第114話 ゴールデンウィーク
ふわふわと浮いた足。まるで雲の中に飛び込んだような、白がどこまでも続く世界。
これは夢だと把握した。把握出来るってことは、自分の意識があるパターンの夢なのだろう。明晰夢とは珍しい。
しっかし、何もないところだ。トラックに轢かれた後に来る場所かな? 今は転生なんて望んでおりませーん。久奈を置いて異世界に行けるか。
ん? そうだ久奈だ。せっかくの夢なら会いたい、笑っている久奈に会いたいよ。
念じるんだ。スマイル久奈よ出てこい。おーい久奈~。
「おーい久奈~!」
俺の声が聞こえた。真っ白な世界に色がついていき、床から数センチだけ宙に浮く俺の横を駆けていったのは昔の俺。小学校三年生くらい。
……なーんで小さい頃の俺が出てくるんだろうね。自分の少年時代なんて見たくない。だって、
「見ててなっ、優勝してやる! んぐ、んぐっ、ぐ……ごぽっ、がぼぽぽ!?」
ほら見ろ超アホじゃん。登場して数秒でアホ発揮してるよ。
これは牛乳早飲み大会の記憶だな。小学校の教室。小さな俺は牛乳の一気飲みに失敗、目から涙を漏らし口と鼻からは牛乳を噴き出して溺れていた。
「げほげぼぉ!? にちゅ、かっ? ごっほごぼ!」
俯瞰した視点で自分の醜態を見るハメになるとは。我ながら情けない記憶で嫌になる……。
何が嫌ってこれは数ある出来事の一つに過ぎないのだ。アホ黒歴史はまだたくさんある。
もういいよ。夢よ早く覚めろ。明晰夢は終了でー。
「は、鼻がああ! げほげっほ!?」
「なお君面白いっ。でも無理しちゃ駄目だよ」
牛乳を垂らす俺の鼻に優しくハンカチを添える女の子。長い黒髪を揺らして俺の傍らに立つ。
その女の子は心配そうな声、それでいて楽しそうな声で笑っていた。
え……この子は久……ぁ
目が覚めた。俺は白い空間にも小学校の教室にもいなかった。自分の部屋のベッドの中にいる。
「あがぁ、良いところで……!」
なぜ覚めた。いや確かに俺自身が終了を促したけども。あと少し見せてくれよ。だってあの頃の久奈が……。
こうなったらもう一度見るしかない。直ちに目を閉じて二度寝だ。今ならまだ間に合
「なお君おはよ」
「あばばばば」
夢で見た小さな少女から成長した久奈がすぐそばに。無表情で目の色変えずベッドに腕をついて俺の顔を覗き込んでいた。いつからそこにいたの!?
「び、ビックリした。部屋に入る時はノックしなされ」
「分かった。トントン」
「いや、俺の胸をノックされても……」
久奈は俺の胸元を叩く。さらには顔を近づけて耳を傾けて、
「なお君いますか?」
と尋ねてきた。
っ……ヤバイ、むっちゃくっちゃ可愛い。超絶可愛いんだが。久奈がよく稀に放つ特大級のキュン死に攻撃。
寝起き直後にあどけなく無垢な表情でそんな仕草されたら、あぁ俺のハートは跡形もなく吹き飛んだ。
「ぐおぉ……」
「顔を覆ってどうしたの?」
悶えているんです。顔が打ち水をしたくなる程に火照った。心臓がバックバクしてらぁ……!
「……今みたいな仕草は男にしちゃ駄目だぞ」
魔性とも呼ぶべき驚異的な破壊力だった。あんなの食らって虜にならない男はいない!
「ん、もちろん。なお君以外にはしない」
「……」
「あ、また顔覆った」
この数秒で二回もノックアウトされるとは予想外。
俺以外にはしない、それはつまり俺だけにはしてくれるという特別感があり、久奈のこんな可愛い一面を知っているのは俺だけという特別感がある。特別感がありすぎてヴェルタース超えちゃいそう。
「なお君起きて」
「今すぐには無理ぃ、あと十分は必要」
「じゃあ待ってる」
そう言って久奈の方から聞こえてくる服の擦れる音。
覆った指の間から覗けば、そこにはベッド横にしゃがんで俺と目線を合わせてじっと見つめてくる久奈の顔。
……めちゃくちゃ見てくる。そしてめちゃくちゃ可愛い。
何これ、今日の久奈とんでもなく可愛いんだが!? まあいつも最高に可愛いんだけどね!
