Act.5「反省文、きちんと書かせて」
「じゃあ、俺ら先帰るから」
「頑張ってね~。きゃはは」
反省文は原稿用紙四百字詰のものが二枚。かなり時間がかかるので陸たちには先に帰ってもらった。葵がしつこく煽ってきてうざかったが何とか絞り出した愛想笑いで耐えた。
今日は体育もあったから、疲労で今めちゃくちゃ体調が悪い。
もしかしたら人と遊ぶ時みたいに誰にも気を使わず一人で黙々と書くだけの反省文は休憩タイムかもしれない。
と、思ったのだが、くつろぐにはどうにも場所が悪すぎた。
終業のホームルームの後、担任の黒木に原稿用紙を渡され「ここで書け。逃げるなよ」と言われて指定されたのは職員室の前に置かれた長机。安っぽいパイプ椅子の軋む音が耳障りでイマイチ集中できない。
また、昇降口に行くためには職員室の前を通るのが近道なため終業後の生徒たちが雪崩のように上階から流れ込んでくる。数分に一回くらいの頻度で通り過ぎる知り合いの「おう、祐也おつかれぃ!」とか「藍沢くん反省文書いてるの? 頑張れー」って感じの意味のない挨拶に、全力で愛想良く返事をしなければいけないため、全く反省文が進まなかった。
知り合いは作りすぎるもんじゃないよ、マジで。
今俺は、自分の愛嬌人形としての振る舞いに反省しながら、身だしなみの反省文を書いている。反省しながら反省点を生み出していく男。無限ループって……。
しばらくすると、ようやく人の流れが治まり静かになった。不思議なことに、それからやって来るものは人っ子ひとりいなかった。
窓の外を見やるとすっかり陽が落ちて光源といえば、ぽつぽつと不規則な間隔で光を放つ向こうの校舎の教室の窓くらいだった。文化部がまだ活動中なのだろう。
不気味なほどに静かな廊下でやっと反省文の一枚目を書き終えた。
すると、遠くの方から足音が聞こえてきた。
規則正しく、生真面目そうなリズムを刻んでその足音はどんどん迫って来る。突然の異音だったので、なんだなんだと音源に顔を向けると、見知った顔とばっちり目があった。
校則に従順なためもちろんノーメイクなのに、不自然な色のカラコン入れてガッチガチにアイラインを引いている葵よりも圧倒的に目力があった。
「あっ、生徒会長」
廊下が静かだったので、俺はちょっと小さい声でそう漏らしたが、生徒会長古川一希はすっと俺から目を逸らし、通り過ぎていった。無視かよ。
と思ったら、俺が反省文を書くために使っている長机の、俺とは反対側の端っこのイスに座った。天井から糸で引っ張り上げられてるんじゃないかってぐらい姿勢が良く、視線は机の上の一点をぼーっと見つめている。……すごく気まずい。
「なぁ、なんでそこに座ってるん?」
「……」
無視やめて! 気まずすぎて胃が千切れそうなんだよ!
「あの、」
「先生に資料を提出するために待ってるのよ」
もしかして声小さかったし聞こえなかったのかも、みたいな淡い希望にかけてもう一回話しかけようとすると、心底鬱陶しそうな態度で食い気味に答えられた。
「職員室入っていけばいいじゃん」
「今は職員会議中よ。あと十分で終わるからそれまで待ってるの。そんなことも知らないの?」
いや、教員のスケジュールとかいちいち知らんわ。つーかこいつなんでこんな喧嘩腰なの? 朝初めて顔を合わせたばかりの人間とは思えない。ほんと怖いからやめてください。
「あ、あー。だからさっきからこの廊下こんな静かなんだな。人が全然通らないから不思議に思ってたんだよー」
「……」
再び沈黙。あー気まずい気まずい。人と会話を繋ぎ続けるのは得意なんだけど、それは相手にも会話を続ける意志がある場合であって、そうじゃなければどうしていいかマジでわかんない。
いや、ここで折れちゃだめだ。がんばれあいざわゆうや、笑顔笑顔。
「あ、そうだ、生徒会って普段何してんの? 漫画とかで見る限り予算がどうのこうのってくらいしか俺知らな――」
「別に無理して会話しなくていいわ。というか、話しかけて欲しくない雰囲気を出しているのだから話しかけないで。あと、制服はきちんと着なさい校則違反よ」
ぐっ、こいつ。口を開けば校則違反だの規則だのロボットかっての。うちら高校生やぞ? もっと楽しそうにしろよな。
とは思うものの、俺はチキン野郎だから実際に口に出せない。黙ってシャツとカーディガンを第一ボタンまで留めた。
「あなた変ね」
「何が」
また静かになって気まずい空気になるなーとか思っていたら、話しかけるなと言った本人の方から話しかけてきた。
「普通ここまで言われたら何か言い返すでしょ。もしかして、マゾなの?」
ってオーイ! 酷いこと言ってる自覚あったんかーい!
