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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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二度目の訪問(2)

   *


 そういえば今日は満月だ、と、ぶらぶら歩きながら考えた。それで、何だか変な感じなのかもしれない。

 落ち着かない。


 満月――


 そう、先月、変なことがあったのだ。


 前回の満月の日、確かにみのりの家にプリントを届けに行った、と思う。鞄の中に届けるべきプリントも入っていなかったから、届けた、の、だろう。けれどその後の記憶がないのだ。目が覚めたら自分の部屋のベッドで制服のまま寝ていた。もう明け方近くて、ものすごく腹が減っていた。晩飯も食わずに寝ていたようで、その日食うはずだったハンバーグの材料が冷蔵庫にちゃんと鎮座していた。


 日付は飛んでなかった。朝飯にハンバーグ食って登校すると、ちゃんと次の日だった。今回の発作は軽かったらしく、みのりも登校していて、俺に会うと、昨日はありがとう、と礼を言った。――それで終わり。俺プリント届けたっけ? 昨日俺どうしたんだっけ? なんて質問したら変に思われそうで、その疑問はどこにも行けずにこの一月の間俺の中でぐるぐる回っている。


 だからだろう、俺はそれ以来、夏休みに入るまで、無意識にみのりを避けていた。なんでかわからないが、見るとじわじわと、嫌な気分になるのだ。今までみのりのことは嫌いじゃなかった。むしろ外国の絵画でも見ているようで、いい眺めだったのに。原因がさっぱり分からないのにそういう感情を持つこと自体が、不快でたまらない。


 みのりの家が見える。満月。あれからほぼ一ヶ月。満月、満月。なんでこんなに、今日が満月だってことが気にかかるのだろう。


 門の前に立った。既視感をびしびし感じた。バナナブレッドの入ったショルダーバッグを肩にかけなおし、チャイムを鳴らす。


 ぴんぽーん。

 がたっ、と家の中で音が鳴った。

 ……でも誰も出ない。


 当然だ、と俺は思う。今日は満月だ。彼女は、その瞬間に備えていなければならない――


 ぴしりと、こめかみに青筋が立った。『最後』に俺が何を思ったか、あの時の感情が俺の中に押し寄せた。ふざけんな。そう、俺は思ったのだ。いらだたしく、腹立たしく、悔しくて悔しくて悔しくて――


 がしゃん、と門を押し開く。不法侵入? 無断立ち入り? 上等じゃねえか。むかむかしながら敷地に入り、玄関に向けて俺は走った。通風のためにかドアが少し開いている。ほんの数歩。家の中から誰かが出て来て玄関を閉め、鍵をかけようとする。


 間に合った。俺はドアをがばっと開けた。


「――福田、てめえっ!!」

「わあああああああっ!」


 鍵を閉めようとポーチに降りていたみのりが恐怖の悲鳴を上げる。俺は怒鳴った。


「ふざけんなコラッ、覚悟はできてんだろうなあっ!?」

「ふふふ藤沢君――」後ずさったみのりは玄関の上がり口に引っ掛かって座り込んだ。「なんで!? なんで思い出してんの!?」

「思い出してねえよ! やっぱお前、俺の記憶消しやがったな!?」

「思い出して、ないの!? なのになんで!?」

「認知症患者だってな、記憶は忘れても感情は残ってんだよ! 人間の脳なめんな! つうか俺様なめんな! どうしてくれんだよこの感情、お前見ると腹立ってたまんねえよ! なにしたんだ――」


 がくん、と視界がずれた。俺は足元を見た。俺の足がキラキラ光る粒子になって床の一点に吸い込まれて行くのを。


 驚いた。でも、二度目だから取り乱さなかった。そう、俺は確かにこれを知っていたのだ。ショルダーバッグを抱え直し、みのりの手をつかんだ。白くて細い、折れそうに華奢なその手首を。これで勇者ってか。ふざけんな。


「藤沢君のバカあ――!」


 みのりが叫ぶ。俺は居間でこちらを見ているみのりのおばあさんに向けて叫んだ。


「おはぎごちそう様でした! 今度は運んでくれなくて大丈夫ですから! ちょっと行って来ます!」


 きらきら光る粒子になって眼球が消える寸前、

 みのりの祖母が確かに言ったのが見えた。いってらっしゃい、と。


   *


 気が付くと俺は森の中に倒れていた。顔に陽光が降り注いでいて、ぬくぬくと暖かい。――と、


「……ぶっ!」


 顔にもふっとしたものが飛び降りて来て、一気に目が覚めた。顔にへばり付いている何かが叫んだ。


(ふじさわ――!)


