の稼ぎを散財して贅沢三昧。クレイグ家のタウンハウスには、毎日宝石商が訪問しているんだろ』
「でもクレイグ伯爵家代理のスコット様とご家族、特に大奥さまはとても優しい人だから、イジメないでほしいな」
『スコット一家はシャロちゃんの母親に媚びて、クレイグ伯爵家の管理を任された。手加減する気はないね』
中の人がよこせと手を差し出すと、アートは渋々スケッチの束を渡す。
白黒写真の様に精密な神絵師アートが描いた姿絵は、露出多めのドレスを着た夫人や若いメイドが多い。
シャーロットの中の人がパラパラとスケッチを確認していると、なぜか老婆の絵姿に手が止まる。
『アート、この婆さんは誰だ?』
「フフフッ、婆さんなんて大奥様に失礼だよ。彼女はスコット様の母君で南海國の元王族、サジタリアス王国に嫁いで三十年経っても冬の寒さに慣れないらしい」
かなり親しげなアートの口調に、どうやらインキュバスは老女を気に入ったらしい。
シャーロットの中の人は、分厚いスケッチの束から老婆の姿絵を選んでテーブルの上に並べる。
『この姿絵はどこかで見た覚えが。いいや違う、この足の指とか耳の形とか面影が同じだ!!』
老婆の膝下から足先までのスケッチを見た瞬間、手が震え額から冷や汗が流れる。
シャーロットの記憶を押し退けて、僕の記憶の様々なゲーム映像がフラッシュバックした。
『クレイグ一族の情報収集で、こんなとんでもない秘密が出てくるなんて。アート、お前が描いたスケッチはこれで全部か?』
「フフフッ、シャーロット姫の御命令通り、親族の顔形背格好、つむじの位置まで全部描いて持ってきたよ」
それを聞いた中の人は背中の曲がった老婆の姿絵をぐしゃぐしゃに丸めると、他のスケッチを乱暴にかき集める。
『ふふっ、なんて笑っている場合じゃない。スケッチは一枚残らず燃やして証拠隠滅だ!!』
叫ぶと同時にシャーロットの指先から火魔法が放たれ、老婆の姿絵が赤々と燃える。
中の人の普段とは違う真剣な様子に、エレナは無言でスケッチを暖炉の中に放り込み、アートはそれを唖然と見つめた。
『なぜシャロちゃんが子供部屋に閉じ込められていたのか、シャロちゃんの親権を手放さないのか、やっと分かった。秘密を知っているのは、きっと僕とあの女だけ』
燃え上がる姿絵を眺めるシャーロットの髪がザワザワと蠢き、赤黒いオーラが漆黒に凝縮される。
『シャロちゃんは今でもあの女を愛しているけど、僕は絶対許さない』
インキュバスのアートは、暖炉に残ったスケッチの燃えカスを見て肩を落とした。
「ああっ、僕の力作がぁ。シャーロット姫、僕の役目は終わりですか?」
『そういえば他のスケッチと違って、大奥様の姿絵は肌に質感があって、瞳がとても繊細で丁寧に描かれていた』
「フフフッ、シャーロット姫は僕が大奥様に恋したってわかるの?」
インキュバスは瞳を潤ませて乙女のように恋バナを語り、エレナとジェームズは驚いた顔をしている。
『インキュバスは高位の魂を好む。若いだけの貴族女より、歳を取っても王族の血を持つ大奥様は魅力的だろ』
「そうだよ、僕は大奥様が大好き。フフフッ、彼女は不思議な魅力のある愛らしくて素敵な人」
これはゲームで勇者と出会ったサキュバスと同じ、高位の魂に魅了された泥酔状態だ。
『今まで通りアートは役目を続行、大奥様から情報を引き出してくれ。ジェームズ、クレイグ一族の中で魔力持ちは誰だ?』
部屋の隅に控えて一部始終を見ていたジェームズは、一度大きく息を吐き出した後、淡々とした声で告げる。
「クレイグ一族で魔力持ちは五つ星のシルビア様、そして母メアリー様も四つ星魔力持ちです」
『ジェームズ、シャロちゃん後見の話しあいは何時行われる』
「アンドリュース公爵とメアリー様の協議は、生誕祭夕刻に予定されていますので、その時行動なさると良いでしょう」
「シャーロット様のためなら魔力強奪も仕方ありません。ゲームオ様、昼間は私がマントに刺繍をさします」
シャーロットを育児放棄した上で悪しく語る母メアリーに、エレナとジェームズは一片も慈悲の心を持たなかった。
シルビア生誕祭、二日前。
王族の用事が忙しくタウンハウスに戻れないアンドリュース公爵は、シャーロットのために王都で一番人気の仕立て屋を呼んだ。
客室と続きの部屋に、大きく膨らんだ袖に幾重にも重ねられたレースの縁取り、胸の大きなリボン、腰を皮のコルセットで締め上げたフルリで彩られた数十点のドレスが運び込まれる。
一着目のドレスを試着したシャーロットを見て、エレナは思わず歓喜の声をあげた。
「太陽の様に輝く黄金色の髪と、少し日焼けした小麦色の肌にゴージャスなドレス。なんて美しい黄金の女神。私のシャーロット様が可愛すぎますっ」