こいつどんな環境で育ったらこんな性格になるんだよ。愛梨とは違ってわざと狙って爆弾を投げつけてくるとか。殺し屋かな?
「素直に校則守っただけじゃん。そこまで言わなくても……」
「それは今だけでしょう?」
「へ?」
彼女の口調が変わった。さっきまでの人を小馬鹿にするような感じではなく、仇を糾弾するような、ある種の痛烈さがあった。
「『今だけ』相手の言うことを聞いて、別の場所ではその環境に適応するために姿を変え、今のことは全て忘れる」
「なっ」
胸を開かれて、直接心臓に刃物を突き立てられているみたいだった。冷汗が背筋を伝い反論どころか声を上げることすらできない。
「そうやって、目の前にいる人間の顔色ばかりチラチラ窺って、自分の空虚さを露呈させて、恥ずかしくないの? 女みたいになよなよして、はっきり言って気持ち悪――」
「っ! ちょっとトイレ行ってくる!」
最後まで聞いてられなかった。だから、思わず逃げ出してしまった。
やばいやばいやばい、バレた。なんなんだあの女。人のこと何でもかんでも見透かしたみたいに……。
「あれ?」
男子トイレの鏡に映った自分の顔を見ると、とても酷いことになっていた。眉間には深くシワが寄り滝のように涙が溢れて、鼻水がダダ漏れて頬は真っ赤っか。
全部、うまく隠せていると、勝手に思い込んでいた。何時間もかけて真剣に積み上げたトランプタワーが倒壊する瞬間のような絶望的な感覚に陥る。吐き気が酷い。頭がガンガンする。耳鳴りがうるさい。胸が痛い。もう、やだ。
すぐにでもこの世から消えてしまいたい気分になって、結局、落ち着くまでずっと個室に閉じこもってしまった。
――三十分くらい経ったのだろうか。
洗面所で顔を洗って職員室前に戻ると彼女の姿は消えていた。職員会議はとっくに終わったのか退勤後の気の抜けた教員が何人か通り過ぎて行く。
さっき動揺して逃げる時にばら撒いてしまった筆箱や、倒してしまったパイプ椅子は綺麗に元の位置に戻されていた。
……反省文、書かないと。
考えがまとまらず、文章の前後の繋がりがちょっと怪しいかもしれないが、とにかくさっさと残りを全部やっつけてしまって、黒木にぐいっと押し付けて私物を奪い取って逃げるように学校を出た。
振り返って校舎の時計塔を見上げると夜の七時を過ぎていた。
昼間はまだ暑くても夜は少し肌寒い。これからやってくる冬のことを考えるだけで憂鬱になる。
夜空に星は数えるほどしかなくて寂しかったが、その代わりにこの地球上にあるどんな物体よりも大きな月が煌々と光を放っていた。
秋の空は乾燥しているから、空気中の水蒸気でぼやけることもなく月の光は鮮明に映るって最近テレビで言ってたのを思い出す。
何ものにも邪魔されずに、強い意志で燦然と煌めくその姿は残酷なほどに綺麗だった。