第4話 サッと躱すも傍にいてくれる
二十周を完走した。足は小鹿の如くガクガク&プルプルと小刻みに震え、とめどなく噴き出る汗は寒露に吹くひんやりとした風によって皮膚表面を冷ます。けれど体の芯は火照り、ぜいぜいと喉鳴らす乱れた呼吸は熱を帯びる。
す、すんごーく疲れた。よく頑張ったよ俺……。途中、何度も意識が飛びそうになったが久奈の規則正しい淡々としたエールに呼び戻されてなんとか走りきった。あんな淡白な叱咤激励は初めてでした。
「うわぁ汗ダラダラじゃんキモイ」
「それが生還した級友にかける声かよ金城ぉ」
「ひくわ~」
「追撃やめんさい」
あーヤベェ。さすがに体力はゼロ、ツッコミする気力も湧かない。俺は手先でシッシッと金城を追い払って自分の椅子に倒れ込む。ぐへぇ、喉渇いた。
「直弥だらしないぞ。しょうがないな、これ飲みなさい」
「さ、サンキュー」
麺太が水筒を差し出してくれた。すまんな、ありがたく飲ませてもらう。コップを一気に傾けて喉へ流
「今日は濃厚魚介スープだぜっ」
「おぼぼぼぼえぇ」
今しがた飲んだスープに混ざって昼飯の惣菜パンを吐き出す。あっという間に教室内は阿鼻叫喚と酸っぱい臭いに包まれて、俺のあだ名が『朝昼ゲロ男』へとレベルアップした。いやダウンか。まあどっちでもいいやおええええぇ!
ひたすら走ってひたすら吐いた。あぁ今日は厄日だなと思いつつ次の授業は何かとチェックする。次は体育だ。
「ん? なんで直弥は乳首隠してんの?」
「まだ人に見せられる状態に回復してないから」
恥ずかしがり屋なシャイ男子よろしくコソコソと着替えを済ませてグラウンドへ到着。男子は外で女子は体育館だ。
ま、今日もどうせハンドボールとかサッカーだろうな。今日はもう疲れたしテキトーにサボるか。
「今日はマラソンをする。全員、校庭を十周だ」
クソ体育教師いいいいいいいいいいぃ!
本当のほんとぅーに今日は厄日だ。一日のうちで校庭を四十周も走ることになろうとは。強走薬グレート飲んでもこんなには走らないだろう。
ホームルームが終わって放課後を迎えた。誰もが浮かれる学生のゴールデンタイムに突入しても俺は机に突っ伏して一歩も動けずにいた。体力の回復を待とう。
「見て、あれが朝昼ゲロ男よ」
「おまけに朝は廊下を這いずっていたってさ。キモッ!」
「もうすぐ夕方の部が始まるらしいよ。に、逃げなきゃ」
他クラスの女子が廊下から俺を覗き見ては青ざめた顔して逃げていく。なんだよ夕方の部って。遊園地のパレードみたいに言うな!
一日のうちで二回もゲロ吐くことあります? わしゃ歓迎会で飲み過ぎた新入社員か。
あぁ、マジで終わった。吐きまくったせいで俺の高校生活がマジで終わった。世界を救うくらいの偉業を成さなければ掻き消せない業だ。業と書いてカルマ。イエスアイアム中二病。
「てことで神様、俺を異世界に転生しておくれ」
「いや転生じゃなくて転校しろし。久土キモーイ」
冷ややかな目で見下された。金城がキモーイと罵れば他の女子もキモーイとリピートする。
君らね、集団による連携イジメが一番キツイんやで。あんまりストレス与えると俺また吐くぞ。朝昼夕ゲロ男になってやろうかあぁん?
「ぷぷっ、女子に嫌われてやんのー」
「全てお前のせいだからな!?」
呪いをかける勢いで睨みつけても全く伝わっておらず、麺太は鞄を持って颯爽と教室から出ていった。今から部活らしい。あの体力バカめ。
金城も麺太も帰り、他のクラスメイトも帰り支度をする。というかみんないつもより帰るのが早い。そんなにゲロ男と同じ空間にいるのが嫌なのかなー、あははっ。……はぁ。
「帰るか……」
筆記用具も教科書も全て机の中に押し込む。空っぽになった鞄を持ち、空っぽになった腹をさすり、一人寂しくトボトボと教室を出る。
「なお君帰ろ」
「え……」
後からポンと肩を叩かれる。振り向けば、そこには久奈がいた。
「お、俺と一緒に帰ってくれるのか?」
「ん。同じマンションだもん」
「……久奈ぁ~」
クラスメイトに留まらず他クラスの奴らも俺のことをゲロ男と蔑称して逃げたのに、久奈は普段と変わらない態度で接してくれた。一緒に帰ろうと言ってくれた。ただひたすらに嬉しく、涙が滂沱として流れて止まらない。
嬉しさのあまり飛びついてしまいたい。久奈に向かってルパンダーイブ!
「ごめん吐瀉物臭いから今日は抱きつかないで」
「ぎゃふん」
某人気アニメの電気ネズミの如く華麗に躱された。おかげで俺は顔面から床へ不時着。痛い! 前歯が折れそう、前歯の負担ぱない!
「うぐぅ、午前もこうやって床をひれ伏していたわ……」
「なお君起きて。帰ろ」
「いてて……ういーす、帰りましょ」
前歯が折れていないのを確認して立ち上がる。今日は乳首が取れそうになったり前歯が折れそうになったり散々だった。結局久奈を笑わせられなかったし。
よっしゃ明日こそは笑わせよう! 頑張るぞと決意し、久奈と並んで帰路を歩く。胃が空っぽでも、心はポカポカと温もりで満ちていった。