アルトゥル・アンドリュース公爵
今から二十年前。
サジタリアス王国にエンシェントブラックドラゴンが現れ、村や町を襲い王都に迫った。
年老いた王は王子達に、ドラゴンを倒した者を次期国王にすると宣言しエンシェントブラックドラゴン討伐を命じた。
「私はエンシェントブラックドラゴンを仕留め損ね、《即死》呪いに冒された。人々は私を死にぞこない公爵と呼ぶ。ゲームオと言ったか、君と話をしている次の瞬間にもバタリと倒れて死ぬかもしれない」
アンドリュース公爵は明日の天気の話でもするかのように、自分の生死の話をする。
『でも公爵は、ちゃんと生きている』
「単純に私の魔力がドラゴンより少しだけ多く、常時呪い返しを発動している状態だ。しかし強力な呪いを喰らって仮死状態になり、半年後目覚めた時には、エンシェントブラックドラゴンにとどめを刺した愚兄が王座に座っていた」
『えっと、弟の公爵はドラゴンを仕留め損ねて、ドラゴンを仕留めた兄が王になるのは、何もおかしくないけど』
「ここからは国王と数人の身内しか知らない真実。私がエンシェントブラックドラゴンを討ち取ろうとした瞬間、愚兄の従者がドラゴンを治癒回復させた」
『それじゃあ兄は弟を裏切って、王座を横取りしたのか』
確かエンシェントブラックドラゴンは、六つ星魔力のモンスター。
六つ星魔力の公爵なら同等に戦えるが、僅かなミスも命取りになる。
しかも実の兄が弟を裏切って手柄を横取りしたなんて話、ゲームシナリオのどこにも書いてなかったぞ!!
「エンシェントブラックドラゴン討伐メンバーで、私の友人聖騎士はダニエルの母親の恋人だった。彼はドラゴンとの戦いの最中、死んでしまう。エンシェントブラックドラゴンに勝利して王となった男は、ダニエルの母親を八人目の側室にした」
『それってNTR。もしかして公爵が仮死状態から目覚めて、兄の裏切りを彼女に教えたパターン?』
アンドリュース公爵は無言で頷いたが、十歳少女に聞かせる話じゃない。
ダニエル王子の母親は、彼が一歳の時流行病で亡くなったらしいが、真実を知った彼女は口封じで暗殺されたのだろう。
『アンドリュース公爵、なぜ僕にそんな話をする。王族の秘密を知ったら、シャロちゃんもただでは済まない』
「ふははっ、国王など大したことない。ヤツは私が仕留め損ねた瀕死のドラゴンの首を刺すだけで王になった男。それよりたちが悪いのは、味方の聖騎士を見殺しにしてエンシェントブラックドラゴンを治癒回復させた兄の従者。現法王で六つ星光魔法使いだ」
『現法王って、聖女候補シルビアのモロ関係者じゃないか!!』
「叔父上、秘密を明かしすぎます」
アルトゥル・アンドリュース公爵の隣で黙って話を聞いていたダニエル王子は、緊張した固い声で呟く。
アンドリュース公爵は右手を挙げて指をパチンとはじくと、応接室のサイドボードに飾られていた白磁のカップが中を浮いて公爵の手元に運ばれる。
空のカップに茶色い液体が満ちて、湯気が立ち爽やかな紅茶の香りがした。
「聖教会は最近、流通量の増えた上級薬草の出先を探っている。君の大切なシャーロットが、法王に目を付けられるのも時間の問題。しかし現在の法王は権力におぼれ、魔力の鍛錬を怠っている。同じ六つ星でも私の方が魔力は上」
『僕がアンドリュース公爵に協力すれば、もしもの時に聖教会からシャロちゃんを護ってくれるのか?』
「君が私に、異界の知恵を授けてくれるなら、約束しよう」
異界の知恵ってなんだ?
