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Act.8「極悪非道なお姫様」

 目の前の見事な大宴会場を見て「わー、でかーい(語彙力)」以外の感想が出てこない。ロイヤルホテルの大宴会場は、企業のパーティや披露宴などで使われることが多く、大体二千人くらいは収容できる広さがある。

 天井からは巨大なシャンデリアが等間隔で三つほどぶら下がっており、キラキラというよりはジャラジャラと形容した方が良さそうなほど複雑な光を放っている。

 一方地上は、白を基調としたゴージャスな壁紙に囲まれ、赤ワインのような深紅の絨毯は一歩進むたびに足がわずかに沈み込むような不思議な感触がする。

 人が多すぎて、前のほうにあると思われる舞台なんてもはや見えない。


「今や日本の経済界をリードする超大企業だからな。そんなとこの社長主催のパーティーなら全国各地から利害関係のあるやつらが集まるのは当然ってところか……それはそうと、お前はこの俺様の息子なんだから日和ってる場合じゃねえぞ、背筋伸ばせ」


 今まで生きてきた世界との、あまりにもかけ離れた規模の大きさに萎縮して声すら上げられないでいると、父に背中を叩かれた。

 つい不安で辺りを見回してしまう。俺、ここにいてもいいのでしょうか。

 髭と髪がつながったダンディなおっちゃんとか、めっちゃスタイルの良いお姉さんとか、いろんな人を観察していると一人の老人が近づいて来ていることに気づいた。七十歳くらいに見えるが、背筋はピンと伸びており真っ黒な燕尾服が妙に似合っている。

 なんか漫画とかドラマに出てくる「じいや」みたいな感じだ。


「これはこれは藍沢様。わざわざご足労いただき、まことに有り難く存じまする。さあ、こちらへどうぞ」

「ああ、これはどうも」


 普段からは想像もつかないほど腰を低くして、父はその老人に挨拶を返した。

 が、次の瞬間にはいつもの傲慢な大魔王に戻ってこっちを振り返った。そのまま俺の傍まで来るとこっそり耳打ちする。


「まあ、安心しろ祐也。今日お前はこんな会場に用はねえから」

「……う、うん」


 父の言葉に思わず苦笑いした。目上の人間にはへこへこして、本心では「こんな会場」呼ばわり。改めて自分の父親なんだなと思った。父は踵を返すと、老人の後を追った。置いて行かれないように俺も後に続いた。

 会場脇の扉から出てすぐのところにあるエレベーターに三人で乗り込む。老人が三十階のボタンを押すと、エレベーターは静かに上り始めた。……三十って最上階じゃん。俺、どこに連れて行かれるんだ。さっきから冷汗がすごい。

 程なくして最上階に到達する。慣れないドレスシューズに四苦八苦しながら廊下をしばらく歩いた後、一番奥の客室に通された。「じいや」がドアを抑えてくれていたので、父に続いて二番目に部屋に入った。が、どうやら俺は二番目じゃなかったらしい。


「おう、藍沢。いやはやお前が来てくれるとはなあ」


 四十代後半くらいの精悍な男が部屋の奥から現れた。黒いスーツに身を包み、濃い紫色のネクタイを締めている。彼は俺の父に嬉しそうに歩み寄ると固く握手をした。


「よう。それがよー、うちの息子に許嫁がいるって話を先週やっとしたところだったんだよ。だから今日は顔合わせをさせにきた」


 俺の父は、自分の失態を謝りもせずに、へらへらしながらそう言った。しかし相手の方は嫌な顔する様子もなく茶化すように、


「相変わらず適当な奴だな。こっちは三年も前から準備してるんだから頼むぜ」

「わりいわりい」


 全然気持ちのこもってない謝罪だった。相手方の堂々とした佇まいとか落ち着き払った態度と比べると、俺の父がこういう上品な場にいることに違和感を覚える。成金は分かりやすいってマジなんだな。