「十分経ったよ」
「……」
正確に時間を計られた後、俺は上体を起こして床に足をつく。
「で、何か用っすかマイ幼馴染」
「今日からゴールデンウィーク」
「あぁそうだねGWだね。遊ばないともったいないよね」
久奈が言った通り、今日から素晴らしきかな大型連休の始まりだ。今日はその一日目。
では遊びましょうか。オセロを取り出す。
「久奈が先攻でいいよ」
「違う。そうじゃない」
「じゃあ○×ゲーム?」
「んーん」
久奈はオセロと用紙を元の位置に戻すと立ち上がる。
刺繍の白色ワンピースを着ており、似合いっぷりと可憐さは世界一。世界一だ異論は認めない。
そんな久奈はクルリと回ると俺を見て「んふーっ」と小さく鳴いた。
「えーと、『この服装を見て。お外へ行く格好でしょ?』と言いたいの?」
「んふー」
正解らしい。
言い分は尤もだよ。せっかくのGWを家でグータラヌーボと過ごすのは健全ではない。
だが、しかーし。俺は毛布を被り直す。
「外出は勘弁して。俺は寝たい」
この気持ちは変えらぬ。給食の献立表にカレーライスの文字を見つけて口がカレーの口になるように、俺の体はグータラの体になっている。
それに、見たい夢がある。今ならまだ間に合うかもしれないんだ。
「てなわけでおやす……な、何すんの」
「遊びに行きたい」
久奈がベッドの上に乗り、躊躇うことなく布団の中に潜り込んだ。君は何してるのさ!
「んっ、ここ、なお君の匂いがいっぱい」
「俺のベッドなんだから俺の体臭がして当然だろ……」
「これも魅力的だけど今日はお外に行きたい」
「ワガママ言っちゃ駄目なんですぅ。僕は今日ダラダラするって決ーめたんですぅ」
必死になってタラちゃん口調で追い払おうとするも久奈は離れようとしない。
「なお君なお君」
「うおぉ登ってくるなよ」
「んー」
俺の上を這いずって久奈が迫ってくる。
密着して毛布に包まれて、俺の体は熱を逃すことが出来ず汗が滲む。久奈の顔はすぐ目の前だ。
「……ねえ、久奈ちゃんや」
「なお君がちゃん呼びするの新鮮で嬉しい」
そ、そですか。望むならいくらでも呼んでやるよ。
「最近こういうの多いよね。増えたよね?」
「んーん、寧ろ少ない」
マジですかい……。
「なお君お願い。遊びに行こ? 行かないと、もっと行く」
よく分からん日本語であっても行動付きで説明されると理解してしまう。
俺の顔に向けて迫ってくる久奈の顔。例の如く全身が硬直する中、雰囲気と経験で察してしまった。
久奈は、俺の口を目指して迫ってきているのだと。
「ん」
「ああああぁぁあぁ分かった分かりました! 外に行こうっ、いや行きましょう!」
「むー……んーうー……」
なんつー可愛い奇声だ。俺とは大違い。
進撃は止まったものの、眼前にある無表情は明らかに不服そうな面持ち。
て、てか近い、近すぎる。鼻が触れ合っているから! 鼻キシュしてる!?
「ほ、ほら行こうぜ?」
「……」
俺の真っ赤に染まった顔が久奈の「あと少しだったのに」と言いだけな瞳に映る程に超接近した状態が数秒続き、やっと久奈は離れた。
「あと少しだったのに」
すいません聞こえています。
「……私、魅力ないのかな…………」
すいません聞こえています。そしてあなたは魅力抜群です。俺じゃなければ今頃は襲われています。だから絶対に俺以外の人にやっちゃ駄目だからね!?
「よ、よっしゃー、お外でデートだー、やったねっ!」
「デート……ん、なお君がデートって言うの嬉しい」
デートって単語に反応したっぽい?
久奈は毛布を払いのけてベッドから立ち上がると俺の手をぐいぐい引っ張る。
「行こ。雑誌で読んだ『最強デートを最強に楽しむ最強のお店7選』のとこ行きたい」
「偏差値低そうな特集だな。へぇいへぇい、じゃあ行きま……あ、久奈」
「ん?」
「頭に毛玉がついてる。ったく、布団に潜り込むからだぞ」
俺は久奈の頭についた毛玉をひょいと取り、そのまま髪を撫でる。
「せっかく綺麗な髪なんだから大切にしなさい」
「……くすぐったい。なお君だって髪サラサラ」
「俺は男だからテキトーでいいの。久奈は可愛い女の子なんだからちゃんとしなさい」
「か、可愛い?」
「んあ? 前にも言ったろ。あなた世界一可愛いでしょ」
「……」
久奈は俺の手を弾くとベッドにダイブして布団に包まった。
「あっ、コラ! 今言ったばかりでしょうが」
「十分待って」
「はい?」
「十分待って……っ、う~」
だから何よその可愛い奇声は。お外に行きたいのか行きたくないのかどっちなんですか……。
結局、なんやかんや部屋でのんびりした後、俺と久奈は最強デートを最強に楽しむ最強のお店に行った。




