第108話 三角関係?
十枚の書き取りプリントを提出。そそくさと職員室を出て思いきり背を伸ばして息を吐く。
「あ゛ぁ゛、やっと終わっただー」
右手をプラプラとさせてグッタリ。語尾が謎に訛ってる。
ったく、英語教師め。いくら英単語を書き取りしても意味はない。文節や文構成を理解することが大切だろ。それが英語ってもんだ!
……その英語ってもんをサボったのは俺自身なんだべなぁ。いんがおーほー。
「くくっ、終焉の時が来た」
「どうした麺太。マゾの次は中二病か」
「疼き暴れる我が右手に刮目せよ。邪神が宿っておるぞ!」
「ただの書き取りによる後遺症だろ。邪神は居住していない」
「いや住んでおるぞよ。親指が寝室で中指がトイレ」
「間取りはどうでもいい! なんでトイレが寝室より大きいんだよ」
「薬指は旦那の書斎」
「邪神既婚者かい!」
「ちなみに旦那は左手で別居中」
「夫婦仲悪いんかい!?」
「とうっ!」
麺太はいつか見た覆面戦隊のように跳躍すると華麗に着地。寝室を立ててとびきりのサムズアップの後、全速力で走り去っていく。
あー、部活ね。頑張れ。何部か知らんけど。
「ぐすっ、ひっく」
「で、君はいつまで泣いてんの?」
目の縁に大粒の涙を溜めてすすり泣く火藤さん。
俺は知り合って二週間でこの子が泣く姿を何回見たことか。はい良い子良い子、よく頑張ったね。偉い偉い。
「もぉやだぁ、書き取りやりたくない。向日葵君と一緒だったし……ひぐ」
「あーよしよし、あいつキモかったねごめんね」
「私は人よりほんのちょっとだけ英語が苦手なだけなの……うぅ」
「ほんのちょっとで×××野郎とは訳さないよ」
「×××なんて下劣な言葉を使わないでください!」
「君が発生源だよ!?」
なんで忘れているんだよ。忘恩にも程があるわ!
「とにかく帰ろうぜ。あったかハイムが待って……あ、久奈」
「なお君」
「待っていたのか」
「ん」
泣きじゃくる火藤さんを宥めつつ歩いていると昇降口で会ったのは久奈。あったかハイムより先に久奈が待っていましたとさ。
セミロングの黒髪が夕暮れの風に吹かれてそよぎ、久奈が柔らかな毛先を耳にかける仕草に目を奪われる。
それズルイ~、ドキッとするに決まってるよぉ。
「なお君帰ろ」
「ラジャー。火藤さんも……あれ?」
つい先程まで隣にいた火藤さんは後ろへと下がっていた。
どうしたかのかと近寄れば火藤さんは過敏に動いて俺との距離を空ける。一歩近寄れば一歩離れていく。
「……私にお構いなく。二人で先に帰ってください」
「せっかくだし駅まで送るよ?」
「駄目です! アホなんですか!」
はいアホです。そしてあなたもアホです。
お互いに腱鞘炎でプルプル震える右手を抑える俺と火藤さんの距離は縮まらず膠着状態が続く。
埒が明かず俺が口を開こうとした時、火藤さんは頭を下げた。
「ごめんなさい!」
大きく頭を下げ、結んだ後ろ髪が後を追う。
火藤さんが謝ってきたのだ。
「えーと、何が?」
「私が原因で工藤君とひいらぎきさんは……うぅ」
申し訳なさそうに俯いてしょんぼりする火藤さん。本気で謝っているのが伝わった。
俺と久奈は顔を見合わせて首を傾げる。
謝っているのは分かるが……あの、その前に一ついいすか?
「ひいらぎきじゃなくてひいらぎな。間違ってるよ」
「もうっ! 工藤君はまたそうやって私が間違っていると間違うんですか。湖を差さないでください!」
水ね。湖を差すって壮大。天変地異かな?
「私の名前は柊木」
「? 柊と木ですよ。だからひいらぎき」
「柊木と書いてひいらぎと読む。ね、なお君」
「おう」
「ふんっ、私は騙されません。英語は苦手でも漢字は得意です!」
騙してないしあなたは漢字も不得意です。
柊木って名字は珍しいけれどあれで読み方は……あぁもういいや。訂正していると本題を見失いそう。
俺がどーぞ続けてと促して火藤さんが再び消沈する。
「工藤君とひいらぎきさんは付き合っているんですよね……」
「付き合ってないよ」
「ふえ? そんなに仲が良いのに?」
そ、そこ突かないで。未だに告白出来ていない自分が情けなくなる。
あと久奈、小さく咳払いして手を握るのはなぜですか。指を絡めて何のアピール?