 俺はとりあえず起き上がり、べりっとそれを顔から引きはがした。蜂蜜色の、湯たんぽくらいの大きさの、もふもふした獣だった。背中に小さな翼がはえている。まっふまふのたてがみを生やした小さな子供のライオンが、大変お喜びのご様子で俺の手から逃れて宙に浮き、助走をつけて――


「ごふう!」

(ふじさわ、ふじさわ、ふじさわあああ! あいたかったあああ! あいたかったあああああ!!)


 ぐりぐりぐり、と、顔を俺の腹に押し当ててくる。


 ――何だっけ。何だっけこの生き物、何でこんなに喜んでるんだろう?


 でもまあ、いやな気分ではなかった。俺もそいつに『再会』できて嬉しかった。便宜上そいつをモフ美と呼ぶことに決め、腹にぐりぐりし続けているモフ美を抱き上げた。おう、何という至福の手触り。俺は我を忘れてそいつをもふもふしまくりたくなる衝動をぐっとこらえる。


「お前俺のこと知ってんの?」


(ふじさわ、知ってるー好きー大好きー)


「俺お前のこと忘れちまったんだけど、それ、治せる?」


(んー。やってみるー)


 どうしてモフ美が俺を治せると思ったのかはわからない。が、俺は自然にそう頼み、モフ美もすぐに取り掛かった。俺の頭の上によじ登る。――もわ、と頭が温かくなり、俺は目を閉じた。


 キラキラ光る粒子が脳の中に降り注いだ気がした。

 そして。


 目を開けた時、俺はすべてを思い出していた。一月ぶりに、頭の中がすっきりと晴れ渡ったようだった。どうしてみのりを見るとイライラしたのかも、どうしてみのりが母親と一緒にわざわざ挨拶に来たのかも、全部理解した。眉間にしわを寄せて辺りを見回すと、少し離れた場所にみのりがいた。ボストンバッグもスポーツバッグも見当たらない。


 俺の方は、ショルダーバッグが肩にかかったままだった。前回鞄がなかったのは、その瞬間に手放してしまったからかもしれない。みのりは玄関に鍵をかけようとしていたから、荷物をおいてきてしまったのだろう。へへん、ざまぁ見ろ。


「モフ美、ありがとう」


 撫でるとモフ美はゴロゴロ喉を鳴らした。サイズのせいか、ライオンっつーより猫みたいな感じだな。


 しばらくその感触を堪能した。あああ、本当に、なんという手触りだ。つれて帰りたい。いや、もしこんなのが年がら年中一緒にいたら、堕落してしまいそうな気がする。少なくともこれひざに乗せて勉強とか無理。


 と――


 ひや、と、空気が冷えた、気がした。


 首の後ろの毛がちりちりする。俺は腰を浮かせて、あたりを見回した。


(ふじさわ)


 モフ美も気づいたらしい。ふわりと浮かんで、俺の頭の上に乗った。


(へんなのくる。きもちわるい)


 モフ美の感想は的確だった。まさに、何か変なのが来る、気持ちが悪い、と俺も思っていた。足早にみのりに近づいて、その肩に触れた。揺すってみる。起きない。


「もしもし、福田さん」

(みのりいつもねぼう。ねぼすけ)

「起きていただけませんか」

(むりむり。いつもねぼすけ)

「何か変なのが来る感じなんですけど」


 諦め切れずにぐらぐら揺するが、みのりは一向に起きない。ふうっと風が吹いた。冷たい、底冷えのするようなじめついた風だ。そして俺は、そのまがまがしさの正体に気づいた。

 においだった。


(くさい……)


 身の毛がよだつ。なんだか、本能的にヤバイ臭いだ。俺はもう一度辺りを見回した。

 少し離れた木の陰に、人が立っていた。

 見るからに怪しい人間だった。真っ黒なローブをすっぽりと被っていた。何か饐えたような臭いはその男? が発していた。顔は全然見えないが、ひょろひょろした貧弱な体つきはなんとなく見て取れる。ゆらあり、ゆらあり、と歩いて来るその様子は、酔っ払ってでもいるみたいだ。


(やだ……っ!)


