第90話 保健室で
四限目、化学。今日は実験だ。
「久土、ビュレット取って」
「はい」
「それビーカー。馬鹿なの?」
金城が呆れ顔で目を細めた。そうです、俺はバァカです。
ヴァカな俺に中和がどうたらこうたらの実験はレベルが高すぎる。実験器具の名称も把握していないんでな、すまんでな!
「久土使えないー。とりあえず吐かないでね。それさえ守ればいい子いい子してあげるから」
「俺の成すべきノルマしょぼすぎない? お前が髪撫でたいだけだろ!」
「せいかーい。ご褒美にナデナデしてあげる~」
俺の頭に手を乗せる金城。いつも通りワシャワシャ&ナデナデだ。俺はニンテンドッグスか。
「ところでさ、燈ちゃんと仲良くなったの?」
「燈って誰だ」
「あたし達の目の前でアタフタしている子」
同じテーブルの向かい側では火藤さんが青ざめた顔で忙しなく両手を動かす。しかし装置からなんたら溶液を止めることが出来ずテーブルはビチャビチャ。やっぱこの子アホだ。俺と同じレベル。
「仲が良いっつーか目をつけられた感じだな」
「燈ちゃん真面目だからね~」
「金城こそ仲が良いんじゃねぇの? 名前で呼んでいるし」
「クラスの女子は大体友達だよ」
「地元の悪い奴は大体友達みたいに言われても困る」
「言ってないし」
新しいクラスになったばかりなのに金城は既に女子グループのリーダー的存在。学級委員長の火藤さんより高い人望とフォロワーを有しているのだ。
金城はこちら側まで浸食してきた溶液を布で拭きつつ俺への質問を続ける。
「燈ちゃん面白いよね。小さくて可愛いしっ」
「かなりポンコツだけどな」
今なんて止まらない実験装置に向かって「止まって! と、止まってよぉ……」と涙目で訴えかけている。なんだこのシュールな光景。
「そこが良いんだよ~。そっとみんなで見守ろうよ」
「見守るより助けた方がいいんじゃないかな。まさに今とか」
装置から溶液がドバドバ、火藤さんの目から涙がポロポロ。テーブルの上で溶液と涙が中和滴定を始めちゃっているよ。
「おい大丈夫かよ」
「く、工藤君、あうぅ」
「溶液がついた手で目を拭くなって! それはヤバイって俺でも分かるからね!?」
実験が終わってお昼休み。俺は火藤さんを連れて保健室へと来ていた。
「もう一回ちゃんと目洗っておけよ」
「わ、分かっています」
なんたら溶液がついた手で目を拭おうとしていたのが不安なので一応保健室で診てもらうことに。特に異常はないけど念入りに洗ってくださいと言われた。
火藤さんが洗面台で目を洗っているのを眺めて溜め息一つ。この子はお米を洗剤で洗うタイプのポンコツ臭がする。カップ焼きそばにソースを入れてから湯切りするタイプのポンコツだ。
「君達もう大丈夫?」
「あ、はい。あざした」
診てくれた養護教諭のおばさん先生に頭を下げてお礼述べる。
「私は職員室に行くけど交配はやめてね」
「生々しい表現ですね。しませんよ」
「机にあるゴムは私が穴開けているから使っちゃ駄目よ」
「なぜ開けた……」
「保健室で不純異性交遊しようとするリア充に制裁を下す為よ」
「酷いトラップだなおい!? それが教師のすることか!」
白衣着た先生がいなくなって保健室には俺と火藤さんの二人。
俺らが何かやらかすと? はは、ありえないって。現実はそんな漫画的展開にはならない。今時の高校生は保健室でイチャイチャしないでしょ。と、イチャイチャしたことない男子が語ります。な、なんだオラァ、経験がなかったら語っちゃいけないのかよ。あぁん!?
