白い厄災5
天変地異レベルの六つ星魔法は、敵味方関係なく、存在するモノ全てを破壊する。
「では神官、他に良い方法があるのなら教えて欲しい。小魔麦をたらふく喰って繁殖し、数を増した魔白羽蟲はラドクロス領を南下するだろう。その行き先は人口十万の第二都市ポーラス」
さらにポーラスの先、海境を越えスタンピード被害が隣国に及べば、間違いなく国際問題になる。
「私はサジタリアス王族として、この地で魔白羽蟲を殲滅する。その責任はスタンピードが発生した廃神殿の管理を怠った聖教会にもあるのだ」
アンドリュース公爵の厳しい声に、神官ホプキンスは怒りを抑えるように赤煉瓦の壁を拳で何度も叩く。
「あの腐りきった王都聖教会のせいで、ラドクロス領が犠牲になるのか。私は小魔麦畑で懸命に働いている人々に、何と言い訳をすればいい」
神官ホプキンスの悲痛な叫びに、誰も答えることは出来ない。
アンドリュース公爵の腕の中で眠りかけていたシャーロットの中の人も、嘆きの声に反応して再び目を覚ます。
『むぅ、騒がしくて眠れない。アンドリュース公爵の六つ星光魔法って、光属性以外のSSモンスターを全体連続攻撃するヤツだ。無数の光柱が空から降り注ぎ、全てを焼き尽くす天災級の広域壊滅魔法』
ゲームでは勇者が六つ星魔法を習得すれば使える魔法で、派手に光るエフェクトの呪文詠唱ムービーが三十秒も続き、スキップできないとユーザーから不満の声が上がった。
「その通りだ。やはり夜の君は我々以上に魔法に詳しい。私はラドクロス領を滅ぼしてでもスタンピードを止める」
「アンドリュース叔父様、他に何か方法はないのでしょうか。美しい小魔麦畑を焦土にするなんて」
豊穣の女神を演じたアザレアの脳裏には、彼女を慕ってきた人々の顔が浮かぶ。
彼らの未来が絶望しかないと知ったアザレアは、感情を堪えきれず声を殺して泣く。
「どうして、女神様が泣いているの? 私が虫網で悪い虫を全部捕まえて『うわっ、今シャロちゃんは出てきちゃダメ!!』」
アザレアの嘆きの声を聞いたシャーロットは意識を浮上させ、中の人は慌てて自分の口を押さえたが、再び足をばたつかせ始める。
『このままじゃ、シャロちゃんは怒り狂って魔白羽蟲の群れに特攻する。エレナ、なんとかしてシャロちゃんを説得してくれ』
「落ち着いてくださいシャーロット様。もっと大きくて丈夫な虫網でないと、凶暴化した魔白羽蟲に咬み千切られてしまいます」
『エレナ、それは説得じゃなくてアドバイスだ。数千万匹の魔白羽蟲を掴まえる虫網なんて存在……いや、待てよ。そうだ、アザレア様の風魔法・千本之矢がある!!』
シャーロットの中の人はラドクロス公爵に抱きかかえられたまま、アザレアに手招きをする。
アザレアは首をかしげ、涙を拭いながらシャーロットに近づいた。
「シャーロットちゃん、それは無理よ。風魔法で矢を操れても、羽虫は小さすぎて矢で射っても仕留められないわ」
「ゲームオ様、もしかして千本の矢ではなく、千本の虫網で魔白羽蟲を捕らえるつもりですか」
『アザレア様は風魔法で千本の矢を思い通りに操るから、ヴェールに縫いつけた千枚のアイスドラゴンの鱗も操れるはずだ』
そもそもシャーロット達がスタンピード騒動に巻き込まれたのは、ひと月後に行われる婚礼用のヴェールを受け取りに来たからだ。
白く輝く美しいヴェールは、アザレアの豊穣の女神演出にも一役かっていた。
「でもシャーロットちゃん、ヴェールを大きな虫網にするなんて、そんなこと出来るかしら?」
