神の子の使い魔 おまけ短編
十月、あたしの一番好きな季節だ。
あたしはご機嫌だった。中学時代から仲のいい友達ふたりと、久しぶりに喫茶店でパフェである。あたしはチョコレート、ちいちゃんはヨーグルト、みのりはキャラメル。どれも美味しくて、あー、幸せだなあー。
最近まで、ちいちゃんはみのりを避けていた。あたしはそれが、ずっと心配だったのだ。
でもこないだちいちゃんがみのりに謝り、ふたりは仲直りをした。そして今日、みんなで町に遊びに繰り出したというわけだ。みのりはずっと病弱で、誘っても出かけられないことも多かったんだけど、今日は調子がいいらしい。喜ばしい。空もすっきりと晴れ渡り、あたしの心のように一点の曇りもない。
でも。
ちいちゃんはみのりを避けていたくせに、あたしよりずっと最近のみのりのことを知っているみたいで、それはちょっと、なんか、淋しい。けど、嘆く必要はない。ふたりとも、あたしを仲間外れにするつもりはないのだと、わかっているんだから。
「んで、」
パフェの味見しあいっこがひととおり済むと、おもむろにちいちゃんは始めた。
「トリップのことだけどさー」
トリップ? あたしは聞き馴れない単語に耳をそばだたせた。
あたしがちいちゃんとみのりを好きな理由のひとつがこれだ。
繰り返すけど、ふたりにはあたしを仲間外れにするつもりはないのだ。ただ結果的にそうなってしまうことが多いだけだ。話せる時がきたら、準備ができたら、ぜったいあたしを入れてくれる。こないだいきなりちいちゃんに、学校サボってって頼まれた時も、だからためらわなかった。
今日、きっと準備ができたんだ。
「……」
みのりは、不安そうな目であたしを見た。話したらあたしがどう思うかって、怖がってる? のかな。
ややして、意を決したように、みのりは言った。
「……終わった」
「終わった? って、なに」
ちいちゃんが身を乗り出し、みのりは目を閉じた。
そして開く。うつむいて、バッグの中から小さな入れ物を取り出し、目の中に指先を入れる。コンタクトを外すしぐさ、だけど、みのりがコンタクトしてるなんて知らなかった。
ややして、顔を上げたみのりの目は――
「……あっ!」
あたしは思わず声を上げた。
本当のみのりの目は、綺麗な青い色をしていた。
「みかりん、あたしのお父さんは、リオニア、という国にいるって、前言ったことあったよね。リオニアは……ごめん、本当は、地球にはないの。異世界にあるの」
みのりはそんな風に始めた。
そして、長い話をした。
時折ちいちゃんが補足をした。ちいちゃんたら、中三のころ、みのりにくっついて異世界に行ってたらしい。何度も、何度も。そしてちいちゃんはみのりのリオニアと敵対する国に味方するようになって、それで――
藤沢君がどうしてあのとき、みのりの家の前にいたのか、とか。そういうこと全てを、みのりは一生懸命、話した。
「……それで、もうあっちには、行かなくて良くなったの、だから、……持病はもうなくなったんだ」
みのりが締めくくり、ちいちゃんは目を吊り上げていた。みのりがトリップを続けていたら死んでたんだということまでは、ちいちゃんも知らなかったのだ。
沈黙が落ち、みのりは判決を待つ人のようにうつむいている。
あたしは言った。
「……みのり」
「はい」
みのりが上目使いであたしを見る。
「それじゃあ藤沢君とお付き合いすることになったのね!」
言うとちいちゃんががくっと肩を崩した。「そこかよ!」
「えっそこだよ! そこだよね!? いやんもー藤沢君てばイケメンじゃん! みのりが死んじゃうのがやだったんだよね藤沢君! 自分は帰れなくなるかもしんなかったのに! 愛だねまさに! やーよかったねえ、片思い長かったもんねー!」
みのりは呆気に取られている。ちいちゃんが、ぽん、とあたしの肩をたたく。
「みかりん、みのりとあたしが毎月異世界に行ってたことについてはなんかないの」
「あっそーだよそれもだよ! ずるいよちいちゃん、あたしも行きたかったよ! 誘えよ!」
「それかよ! しかもなんであたしだけに怒るの!」
「だってみのりは一緒に来て欲しくなかったんでしょ? 藤沢君からも逃げてたじゃん? そりゃそうだよ、えっと、りお? リオを殺したら解決するんだ、でも殺した人はあっちに残るしかないんだってばれちゃったら、ちいちゃんリオ殺してあっちに残ったでしょー」
「……あーまあ、その手があったかーなんて」
