第82話 今日から二年生
暖かな朝東風が地面のすれすれを通り抜けて桜をひらりとさらう、眠たげな甘さを含んだ四月の香り。穏やかで緩やか、柳暗花明の心地良い空気が鼻をくすぐる。
「よいしょと」
そんな鼻に、フックをかけた。フックには糸が結ばれてヘルメットの上を通過し2Lペットボトルと繋がっている。
「あ、ちょ、痛い、これもう痛い。嘘、やだこれマジで痛いやつじゃん」
ペットボトルには水を満タンに注いである。2Lの重みが容赦なく俺の鼻穴を襲って痛い痛い、マジのガチで痛い略してマガチ痛!? 鼻もげちゃう!
「久奈ぁ、久奈はまだ来ないのか!?」
柊木家の扉が開き、久奈が出てきた。俺を見て一瞬ビクッと体を震わせたが顔は相変わらず無・表・情!
「おはよう久奈!」
「なお君おはよう。今日から二年生だね。同じクラスになれるといいね」
「ごく自然な会話! 鼻フックという不自然さにはノータッチかよ!?」
こちとら昨日の晩は徹夜して鼻フック工作に費やしたんだ! そうだよアホだよ。
「痛くないの?」
「めちゃくちゃ痛い」
抉れるような痛みが鼻の内側を走る。これなら2Lではなくて1.5Lにすれば良かったと謎の後悔しちゃってます。
「あ、なお君」
「な、なんだ」
「ネクタイ曲がってる」
「今言う!?」
久奈が俺のネクタイを丁寧に整えてくれる。それ自体はありがたいけど今しなくても!
あ、ヤバ、鼻取れりゅううぅ!?
鼻フック状態でネクタイを直してもらうという奇天烈な体験をした俺も今日から高校二年生。
高校二年生と言えば数多くの主人公が在籍している学年だ。大抵高二の時に事件や怪奇に巻き込まれるのがラノベの理。つまりは俺も何かしらの異能を手に入れる可能性が……
「直弥っ、今年度もよろしく麺麺ジェントル麺!」
「やーやー、また同じクラスだね~。髪の毛撫でさせて~」
まあ現実はそんなに甘くない。異世界転生なんてあるわけないだろいい加減にしろ!
ここは新しい教室、二年二組だ。新しいクラスメイトは坊主頭の麺キチ麺太、栗色ゆるふわロング髪ギャルの金城。昨年度と変わらない麺麺、じゃなくて、面々だ。
「どーして久土は鼻が赤いの?」
「なお君鼻フックしてた」
そして久奈も同じクラスだ。俺がよく話す人ばかり。クラス替えってもっとシャッフルされるもんじゃないの? なんかご都合主義の匂いがするぞ!?
……久奈と同じクラスなのは素直に嬉しいけど。
「ところで久土ぉ、始業式終わったら」
「行かない! 奢らないからな!」
「まだ言い終わってないんですけどー」
いやもう分かるよ。一年の付き合いがあれば金城の考えることなんて分かるっての。お前が俺の頭触って思考を読み取るように、俺だって雰囲気で察することだって出来るんだからな。
「放課後どこか寄ろうと言うんだ。そして俺に奢らせるつもりだろ!」
「うわぁ、久土が必死でキモーイ」
「キモイのはいつものこと」
「久奈いけませんよ、その追撃は俺に効く」
なんやかんやで俺が払うことが多々ある。ホワイトデーの時もケーキバイキングに加えてカラオケ代を搾り取られた。そう、奢らせる形に持っていく話術の高さこそ金城舞花が小悪魔系女子と呼ばれたる所以。
二年生になったんだ、もう騙されんぞ。可愛いから奢ってもらえると思う可愛い子には屈しない。男女平等主義の主人公になってみせーる!
「俺は一銭も払わない。奢ってほしいなら麺太にでも頼め」
「あら直弥? さりげなく僕を売ったね」
「はあ~? 向日葵君と寄り道したくないし」
「金城さん? 単刀直入で僕を斬殺しないで」
「向日葵君はなお君の七兆倍キモイ」
「柊木さん? 春休み前は五兆だったよね」
てなわけさ、残念だったな。今年度の俺は一味違……なんだその顔。
「あーあ」
ため息混じりに肩をすくめる金城。ハンカチを取り出して目元に添えるとフラフラ揺れて久奈に抱きついた。何それ羨ましい。
「あたしゃ悲しいよ」
「まる子ちゃんか」
「今日はあたしが奢ってあげようと思ったのに」
「……何ぃ?」
「久土に奢ってあげたくて春休みはバイト頑張ったのに……およよ、泣きそう」
およよ、とか言っちゃってますよこの子。そして久奈がその横で「舞花ちゃんが可哀想」とか言っちゃってますよ!
え、えぇ? 俺に奢ってくれるつもりだったのか。あの金城が、サンドイッチ一つでスイーツバイキングをねだるような強欲悪魔が……マジデスカイ。
「あ、じゃあ、奢ってもらえるなら行」
「あたしちょー傷ついた。久土の一方的な決めつけがショック」
「舞花ちゃん可哀想」
「この悲しい気持ちは久土に奢ってもらわないと癒せない~」
「舞花ちゃん可哀想」
「……おいちょっと待て、この流れはよろしくない」
「およよ。久土ぉ、奢って♪」
結局こうなるのかよ! なんだその甘ったるい声っ、昨今のぶりっ子アイドルでもやってないぞ!
「き、金城、俺が何を言っても俺に奢らせるつもりだっただろ」
「酷いっ。あ、あたしはそんなつもり一切なかったのに……およよ」
「舞花ちゃん可哀想」
「そのおよよってのやめろ! あと久奈さっきからそのフレーズばかりだなおい。なんで全面的に金城の味方なの? 自然と二対一の関係に持っていくのはなぜ!?」
「心配するな直弥っ、僕がいるから二対二だよっ」
「麺が一玉増えたところで戦況になんら変化ねーよ馬鹿!」
二年生になっても騒がしい日々は変わらないらしい。やれやれ、困ったものだ。
……まあ俺が一番うるさいんですけどねっ!