『ヴェールの素材である薔薇魔蜘蛛の糸は、元々獲物の昆虫を捕らえるモノ。そしてアイスドラゴンの鱗はグリフォンを傷付けるほど強靱だ』
「確かにこのヴェールは、纏って風を起こせば私の身体を持ち上げるほど丈夫に出来ているけど、羽虫を全部捕まえるなんて無理よ」
シャーロットの突拍子もないアイデアに、アザレアは戸惑いの色を隠せない。
『アザレア様の風魔法・千本之矢で魔白羽蟲を捕らえるのではなく、ヴェールを使って一カ所に誘導するんだ。僕の知るゲーム、白い厄災でラドクロス領は滅んだけど、スタンピードの進行を抑え壊滅魔法の範囲を限定すれば全滅は免れる』
そこまで言うと抱きかかえられたシャーロットの身体が大きく揺れて、アンドリュース公爵が驚いた顔で彼女を見つめていた。
『天災級の六つ星広域壊滅魔法が行使されると、土地は十年使いものにならない。だけど地面にシャロちゃんの足跡を残せば《老化・腐敗》呪いが発動する』
「なるほど。私の無慈悲な壊滅魔法の被害が、《腐敗=成長促進》呪いの八倍速で一年と数ヶ月に短縮される訳か」
「素晴らしいわ、シャーロットちゃん。その方法なら来年は無理だけど、二年後の春には畑も復活する」
『地面にしっかりと、シャロちゃんの足跡を付けるために、ムア爺さんの土、魔法、を』
言葉が途切れ、アンドリュース公爵は腕の中をのぞき込むと、シャーロットはやりきった顔で熟睡していた。
しかしアザレアたちの会話から、神官ホプキンスは答えにたどり付く。
シルビアの教育係だったホプキンスは、姉シャーロットの《老化・腐敗》呪いについてある程度知っていた。
「なぜ子供のシャーロットの意見に、アンドリュース公爵やアザレア様は従う? それに腐敗の呪いで時を縮める話が本当なら、小魔麦が一晩で実ったのはアザレア様の加護ではなくシャーロットの……うわぁ!!」
背後に控えていたメイドがホプキンスの片手をねじり、首筋に短剣を押し当てる。
「神官ホプキンス、シャーロットの力は我々だけの秘密。もしシャーロットの力を王都聖教会に報告するなら、魔白羽蟲と共に消えてもらう。神官が秘密を守るなら、私と辺境伯はラドクロス領を援助しよう」
「誰があんなクソ王都聖教会連中に告げ口するものか。大地に豊穣をもたらす神の御業をこの目で確認できたのだ。なんという僥倖、我が身は血の一滴まで豊穣の女神に捧げる」
首に当たる刃物も気にせず、感動で滂沱の涙を流しながら祈る神官ホプキンスを、エレナはちょっと嫌そうに眺めるとナイフをしまう。
「うっ、ジェームズに似た狂信者オーラを漂わせている。アンドリュース公爵殿下、この神官は信用しても大丈夫だと思います」
こうしてローラドの街の神官は、シャーロットの秘密の共犯者になった。
二つの月が頂点に位置する頃。
かがり火明かりに照らされた畑で、黄金色の麦の穂を刈り取っていた農夫は、ふと顔を上げる。
「なんだ、風もないのに、小魔麦の穂が揺れている?」
嫌な予感がして立ち止まった農夫の頬に、パシャリと何かが勢いよく当たった。
「痛い、なんだこりゃ。虫刺されじゃない、これは魔白羽蟲に噛まれた痕だ」
「おい、空を見ろ。西から黒い雲が湧いて、こっちに近づいてくる」
「ついにスタンピードが来た。みんなぁ、早く街の中に逃げ込め!!」
「起きましたか、ゲームオ様』
『エレナ、時計塔の頂上に行くぞ。現在異世界最強のアンドリュース公爵。六つ星広域壊滅魔法はどれほど威力か、この目で確かめる』
