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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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二度目の訪問(3)

   *


 ところ変わって、また離宮。


 今回の待遇と来たら、前回とはまさに雲泥の差だった。前回だってそれほど悪い扱いを受けていたわけではないのだが、今回はもう比べものにならない。


 初めに風呂だった。俺の住んでるアパート全部が入りそうな、ゴージャスな大浴場だった(召使さんたちに有無を言わさず洗われたり着替えさせられたりしたのはあまり思い出したくない)。それが終わると今度は診察だった。アトレンの主治医だとかいうしわくちゃだがダンディなお爺さん医師が、恐縮するほど念入りに、打ち身とか擦り傷とかの手当をしてくれた。


 そして最後に、通された部屋がすごかった。


 何しろ三間続きの部屋なのだ。内装も前回とは比べるべくもなく、たぶん、王族クラスの賓客を迎えるための部屋に違いない。廊下から入ってすぐの部屋は、おそらく来客を迎えたりするのだろう、ローテーブルと座り心地のいいソファが向かい合わせに置かれている。簡易キッチンなんかもあるし、召使さんたちも出入りするだろうし、食事を持ってきてもらってここで食べたりもできるだろう。この部屋にベッドを置けばこないだの部屋に似た感じになる。ここだけでも、俺のアパートとは比べものにならない豪華さだ。


 なのに今回は、このほかにさらにふた間あるのだ。ひとつはオープンリビングとでもいうのだろうか、半分が燦々と日の射し込むベランダになっていた。観葉植物がふんだんに置かれ、長いすもあるが、目立たない木陰にハンモックまでつるされている。この街が一望できる高さでありながら、壁の角度が調節されているからか、あまり風が叩きつけるというほどではなく、ハンモックの場所まで下がればほとんど無風で居心地がいい。


 もうひとつの部屋は反対に、窓がひとつもなかった。天井も低く、狭く、部屋というよりは穴蔵のような感じだった。壁がふわふわの羽布団でできている。床は適度な固さのマットレスになっていて、びっくりするほど軽くて暖かな掛け布団が畳んで置かれている。


 うーん、すごい。あまりに待遇がすごすぎて毒気を抜かれる。先ほど感じた苛立ちも、アトレンを問いただそうという気持ちも、人をぶん殴ったりぶん殴られたり呪いをかけられそうになったり使い魔呼ばわりされたりした後遺症も、全部忘れてしまいそうだ。


 モフ美はずっと俺の頭の上でくつろいでいる。俺が興奮して三つの部屋をうろうろしていると、モフ美は喉をごろごろさせて言った。


(ふじさわ、楽しそう)

「いやそりゃ楽しいっすよこれ。いやこりゃすごいっすよ。いやなんか、スケール違うわ。すっげー」


 我ながらまるで物見遊山の観光客だ。モフ美は嬉しそうに笑った。


(ふじさわが楽しそうだと、モフ美も楽しい)

「お?」

(ふじさわがいなくて淋しかった。戻ってきてくれて嬉しい)


 俺は思わず頭からモフ美をおろして両手でもふもふした。なんだこの可愛いの。外見だけじゃなくて中身までこんなに可愛くて、大丈夫かお前。


「そーだよな、一ヶ月ぶりだもんなあー」

(ちがう。七日)


 モフ美の言葉に、俺は手を止めた。「七日?」


(七回太陽が沈んだ。だから七日)

「……そんな短いの?」

(短くない。ふじさわいなくて長かった)

「いやそりゃ……」


 俺にとっては一ヶ月、だが、こっちではたったの一週間しか経っていなかった、ということか? いやまあそりゃ、時間の流れが違うってのはトリップものの創作物ではよくある話だけど。


(今度帰るときは)モフ美はふわあとあくびをした。(モフ美もつれていってね)

「は? ……いやそりゃ、無理じゃないか?」

(どうして?)


 いやどうしてって言われても。できんのか、そんなこと?


(できないの? でも、あの子はモフ美の仲間、つれてってくれたみたいだよ)

「待て。……あの子って?」

(名前は覚えてないけど、女の子だったよ。みのりの友達。あの子も好きだったー。いーにおいでわしゃわしゃだったあー。あの子のこと好きな子はすごくいっぱいいてね、あの子がみーんなつれてった)


 みのりの友達。

 俺は眉根を寄せた。


 ――チエコとは違う……

「……ちいちゃん、か?」


 訊ねるとモフ美は、またふわあとあくびをした。


(あーうん、そんな感じだったかもー。でもあの子、みのりのことすごく怒ってた。みのりは泣いてた。かわいそうだった)


 なんだそれ――

 訊ねようとしたが、そのとき、扉がノックされた。「どうぞ」というと、応じて顔を覗かせたのは、あの赤毛のアンそっくりなエレナちゃんだ。


「エルケッサ、フジサワクン。――――、――――、シエラ」

(ごはんの準備ができたからこっちへどうぞって)


