第126話 二組の天使が欠席
あの日以来、水流崎先輩と久奈が二人並び作業する回数は急激に減った。減らしてやった。
久奈は副委員長として大いに活躍。常に女子メンバーが行動を共にすることで水流崎先輩と二人きりにはならないよう鉄壁の布陣だ。
日が経てばさすがに実行委員長も仕事に切羽詰まり、アプローチするタイミングは失われていく。
となれば明白。そろそろ次の手を打つ頃だろうと思ったよ。
水色の画用紙に、白い石で擦ったような薄い雲が幾重にも重なる朝空。
時計の短い針は八を指す手前。会議室の前は粛として声なし。いくら忙しい実行委員でも、朝から会議室で作業をしているわけがない。
俺は扉を開ける。中には、水流崎先輩がいた。
「おはよう、ひいら……は?」
「お望みの相手じゃなくてすみませんね」
イケメンの恵比須顔から一転、水流崎先輩は俺を見た途端に煙そうな顔で舌打ち。憮然たる表情で俺を睨む。
残念。先輩怖い怖いひいぃと怯えていた最初の頃とは違うんだよ。
俺は水流崎先輩の前に書類を放り投げる。
「あなたが久奈に頼んでいたステージ発表のプログラム表の添削です。放課後に受け取ればいいのに、わざわざ朝早くに来るよう言うなんて仕事熱心ですね」
「……なんでお前が来た」
この場には俺ら二人しかいない。そういや、一対一で話すのは初めてか。
取り繕う必要のない水流崎先輩が苛立ちを隠さず忌々しげに高圧的な態度になって当然。それが本性なのだから。
立ち上がり、俺に噛みつかんばかりの剣幕で迫ってきた。無愛想に言葉を吐き捨てる。
「質問に答える前に一つ言わせてください」
その程度の凄みで返答に窮すると思うな。いつまでも尻込み、怯え退くと思うな。
俺は全力で、いつも水流崎先輩がやっている上辺だけの薄氷並みにペラペラなスマイルを浮かべる。そこからさらに、露骨に、頬肉が視界を圧迫する勢いで口角を上げて笑顔を見せつけた後、思いきり睨み返す。
「俺の久奈に手を出すんじゃねぇ」
イケメン? 先輩? 実行委員長ぉ? 関係ない。
久奈は嫌がっている。それだけで十分。あいつの怯えた顔を見たくない、それだけで俺は動けるんだ。
相手が誰だろうと立ち向かえる。久奈が大好きだから。
「久奈は風邪で休みですよ。しばらく実行委員は仕事を休ませてあげてください」
「お前に決める権限はない」
「では会議の時に決を取りましょうか? 大半が賛同してくれますよ」
久奈の男子人気は元より高い。休ませてあげたいと男子は頷くし、関さんや金城の働きかけで女子メンバーはこちらの味方。
まさに盤石。あなたがリーダーであっても多数決に抗うことは出来ない。今や実行委員の勢力は水流崎派より久奈派だ。
「代わりに俺がボロ雑巾よろしく働くんで。どーぞこき使ってください」
アンタも顰蹙しないでもっと働きやがれ。
沈黙を濁す互いの唸りと舌打ち。徹底的に睨み合い、向こうが目を逸らすまで僅かたりとも眼球は動かさない。
「ちっ……」
水流崎先輩は苦々しく舌打ちをして俺を突き飛ばした。
勝った気でいるなよ、と言いたげだな。こっちだって論破したつもりはない。
当然だろ。体調崩した久奈を働かせるなんて俺が絶対に許さない。
「以上ですね。では失礼しましたー」
「……調子乗るなよ。お望み通り俺の権限でボロ雑巾にしてやる」
「楽しみにしています」
厭悪に憎悪を混ぜた脅しに、俺は煽るように微笑で意趣返して教室を出た。
……上等だよ、水流崎。ボロボロになってでも食らいついてやる。
久奈が風邪をひいた。実行委員の仕事が忙しくて体調を崩したのかな……。