アザレアとアンドリュース公爵はすでにローラドの街を離れ、別荘に向かっている。
作戦では、出来るだけ魔白羽蟲を別荘周辺に集め、そこで一網打尽に駆除する。
ぐっすり寝て元気を取り戻したシャーロットの中の人は、時計塔の螺旋階段を駆け上がると、歯車部屋の扉を勢いよく開く。
空気をかき乱す不気味な魔白羽蟲の羽音が聞こえる。
二つの大きな月に照らされた小魔麦畑が、白い羽虫の大群に浸蝕されてゆくのが見えた。
『うわぁ、とんでもない数の魔白羽蟲が、津波のように押し寄せている!!』
ローラドの街の周囲、美しい黄金色の小魔麦畑は禍々しく蠢く白い羽蟲で覆われ、川は一瞬で魔白羽蟲に埋め尽くされ干上がり、溺れた死骸を共食いする。
その時、空から銀色に輝く小雨がパラパラと降り出した。
しかし雨が当たっても身体は濡れなくて、シャーロットは首をかしげる。
「魔白羽蟲の動きが少しだけ遅くなった。もしかして、この雨を嫌っている?』
「ゲームオ様、これは聖水の雨。神官ホプキンスの聖水結界です」
『しかし、この程度の小雨結界でスタンピードが防げるのか?』
ローラドの街の明かりは殆ど消え、人々は建物の中に避難している。
時計塔の下を見ると、神官ホプキンスと三十人ほどの信者が豊穣の女神をたたえる歌がきこえる。
スタンピードは次第にローラドの街に迫り、魔白羽蟲の津波が街を飲み込もうとした時、空から銀色に光り輝く物体が舞い降りると、魔白羽蟲の群れに覆い被さる。
『あれはアザレア様のヴェール。ヴェールに使われる薔薇魔蜘蛛の糸が伸びて、手前の畑を全部覆った』
ミスリル糸と同格の強度を持つ薔薇魔蜘蛛の糸は、美しい絵画のようなレース文様を広げながら、ローラドの街半分を覆える大きさになった。
「なんて神秘的な眺めでしょう。まるで空から女神がテーブルクロスを敷いたように見えます。しかし魔白羽蟲の数が多すぎて、百分の一も捕らえられません」
『それなら大丈夫だ。エレナ、あれを見ろ』
魔白羽蟲の群れに覆い被さったヴェールがゆっくり移動すると、細かく粉砕された蟲の死骸だけが残った。
『アザレア様のヴェールが、地面を覆い尽くした魔白羽蟲を芝刈り機みたいに刈り取っている』
ヴェールに縫いつけられたアイスドラゴンの鋭い鱗が、捕らえた魔白羽蟲を切り刻む。
エレナは時計塔の真下にいる人々に聞こえるように、声を大にして叫んだ。
「女神の聖なるヴェールがローラドの街を守り、スタンピードをくい止めています!!」
スタンピードの恐怖に怯えながら、必死で祈りを捧げていた信者達から歓声が上がる。
「女神アザレア様が、俺たちをスタンピードから守ってくれる」
「皆の者、豊穣の女神様の加護を信じ祈るのだ。ローラドの街に羽虫一匹入れてはならぬ」
神官ホプキンスと一緒に祈る信者は数を増し、魔白羽蟲の羽音を掻き消すほど大音量の女神賛歌が街中に響き渡る。
小雨だった聖水結界はどしゃぶりの雨となって、ローラドの街に降り注いだ。
畑に群がっていた魔白羽蟲はヴェールを越えようと高く飛ぶと、ヴェールは壁のように立ち上がり行く手を阻む。
それは天から下ろされたカーテンのようで、街の人々は空を仰ぎ直に女神の奇跡を見た
完全にスタンピードの進行が止まるのを確認すると、エレナが時計塔の大鐘を鳴らす。
シャーロット達が数日過ごした別荘の方向に紫色の細い光の柱が立ち、アンドリュース公爵の広域壊滅光魔法が行使される。