「……それで、お前の息子ってその子か」


 ふっと、相手方は俺に視線を移した。値踏みをするような鋭い眼光に思わず背筋が凍る。

 おそらく、話の流れからこの男が俺の許嫁の父親なのだろう。最近どこかで見たような気がするツリ目が妙に気になった。が、とりあえず挨拶はしておかなければ。我が父の手前、下手な行動は絶対に出来ない。


「藍沢祐也です。この度のご縁ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」


 少し深めに頭を下げ、ビビっているのがバレないように余裕がある風の口調を作りあげる。そして普段の俺のキャラからは考えられないような綺麗なセリフを吐いた。


「ほう。一応、同意は取っているようだな。それにお前の言う通り穏やかで良い子そうだ」

「おう、バッチリよ」


 相手方が満足げにいうと、父は「全部俺の功績だ」とでも言いたげに親指を突き立てていた。

 その後、父たちはどうでもいい談笑に突入した。

 手持無沙汰になって部屋を見渡す。高級ホテルの客室なだけあって、ブラウンの調度品はつやつやと輝いており、丁寧にベッドメイキングされた二つのシングルベッドは新品のように綺麗で、人目を気にする必要のない場面だったらすぐにネクタイを振りほどいて思いっきりダイブしていたと思う。

 窓から外を見下ろすと、綺麗な夜景が延々と広がっていた。あちこちがぴかぴか光って、ごちゃごちゃ人間が入り乱れる騒々しい都会の夜は、高いところから見下ろせば異様に大人しく、ロマンティックな景色を演出している。

 一回でいいから泊まってみたいなあ、と感嘆のため息をついていると、突然ノックがなった。さっき俺たちが入ってきた扉からだ。「じいや」が扉を少しだけ開けて、外を覗き見る。


「お着替えは済みましたか。お相手は今いらっしゃったところですよ」


 え、もう来んの? 心の準備とかできてないんだけど! やばいやばい!


「失礼致します」


 ベッド脇の姿見で髪型とか身だしなみを慌てて確認していると、聞き覚えのある声が入ってきた。それを聞いた瞬間、俺の身体が石みたいに強張った。


 ――うそ、だろ?


 音もなく静かに部屋に入ってきた少女は俺の前に悠然と佇んだ。

 流れるようなストレートの黒髪。父親に似た切れ長の目に、すっと通った鼻柱。

 普段は規則に準拠した飾り気のない姿をしているが、今はうっすらとメイクされ、大きく背中の空いた真っ黒なドレスを身にまとっている。耳や首元には真珠のアクセサリーが控えめにあしらわれ、大人っぽく品があって、このシックな部屋にふさわしい美しさだった。


 目の前の綺麗な光景と、嫌な記憶が混ざり合って複雑な感情が流れ込んでくる。

 あの時、もう二度と会いたくない、近づきたくない、そう思っていたのに。


「生徒、会長」


 びっくりしすぎて、漢字にしてただの四文字にすぎない単語を発声することすら困難だった。

 一方の彼女は俺と目が合っても表情を一切変えることはなくて、すぐに目をそらすと俺の父に軽く一礼した。それを迎えた父は満足げに頷いた。


「おお、すでに知り合っていたか。話が早くて助かるぜ」

「ちょ、お父さん、どういう」

「古川様、藍沢様、お時間です」


 このわけのわからない状況の説明を求めて父に訊ねたが「じいや」が割り込んできた。


「む、そうか。一希、祐也くん、積もる話もあるようだろうし、ゆっくりしていなさい」


 俺の話は聞かずにその場の大人はみんな部屋を出て行った。多分、さっきの宴会場に向かったんだと思う。

 俺と彼女だけを残したこの客室は完全に静寂が支配した。


「……座ったら?」


 放心状態の俺に彼女は感情のこもってない声音で窓際へ促した。そこにはちょうど良いサイズの机と二つ椅子が都合よく置かれていた。


「ちょっ、えっ、え?」


 何も言葉が出てこない。特技ってくらい普段からベラベラ喋ってんのに。

よく分らんけど、とりあえず椅子に座って肩の力を抜いた。身体が緩むと、ようやく血の巡りが良くなってきた。


「俺、何も聞かされてない!」


 頭の整理が追い付かなくて、短く思ったことを口にした。彼女の方は俺に全く興味がなさそうに窓の外を眺めていた。いや、人の話聞け!


