第45話 クリスマスイブ
追試に合格、補習を免れてハッピーな気持ちで終業式を迎えた。そう、冬休みに突入だーっ。
夏休み程の長期間ではなにしろ学生にとっては十分にありがたい約半月の休暇。ゲームに漫画、映画やテレビと一日中好きなことが出来る悠々自適な素晴らしき怠惰の日々。
これだから小学生は最高、じゃなくて学生は最高だぜ。
「お、そろそろ時間か」
時計を見て待ち合わせ時間が迫ってきていることに気づいて水の神殿でセーブ、着替えを始める。
着替えを済ませた後は持ち物の確認。財布よし、携帯よし。財布の中には諭吉さんと樋口さんが入っているし携帯は充電100%と完璧だっ。
レザーのショルダーバッグに詰め込んで、机の真ん中にぽんと置いてあった箱を手に取る。……プレゼント、よし。
「あん? どっか行くん?」
リビングでは母さんが掃除機をかけていた。珍しく掃除をやっている。年末って感じですね。
「あ、分かった補習やな。ざまぁ」
「ぶはは残念。今回は補習ナッシングだ」
「え、なんて?」
「補習はナッシング」
「全然聞こえん。声張れ」
「補習はナッッッッッシング!」
「うるさい黙れや」
「まず掃除機止めろや!」
掃除機がうるさい! 母と息子の会話が家電製品に妨げられているんだよっ。
母さんは小言を言いながら掃除機のオフにしてくれた。小言だったけど今「こいつの声ホンマ耳障りやな」って呟いただろ。割と傷つく毒を吐くな。
「ちぇ、補習で弱っていくアンタの姿を肴に酒飲むん楽しみやったのに」
「人の親とは思えない発言だな!」
「なあなあ、補習に行く体でなんか言ってみて」
てい? 補習に行くテンションになれってこと? 変な注文する親だな……。
俺は床に両手をつくと喉奥を震わせる。喉に負担を与えることでえづきを呼び起こす。
「えぐっ、ぅえ……ほ、補習ヤダよぉ……!」
「あぁ良い、酒が進むわ」
母さんは上機嫌に缶ビールを口へ運び、一般家庭の奥様がジャニ特集を観た時みたいな顔でほっこり悦に浸っている。お前はクズ野郎か。
「アンコール頼むわ」
「……あぐ、あうぐぅ! 世間はイブで盛り上がっているのに俺は勉強地獄。惨めだ、ごろじでぐれー!」
「ホンマ最高やで、アンコールでアルコールが進む進む」
「ホンマ最低やな!?」
お前はクズ野郎か! 母さんの悪趣味に付き合っている暇はないんだよ!
俺は今から用事があるから外出します。晩ご飯は外で食べてくるんでどーぞ遠慮なく俺の分も食い散らかしてどーぞ!
「そういやイブやったな。アンタ、補習じゃないならデートか」
「……」
「金城さん? まあやっぱ久奈ちんやろな~」
この母親は……! ピンポイントで正解してんじゃねー。当てられてビックリしたわ。呼び起こす必要もなく動揺でえづき出かけたわ。
「ちゃんとエスコートせぇよ」
「う、うるせぇよ」
「あ、何? 聞こえん。掃除機かけてるから」
「掃除機うるせぇよ!」
母さんがニヤリと笑いビールを呷る。俺は舌打ち飛ばして早足で逃げた。
絶妙なタイミングで掃除機の電源をオンにしやがってクソババアこんちくしょうが。
エスコートせぇよ? はあ? ガッツリするに決まってんだるぉ!