「っと、洗い終わったら教室に戻ろうぜ」
「ふんっ、まあいいでしょう」
「なぜ偉そうに言うのかな?」
あなたの為に付き添った俺への感謝はなしですか。別にいいけどさ。
用事は済んだ。さっさと戻って惣菜パンを食べよう。扉に手をかけ……ん、何やってんの?
「工藤君工藤君っ」
「久土だお」
「見てください、体温計がありますっ」
火藤さんはスタンダードなタイプの体温計を手に取って顔を輝かせる。
そりゃ保健室なんだから体温計くらいあるさ。アイテム屋で薬草が販売されているようなもの。
「せっかくなので体温計勝負しませんか」
「何それ」
「体温計が鳴る前に擦ってどれだけ上昇出来るか競うスポーツです」
「ドがつく程のマイナースポーツだな」
「むむ、確かに℃がつきます。工藤君やりますね」
「何が!? 別に上手くねーし狙ってねーしぃ!」
ともあれテンションを取り戻した火藤さんは目を輝かせて体温計を自身の脇へと挟んだ。っ!?
男子が目の前にいるってのに、胸元のボタンを二つも外して体温計を入れて服の下でゴソゴソと動いて……ちょ、何してんだよ焦るだろ!
「7℃の壁が中々越えられないんですよ」
「その前に自分の格好を気にしてください……」
胸元開いているからっ、白い肌が見えているから! 健全な男子に女子の肌は刺激が強いんだよ思春期なめんな!
火藤さんは小さくて所謂ロリ体型なんだが世の中にはそういった女性を好む人がいて、かく言う俺も貧乳が好き、って何を語っているんだ馬鹿。
「工藤君見てくださいっ、私が培った高速スライド技術!」
激しい動きをするなって! 胸元がはだけそうになって白の下着が……っ~!? あなたはこれをR15にするつもりか!
「良い記録が出そうですっ」
「ガードが緩いのもポンコツだな……」
「ふふ、これ得意なんです」
「得意げなところ水を差すけど、学校の体温計を勝手に使って遊ぶのは学級委員長としてどうなのさ」
「……あ」
「気づいたね? だよね?」
「私はみんなのリーダーなのに、ふ、不良になっちゃったぁ……!」
火藤さんがまたしても涙浮かべて泣きそうになっている。涙脆い、いやメンタル脆すぎない!?
「その程度で不良行為って……こう言っちゃ変だけど全国のヤンキーに失礼だからね」
「うぅ、く、クラスのみんなには内緒にしてくださいっ」
昨日に続いて二つ目の秘密。大したことじゃないし誰にも言わないって。
それよか俺はいい加減お腹が空きました。貴重な昼休みを℃がつくマイナースポーツで潰すのは芳しくありませんわよ。
「ほらもう行」
その時だった。保健室の扉がコン、コン、とノックされた。
その音を聞いて火藤さんが全身をビクッと震わせて俺の腕にしがみつく。
「だ、誰か来ました」
「ノックってことは生徒でしょ」
「隠れなくちゃ」
え、なんで隠れる必要が。別にいいじゃん。
しかし火藤さんは辺りをキョロキョロと見て焦っている。俺の腕を引っ張り、ベッドの方へと向かっていく。
「あ、あわわわっ」
「どうしたんだよ急に」
「きっとクラスメイトの誰かです。私が体温計で遊んでいたことを嗅ぎつけてきたんです!」
「嗅覚の域を超えているんですがそれは」
「隠れます! 今日はちゃんと動いてくださいっ」
うおっ!? 無理矢理引っ張られてベッド、の下へ。なぜベッドの下!?
「ここなら見つからないはずです」
「そもそも隠れる必要性が皆無なんだって」
「だ、駄目です。体温計ヒートマッチに興じていたとバレたら委員長としての威厳に関わります」
「競技名がダサイ! そしてあなたの威厳はさっきの実験で跡形もなく消し飛んでいるから安心しろ!」
とか言っているうちに扉が開いた。ベッドの下、そこから見えるのは生徒の足。
……ヤバイことになった。これ、ありえないと思っていた漫画的展開になってしまった!?




