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第112話 またしても保健室で

「ひっく、ぐす……」


 避難訓練の真っ只中。涙で濡れて薄茶色を帯びる瞳は絶えず潤み、腫らした瞼をこする火藤さんの手を掴んで保健室へ向かう。

 この子はちょっと目を離したらすぐに怪我する。こうでもしないと安心して連れていくことも出来やしない。


「泣かんといてーな」

「な、泣いていません。目にゴマが入っただけです」

「ゴミね。ケアレスミスやめよ。ゴマはほうれん草に入れて」

「私の家ではほうれん草には鰹節です!」

「どこにキレているんだよ……」


 普段は騒々しい廊下は水底のように静まり返って妙な新鮮味があり、俺らの足音がやけに響く。

 足音は三人分。俺と火藤さん、そして久奈。


「どうして久奈もついて来たんだ」

「パーティ編成は三人が基本」

「なるほどと頷いてしまう自分がいる」


 近接パワー型の剣士、魔法で遠距離攻撃、回復支援系の三人が定番だよね。もし四人目を加えるなら、俺だったらアイテム盗む用のシーフにするかな。

 ゲーム脳は置いといて。

 久奈が付き添うのは構わない。ただ、なぜか久奈も俺の手を握っている。今の俺は右手に火藤さんで左手に久奈、まさに両手に花状態だ。


「久奈は怪我してないだろ」

「……不安」

「そ、そうか」


 不安にさせないと誓ったからには返す言葉がない。これで久奈が満足するなら俺の手ぐらいいくらでも差し出そう。


「心狭くてごめんね。自分でも嫉妬深いと思う……でも、それでも、やっぱり目の前でなお君が他の人と手を繋いでいるのは辛い……」


 な、なんか聞こえたかなー。俺ってば最近耳掃除していないから聞き取れなかったよー。

 ……嘘ですガッツリ聞こえています。ガッツリ悶えている。

 こんなこと言っちゃいけないんだが、嫉妬している久奈可愛い。俺の幼馴染が可愛すぎてキュン死にする件について。何この子抱きしめたい。


「ひううぅ、工藤君歩くの速いです」


 まあ片手がポンコツちゃんを引っ張るのに埋まっているので無理ですがね。


「ご、ごめんなさい、ひいらぎきさん。また私が久土君と一緒にいて……」


 火藤さんがチラチラと久奈の顔色を窺って申し訳なさそうに声を掠らせる。

 当の久奈は……おぉふ、ムスッとしていた。


「平気。火藤さんは怪我してるから気にしなくていいよ」


 口ではそう言うも顔は不満げ。現に俺の手を握る力が強くなった。

 空気がピリッとスパイシー。もしやラノベでお馴染み、修羅場というやつでは? 自分がその中心にいるとはね。胃が痛くなってきた。胃がイタリア。


「私、工藤君を奪っちゃった……?」

「……なお君は絶対に渡さないもん」

「つ、着いたお~! おっお~!」


 火藤さんが天然で挑発し、久奈は可愛いと怖いをミックスさせて対抗する。

 一触即発な雰囲気に耐えきれず、俺は無駄に声を出す。

 良いツッコミには声量が必須だ。俺はツッコミキャラとして常に「ちょっおまっ、何してくれてんですかコノヤロー!」と叫べるよう声帯を鍛えてある。あ、いや、腐ってはないよ?

 ともあれ保健室の前へと到着。二年生になってもう何度お世話になったことか。そういや避難訓練中だから養護教諭も席を外しているのかな?


「あ、安心してください。私は工藤君を奪ったりしません。たまたま一緒にいることが多いだけです」

「煽らないで……絶対に負けないもん」

「おいいいぃ到着したし早く入りましょうかコノヤロー!」


 シャウトして不穏な空気を吹き飛ばーす! 胃がキリキリしゅるのぉ!

 扉に手をかけ……ん?

 中から慌ただしい音が聞こえる。良かった、先生いるみたい。

 一応ノックし、扉を開く。そこには、


「……なんだ、養護教諭じゃないのか」

「よ、良かったぁ」


 保健室の中には男子生徒と女子生徒がいた。男女が、二人……?