 モフ美の悲鳴が脳裏に響く。その男がローブの陰から杖を取り出した。その杖の先に、獣の死骸がぶら下がっていた。俺は目眩を感じた。蝿がその死骸にぶんぶんと纏わり付いている。臭いの源はそれだ。


 モフ美そっくりの、モフオンの死骸だった。


 蜂蜜色の毛皮はどす黒い血――体液? で汚れていた。ぼたり、ぼたり、と時折黒っぽい汁が垂れている。だらんと開いた口から外れかけた牙が見える。虚ろな眼窩から蛆虫が覗いている。腐っているのだ。それも尋常の腐り方じゃなかった。単なる印象だが、人為的に無理矢理腐らせたような。


 後ればせながらモフ美を背中に隠した。モフ美が捕まったりしたら大変だ。

 身の毛がよだっていた。こんな愛らしい生き物に、あんな仕打ちができる人間が、存在するなんて知らなかった。


「――ミア、――」


 ローブの陰で、くぐもった声で男が言う。モフ美がぶるぶる震えながらもか細い思念を伝えて来た。


(ミアの子をよこせって……)

「――ミア―、ウルス――、――テルミア!」

(ミアの子さえいなければ……今ごろ麗しのウルスの闇が……テルミアを覆っていた……)

「――ウルス――……――ウルス。――ミア――。――? ――?」

(ウルスの子を返せ……私の愛しいウルスの子を……聖なる獣の復活を邪魔したミアの子を許さない……お前は誰だ? ミアの子の使い魔か? って)


 腐臭に酔いかけていた俺は、その単語で我に返った。


 使い魔?

 使い魔!

 使い魔って!!

 使い魔ってあれですか? 魔女がつれてる黒猫とか鴉とかですか!? ジジですか俺は!!


 勇者じゃなかったってことくらいはとっくにわかっていたけれど、


「せめて人間扱いしろよこの野郎……っ」


 ぎりぎりと歯を鳴らして俺はショルダーバッグを降ろした。よし決めた、あいつ殴る。あのモフオンを丁重に葬ってやらなければ男が、いや人間が廃る。なんか手頃な棒があればいいんだけど、と周囲を見回して、気づいてしまった。ローブの男はひとりじゃなかった。他に、少なくとも十数人の連れがいた。ローブの男に気を取られている隙にすっかり取り囲まれていた。他の奴らはローブを着ておらず、前回町中で見かけたような簡素な衣類を着ていたが、表情が陰惨すぎて、町民にはあまり見えなかった。アトレンが持っていたような剣をみんな持っていた。頬がこけ、栄養状態があまり良くなさそうだ。


「藤沢君……」


 囁き声が聞こえる。俺はローブの男に目を向けたまま、少しほっとした。


「福田、起きたか。あいつらどうにかして」

「ごめん無理」


 あまりに端的な返事に思わずそちらを見てしまった。みのりはまだどこか寝ぼけたような顔で、ローブの男を見ていた。正確には、あいつの持っているモフオンの死骸を。


 その顔が痛ましげに歪んだ。


「まだ残ってたんだ……」

「あいつら何」

「……敵」


 まあそうだろう。あんな外道がみのりの仲間だったら、クラスメイト付き合いを考え直すところだ。

 ということは、ミアの子、というのがみのりのことでいいんだろうな。神の子、みたいな感じかな。うーん主人公って感じだ。異世界チートってやつか。

 と思ったのに。


「なんか勇者パワーとかであいつらぱーっと」

「いや無理」


 みのりは断言した。おい。


「……じゃあ魔法とか? 勇者剣技とか? なんかあんだろ」

「ごめん、あたし、本当に、特殊な力があるわけじゃないんだよ……」

「勇者じゃねえの」


 みのりはとても情けない声で言った。


「ほんとに、ただ単にトリップ体質なだけなんだよ……」

「――ミア、――――!」


 ローブの男が何か言った。みのりは答えなかった。俺の背中にしがみついているモフ美が言った。


(ミアの子……あの子と同じ目に遭わせるって……)


 モフ美が吐き気を感じているのまでダイレクトに流れ込んで来た。あの子、というのは、つまりあの杖にぶら下げられているモフオンのことだ。モフ美の思念に引きずられて、俺までそれを見てしまった。みのりが腐らせられて杭の先にぶら下げられているところを。


 じわじわと状況の悪さが飲み込めてくる。単なる女子高生でしかないみのりが、王子も護衛もいない場所で、こいつらに捕まったら?


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