シャーロットの中の人は一瞬戸惑ったけど、秒で理解した。
ここは冒険者ギルド、そこにいる人間が欲する知恵といえば、モンスターの討伐方法。
ゲームでは欲しい素材があればモンスター討伐周回するし、同じモンスターを数十回討伐すれば手順も覚えてしまう。
僕は悪ノ令嬢シャーロットにSSレア装備、SSレア武器防具を与えるために、エンシェント系ドラゴンを狩りまくった。
『エンシェントブラックドラゴンは、最初正面三十メートル範囲で闇属性全体ダメージ一万、一分後に頭上から闇雷撃の矢が千本、全方位に降る。その後一分三十秒、エンシェントドラゴンが活動停止する間にドラゴンの腹の下を囮攻撃。ドラゴンが囮に気をとられている隙に、身体に飛び移り左翼の付け根をマーキング、三分間聖騎士の直接攻撃と魔導師の遠距離魔法攻撃。これを七ターン繰り返せばエンシェントブラックドラゴンの体力は三割削れる』
「私たちは、エンシェントブラックドラゴンに……正面から立ち向かった」
『うわぁ、公爵はそれでよくドラゴンを倒せたな』
「全くその通り。そして君は、他のエンシェントドラゴンを倒す手順も知っているはずだ」
アンドリュース公爵は、空になったカップを持ったままシャーロットを見つめる。
シャーロットの中の人は、公爵にドラゴン討伐方法を書いたメモでも渡せば良いだろう。と浅く考えて、コクコクとうなずいた。
アンドリュース公爵のやつれてくぼんだ瞳の奥に、一点の光が灯るのが見える。
公爵は膝を折って目線をシャーロットに合わせると、うやうやしく彼女の両手をとり、顔を寄せて耳元でささやいた。
「私が欲しいのは、エンシェント”ホワイト”ドラゴンの討伐方法。あれを倒せば《即死》呪いは新たな呪いに上書きされ消える。次会う時、私にそれを教えて欲しい。願いが叶えば、君に地位名声金宝石、欲しいものは何でも与えてやる」
『ひぃいーーいっ、公爵のイケボ攻撃キタァ!! シャロちゃんは現在衣食住満たされてとてもお金持ちだから、欲しいものなんて……ひとつだけあった。米が食べたい』
中の人は異世界で目覚めてから、ひたすらシャーロットのために食事を作った。
だが時々ふと、とてもとても米が食べたくなる。
つやつやピカピカ輝くお米を、塩だけで握ったおむすびを、口いっぱい頬ばりたい。
『米と、あと醤油と、カレーに必要な香辛料は何種類だった? さすがに納豆は存在しないだろう。それからカカオとバニラも欲しい』
「コメとはなんだ? 香辛料ならいくつでも取り寄せられるし、必要なら私自身が探しに行こう」
『えっ、本当に米が食えるのか? 嬉しい、シャロちゃん叔父様大好き』
異世界で目覚めて一年近く経ち、日本食ロスになっていた中の人は、相手がシャーロットの未来の旦那(結婚後三ヶ月で死ぬ)と分かっていても、今はそんなの関係ねぇ。
米・米・米で頭がいっぱいで、キラキラと食欲で濁った禍々しい瞳でアンドリュース公爵を見つめた。
公爵は微笑みながら立ち上がると、後ろでふたりの様子を見ていたダニエル王子に向き直る。
「ではお嬢さん、一月後王宮のパーティでお会いしましょう。それからダニエル、以前お前に仕事を押しつけていた第三王子フレッドだが、最近公の場でミスを連発している」
「それはそれは、フレッド王子にお付きの従者は大変でしょう」
「しかしダニエル、お前も人を笑える立場ではない。辺境伯の館に住み、辺境の地で採れる上級薬草を国王に贈って媚びへつらい、辺境伯から借りた馬車に乗っている。お前は馬すら自分で用意できない」
「叔父上、それは……」
ダニエル王子が答えようとした次の瞬間、アンドリュース公爵の全身から圧倒的な気が放たれる。
二つ星魔力のシャーロットはキャアと悲鳴を上げてひっくり返り、辛うじて堪えたエレナに抱きかかえられ、正面から六つ星魔力持ちの怒気を受けたダニエル王子は、膝を折って蹲るのを気力で耐えた。
「情けないぞダニエル、お前はフレッド王子から辺境伯に乗り換え寄生している。これは王族年長者としての命令だ。一月後の王宮パーティは、辺境の地から王都まで自分の脚で来い」
アンドリュース公爵の怒気がこもった響き渡る声の振動で、部屋に飾られたガラスの置物が砕け散り、応接室の頑丈な扉が破壊される。
公爵は直下型地震震源地状態の応接室と、床に蹲るダニエル王子を一瞥すると、灰色マントをひるがえして部屋を出て行った。
シャーロットの中の人はエレナに抱きかかえられた状態で、消えかかる意識の中で考える。
『法王を上回る六つ星魔法持ちなんて、アンドリュース公爵は現在の異世界最強。ゲームが始まるまで生きていたら、絶対ラスボスポジションだ』
しかも《老化・腐敗》呪いシャーロットとの相性は最悪。
《即死》呪いに冒されているアンドリュース公爵の側にシャーロットがいれば、彼の死期を早めることになる。
一月後の王宮のパーティで、エンシェントホワイトドラゴンの討伐方法を教えて、米とカレーの香辛料を貰えたら、その後アンドリュース公爵とは一切関わらないと判断した。
しかし中の人と入れ替わり、目覚めたシャーロットは全く別の事を考えていた。
「今度叔父様に会ったら、私の捕まえた亜虎魔カブト虫や多眼百脚を見せてあげるの」
シャーロットは王宮パーティに、昆虫を持ち込む気まんまんだった。
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