庭師ムアと鉢植えの蕾
それから十五分も経たないうちに、小さな鉢植えを持った背が低く小太りの男が、エレナに襟首を引っ張られながら連れてこられた。
「ひえっ、真夜中からいったい何の騒ぎですか」
「シャーロットお嬢様が、庭師のお前と話がしたいそうです」
初老の庭師ムアは、部屋中にある大量の枯れた花を見て不快そうに顔をしかめる。
シャーロットはワガママで食事は好き嫌いが多く、一日中ベッドで寝て過ごし風呂にも入らない、薄汚れてやせ細ったゴブリンの様だと召使いの間で噂になっていた。
最近は神官もどき変人執事と野蛮な新人メイドとオネエ家庭教師、怪しい連中が関わっているという話が老人の耳にも入っている。
しかし目の前にいるのは、真珠のように磨き上げられた白く美しい肌に、真夜中でも光を帯びで金色に波打つ美しい髪、清楚で上品な白いネグリジェを身に纏った美少女だった。
椅子に腰かけて紅茶を飲んでいたシャーロットが、手招きして庭師を呼び寄せる。
『庭師ムアに頼みがある。シャロちゃんのお誕生日までに、綺麗な花を沢山育ててほしい』
「ええっ、花を育てるなんて無駄ですよ。シャーロットお嬢様は、花は全部枯らしてしまう」
庭師は思わず大声になり、部屋中に置かれた枯れた花を指さす。
「お前、庭師の分際でシャーロット様の命令に逆らうつもり」
メイドのエレナが庭師に詰め寄る姿を見て、僕はあることに気が付いた。
『そういえば庭師ムアは、シャロちゃんの部屋に入っても普通にしているな。シャロちゃんの姿を見たら寿命が縮むのに、怖くないの?』
「お忘れですか、シャーロットお嬢様。まだお嬢様が小さい頃、ワシと乳母と一緒に庭の隅で遊んだことを。お嬢様の姿を見るだけで寿命が縮むなら、ワシはとうの昔に死んでいます」
昔は伯爵夫人の目を盗んで、乳母はよくシャーロットを庭で遊ばせていたと庭師は言う。
しかし乳母が死んだ後は子供部屋に軟禁され、シャーロットの姿を近くで見るのは二年ぶりだった。
庭師の言葉を聞いたエレナは、少し申し訳なさそうな顔で身を引くと、話を続けさせる。
「でも乳母は、二年前に亡くなったと聞いています」
「それは流行り病のせいで、シャーロットお嬢様は関係ありません。聖女候補であるシルビアお嬢様の治癒魔法で治せたかもしれないけど、奥様に見捨てられました」
その時、僕の意思に反して身体が勝手に椅子から立ち上がり、喉の奥から声が漏れ出す。
『わた、わたしの、呪いのせいで、ばあやは、しんだと』
「いいや、シャーロットお嬢様のせいじゃない。乳母はお嬢様に流行り病をうつさないように、暇をもらって屋敷を離れたのです。しかし病には勝てなかった」
庭師が気の毒そうな顔で、シャーロットを見つめている。
シャーロットの中から大きな後悔と嘆きの感情が薄れ、純粋な哀しみが溢れ出す。
頬になにか熱いモノが伝わって、それを見たエレナが白いハンカチでシャーロットの顔を優しく拭う。
僕はシャーロットの中の人なのに、泣いている彼女を慰められない。
「ああっ、シャーロット様を抱きしめて慰めたいのに、今の中身は悪魔ゲームオなんて」
『中身が僕で悪かったな。それにしても乳母が呪われて死んだなんて噂を広めたのも、まさかトド母か?』
「そういえば奥様は誕生会が行われる大広間に、シルビア様の絵姿を飾ると言ってました」
『なんだとぉ、僕のシャロちゃんをそこまで除け者にするなんて、トド母超許せねぇ!! こうなったら誕生会でヤツを物理的に排除する』
さっきまで涙を流していた美少女が、今は強い意志を宿した瞳で拳を繰り上げて怒鳴る姿に、シャーロットお嬢様は随分とたくましくなったと庭師は思った。