今朝は大変だったよ。久奈パパがこの世の者とは思えない叫び声で号泣しながら『風邪を一秒で治す秘薬をください!』と尋ねてきた挙句、落ち着かせようとする父さんの残り少ない髪を引っ張って猛り爆ぜるブラキディオス状態。父さんも泣いて寝室に閉じこもる始末で超カオスな朝でしたとさ。
「え、久奈ちゃん風邪なの?」
朝のホームルーム後、久奈のことを話すと金城は「あらら~」と残念そうに呟いて、周りの男子達は膝から床に崩れ落ちた。
「う、嘘だ……」
「二組の天使が……っ」
「今日一日何を楽しみに生きていけばいいんだ」
「平凡なモブとしての人生、柊木さんと同じクラスになれた幸福のみが俺の生き甲斐だったのに!」
絵に描いたように絶望している。久奈が大人気だ。照橋さんレベルだね。おっふ。
つーか君らは久奈を何だと思ってんの。天使って……。天使と見間違う程に清楚で可憐ではある。
「かなり深刻なの?」
「知らんよ。恐らくただの風邪だし、寝てたら治るだろ」
俺が答えると教室の空気が変わった。というか爆ぜた。
男子達が、ユラリと立ち上がって俺に極大の殺意を放ってきたのだ。
「柊木さんは今この時も苦しんでいるのに……!」
「死ね久土」
「なんだそのテキトーな返し」
「柊木さんが心配じゃないのか」
「許せぬ、あいつ許せぬ」
「レヴィアタンよ、契約のもと命じる、我が拳に宿り敵を討て」
こいつら全員頭がヤベェよ! どんだけ久奈のこと好きなんだ。悪魔の力で俺を討とうとする奴もいやがる。
「ここも猛り爆ぜるブラキディオス状態か……」
「みんな久奈ちゃんが心配なんだよ。久土だって心配でしょ」
「心配したからって久奈の体調が良くなるわけでもねーし、外野は黙って見守るべきだろ」
「久土~、そういった態度が男子の怒りを買っているんだよ」
金城がやれやれと俺に一歩近づいて頭を触る。なんで近づいてきたんだ、と思うことなかれ。もし金城が傍にいなかったら、男子達は一斉に机を投げつけてきただろう。
今現在、俺を囲むようにして男共が机を持ち上げて睨んできている。水流崎より殺意が高い。割と本気で怪我負わせるつもりかよ!?
「あぶねぇ……! さ、サンキュー金城」
「いーってことよ。けどさらに怒りを増幅させてるかも~」
金城の言う通り、教室を埋め尽くす殺意は濃くなっていく。
周りから「金城さんとも仲良い」「なんだあいつ羨ましい死ね尽くせよ」「許せぬ、あいつ許せぬ」「サタンよ、地獄の炎熱で奴を焼き潰せ」といった声が……うへぇ。
「久土は男子の敵だね♪」
「気楽に言ってる場合か。今日一日俺は気が抜けないんだが」
「あははー♪」
おちおちトイレにも行けない。
な、なんだよ。なんで俺がモテ男みたいな雰囲気になってるの? 俺こそ真のモブキャラだよ!?
「最悪だ……」
そんな俺を、金城は優しく頭を撫で続ける。
「まーまー、今日はあたしが守ってあげるから安心して」
「すげー助かる。お前が傍にいたら男子も攻撃出来ないはず」
「その代わり、ちゃんとお見舞いに行くんだよ」
「お見舞いねぇ……別に俺が行く必要はないと思うんだが」
「とか言っちゃって~、むふふっ」
金城はニヤニヤと笑い、俺に耳打ちする。
「本当は心配で心配で仕方ないくせに~」
「……」
「黙っても無駄っての。あたしにはこれであるのだー」
俺の髪をナデナデ。さらにニヤニヤ。
「一途だねぇ、健気だねぇ。久奈ちゃん愛されてる~っ」
……お前には敵わないよ。
「「金城さんの耳打ち……久土死ね死ね」」
「直弥っ、僕が買い揃えたカップ麺の数々を見てくれ!」
男子からの嫉視は激しさを増し、麺太は相変わらず麺バカで時間は過ぎていく。