 途端に脳内で悪魔が騒いで俺の視床下部を叩く。おいなぜピンポイントで間脳を揺ら『見ろよこいつらの服の乱れ具合。完全にやってるぜ』……なん、だと……!?


「ちっ、焦らせやがって」


 悪魔の言う通りかもしれない。服が乱れている。慌てて着たのだろう。もしや俺の叫び声が聞こえたから?

 男子生徒は睨みを効かせて鼻を鳴らし、まるで邪魔されたことに腹を立てているようだ。

 ……あっ、間違いない。ディスイズ不純異性交遊。

 となれば俺が最優先ですべきは、後ろの二人を保健室から退けること。


「なお君?」

「なんで押すんですか!」


 幸いにも久奈と火藤さんは中の様子を見ていないし気づいていない。

 この二人に若者の乱れた性活は刺激が強すぎる。見せちゃ駄目だ見せちゃ駄目だスリザリンは嫌だ!


「久奈、火藤さんを連れてそこら辺に隠れて」

「どうして?」

「いいから早く! 後でなんでもするから!」

「ん、分かった。後でなんでもしてもらう」


 久奈は瞳をキラーンとさせて火藤さんを引っ張っていく。

 え、何を要求するつもりなの……そ、それは未来の俺に任せるとして。

 間一髪で二人を逃がすことに成功。俺は再び保健室に入る。……嫌だなぁ。


「何の用だ」


 俺に問いかける男子生徒の辛辣な口調。ひいぃ、ちょっと怖い。多分この人三年生だ。

 いやいや、保健室なんだから怪我や体調不良を診てもらう為に来たんですよ。本来の目的じゃないのはそちらじゃないですか。

 ……とは言えない。先輩怖いよ!


「お前は何も見なかった。いいな?」

「つ、水流崎やめようよ。行こう」


 苛立ちを隠そうとせず突っかかる男子生徒と、しきりに恥ずかしそうに狼狽した女子生徒、二人は保健室から出て行った。

 ……危機は去った? た、助かったぁ。

 またしても保健室でイチャイチャしている場面に遭遇してしまうとは。保健室でそういう行為って定番? 伝統なの!?


「ありがとな悪魔……」


『はっ、別にお前を助けたわけじゃねーわ』


 それでもお前のおかげでいち早く気づけた。危うく久奈に良くないものを見せるところだったよ。

 あと俺自身のシャウトにも感謝。もし叫ばなかったら今の二人は淫らな行いを中断することなく、俺らは鉢合わせになっていただろう。家族でドラマのエッチなシーンを観る以上に気まずいわ!

 ……さらにもう一つ。これは以前の記憶。

 女子生徒の方は知らないけど男子生徒の声はどこかで聞いたことがあった。なんだったかな……?


「なお君、もういい?」

「あ、ああ、もう大丈夫」


 久奈達が戻ってきた。

 火藤さんはこちらを見て、とててと歩いて俺の手を握ろうと、


「ひゃう?」

「火藤さん、保健室に着いたからなお君に支えてもらう必要はない」

「あ、そうでした」

「……油断も隙もない」


 相変わらず久奈がツンツンしてりゅうう。胃がキリキリ!

 先程の衝撃もあって精神が削られていく。某野球ゲームのサクセスなら赤文字で『精神ポイントが下がった』だ。


「ねえ、何があったの?」

「……ノーコメント」

「なお君が言えないこと、保健室……ん」


 あ、勘づいちゃった? や、やめてぇ、穢れを知らにゃいでぇ。

 久奈は俺の制服の端を摘まみ、愁いを帯びた瞳で覗き込むように見上げてくる。


「なお君が望むなら私はいいよ?」

「……何言ってんの?」

「楽しみにしてる」


 何言ってるのか僕には分かんなぁい! 分からないから上目遣いやーめーてー! 

 久奈ちん、あなたそんなキャラでしたっけ……!?


「工藤君っ、早く手当てをしてくださ……ぎゃふん」

「またコケた!? 保健室で怪我増やす奴があるか!」

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