第139話 二人は幼馴染、二人はいつも一緒
青年でも、老人でも、大人になろうとも小説家になろうとも、人は誰だって昔は子供だった。ベンジャミンの奇妙な人生は例外で。
どんな人だって幼少時というのは少なからず今生きている時より頭の出来が悪い。端的に言えばアホってこと。
「お弁当の時間だぁ! いただきまーす!」
ならば高校生の今現在もアホな俺が子供の頃は、そりゃドがつく程のアホだった。様々な強調表現を用いても足りない程の、超絶怒涛スーパーハイパーウルトラいとアホの子だった。
「あぁおにぎりが!? 待てええぇぇい!」
手元から滑り落ちたおにぎりが坂を転がっていくのを追いかける小さな俺。
待て待て、おい俺、お前が待つんだ。拾うことのみを考えるな。そんな考えもなしに全速力で坂を下ったら自分ではスピードが制御不能になって、
「ああぁあぁぁああ!? 止まらな、ぶぼば!?」
大絶叫に続いてドボーンと激しい音。水飛沫が勢いよく飛び入る。
小さな俺は、池に飛び込んでしまった。あ、あぁ、このアホぉ……。
「うわあぁぁ!? 僕のおにぎりが落ちたあぁ!」
嘆くポイントそこ!? 握り飯どころかお前自身もウォーターハザードしてるからな!?
駄目だ……やっぱ恥ずかしいや、昔の俺。
現在、と言うか過去? 俺は、幼き頃の記憶の中にいる。以前にも体験した現象だ。
明晰夢のような状態、俯瞰した立場で眺めているのだが……小学生の自分の途方もないアホっぷり、及び黒歴史のオンパレードを見せられて非常に心苦しい。中二病を上映される方が遥かにマシだ。これはキツイ。
「うおぉん……! おにぎりを失った僕に生きる道理はない……このまま入水しよう」
なんでだよ今世を捨てるの早すぎだろ。つーか入水って言葉を知っているんかい。アホのくせに謎の語彙力を発揮すんな!
はぁ、こんのお馬鹿俺が…………あ、
「何やってるのなお君っ」
宙に浮いた今現在の俺の横を、小さな少女が横切っていく。
それは久奈だった。長い黒髪をなびかせて……ヤッベ、小学生の久奈可愛すぎ。羽が生えていないだけでただの天使だ。あっ、い、いやロリコン的な意味じゃないよ!?
「だ、だっておにぎりが」
「早くお池から上がって。はい、タオル。なお君風邪ひいちゃう」
久奈は水浸しで鼻水垂らした小さな俺に近づくと、ため息混じりに叱責しながらも自分が濡れるのを厭わずに俺の体を拭いてくれる。久奈超可愛い。心の中でいいねを連打。
「ありがどぉ久奈。でも僕のおにぎりが帰らぬおにぎりに……!」
帰らぬおにぎりってなんだよ。どんだけおにぎりに固執しているんだ。
「落ち込まないで。私のおにぎり分けてあげる」
「ホンマでっか! ホンっっマでっか!?」
アクセントが独特ぅ! なぜ急に関西弁? あ、たぶん母さんの影響か。まだ優しかった母さんに甘えていた時代なのだろう。
「ホンマだよ。だから一緒に食べよっ」
「おーぅ!」
全身ビチャビチャのまま、俺は久奈と手を繋いで坂を登る。突如としてずぶ濡れになって帰ってきた姿を見て当時の担任が悲鳴をあげているのを、俺は歯牙にもかけないで笑っていやがる。なんだこいつ、我ながらヤベェ。
ニコニコと笑う俺。その横で……久奈も笑っていた。
まだ自称が僕の頃の俺を見て、どこまでも屈託のない笑みで何度も「なお君」と呼んでは繋いだ手を離そうとしない。
あぁ。そうだ。この笑顔だ。
そうだったね……昔はこうやって普通に笑っていたんだった。俺の隣で笑ったり怒ったり狼狽えたり、感情豊かに……。
俺がもう一度見たいと願ってきた笑顔。笑う久奈の姿がそこにはあった。
「なお君、一緒に帰ろ」
場面は変わって小学校の教室。
ランドセルを背負った久奈が俺の元へ駆け寄ると間髪入れず服の袖をくいくいと引っ張る。当時からやってたのか。
対して俺は、苦渋を舐めたように顔を強張らせた。
「お、おーぅ。もちろんだにょ?」
「……ホンマ?」
「ほ、ホンマホンマ! 渾身の思いで下校しようぜ!」
下校にそこまでの気概は見せなくていいぞ俺。
しょんぼりしかけた久奈は笑顔に戻り、手を俺の袖から手へ移動させる。俺と久奈は手を繋いで教室を出た。
すると、
「あ! また久土と柊木が一緒に帰ってるぞ!」
「お前ら付き合っているのかよー!」
「付き合ってる付き合ってるぅ」
俺らを指差して、男子達がわざとらしく声を大にして煽ってきた。
まあ、よくある光景だ。女子と仲良くしている男子を冷やかすのが流行っていたよね。あるある。
そんな煽りを受けた場合、当の本人は慌てて「ち、違うもん!」と否定するのがこれまた定番。子供にはクールに受け流すといった大人な対応はまだ出来ない。
だから当時の俺も、
「ち、ちちちちっげーし!? 別に付き合ってないしマンションが同じだから帰る道が同じなだけだから!」
うっわ、思いのほかめちゃくちゃ動揺してる。普通の奴より過敏に反応してるじゃねぇか。煽り耐性ゼロ?