「ところでシャーロットお嬢様、本当に花を育てるつもりですか。今は寒い冬、それに種を植えても花が咲くまで三ヶ月はかかる。誕生会は二十日後です」
『それなら大丈夫、じいさんは花の世話だけしてくれれば良い』
「えっ、シャーロットお嬢様。じいさんってワシのことで、あっ、それは」
貴族のご令嬢に気軽にじいさんと呼ばれて戸惑っていると、その隙にシャーロットは庭師が持っていた鉢植えを奪い取る。
「シャーロットお嬢様、その鉢植えを返してください。せっかくついた蕾が、お嬢様の呪いで枯れてしまう!!」
『じいさん、大丈夫だから。シャロちゃんの魔法で植木鉢の花を咲かせよう』
いくら子供でもシャーロットは伯爵家令嬢、彼女の命令は絶対だった。
丹精込めて育てた花を子供に奪われて慌てる庭師に、エレナが椅子に座るよう促す。
シャーロットの中の人である僕はベッドに腰掛けると、鉢植えを膝の上に置いて両手で持つ。
ぷっくりと膨らんだ淡いピンク色の蕾は、夜明けに開きそうだ。
今から夜明けまで四時間、シャロちゃんの《腐敗=成長促進》能力なら三十分で花が咲くだろう。
絶望した顔でエレナの出した紅茶をすすっていた庭師は、驚いた顔で目を見開いた。
シャーロットの呪いで枯れると思っていた鉢植えの蕾が、まるで生き物のように大きな蕾をわさわさ揺らしながら綻ぶ。
「何故だ、シャーロットお嬢様は大聖堂中の花を、呪いで全て枯らしたと聞いたのに」
ポンッと小さな音を立てて、淡いピンク色の蕾が開くと、甘くて爽やかな花の香りが周囲に漂う。
ひゃあ、と叫び声をあげて椅子から転げ落ちそうになる庭師を、エレナが素早く支えた。
「私も執事から大聖堂の話を聞きました。でもシャーロット様がいるのに屋敷の庭の花木は普通に育っている。シャーロット様の《腐敗》呪いで枯れるのは切られた花、生きた花はちゃんと咲きます」
「まさかこんな事が。ちょ、ちょっと待ってくれ。庭の温室につぼみを付けた鉢植えが何個かあるから、持ってきて確かめる」
そうって庭師ムアは部屋を飛び出すと、数分後には屋敷五階の子供部屋に十あまりの植木鉢が持ち込まれた。
『じいさん、凄い力持ちだ!!』
「シャーロットお嬢様、お褒めいただきありがとうございます」
九歳のシャーロットより少しだけ背が高く、がっしりとした小太り体型の庭師のじいさんは、もしかしてドワーフの祖先がえりかもしれない。
それから30分も経たずに《腐敗=成長促進》特性で、草木は伸びて蕾が開き花が咲く。
切り花が枯れるのを見続けていたエレナは、瞬く間に部屋が花で埋もれる様に感動の声をあげる。
「なんて綺麗、素敵です。見たこともない植物が沢山。これは旦那様が南の国から取り寄せた草花ね」
『でもシャロちゃんの成長促進は八倍速だから、花が咲いてもあっという間に散ってもったいないな』
すると花が咲く様子を黙ってみていた庭師の目の色が変わる。
「シャーロットお嬢様の側に置けば、植物は八倍の速さで成長する。花が咲いて散って、そして種を残す!! こ、これはとんでもない素晴らしい、凄いことですぞ」
『じいさん、やっとシャロちゃんの素晴らしさに気付いたか』
「そうです、シャーロットお嬢様。植物を育てるには悪天候や害虫の被害、途中で枯らしてしまうことも多々ある。しかし植物が短かい時間で育てば、そのリスクは軽減されます。ああ、シャーロットお嬢様はまるで……の……のようだ」
庭師は興奮して早口でしゃべるので、最後の言葉は聞き取れなかった。




