第145話 麺太は優しい
麺太君視点です。
全力疾走する姿を見て、あの笑顔を見て、改めて確信した。
うん。直弥は大丈夫だ。
「さて、僕らは帰りましょうかね」
「ふ、ふえ? 帰るんですか!?」
きょとんと間抜けな顔が僕を見る。委員長だ。
へいへい、大きな声を出したら直弥に気づかれちゃうでしょ。邪魔したらいけないぞい。
「どうして帰るんですか。せっかく様子を見に来たのに。声かけましょうよ!」
「その必要はなくなったお」
「ひっ!? 気持ち悪い!」
委員長こと火藤さんは僕に対して不快感と恐怖を縒り合わせた罵声をぶつけてきた。
なぜか僕は委員長に嫌われている。なんでだろ? 別段変なことをした覚えはないのに。
「あうぅ、向日葵君と一緒なのはすごく嫌です」
「だったら来なければ良かったのに」
「で、でもお見舞いには行きたかったんですっ。…………あ、べ、別に気になるとかじゃないですからね!? 学級委員長としてクラスメイトのヤスヒを気遣うのは当然なだけです!」
「声が大きいお。あとヤスヒじゃなくてアンピ、安否ね。馬鹿の僕でも知ってるお?」
改めて委員長の酷さを思い知った。いつも直弥からうるさいと怒られているボケ担当の僕にツッコミを入れさせるとは。
うーむ、直弥はこの子を相手にしていたんだね。こりゃ大変だ。ポンコツ? いやツンデレ? 合わせてポンコツンデレかな? とにかく癖が強い。
いくら注意してもポンコツンデレ委員長は声のボリュームを下げてはくれず、直弥の後を追おうとする。なので僕はディフェンスしてその行く手を阻む。
「とぅ! メンメンメンディフェンス!」
「んもぅ! どいてください!」
直弥なら「フンフンフンディフェンスみたいに言うな!」と言うところを、委員長は地団駄を踏み、大きな瞳で僕を睨む。
うむむ、見上げられる形で睨まれるのは中々にそそる。これで巨乳だったらなぁ。背が低くて胸が大きいって最高だと思うの。柊木さんも胸さえあれば完全無欠だ。とか言うと直弥がキレるのでみんなは言っちゃ駄目だよっ。僕は誰に語りかけているの?
「どうして邪魔するんですか。向日葵君は何がしたいんですか!」
「何がしたいじゃなくて、何もしなくて済んだって言ってるの」
説明するも、委員長は理解してくださらない。はてさて困った。どうしたものか。
「向日葵の言う通りだ。久土はもう大丈夫。俺らがやることは残っていないよ」
お、こっちの二人は分かっているっぽい。
「さすが超宗我部君」
「長宗我部な。漢字が違う。サイヤ人みたく言うなよ」
「ご麺ご麺」
「だから漢字が違う」
「直弥だったらテンション高く『漢字が違うじゃねーかー!』とツッコミを入れているだろうね」
そう言って僕が笑うと長宗我部君も笑う。「あぁ、あいつはな」と呟いてニヤリとする彼の隣には学年一の怪力娘、勅使河原さん。彼女もまた落ち着いた様子で微笑む。
この二人は付き合っているそうな。直弥曰く、このカップルと一緒にいると惚気話ばかりでお腹いっぱいになるんだとさ。お前が言うなの世界である。
「ひううぅ! も゛う゛、なんで私以外みんな察したような顔しでるんでずが!」
蚊帳の外にされたのが悔しいのか、委員長は今にも泣き出しそうな顔で僕ら三人に鋭く憤りを含んだ睨みを効かせる。地団駄は今も継続中。そろそろ足が痛くなる頃じゃない?
「あうぅ、足が痛い……」
予想的中しちゃったよポンコツすぎるよ!
委員長はフラフラとよろめいて、電車の手すりを掴むような感じで長宗我部君の腕にしがみついた。
……途端に勅使河原さんの顔が険しくなった。ついで長宗我部君の顔も険しく、そして青ざめていく。
「よし、落ち着こうか勅使河原。嫉妬する気持ちは嬉しいが俺の手を粉々に砕こうとするのはやめような」
おぉ、学年一の怪力娘の異名は伊達じゃないらしい。ビスケットを潰すかの如く容易に手の骨を砕く勅使河原さんと、脂汗をかきながらも冷静な口調で彼女を宥める長宗我部君、体重を預けて安らぎの表情を浮かべる委員長。
ヤバイっす。この麺子、癖が強すぎる。直弥はこんなにもキャラの濃い人達に囲まれて過ごしてきたのね。まぁ僕もそのうちの一人なんだろうけどー!