普段シャーロットは少し個性的で奇抜なドレス(アザレアデザイン)を着ている。
メイドのエレナは、シャーロットに少女らしさを詰め込んだ可愛らしいクラスカルなドレスを着せたいと、心密かに思っていた。
しかし辺境からラドクロス領、そして砂漠生活で野性味の増したシャーロットにとって、体を締め付けるドレスは窮屈すぎた。
「ねぇエレナ、ドレスの裾が長すぎて歩きにくいわ。短く切ってちょうだい」
ドレスを摘んで膝上にたくしあげるシャーロットに、着付けを手伝うアンドリュース家メイドは驚き、エレナは慌てて止める。
「シャーロット様、貴族の女性にとってドレスは鎧と同じです。強いモンスターに挑む時、装備を整えるのは鉄則。明後日の生誕祭はドレスという装備で挑まなくてはなりません」
「妹シルビアの誕生日に、強いモンスターが出現するの?」
「ええ、そうですシャーロット様。敵は人の姿をした手強いモンスターなので、ドレスを装備して誰よりも美しく着飾る必要があります」
生誕祭に現れる最強モンスターは母親メアリーです、とエレナは心の中で呟きながらシャーロットを説得する。
エレナの気迫に押されたシャーロットは大人しくドレスの試着を続け、ゴシックロリータデザインのエメラルド色のドレスを選ぶ。
それから針子五人がかりでお直しさせて、夜半近くにドレスが仕上がった。
『白亜のお城やタウンハウスの装飾を見てなんとなく予想してたけど、レースにフリルにリボン増し増しで、アンドリュース公爵って乙女趣味?』
「あら、まだゲームオ様が出てくる時間じゃありませんよ。どうです、私のシャーロット様は誰よりも美しいでしょう」
姿見に映るシャーロットは生気に溢れ輝くように美しく、エメラルド色のドレスがとても良く似合う。
ゲームでは執着と狂気をまとう悪ノ令嬢シャーロットだったが、今のシャーロットは素直で優しく少し残酷な娘に育っている。
もう一度鏡に写った自分の姿を見て、小さな違和感を感じるが、それが何かわからない。
『まぁいいや。僕のシャロちゃんがシルビアと並ぶ姿を見るのが楽しみだ』
しかし生誕祭前日、全ては破壊される。
+++
豊穣の聖女候補シルビア生誕祭前日。
王都聖教会の周囲で、奇跡を待つ人々の数は万を超えていた。
「聖女シルビア様、俺の眼が見えるようにしてください」
「お願いしますシルビア様、どうか病を治してください」
「シルビア様、シルビア様、シルビア様シルビアシルビアシルビアシルビア」
熱に浮かされた様な大衆の声は、大きなうねりとなって王都中に響き渡り、聖教会最奥に位置するシルビアの部屋にまで届く。
明日に備えて早めに休もうとしているのに、地鳴りのように自分を呼ぶ声が聞こえる。
シルビアは頭から布団をかぶると、耳を塞いで目を固く閉じて、豊穣の女神様への祈りの言葉を呟く。
ウトウトとやっと眠気がきた頃、突然寝室の扉が激しく叩かれ、数人の騎士と神官が部屋に入ってくる。
「大変です、急いで起きてくださいシルビア様!!」
シルビアは、夜中に叩き起こされる事に慣れている。
眠気で意識朦朧とした体を起こす前に、白銀の鎧姿の騎士が乱暴にシルビアの体を揺さぶる。
「早く目を覚ませ、フレッド殿下が魔人に襲われて大怪我を負った!! 聖女の治癒魔法が必要だ」
騎士はシルビアの腕を掴むと、寝衣姿のまま肩に担ぎ上げて走り出す。
聖教会の中で法王に次ぐ地位のシルビアを、一介の騎士が荷物のように扱い連れ去る。
すっかり目が覚めたシルビアが逃げようと身を捩ると、騎士に頭を強く叩かれた。
「黒装束の神官たちは、聖槍の儀式を行うと言って、フレッド殿下直属の我々を部屋から追い出した」
「神官や聖女が結界をマトモに張れないから儀式は失敗して、現れた魔人に次期国王フレッド殿下が襲われた」
「お前が聖女なら、その責任を取れ!!」
サジタリアス王族の近衛騎士は、聖教会裏門に待機していた軍用馬車にシルビアを放り込む。
馬車は走り出そうとして、しかし王都聖教会の周辺は大勢の人々が道に溢れている。
「邪魔だぁ、道を開けろ!! 時間が無いぞ、急げ。王家の馬車を遮るものは蹴散らせ」
車輪が何かを踏み潰し人々の悲鳴が聞こえても馬車は止まらず、凄まじい速さで王宮に向かう。
激しく揺れる馬車の中、シルビアは何も考えられずひたすら祈りの言葉を呟いた。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。
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