第43話 酸辣湯麺太
追試の日がやってきた。
指の上でシャーペンをクルクル回し、伊達眼鏡をクイクイ上げる。準備万端、やる気満タン。
「それでは始め」
「やったるでオラぁあああぁ!」
「久土、追試終わったら校庭十周な」
息絶え絶えの汗まみれまみれ、伊達眼鏡を放り捨ててグラウンドに倒れ尽きる。
ぜえ、ぜえ、し、死ぬ。走って汗が噴き出すし、冷たい風で鼻水が垂れちゃって、なんか色んな液体を撒き散らす自分が惨め。ぐすん。涙まで出てきた。
「うぷ……あかん、これ気を抜いたら吐くパティーンだ」
汗、鼻水、涙と続いてゲロはヤバイ。五感を司る器官のうち四つから同時放出ってどうなのさ。
呼吸を整えて且つ吐き気を抑える。ふと、視界に水筒が映った。お茶なら最高、アクエリなら超最高だ。
「あ、ありがたや…………待てよ?」
迷わず手に取れば蓋を開けて一気に飲もうとして、ギリギリで考え直してやめた。
「ちっ、飲まないのか。酸味を強めにした酸辣湯麺の汁なのに」
聞こえた。俺の前方二メートルの位置に立つ麺太の悔しそうな舌打ちが聞こえた。やっぱり罠か!
だと思ったよ。走り終えたところに都合良く水筒が落ちているはずがない。
麺太は水筒を回収すると俺の前に立ち、そこで迷路できるの?ってくらいに眉間にシワ寄せて歯を剥きだす。
「この裏切り者ぉ! 僕は補習なのに……直弥、お前は補習なしってどういうことさ!」
麺太が怒り狂う。地団駄を踏んでグラウンド全体に雄叫びを轟かせた。
……ふっふっふ、悪いな麺君。俺は全ての追試をクリアした。補習は、ゼロ!
「どーだっ、これが俺の実力だ!」
久奈に勉強を見てもらい大いに励んだ。今までの定期考査でも久奈に教えを乞うたことはあったものの結局は赤点を取る結果ばかり、でしたがぁ~今回はちっがーう。
俺は本気で取り組んだし久奈もマジだった。出題されるだろう傾向をみっちりと対策してくれて俺がサボらないよう常に目を光らせてくれた。
「はっはっは……マジで死ぬかと思った」
いやもうぶっちゃけ牢獄と大差なかった。
帰宅したらすぐに机、飯を食べ終えたら机、風呂上がりの半裸の姿でも机、ひたすら久奈によって机に連行されてスパルタ指導で叩き込まれた。せめて寝間着は着させてほしかったね。
まっ、その甲斐あって追試はオールクリア。満点すら取った。追試とはいえ百点満点は小学校以来の快挙だ。今すぐツイートしたい。百点わず。
「一人だけ補習回避だなんてズルイよ!」
おやおや、麺太君が何やら喚いていますね。水筒をグルングルンと振り回す彼の形相はちょっとしたR指定。
「クリスマスイブは一緒に過ごそうって約束したじゃないか!」
「んなプロミスは存じません。なんだそのホモエンド」
「補習を受け終えたら一緒に駅前広場へ特攻しよう。僕は豚骨スープを撒き散らし、直弥はゲロを吐き散らして街の雰囲気を乱してやろうよ!」
「ただのテロ行為じゃねぇか!」
「ふざけないでよぉ!」
麺太が嘆き、咽び、泣き喚く。あまりの不憫さに、俺の脳内で悪魔が『こいつのキモさ☆5』とレビュー投稿。やめてやれ。
「ぐす、直弥ぁ、どうして僕を裏切ったんだ」
「麺太……」
クリスマスイブという素敵な一日を、彼は学校で過ごす。それだけでも致死レベルの拷問だってのに帰り道にはイチャイチャカップルが埋め尽くされている。なんと恐ろしい、精神崩壊待ったなしだ。
なんて可哀想……なんて、なんて滑稽……っ
「ぷ、ぷぷ、くくっ……あーっはっはっは!」
笑いが止まらない、止まらないなぁ! 親友は死より辛い思いをするのに俺はしなーい。俺は回避~。ぷぷっ、こいつ哀れでちょーウケるー!
「ぎゃはは! ざまーみろ麺太くぅん、俺は一足先に冬休みを楽しませてもらう」
「……」
「恨むなら自分を恨むがいい。もっと真剣に勉強し・ろ・Yo~!」
「……」
「ねえどんな気持ち? 勉強しなかった自分が悪いのを痛感するのねえどんな気持ち? ねえどんなき」
ジャバババ。
頭頂部に何かが降り注ぐ。それはあっという間に頭皮及び顔面を濡らして鼻に刺す強烈な酸っぱい臭い。
「……麺太、何をした」
「直弥の頭に酸辣湯麺をぶっかけた」
酢の濃い臭いがたちまち脳にまで届いて嗅覚のみならず視界がブレてきた。
逃げたい、逃げられない。もはや酸辣湯麺の臭いは顔の皮膚に染み込み、鼻穴を刺激する激臭に抵抗する術は残されていなかった。
「うっぷ……っ」
この感覚を俺は知っている、経験している。
体の内側からごぎゅるるる、と逆流する音。我慢することが出来ず、口を開いて全てを吐いた。
「おろろろぉ!?」
「はーい夕方の部も達成ぃ!」
麺太がゲラゲラ狂い笑う下、俺のあだ名はリニューアルされた。その名も『朝昼夕ゲロ男』である。