あー、でも懐かしいな。いつも久奈と一緒にいるせいか、よく周りから冷やかされていた。よく黒板に相合傘で名前を書かれていたっけ。
「やーいやーいカップル~」
「か、かかかカップルじゃねーし!」
「ヒューヒューお熱いねぇ」
「お熱くねぇわ! 冷えてるわ! 金麦ぐらいキンキンだ!」
煽られては逐一声を荒げて言い返す俺。必死だ。冷えている例えに金麦を使用するセンスは理解しがたいが。
なるほど。久奈と一緒に帰りたくないと渋っていたのは、こうやって冷やかしを受けるのが面映ゆかったんだ。
アホな俺は顔を真っ赤にして過剰に否定して、周りの男子もアホなので手を休めることなく徹底的に煽ってくる。
俺は澄まそうとするも、反抗的な鋭い瞳は揺れて強がっているようにしか見えなく、耐え切れずついに久奈の手を振りほどいた。
「僕一人で帰る!」
「な、なお君」
「ついて来るなよ! 僕は渾身の思いで一人で帰るから!」
そう言って、再び手を繋ごうとする久奈を突き飛ばして走り去ってい、おいコラボケェ! 久奈を突き飛ばしてんじゃねぇぞゴラ! お前なんか犬の糞でも踏んでしまえ!
「ぎゃあぁワンちゃんのうんこがぁぁ!?」
うっそだろおい!? 本当にうんこ踏んでスリップしちゃったよ! 超絶怒涛スーパーハイパーウルトラいとアホか!
「あがが……! ホイミ! ホイミ!」
使えねぇよ。
「大丈夫?」
「うん、なんとか大丈……っ、さ、触るなよぉ! 僕は一人で帰るんだからこっち来ないで!」
「やだ! なお君と一緒に帰る」
「帰らない! そして僕のおにぎりももう帰らない!」
おにぎりの件いつまで引きずってんのぉ!? 場面変わっただろ! この頃の母さんは優しいからまた作ってもらえ馬鹿!
今は久奈と一緒に帰って、あ、おい馬鹿。
「久奈のバーカバーカ! お前の父ちゃんハーゲ!」
知能指数が低い悪言を吐いて俺は一人突っ走る。
昔の俺よ、ハゲるのは俺らの父ちゃんだぜ。悲しい未来はもう間近に迫っているぞ。
「柊木フラれてやんのー」
「可哀想ぉ!」
「ざまーみろ、僕らも帰ろうぜ」
冷やかしを終えて満足した男子達もその場を去っていく。残されたのは久奈と宙に浮く俺。
……久奈は目に涙を浮かべていた。唇を噛みしめていた。
「なお君……っ」
トボトボと、俺が走り去っていた道を一人歩いていく。その背中は悲しげで、今にも泣き崩れそうで……。
っっ、アホなんて言葉じゃ言い足りない。本気でアホか俺は。最低だ。久奈を置いていくなんて、自分自身が許せない。
ふざけんな昔のお
「久奈」
短くボソッと、道の曲がり角から声をかける少年。辺りをキョロキョロと確認しながら久奈に向けて手招きをする。
俺だった。
「なお君……?」
「あいつら帰ったか?」
「う、うん。どうして……? なお君、一人で帰ったんじゃ……」
「い、いいから! 早く帰ろうぜ!」
「ぐすっ……うん!」
落ち込んでいたのが嘘のように、小さな久奈は幸せそうに満面の笑顔を浮かべて小さな俺にくっつく。
照れて染まる鮮紅色の頬と、嬉しそうに緩んで微笑む桃色の頬。二人は仲良く手を繋ぎ、帰路を歩く。
え、今のすごい。
ちょっと待って。いいね連打しまくりたい。
……むっちゃ良い感じやん。昔の俺やるやん!? 帰ったと思わせて待っていた、見事なフェイント。Foo!
「さっき馬鹿って言ってごめんな」
「ん、平気」
「良か、って久奈くっつきすぎ!」
「んーん、全然」
しかしまぁ、当時から俺らって仲良しだったんだな。小学生のくせにベタベタとくっついてあらら。
こんな出来事、覚えていなかったよ。覚え、て……。
覚えていなかった。
こんなにも初々しく、無垢でアホで、それでいてかけがえのない思い出を、どうして忘れていたんだ。
俺は忘れていた。覚えていない。二人歩いた帰路も、久奈の笑顔が消えるきっかけも……。
どうして俺は……どうして久奈は…………。
「なお君、怒ってるの……?」
「なんで……なお君、なお君? どうして私を見てくれないの……っ」
そして、場面は変わる。
飛び込んできた光景は、涙を流す久奈と、笑わない俺の姿だった。




