女公爵シュシュ・ポーラス
魔白羽蟲のスタンピードはローラドの街の手前で進行を停め、六つ星壊滅光魔法で駆除された。
領地の半分が焦土となったが、ラドクロス伯爵も農民達も和やかな表情でアザレアの馬車を見送りに来ていた。
大活躍だったシャーロットは、馬車の座椅子で横になって爆睡している。
「それではアザレア様、ひと月後の結婚式までに薔薇魔蜘蛛刺繍のヴェールを修繕します。私たちは喜んで式に参加させて頂きます」
「ラドクロス伯爵、スタンピード被害で領地の復興にお忙しいでしょう。ご無理なさらないでください」
領地半分が使いモノにならなくなったのに、ラドクロス伯爵に悲壮感がない。
「ああ、それなら大丈夫です。アンドリュース公爵のご配慮で、国に収める五割の小魔麦税が二年間免除されました」
不思議そうに首をかしげるアザレア、伯爵の後ろに控えていた神官ホプキンスが一歩前へ進み出る。
「ラドクロス領の小魔麦は、以前と比べ収穫量が三倍に増えているのです。そして豊穣の女神アザレア様と王太弟殿下のおかげで、小魔麦は半分残りました」
「小魔麦税五割を国に納める必要がなくなったので、領民が食べていけるだけの小魔麦は確保できるのです」
「えっ、国に納める穀物税は二割なのに、ラドクロス領は五割も納めているのですか?」
ラドクロス伯爵の説明では、十年前の干ばつで前代の領主が国から多額の借金をして、穀物税が五割増やされた。
「ちょうど税金分の小魔麦畑がダメになりました。王領の備蓄がどれだけあるか分かりませんが、連中は食料の小魔麦より、豊穣祭に飾る花を選んだのだから自業自得でしょう」
穏やかに微笑んでいたラドクロス伯爵の口元が、一瞬だけ意地悪く歪む。
「でもラドクロス伯爵、家や畑を失い生活に困る領民もいるでしょう。辺境伯領に出稼ぎに来てくだされば、魔物狩りの報酬を一割増しで与えます」
「おおっ、それは助かります。では私の方も、もし小魔麦が余れば辺境伯領に安くお売りいたします」
ゲームの白い厄災で全滅したラドクロス領は、現実ではスタンピード被害を半分に抑えた。
しかしスタンピードの被害に遭ったのはラドクロス領だけではない。
豊穣の聖女候補シルビアの結界で被害ゼロの王領に、土地が滅んだ東領チェスと中央領デニールの避難民が押し寄せていた。
*
ラドクロス領の滞在を終えて辺境トーラス領に戻れば、アザレアはダニエル王子との婚礼の準備でスタンピードの出来事を忘れてしまうほど大忙しになる。
第五王子ダニエル・サジタリアスは王籍を抜け、男子のいない辺境伯トーラス家へ婿入りする。
ふたりの結婚式は王都豊穣祭の十日前に行われるため、貴族に送った招待状はほとんど断られ、身内と領民でささやかに行われることになった。
結婚式、三日前。
婚礼を取り仕切る神官ホプキンスは大勢の人々(信者)を引き連れ、聖地巡礼のように辺境伯領へやって来た。
結婚式の行われるミラアの街にアザレア信者数百人が詰めかけ、小さな教会では対応できないので、街一番の巨大建物・冒険者ギルドに信者を収容したと連絡が入る。
知らせを受けたアザレアとシャーロットは、急いで冒険者ギルドへ向かう。
「神官ホプキンス様。わざわざこのような辺境の地まで、ようこそおいでくださりました」
「女神アザレア様。アンドリュース公爵がラドクロス領を更地にしてくれたおかげで、高い山も険しい谷も消え、何の障害もなく辺境伯領に入れました」
笑えない冗談を言う神官ホプキンスに付いてきた信者達は、殆どが家も畑も失った人々だが悲壮感はない。
荒くれ者冒険者ギルドの中にいても、スタンピードの地獄を見たラドクロス領の人々は、肝が据わった様子だ。
「辺境伯領周辺には牛サイズのダークムーンウルフの群れがいるのに、よくご無事でしたね」
「アザレア様、これをご覧ください。六つ星壊滅魔法の残り魔力の宿る岩をお守りにすると、モンスターに遭遇することなくミラアの街に入ることが出来ました」
嬉しそうに話す神官ホプキンスは首から女神像をさげて、信者達も黒い岩で出来た荒削りの女神像を持っている。
六つ星壊滅魔法を帯びた跡地は死の土地と呼ばれ、魔物が恐れ寄りつかない。
「ダークムーンウルフが避けるとは、強力な魔除けアイテムだ。神官さん、その女神像を見せてくれ」
人の出入りの多い冒険者ギルド、アザレアと神官の話に聞き耳をたてていたギルド受付が思わず声をかける。
周囲にいた冒険者も信者から女神像を見せてもらい、鑑定して本物だと騒ぐ。
「こりゃすごい、三つ星魔獣程度なら寄せ付けない、中級護符以上の効果がある」
「神官さん、俺は明日ダンジョンに挑むんだ。この女神様のお守りを売ってくれ」
「そうですね、女神像は銀貨五十枚ですが、アザレア教に入信すれば格安お譲りしましょう。今入信すれば女神像(中)半額に、携帯に便利女神像(小)を二体お付けします」
素人が岩を彫っただけの女神像を、中級護符より高値で売りつける。
神官ホプキンスは信者達を食わせるために、冒険者から寄付やお布施を搾り取る気満々だ。
「アザレア教に入信したら、半値で女神像が三体も買えるのか?」