現状は僕が一番まともらしい。マジですか。
「はいはい皆さんカオスになってますよ。直弥は大丈夫、ならば何を暴れる必要があるんですかい」
「私は分かりません。工藤君は大丈夫、どうしてそう言えるんですか!」
長宗我部君という名の手すりに寄り添ったまま、委員長は再び声を荒げる。
先程までと違うのは、委員長の表情。責め立てられた子供のように酷く悲しげに、申し訳なさそうに唇を噛んで俯いていた。
「私のせいで工藤君が……」
……あの、ごめん委員長。場の雰囲気が真面目な感じになりつつあるけど、あなたの発言で他二名が「工藤?」ってなってるよ。
「直弥が心配なのは分かるよ。怪我させた原因は自分にあると責任を感じているのも分かる」
「はい……。それに、また私のせいで工藤君とひいらぎぎさんの邪魔をしてしまって……ひうぅ」
さらに落ち込む委員長。それを見て他二名が「ひいらぎぎ? え?」と困惑している。
何これ? なんで神妙な空気にギャグ感が混じっているの!? さすがに僕もツッコミを入れたくなったぞ!?
直弥はいつもこうだったのか。周りに振り回されて、気力を削られて、その中で一つの目的の為に動いていた。頑張っていた。
……やっぱあいつはすごいよ。
そんな直弥が無我夢中で相手にするのが柊木さん。そして柊木さんも直弥のことしか考えていない。あの二人は誰よりも何よりも互いのことを想い合っている。
僕らが心配する必要があろうか? 自身に問いかける度、僕はこう答える。ほとんど必要ないね、と。
「委員長。委員長はさ、アニメ観たことある?」
「アニメですか? ラピュタ大好きです」
それ観るのは国民の義務だ。教育、勤労、納税、ラピュタの四大義務である。
「アニメを観れば分かる通り、幼馴染ってのは偉大なんだ。どこに行くのも何をするのも常に一緒、互いのことは手に取るように分かって小さい頃には『大きくなったら結婚しようねっ』と約束して……うおぉ、幼馴染最高だお」
「ふ、ふぇ? つまりどういうことですか」
「直弥と柊木さんはね、放って置いても勝手に仲直りしてイチャイチャして幸せになるんだよ」
「勝手に……?」
「そう。そりゃ~もうすごいよ。見ているこっちが砂糖を吐きたくなる程のイチャラブっぷりさ」
近くで見てきた僕には分かる。
あの二人の絆の深さ、揺るがない健気で一途な気持ち、まさに相思相愛。同い年の奴らがあんなにも迷わずまっすぐ想い合う姿を見て砂糖を吐きたくなった。素直に関心した。すげぇと思った。
「僕らがやることはほとんどない。せいぜい背中を少し押せばいいだけ。……ま、さっきは学園祭実行委員長とかいうクソ野郎が現れて焦ったけどね」
僕に役目があるとすれば、ああいった邪魔する野郎は排除することぐらいかな。
だから助太刀に行こうとしたんだけど、先を越されちゃった。
「後始末はウチの月吉がやるから安心してくれ」
ようやく解放された長宗我部君は手をさすりながらもクールに喋る。続けて苦虫を噛み潰したように、けれどどこか小気味良く愉快げに口元をニヤリとさせた。
「月吉のしつこさは天下一品だ。その上メンタルが図太くて超絶ウザイ。水流崎先輩って奴は死ぬほど嫌になるくらい追い回されることだろうよ」
「なるほど。ざまぁだな」
直弥達の邪魔する奴はボコボコにする役目は月吉君とやらに譲ろう。徹底的に頼む。
邪魔者はいなくなり、あとは直弥の背中を軽く押すだけ。それは金城さんがやってくれた。
「金城さんが直弥を励ましてくれた。そんで直弥は走っていった。ほらね、もう安心だ。僕らがやるべきことはない。このまま気づかれずそっと見守ろう」
「うぅ……」
「えー、まだ納得してないの」
委員長が唸る。憤りは消えたが代わりに疑義の念を抱く、鋭利で大きな瞳が僕を見つめる。
小さな子供のように凝視して、委員長は口を開く。
「じゃあどうして向日葵君は辛そうな顔をしているんですか」
…………おー、そう来たか。
「普段と同じ気持ち悪い笑顔ですけど寂しそうに見えます」
鋭いのは瞳だけじゃないってかな? くっそー、ポンコツのくせに。いや、ポンコツだからこそか。
……人の心情を見事に言い当てるんじゃねー。
「……寂しいに決まってるだろ。僕はあいつのことを親友だと思っているんだから」
直弥は柊木さんを笑わせようと奮起する。全力で必死に。僕はあそこまで一途な人を見たことがない。
普通にね、尊敬していたよ。カッコイイと思った。僕の九十二兆倍カッコイイと言った柊木さんの意見、正直僕も頷けるよ。それぐらい直弥はカッコ良くて、すごくて、そんで馬鹿だ。
頭の悪さもだけど特にヤバイのは、柊木さんのことになるとテンションが振り切れること。酷い時は吐血したり泡を吹いたりと、僕を凌駕するキモさだった!
