第71話 俺の幼馴染を泣かせるんじゃねぇ
奇声から逃げるように昇降口へと向かう。地域によっては下駄箱とか玄関と呼ぶらしい。ウチの地域では昇降口ですっ。
さてこの昇降口、いつもと違って本日だけは特別な場所となっており、チョコが入っている可能性があるのだ。男子は開ける前に一呼吸してしまう。俺なんて今朝は何度も深呼吸して過呼吸になる程だった。期待しすぎ。
「クラスの女子には散々言われたから入っている可能性はゼロだけども期待する自分が……ん? どうした」
もうすぐで到着というところで久奈が立ち止まった。廊下の端に寄って隠れている。
どうしたどうしたの精神で久奈の視線の先を追うと昇降口には……うあぁ、月吉。
「柊木さん遅いな。僕にチョコレートを渡す約束をしているのに」
俺も慌てて久奈に倣って壁際に身を隠す。
ブツブツ呟いてソワソワ体を揺らし、待ち伏せ中の月吉は五秒に一度のペースで手鏡を取り出して髪型をチェックしている。
瞬き並みの頻度だ。数秒でヘアセットは崩れないよナルシスト君。
「ああ言っているけど本当に約束しているの?」
「んーん、全然」
だよな。どうやら月吉が一方的に約束したと思い込んでいるらしい。相変わらずタチが悪い。
んー、どうしましょ。久奈が嫌がっているのは明白。俺も同じ気持ちで月吉を避けたいものの、あいつの立っている場所を通らないと靴を履き替えられない。
「とりあえず部室へ行くか」
「今日は部活お休みだよ?」
「誰かいるかもしれない。先輩がいたら万々歳だ。頼んで月吉を追い払ってもらおう」
「ん、分かった」
踵を返して来た道を戻る。
「月吉しつこくて大変だのぉ」
「大変。なお君なんとかして」
「善処します」
喋りながら渡り廊下と特別棟を過ぎて部室棟へ。階段を上がり、囲碁部の部室の前に到着。
誰かいるかな?と扉へ耳を傾けると中からは人の声が聞こえた。
「お、誰かいる。入ろうぜ」
「待って」
扉に手をかけた俺を久奈が制す。唇の前に指を立ててビークワイエットの動きをしていた。
久奈の指示に従って息を潜め、音を立てずゆっくりと僅かに扉を開けて中を覗き見る。
囲碁部部室、中にいるのは長宗我部と勅使河原さん。
「あいつら二人だけ?」
「なお君静かに。あれ見て」
「あ」
二人は向かい合い、勅使河原さんが包装された箱を長宗我部に差し出している。
あれは、どう見ても、バレンタインチョコレート。
「ありがとう勅使河原、大切に食べるよ」
と言って嬉しそうに照れている長宗我部。勅使河原さんも頬染めて微笑む。
キャッキャウフフ、二人は仲睦まじい幸せな雰囲気に包まれていた。
「……あいつらそういう関係なのか」
「知らなかったの? 去年から付き合っているよ」
「マジかよ言えよ長宗我部ぇ」
久奈は勅使河原さんから聞いたのだろう。でも俺は長宗我部からその旨を聞いていない。
なんで報告してくれないんだよ。部活仲間じゃんか、幽霊部員でも同期じゃんかフレンドリーじゃんか。
「しかも何あの凝った包装紙とサイズ。ガチチョコじゃん」
勅使河原さんが渡したチョコレートは女子らしさで溢れていた。あの子すごいね、棋力も握力はおろか女子力も高いんかい。
仲良いカップルを目の当たりにし、堪らず「知らなかったの俺だけかよ!」とティーダよろしく叫びたい衝動に駆られるが久奈に制されて口を噤む。
「なお君駄目だよ」
「わーったよ」
あんな幸せそうな顔しやがって……ガチチョコ羨ましい。ガチョコうらやま。ぐぬぬ!
今度めちゃくちゃ問い詰めてやるとして、今日は存分に二人だけの時間を楽しむといい。同期の部活仲間に、心の中で祝福してそっと扉を閉めた。
「いいなぁ」
久奈がポツリと呟く。
俺を見て、先程と同様モジモジと手を合わせて俯いている。やっぱり様子がおかしいぞ。
「なお君……あのね」
「おう。ドンと来い。なんでも聞き届けてやる」
久奈は俯いたり俺の顔を見たり挙動がおかしかったが大きく一呼吸すると、意を決したように鞄から何かを取り出す。
正方形の、ピンク色の紙で包装されたそれは、
「その、ね……今日はバ」
「ここにいたんだね柊木さん!」
月吉テメェええぇぇ大きな声出すんじゃねぇええぇ。
「約束を忘れるなんて酷いじゃないか。探しに来て正解だったよ」
月吉が久奈を見て嬉しそうに走ってくる。バタバタと、静かな部室棟に足音が響く。馬鹿やめろ! 空気読めえぇ!?
「い、今は駄目だって。長宗我部と勅使河原さんが」
「君が柊木さんを連れ回していたんだね。まったく、君にはうんざりだよ」
俺こそお前にうんざりだよ! 辟易しているわ!
頼むから落ち着け。部室の中で一組のカップルが良い感じなんだ。熱々で甘々の幸せムードなんだってば!
それに、久奈が何か言いたそうだったし……。
「むむっ、柊木さんそれは」
「え、あの」
「僕へ贈るチョコレートだねっ。分かっているよ、ありがたく受け取ろう!」
「ち、違います」
久奈が否定するもハイになった月吉の耳には届かず。
月吉は久奈から奪うように箱をひったくると包装紙をビリビリと破いて……え、いや、それって
「ありがとう。君の好意、確かに受け取ったよ」
「だ、駄目! 違う……やめて……っ」
久奈の無表情が崩れ、必死になって声を振り絞る。けれど月吉はお構いなし、破いた包装紙を払って箱を開けた。
待て……ちょっと待て。
久奈が、泣きそうになっている。俺が傍にいる時は顔色を変えることなく温和でおとなしい久奈の瞳が潤んで、丸い雫が今にも落ちそうで……。
「やめて、お願いやめて、っ、それはなお君への……!」
「照れなくていいんだよ、僕が優しく受け取ってあげよう」
ハロウィンの時、俺は久奈の表情を崩そうと躍起になって泣かせてしまったことがある。
金城に言われて気づいた。久奈の涙を見て反省した。俺が見たいのは久奈の笑顔。泣いた顔が見たいわけじゃない。見たくないんだ。
あいつを笑顔にしたい。あいつに、悲しそうな顔をさせたくない。
それなのに……おい、月吉。何やってんだお前。
俺の幼馴染に……久奈を、よくも……こ、の、っ!
「では早速、いただきます」
「だ、駄目。それはなお君の為に……うぅ……っ」
「久奈を泣かせるんじゃねぇ!」
全身から沸き立つ熱を込めて一歩踏み込む。腕がしなる。声を叫び散らす。
拳の表面には何も感触が伝わってこない。だが音はハッキリと聞こえた。
完全に振り切った自分の拳を見て、その奥で月吉が白目剥いて倒れていく姿がスローモーションで映った。
「があっ!?」
吹き飛ぶナルシスト野郎。手から箱とチョコレートが落ちた。
閉鎖的な廊下に反響する俺の慟哭と衝突音、床に叩きつけられた月吉がピクピクと痙攣。
「が、がふ……」
「久奈を泣かせる奴は、俺が許さない!!」
腹の底から叫ぶ。拳の表面は今になって痛みが走った。