「神官様、女神アザレア教って、王都聖教会の豊穣の女神と何が違うのですか」
「我々が崇めるのは女神アザレア様と天使シャーロット様。王都聖教会にいる聖女候補より、女神と天使の方が格上です」
上級薬草ポーションと魔物避けの護符は、王都聖教会の大切な収入源。
しかし効果は同じで価格は半額なら、人々は安い方を選ぶ。
その後女神像は、ラドクロス領の行商人から市場へ大量に流れ、王都聖教会の護符の売り上げが半減することとなる。
そして結婚式の前日。
サジタリアス王国第二の都市・南領の女公爵シュシュ・ポーラスは、豊穣祭参加を取りやめてアザレアたちの結婚式に駆けつける。
「このたびのスタンピードでアザレア様は、魔白羽蟲が我がポーラス領を襲うのを食い止めたと伺いました」
「どうかシュシュ様、私のような田舎娘に頭を下げないでください」
健康的な小麦色の肌に魅惑的で豊満な胸元、王族の血筋を示す鮮やかな赤毛を持つの女公爵シュシュは、アザレアに深々と頭をさげる。
サジタリアス王国で一番小さな領地だが、十二の島と良港を持つ貿易都市ポーラスは、王領と同等の経済力がある。
「女好きの第三王子フレッドより先に、地味な末席のダニエルが結婚するとは驚いた」
「大変お久しぶりです。シュシュ叔母上」
女公爵シュシュに声をかけた青年は、アザレアの隣に立つと肩に手を回しながら会釈する。
「誰だお前? その赤い髪と光の無い瞳は、もしかしてダニエルか」
細身でしなやかな体型だったダニエル王子は、北要塞で五回ほど瀕死になるほどしごかれ、見事な肉体改造を果たす。
身体が厚みを増して胸筋がムキムキと盛り上がり、はち切れそうになった婚礼衣装を慌てて仕立て直された。
「初々しくてどこか影のあるダニエルが、冒険者酒場にたむろするむさ苦しい男のような体型になるなんて!!」
「シュシュ様、そんなことありません。以前のダニエルは弟のようで可愛かったけど、今はとても逞しく頼りがいがあって素敵です」
ちなみにシャーロットは、筋肉たいそうボディビルダー体型になったダニエル王子を見て、オーガに取り憑かれたと勘違いしてしばらく避け続けた。
「ふたりとも、新婚旅行はぜひ我が貿易都市ポーラスへ寄ってくれ。今の時期は船に乗って無人島周遊クルーズがお勧めだよ」
「シュシュ様、ありがとうございます。是非ポーラス領へお伺いさせて頂きます。そういえば紹介が遅れました。彼女はスタンピード討伐に協力してくれた、私の天使、シャーロット・クレイグ伯爵令嬢です」
アザレアの後ろに控えていた金髪の少女が恭しくお辞儀をすると、女公爵シュシュ・ポーラスは驚いたように目を見張る。
「この子がクレイグ伯爵家のシャーロット? なんて愛らしい、噂とは全然違う。メアリーにとてもよく似た美しい娘だ」
「えっ、メアリー様とはもしかして、クレイグ伯爵夫人のことですか」
「ああそうだ、シャーロットと豊穣の聖女候補シルビアの母親。私とメアリーは貴族女学院の同期だった。メアリーはシルビアに付き添い、王都で慈善事業を行っていると聞く」
「シュシュ様、シャーロットちゃんの前で……母親の話は」
「私の方がシルビアより、お母様に似ているの?」
慌てて話を止めようとするアザレアと、瞳を輝かせて話を聞こうとするシャーロット。
女公爵シュシュは不安げなアザレアに目配せすると、シャーロットに笑いかける。
「メアリーはダンスがとても上手で、優雅で軽やかに踊る、黄金の薔薇メアリーと呼ばれていたよ」
「シュシュ様、私もダンスは大好きです」
そう答えるとシャーロットは、隣に立っていたメイドの手を取りダンスを踊り出す。
子供の遊戯だと見守っていた女公爵シュシュやお付きの人々は、シャーロットとエレナの超絶技巧なアクロバットダンスに驚く。
シャーロットは背の高いメイドの肩に両手を乗せて勢いよく飛び上がり、頭上まで舞い上がると歓声と手拍子が沸き起こる。
「あははっ、ダンスは娘の勝ちだな。あのメアリーでも頭上で一回転はしない」
「シャーロットちゃん、ダンスはここまでにしましょう。本番は私の披露宴よ」
アザレアに言われて、シャーロットは優雅に膝を折りシュシュに挨拶をすると、ドレスを着替えるため部屋に下がった。
楽しげに微笑んでいた女公爵シュシュに、アザレアは小声で尋ねる。
「シュシュ様、シャーロットちゃんは《老化・腐敗》呪いで母親を苦しめていると、長い間子供部屋に軟禁されていました。それをダニエル王子が救い出して我が家で保護しています。私はメアリー夫人が、娘シャーロットの悪い噂を流す理由が分かりません」
「メアリーは聖女候補シルビアを溺愛して、自分の若い頃瓜二つのシャーロットを迫害するのか。あの一族全員、デニス・クレイグ伯爵の稼ぎで贅沢三昧しておきながら、彼の娘にそのような事を」
女公爵シュシュは意味深な言葉を呟いた。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、ありがとうございます。とても助かります。
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