 モフ美が通訳してくれる。俺はうなずき、用意しておいたショルダーバッグを持ち上げた。今日わざわざみのりん家に行ったのは、バナナブレッドを渡すためだったのだ。ここでの甘味は微妙だってもうわかってるし、食事の後に出してもらったらちょうどいい。エレナちゃんに招かれるままにそちらに進む。


 扉を出ようとして、はたと気づいた。


 モフ美ってつれてって大丈夫なのかな。俺の感覚だと猫に近いんで、食堂つれて入ったら咎められそうな気がするんだが、でもそれならエレナちゃんが言ってくれそうなもんだけどな。こっちでは聖獣に当たるわけだから、別に構わなかったりするのだろうか。


「あの……」


 声をかけるとエレナちゃんはにこやかに振り返った。「リッケルサ、フジサワクン?」

「えっと……こいつつれてっても?」


 言いながら頭を指す。エレナちゃんはきょとんとした顔をして俺の顔を見る。話が通じていないらしい。俺は困り、頭の上からモフ美を抱きおろした。


「こいつつれてっても大丈夫かな?」


 エレナちゃんは少しの間考えていたが、やがて思い至ったようだ。目を丸くし、何か驚いた声を上げた。


「――――、――モフオン! わあ、クヴォウ! わあ!」

「は?」

「エルケッサ、モフオン、――――?」

(ふじさわ)モフ美が眠たげに言った。(この子にはモフ美が見えないんだよ)

「……は!?」

(この子だけじゃないよ。見えるのはみのりとかふじさわとか、あの子とか……とにかく遠くから来た子だけ。さわってもいいですかって言ってる。見えない人にさわられると痛いからやだ)


 俺の逡巡を見て取って、エレナちゃんはすぐに苦笑して手を下げた。


「――――フジサワクン。モフオン――、――――」

(嫌いだからじゃないよー。触られると痛いし気持ちよくないから嫌なだけ)


 言いながらモフ美はよじよじと俺の腕を伝って肩を経由して再び頭の上に戻る。俺はそこで、エレナちゃんがその超絶愛らしいに違いないもぞもぞ動きを全く目で追わないのを見て、本当に、エレナちゃんにはモフ美が見えないらしいと腑に落ちた。


 俺やみのりみたいに遠くから来た人間だけ……ってことは、このテルミアに住んでる人たちにはモフオンが見えない、という理解でいいんだろうか。


(だからモフ美、ふじさわとずっと一緒にいてだいじょうぶー)


 エレナちゃんがちょっと淋しそうにしながら再び先に立って歩き出す。俺はその後を付いていきながら、確かに、と考えた。

 確かに、見えないのなら、誰も咎めたりはしないだろう。


 さっきのローブの男がモフ美を見ても、特に何の反応もしなかった理由もそれでわかった。一頭だけであんなに強力な呪術アイテムになるのだ。モフオンを見つけたら乱獲しかねないと思ったが、そんな心配はいらなかったわけだ。


 でも。


 ――じゃあどうして、あいつはモフオンを腐らせて利用することができたのだろう。


 なんか、嫌な予感がする。なんだろう。


「フジサワクン、――――、――、モフオン。――チエコ」


 ややして、エレナちゃんがまた口を開いた。


(ふじさわはやっぱりちえことは違うって。モフオンを大事にしてるって)


 俺は、嫌な予感がいっそう強まったのを感じた。エレナちゃんの口調はひどく暗く、千絵子へのあまりに強い嫌悪感を滲ませている。底冷えのするような真実が、ひたひたと、背後から忍び寄ってくる、そんな印象を抱く。


 ――ふじさわ、帰るときはいっしょにつれていってね……

「ヘウレダ」

(ついたって)


 モフ美がのほほんとした声で伝えてくる。俺はこの話が途絶えたことに、心の底から感謝した。



 


 通された食堂は、覚悟していたほど豪華絢爛じゃなかった。

 設えこそ豪華だったが、その部屋はとても小さかった。超高級レストランの個室みたいな感じだ。給仕してくれるのはエレナちゃんだけで、大きい丸テーブルがひとつきり、いすは三つしかなかった。俺は左側のいすに通された。他の席にも食器が用意してある。


 ややして現れた同席者はみのりとアトレンだった。


 アトレンは相変わらずだったし、みのりもこっちの格好をしていて、ふたりが入ってきただけで急に雰囲気が華やいだ。香りまで高貴になったかのようだった。


 波打つ両サイドの髪を後ろでまとめ、残りの髪と一緒に背に流すという髪型をしたみのりは、衣装のせいもあるだろうけど、ずっとこの国で生まれ育ってきたかのような雰囲気をまとっていた。アトレンと並ぶともう、絵になりすぎるにもほどがある。一瞬見とれたことに気づかれてないといいな、と思ったが、みのりにはそんな余裕がないことがすぐわかった。