「会長は知ってたの?」

「ええ」

「いつから? どこまで?」

「三年ほど前から。あなたがどんな人間か全て」

「ああああああ」


 思わず頭を抱えてしまった。だからあんなに正確に俺のことを言い当てたのか。俺のプライバシー完全に死んでんじゃん。

 もう誰に怒ったり問い詰めたりしたらいいのか全然わかんねーよ。


「いやそもそもあんたは俺みたいなやつと結婚とかイヤじゃないの?」


 そうだ。こんな理不尽許されるわけがない。それはこいつだって同じだ。勝手に結婚相手を決められて、すんなり受け入れる方がおかしい。


「別に」


 イヤだよな? っていう同意の意味を込めた質問をしたはずなのに予想外の返答が返ってきた。


「なんで? 勝手に決められてんのに」

「父の会社の後が継げるなら結婚相手なんてどうでもいいわ」


 表情をピクリとも変えずに、なんてことないようにすらすらと告げてくる。なにそれ、恋愛しないってこと? こいつ自分で何言ってるか分かってんのか。


「なら陸のことはどうするんだよ。あいつ今あんたのこと……」


 あ、マズい。焦ってしまって、つい俺の最大の懸念を漏らしてしまった。


「私があんなのに靡くわけないでしょう? 頭を下げてまで頼み込んでくるから少し相手をしてあげてるだけよ」


 彼女は退屈そうに窓の外を眺めたままゴミでも弾くみたいにおざなりに言い放った。こいつ最低だ……と思ってもここで怒るのは俺の仕事じゃない。とりあえず話進めないと。


「でもそれでなんで俺? 結婚するなら陸のほうが……つーか俺より優秀なやつなんて山ほどいんじゃん」

「霧島くんは我が強いから邪魔なのよ。この業界は綺麗事ばかりではやっていけないから」


 そういうと、彼女はすっと立ち上がった。左手をテーブルについて右手を俺の方へゆっくりと伸ばしてくる。

 そのまま、白くしなやかな指先が俺の頬を撫でた。

 近くで見る彼女は息が止まるほど美しくて、死ぬほど拒絶したいのに身じろぎをすることも、何か言葉を発することもできなかった。

 硬直してしまっている俺に向かって、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべる。


「それに比べてあなたは私のやることをただ見ていることしかできないでしょ? 普段他人の顔色を窺って何も行動しない、といったふうに。それは私にとっては好都合なのよ」

「ぐっ」


 またこれだ。人の触れてほしくない部分に無遠慮に土足で上がり込んでくる。

 抵抗しようとしても、オニキスのように黒く透き通った瞳はそれを許してくれない。俺はただ唇を噛むことしかできなかった。


「それに……これは何年も前から決まっていたことなのよ」


 彼女は気まぐれな感じで俺から離れると再び窓の外に視線を移した。


「私たちが繋がると確定しているが故に存在する利害関係者や企業も数えきれない。今それをどうこう言っても無駄でしかないわ」


 俺が言葉に詰まっていると彼女は畳みかけるようにそう言う。

 馬鹿げてる。

 問題の規模がでかすぎて、実感が湧かない。どこか他人事のようにすら思える。


「こんなの、ありなのかよ」


 頭が真っ白になって思わず呆然とする。さっきから視界がうまく定まらない。


「あら、あなたは不満? 私と結婚できるなんて、普通の人なら卒倒するわよ」


 今彼女が言ったことは少しも耳に入って来なかった。

 月曜からどうすればいいんだ? 陸にどうやって顔向けできる? 隠し通せるのか? こいつが全部バラすんじゃないか? 俺の平和な日常はどうなる?