「ゴホン! や、何が言いたいのさ」
「私が二人の仲を裂いたんですよね。私のせいで……ご、ごめんなさいっ」
滴が床へ落ち、火藤さんはさらに一歩離れる。私に構わないでと言わんばかりに。
……そういうことね。俺と久奈がすれ違う元凶とまで言うつもりはないにしろ、少なからず火藤さんが起因している部分もあった。
だから火藤さんは今こうして責任を感じている。二度とあんな事が起きないよう気を遣ってくれているのだ。
「工藤君、ひいらぎきさん、本当にごめんなさい」
それでも火藤さんが悪いわけじゃない。あくまで俺と久奈の問題だ。
なのに、火藤さんは本当に申し訳なさそうに何度も謝ってくる。
俺と久奈はもう一度顔を見合わせゆっくりと頷き、火藤さんに近寄る。
「火藤さんは何も悪くねーよ」
「ん。もう仲直りした」
俯いた視界に俺らの足が映ったのだろう。火藤さんは小さな声を漏らして後ろへと下がっていく。
「で、でも」
火藤さんがビクッと震えて一歩下がり、俺と久奈はさらに踏み込む。
足音がトントントンと響き、そうしていくうちに火藤さんは壁際に追い込まれて「はわわっ!?」と喚く。
……簡単に追い込めた。ウバメの森のカモネギより簡単だった。
「ふぇ!? びええええええ!」
「急に泣くんだねすげーうるさいね!? ちょ、落ち着いてよ」
どうどう、よしよし。
しばらく待つと火藤さんの泣き叫ぶ声は収まっていった。
真面目な話をするから聞いて、あなたは何も悪くないんだよ。
「俺と久奈は仲直りしたし火藤さんが気に病む必要はない」
「なお君の言う通り。私となお君は仲良し」
久奈はそう言って繋いだ手を火藤さんへ見せる。ちょいと恥ずかしいけど、うん久奈の言う通り仲良しだ。これ仲良しの証!
「気遣ってくれてありがとな。その優しさだけで十分。だから自分のせいだなんて言わないでよ」
「ほ、本当ですか?」
「ん。私達は大丈夫」
「あぅ……よ、良かったぁ」
火藤さんは本当に心の底から安堵したように胸を撫で下ろした。
空気が読めない面もあるけど……うん、やっぱりこの子は優しい。芯がある人だと思う。
ごめんな。そして、ありがとう。
俺と久奈と火藤さん、壁際で三人の間に穏やかな空気が流れ、火藤さんは笑顔で口を開いた。
「本当に良かったですっ。私が工藤君を奪ったからひいらぎきさんが怒っていると思いました!」
「私が、なお君を、奪われた?」
穏やか和やか、そんな緩い空気は一瞬だけ。
空気が弾けた。不穏な雰囲気に包まれる。
「ん? んん? 久奈?」
あれれー? おかしいぞー? なんか空気にヒビが入った音が聞こえたよー? どうしてだろうね蘭姉ちゃん。
今の火藤さんの一言で久奈が不機嫌になったような……!?
「ふえ? だって私、工藤君にあーんしてもらったり抱きかかえてもらったから」
ビクッとして再び震えながらも必死に声を絞り出す。
あ、ちょ、火藤さん……そうやって何か言うことが久奈の逆鱗に触れていると思うんだが。
「あっ、安心してくださいっ、私は工藤君を取ったつもりありません」
「私も取らせたつもりなんてない」
「あうぅ? わ、私が工藤君にパフェをあーんしてもらったりお姫様抱っこしてもらったからひいらぎきさんが拗ねて……」
「拗ねてない」
「で、でも」
「それに私だってアイスをあーんしてもらったしお姫様抱っこは私の方が先」
「やっぱりひいらぎきさん怒ってる……っ、ひゃうぅ、私は工藤君なんていらないのに、仲良くなっちゃっただけなのに……」
な、なんだろう。なんとなくだが、火藤さんとしては謝罪しているだけで悪意はないのだろう。けど無意識のうちに煽るような発言をして、故に久奈は不機嫌になり、空気は悪くなっていくのでは……?
「私の方がなお君と仲良し」
「わ、私も仲良くなったもん」
「うー……!」
「あうぅ、だ、だって気づいたら工藤君と抱き合ったり密着したり」
「……その抱きついたアピールやめて。なお君はそんな軽い男じゃない」
「ひゃぐぐぅう!?」
悪気はないにしても挑発するせいで久奈は怒り、それを見て火藤さんは悲鳴あげる。自分のせいだと気づかず嗚咽を漏らして咽び泣く。
な、なんだこの関係性は。誰も悪くないのに状況が悪化していく展開は何よ!? 教えて蘭姉ちゃん助けて蘭姉ちゃあぁん!
「ひ、久奈落ち着いて!」
「ん……」
「火藤さんも下手に喋らないで」
「う、うぐっ、でも事実を言っているだけだもん」
ほらそうやって煽る! それが良くないって言ってるの! 空気読めよポンコツうぅ!
久奈が俺の制止を振り切って火藤さんに詰め寄っ、あ、あぁ……!
「なお君は渡さない」
「ひっ!? ひいらぎききさん怖い……!」
きが一つ多い! いや二つか! それ逆に言いにくいでしょ。
や、ちょ、勘弁してください俺かなりしんどいよ!?
「うええぇえん!」
「な、泣かないでよ。あなたが悪いんだよ?」
「やっばり私が悪いんじゃないでずが!」
「いやそういうことじゃなくて」
「びええええええええぇん!」
「うるさ! 至近距離で大泣きされるとすっげーうるさい!?」
一つだけ分かった。久奈と火藤さん、この二人たぶん……相性が悪い。
終焉の時はいつ訪れるのやら。不機嫌なオーラと泣き喚く声に包まれて俺は盛大なため息を吐いただー。ああ、胃が痛い……。