 あの騒動があった後、みのりはアトレンと話しに行ったきりだった。乗ってきた馬車も違ったので、あの騒動以降顔を合わせたのは今が初めてだ。だからさっきの事情を説明してくれるのだろうと思っていたのだが、みのりはうつむき、とても情けない顔をしていて、まず俺に深々と頭を下げた。


「藤沢君……その……ごめんなさい」

 俺はぽかんとした。「なんで」

「こないだ……記憶消して、ごめんなさい」


 あ。忘れてた。


 エレナちゃんがそっと戸口から顔をのぞかせたが、その場の雰囲気に気づいて慌てたように引っ込んだ。俺は何を言うべきか、少しの間考えた。実際忘れてたわけだし、こんな風にしょんぼりと謝られて、今更怒りを思い出してぶちまけるというのも間抜けな気がした。といって、そのまま水に流すわけにもいかなかった。事情がわからなかったからだ。


 そう、俺には未だに理由がはっきりわからなかった。そして花園千絵子のことも。


 千絵子も記憶を消されているはずだ。でも――それって、どうしてなんだろう? あの乱闘の時に想像したことが正しいとはもう思えなかった。事情がわからないと安心できない。また消されないと言う保証なんかどこにもないじゃないか。


「藤沢君の記憶消すの、アトレンには止められたんだけど、あたしが無理矢理頼んだの。だから……」

「何でだったんだ?」


 聞くとみのりは顔を上げた。「え?」


「なんでいきなり記憶消すなんてしなきゃいけなかったんだ? 次回も俺が巻き込まれにこないように、ってか? 消しても消さなくても同じだったなーざまあみろー」


 みのりはまじまじと俺を見る。俺はじわじわと怒りが戻ってくるのを感じる。どうして腹が立つんだろう、と、心の中だけで考える。


 そうだ。勝手にされたからだ。


 みのりとのつきあいはもう三年になる。別にほかのクラスメイトに比べて深いつきあいだったと言う気はないけど、俺の方はそう悪い感情を持っていたわけじゃない。むしろ好ましい側の人間だった。それがまさか、騙して、勝手に、有無を言わせず記憶を消されるほど、軽んじられているとは思わなかった、からだ。


 ――千絵子がしたようなことを、俺もするだろう、だから先手を打っておこうって、思われていたってことじゃないのか?


「巻き込まれにこないようにしたかったんなら、……まず話すべきだよな、人として。満月の日には、近寄らないでくれって」


 まーそれで俺が言うこと聞いてやったかどうかは別の話だけどな? ということは言わないでおく。


 アトレンは黙って俺とみのりのやりとりを聞いていた。言葉がわからないはずだが、通訳を求めるでもなく黙っている。


「花園も記憶、消されてんだろ。あっちはまだ取り戻してないんだろ。さっきさ、福田ん家に行く前に、花園に会ったんだよ」


 ぴくりとアトレンが反応した。名前くらいはわかるのだろうか。


「あいつ、なんか変だった。俺もこないだまですっげ変な感じだったんだよ。たぶん記憶は消せてもさ、抱いてた感情までは無理なんだよ。福田を見るとじわじわと嫌な気持ちになってさ、理由がわからねーから余計にやだった。巻き込みたくないから来ないでくれって言ってくれれば――」


 みのりは悲しそうな顔をして俺をじっと見ている。

 ややして、かすれた声で言った。


「……違うんだ」


 俺は驚いた。「違う?」


「あたしが……怖かったからなんだ。ごめん」

「怖い?」


 なんだよなにが怖いってんだよ。俺は結構人畜無害なタイプですよ。顔だってごく普通なのに。


 みのりは咳払いをし、意を決したように俺を見た。


「藤沢君は、どうして未だにあたしと普通に話してくれるの」


 まったく思いがけない言葉だった。「は?」


「二度も巻き添えにしたのに……初めの時なんか、丸一日近くも放ったらかしちゃって、お腹空かせてわけわかんなくて、大変だったのに。どうして嫌がらないの? 怒らないの?」

「誰を?」


 みのりはまじまじと俺をみた。「あたしを」


 沈黙が落ちた。

 悪い、意味が全然分からない。


「……あれ? 俺最初に怒んなかったっけか? ごめんなさいで済むかとか言った気がすんだけど」

「いやああいうのじゃなくて」

「じゃあどういうのだよ」

「……気持ち悪くないの?」

「誰……福田が? 気持ち悪い? なんで?」

「毎月一回別世界に落っこちちゃうんだよ!?」

「……それ気持ち悪いか?」


 話が噛み合わない、と俺は思った。みのりも思ったのが分かった。俺は考えた。そもそも、これは一体何の話だったんだっけ。


 そうだ、花園千絵子の話だった。

 ああ、と俺は言った。


「そっか。花園千絵子は福田のこと、気持ち悪いって言ったのか」


 みのりはとたんにしょぼくれた。塩水でも吸わされた花みたいに。


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