細い光柱は二本三本十本と増え続け、それが束になり太い光の柱となり、さらに太い柱が束になって、大地を眩い白い光が覆い尽くす。
白い光に触れた瞬間、あれほど騒がしかった魔白羽蟲の羽音が聞こえなくなり、緑の小魔麦で覆われた豊かな大地は光に飲み込まれ焼き払われる。
小高い丘の上に建っていた別荘も、少し離れた場所にあった農家も、氷のように溶けて蒸発した。
「なんという凄まじい魔法。光の中心、紫色を帯びた場所にアザレア様とアンドリュース公爵がいらっしゃるのですね。ゲームオ様、どうしましたか?」
光の柱を唖然と見つめていたシャーロットの中の人は、小刻みに震え出すと壁に背を預けて座り込む。
『こ、怖いっ。光の向こうに得体の知れない巨大な力を持つ、禍々しいなにかがいる。これほどの魔力、もはや人知を越えた神か……』
神か悪魔、それとも魔王。
シャーロットの中の人は、最後まで言葉を紡げなかった。
味方であればアンドリュース公爵ほど心強い人物はいないが、国王や法王から見れば彼はエンシェントドラゴン並みに恐ろしいバケモノで、その恐怖から常に暗殺毒殺を仕掛けていた。
大時計の秒針が三周する間に、六つ星壊滅光魔法で炙られたラドクロス領の半分が焼け野原となり、魔白羽蟲は全て駆除されてスタンピードは終わる。
朝日に照らされた時計塔の大鐘が五回鳴る。
スタンピードから生き延びたローラドの街の人々は、全てが焼き払われた荒野を見た。
「地面を覆い尽くしていた魔白羽蟲が、一匹もいないぞ」
「でも畑も家も何もかも無くなって、これからどうやって暮らせばいい?」
黒々と肥えていた土は光魔法の高熱で炙られて岩のように硬くなり、深く掘り起こしても小石と乾いた土しかでてこない。
畑だった場所を呆然と眺める農民達に、神官ホプキンスは声をかける。
「我々は冬を越せるだけの小魔麦を無事収穫できた。そしてスタンピードに打ち勝った」
「でも神官様、壊滅魔法の被害を受けた土地には、小魔麦どころか雑草一本生えなくなる」
思わず言い返した農民に、偏屈で有名な神官ホプキンスは穏やかな表情で微笑むと、両手を広げ大地に祈りを捧げる
「女神アザレア様を信じて土を耕すのだ。そうすればきっと荒れた大地に豊穣の加護が与えられる」
*
魔白羽蟲のスタンピードを止めるため、王太弟アンドリュースがラドクロス領の一部を壊滅魔法で滅ぼした話は、僅か半日で王都聖教会に伝わる。
「たかが羽虫退治で領地の半分を壊滅させるとは、死に損ないアンドリュース公爵はとんでもない疫病神だ」
「小魔麦の収穫量が増えてから、ラドクロス伯爵はずいぶんと偉そうにしていたから、ついに罰が当たったのだ」
「豊穣の聖女候補シルビア様の結界に守られた王領は、豊穣祭の花々が咲き乱れて、羽虫一匹飛んでいません」
早朝の祈りを済ませて食堂に集まった上級神官達は、テーブルに並んだ晩餐会のように豪華な朝食を食べながら会話を続ける。
「しかしラドクロス領は小魔麦畑が全滅して、明日喰うモノにも困るそうです」
「はははっ、スタンピードの被害を受けたのは、大した地位もない弱小田舎貴族ばかり。奴らが豊穣祭を欠席しても何の影響もない」
「そういえばここを追い出されたホプキンスは、ラドクロス領に行ったはず。スタンピードに巻き込まれて死んだんじゃないか?」
王都聖教会の神官達は、まるで他人事のようにスタンピード被害を笑い話にした。
しかし彼らは食卓に置かれた白パンが普段より少ないのに、全く気付かなかった。