「っ、ひとまず落ち着こう」
母さんに乱された今の心理状態では普段のパフォーマンスを発揮出来ない。待ち合わせ場所に到着するまでに気持ちを整えなくては。
さあ直弥よ、息を吸ってー、吐いてー、
「なお君」
待ち合わせ場所は玄関を出て徒歩六秒のエレベーター前。深呼吸は一回しか出来ませんでした。駄目だこりゃ。
「う、ういっす」
「? 声おかしいよ」
「無駄にえづいてきた」
「なお君らしい」
「俺らしさ、えづきなの?」
エレベーターのボタンを押して「ん」と肯定するのは久奈。
キャメル色のチェスターコートにチェック柄の長いマフラーの組み合わせは定番ながらもキュート。マフモコが発動して、久奈の可愛さを助長させつつ大人びた女性らしさも醸し出していた。
コートの下からチュニックを覗かせて足は黒タイツ、ブーツもオシャレだ。あ、これ以上は俺のファッション語彙力の乏しさで解説不可能。
要するに今日の久奈の服はすんげー似合っているってことです! 優しい色合いにチェック柄を合わせてガーリーな雰囲気はバッチリGOOD。
「エレベーター来たよ」
「お、おう! 乗ろうぜ!」
「?」
はうっ、圧倒的女子力を誇るコーデできょとんと首を傾げないでぇ。
とんでもない可愛さだ。いつもの二倍キュンキュンしちゃう。キュンキュンキュンキュン。パチンコの効果音みたいになっちゃった。
「おかげさまで補習を回避出来ました。サンキューな」
「なお君の頑張りが報われただけ」
「いやぁ、あなたが寝る寸前まで俺の部屋に居座ってくれたからですよ」
本当ね、この子ったら消灯するまで俺の部屋にいたんだよ。俺は飯と風呂とトイレ以外の時間は全て拘束されていた。ノイローゼで倒れるかも思ったぜ☆
「今日はそのお礼だな。楽しみましょ」
「ん。……ねえ、なお君」
エレベーターが一階に到着、エントランスを進む俺の袖口を久奈が掴む。
あなたそれ好きよね。される側はキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンしちゃうよ。軽い発作じゃねぇか。
「どした?」
「……」
久奈は俺を見上げる。パッチリと円らで澄んだ瞳がいつものようにじぃー、と見て、ちょっとだけ目線を逸らす。
その場から動こうとせず立ち止まって片方の手でコートを触ったり頭をブラブラと左右に揺らして……なんか、待っている?
「えっと、久奈ん?」
「……今日の」
「あ、はい」
「私の服……どう?」
っ、そーゆーことね。気づくの遅くてごっめーん、誠にすいまめーんっ。
いやいや、俺は馬鹿か。ジョイマン久土じゃなくてジェントルマン久土になろうぜ。
……久奈は待っている。今日の自分の服装はどうですか?と。俺の感想を待っている。
「なお君……」
あのね、俺はあなたと会った瞬間に頭から足先までしっかりと見ましたよ。心の中では大絶賛してキュンキュンの三乗をしていたからね。その感想を口に出せってことですか。
う、うぐぐ……恥ずかしい。
「……ツー」
「ああごめんごめん! 言うから『ツーン』って言わないでっ。……ご、ゴホン。ワンツーワンツー、あっ、あっ、あーっ」
「なんでマイクチェック?」
うるさい緊張しているんだよ。というか今日のあなたの可愛さに緊張しまくりだよ。
……今日はクリスマスイブ。久奈だって相当気合いの入った格好で来てくれた。俺よ、ちゃんと感想言え!
「それ、すげー良く似合っているぞ」
「……本当?」
「嘘は言わねーよ。マジュで可愛い」
か、か、噛んだぁ!? マジをマジュって言っちゃったよなんだよマジュって!? この大事な場面で噛む奴があるかあああぁ俺のアホおおおぉ!
「いや、ちょ、今のは噛んでだな、あわわ」
「ん、十分。……嬉しい」
久奈が歩きだした。早く行こ、と言って俺の袖をいつも通りくいくいと引っ張る。お、おぉふ。良かった。噛んだ時はどうしようかと焦ったが久奈は満足したみたい。
……ん、満足している。いつものように袖を掴む久奈の、いつもより歩みが速くて軽い足取り。
気づいた俺は自然と笑みがこぼれた。楽しいイブの日、デートの始まりだ。