「あなた、人の話聞いているの?」

「お願いなんだけど、俺たちの関係学校では秘密にしててくれないか? もちろん陸にも内緒にしといて欲しい」

「なぜ?」


 俺が学校で生きられなくなるからだ。なんてこいつの前では言えない。

 なるべく弱みを見せないように余裕のある口調を取り繕い、そしてなるべく深刻な空気にならないように程よい言い訳を考え出す。これだけは絶対に守り通さなきゃいけない。


「やー俺まだ高校生じゃん? いろんな女子と遊びたいんだよ。それに俺みたいなのが結婚相手ってバレたら『あの生徒会長が?』とか陰でいろいろ言われると思う」


 前半の言い訳は最低だが、こいつが俺のことを何とも思ってない以上問題ないはずだ。それに後者だけを提示すると俺にメリットがないから怪しまれかねない。


「前半はどうでもいいけど、後半は確かに問題ではあるわね。わかったわ。学校内では極力秘密にする努力はしましょう」


 その場しのぎにしかならないが今はこうすることしかできない。こいつが良くも悪くも物分かりのいいやつで助かった。

 ただ問題はここからだ。一番マシなのは、卒業のタイミングで陸との縁を切ることくらいか。でも、陸とは結構な関係を築いてしまっているからすんなりとそうできる保証はない。

 あーくっそ、これ詰んでねーか?

 俺も彼女もしばらく何も話さなかった。沈黙になると普段は気まずいのだが、そんなことを意識する間もなくいろんなことを考えこんでしまっていたのだ。

 頭の中をぐるぐる回していると、カチャっと急に扉が開いた。

 ベッド脇のデジタル時計を見ると父たちが出て行ってから一時間経っていた。


「おう、祐也。仲良くしてたか?」


 父は俺の目をまっすぐ見据えた。「仲良くしてたよな?」って瞳がそう語りかけてくる。父の期待に応えなければいけない。父の言うとおりにしなければ。


「もちろん。俺が仲良くできない人なんていないよ。なあ、一希ちゃん?」


 父へ向けた愛想笑いを変えないまま振り返ると、彼女は今まで出会ってきた人間の中では見たことないような表情をしていた。

 全てを凍てつかせる冷酷な双眸。床に落ちたゴミをみるような、いや、それよりもっと醜いものを睨みつけているような視線。あまりの恐怖に、心臓がドクンと跳ね上がった。


「一希、上手くやっていけそうか? 私たちが決めたとはいえ、お前たちにはなるべく仲良くやって欲しいんだ」


 心配そうにそう言いながら、古川父は彼女のむき出しの肩に手を置く。すると、彼女は自分の父親を見上げしばらく目を合わせた。

 そして静かに立ち上がり、真っ直ぐと俺の方へ歩いてくる。

 ドッドッと、ヒールがカーペットを叩く鈍い音だけが響き渡る。

 どれくらいの歩数かかったのだろう。どれだけの時間が進んだのだろう。

 彼女は中々その足を止めることはなかった。

 気付けば互いの息が触れ合うほどまで近づき、そして――


「ちょっ、近」

「黙って、目を閉じて」


 俺は普通の恋愛に憧れていた。

 普通に友達から入って仲良くなったら恋人になって、そんな平凡な恋愛がよかった。

 それは、俺が目指す平和な日常への限りない近道だと、そう思ったから。



 ファーストキスは、最近知り合ったばかりの別に好きでもない、俺にとってはたった今できたばかりの許嫁に奪われてしまった。

 それは、俺の人生を狂わせるには十分すぎるほどの力を持っていた。

部屋がスウィートじゃない等金持ち描写がガバガバなのは許してほしいです。

後で調べて直すので今は細かいことは気にせずに読んでいただけたら嬉しいです。

次話から同棲生活はじめます。

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