そんな直弥とアホなことやったり、コントみたいな会話をしたり、意味もなく駄弁っているのはね、本当に楽しかった。楽しすぎた。
……だからこそ、寂しくて悲しい。
「引っ越しが決まった時、直弥は柊木さんと離れることを寂しく思っただろう。何よりも柊木さんのことを考えただろう。……僕だって寂しい。あと一年以上は直弥とアホなことやれると思っていたからね。僕だって寂しいよ……」
「向日葵君……」
「でも僕の寂しさなんて今はどうでもいい。直弥に余計なことを考えさせちゃ駄目だ。今の直弥は柊木さんのことだけを想うべきだから」
あいつの奮起する姿を近くて見てきた。邪魔があっても困難であっても上手くいかなくても、馬鹿なりに馬鹿正直に頑張る直弥を僕は知っている。
そうやってきた最後の最後が今なんだ。きっと直弥は自分の想いを柊木さんに伝える。その健気で一途で純粋な気持ちを、僕のことで邪魔したくない。
「自分と柊木さんのことだけ考えればいい。金城さんもきっとそう願って直弥の背を押した。だから僕は何も言わない。それが、親友の僕がすべきことだと思うから」
直弥がいなくなるのは寂しいけど、まぁそれは後回し!
とにかく今はそっと、静かに、遠くからでいい。直弥を応援したいんだ。
「……向日葵君は」
「ん?」
「向日葵君は優しいですね」
委員長はそう言うと、少し頬を緩めて笑った。
……少しは納得してもらえたかな。僕の、僕なりの想いと覚悟を。
「そこまで言うなら仕方ないですね。私も何も言いません。工藤君を影で応援します」
「うふふ、委員長ありがとお」
「ひっ!? そ、その語尾気持ち悪いでず!」
「うえぇ酷くない? 僕は優しい紳士なんだぞ。なんたって僕は麺麺、ジェントル麺!」
「びええええぇん!」
僕が土日のジェントル麺の決めポーズを繰り出すと委員長が号泣した。大粒で大量の涙を流して長宗我部君の腕にしがみついて、それ見て勅使河原さんが反対の腕を掴んで骨をバキバキ砕く。
「なんか俺が一番の被害者な気がするんだが? おい向日葵、お前のせいだぞ」
「頑張れ超宗我部君っ、仙豆はないけど素麺ならあるよ! 今から茹でてあげるぜ!」
「これが久土の言ってたアホ麺ってやつか……」
その通りさ〜、僕はアホ麺でいい。直弥と馬鹿やってる馬鹿野郎でいい。
ただ一つ、直弥達の幸せを願っているよ。
ずっと頑張ってきた直弥。あいつは最後の最後まで頑張るはず。最後もカッコ良く決めてくれるはずだ。だって、それでこそ直弥だろ? 僕は信じているよ。
あ……そうだ。もう一つだけ僕に出来ることがあった。あの二人が笑顔になれたら、美味しい麺のお店を紹介しよう!
泣き声と骨砕ける音と冷静な声に囲まれて、僕はニヤッと笑った。