「だめだよちいちゃん、成人まであと三年ちょいの辛抱なんだぜ? そりゃみのりも逃げるわ。あたしが一緒に行きたがったらあたしからも逃げたっしょー。だからみのりは責められないの。ちいちゃんんー? 魔王の神子とか美味しいポジション、よくも独り占めしたねえ……?」
最後は耳元でささやくとちいちゃんは震え上がった。
「ご、ごめんみかりん……お怒りをお鎮めくださいみかりん大明神様……」
「チーズケーキ、食べていいよね? これはちいちゃんのおごりで」
「そ、そんなことでよろしければもう、どうぞどうぞ。……つーか、みかりん来てたらエスラディア側に味方してたの」
「まさかん♪ あたしは主人公側がいいですん♪」
「どーせあたしは敵役だよ!」
あたしは手を上げて追加の注文を頼み、残ったパフェをぱくついた。あんまり真剣に聞き過ぎてて、大好物を食べるのさえ忘れてたんだ。あーあ、溶けちゃってる。器を持ち上げて中身を飲むのは、やっぱお行儀悪いだろうか。
みのりがようやく、声を上げる。
「みかりん……」
「んー?」
「気持ち悪くないの……?」
訊ねられて、きょとんとする。「何が?」
「いやだって、あたし、毎月……異世界トリップしてたんだよ……」
「うん、うらやましいよ! 銀髪碧眼の王子様か……! みのりの異母兄弟なんだし、そこはやっぱ美形だよね! ねっ!?」
「みのりとそっくりだよ。みのりの背を伸ばして骨格男性にして銀髪にしたと思いねえ」
ちいちゃんの説明に、あたしはうっとりした。
「目の保養だねまさに……! 写真見たい……! 性格はやっぱクールな俺様だよね……! イイ……!」
「そんな深刻に考えなくても良かったでしょ。みかりんてこういう子なんだって知ってたじゃん。……予想以上だったけど」
ちいちゃんが言い、みのりは微笑んだ。今にも泣きそうな笑顔に見えて、あたしは焦る。こんなところで泣かせたら、さっきから店の外に立ち止まって、窓越しにみのりとちいちゃんをちらちら見てる男の人達に、口実を与えてしまうかも。
「で、藤沢君のことだけどさ! お付き合いすることになったんだよね!」
言うとみのりは……ぽっと頬を染めたあああ! かっわいいいいなあああもおおおお!
「う……いやまあ、まずはお友達からって言われたよ……」
「なんでだよ」
ちいちゃんがつっこみ、あたしはうっとりした。
「いいじゃん……そりゃ藤沢君は……一応、リオの仇になっちゃったわけだもんね……そりゃその場で付き合うってわけにはいかないよね……いい……イイわあ……」
「もしもし、みかりーん。戻っておいでー」
「いーね葛藤! 萌える! で、会ってんの?」
みのりは下を向き、指先をもぞもぞ動かした。
「うんまあ、モフ美ちゃんに会いに毎日来るよ」
「毎日!」とあたしが叫び、
「猫目当てかよ!」とちいちゃんがつっこむ。
みのりは苦笑して、パフェをつついた。こっちももうどろどろだ。
「おばあちゃんと仲良しなんだよね。おばあちゃんたらすっかり気に入っちゃって、毎日晩ごはん食べて行きなさいって……藤沢君一人暮らしで、料理も上手だから、一緒に料理したりしてる。餃子とか包んでる」
「それ彼氏っつーかおばあちゃんの孫じゃん。家族じゃん。お兄ちゃんじゃん」
「えー藤沢君、弟って感じしない?」
「どっちでもいーよみかりん」
うーん羨ましい。うちの弟が藤沢君だったら毎日目の保養だ。
チーズケーキが来た。ここのチーズケーキはあたしの大好物だ。ひとくち食べて、んー、と唸る。もう一口分フォークに乗せて、
「はいみのり♪ あーん」
「わ、ありがとー」
みのりは素直に口を開けた。よしよし、だいぶ緊張がほぐれてきたらしい。あたしはにんまりしてやった。
「藤沢君のエプロン姿とか超見たい。今日も来るの?」
「あ、うん……明日、」
言いかけてみのりはちょっと青ざめた。あたしはずずいっと身を乗り出す。
「明日? 明日なんかあんの」
「う、うん……明日、藤沢君ちの家族会議がね、あって……」
「家族会議! さっすがお金持ちはやることが違うね!」
「兄姉が多いから、結構な大所帯になるんだって……それで、そこにおばあちゃんのおはぎを持って行くことになって、おばあちゃんと一緒に作ることになってる。そろそろ来てるかな」
「えっ! みのりはいーの、一緒に作らなくて」
みのりは、はは、と笑った。ちょっと自棄気味の笑顔。
「あたしの出る幕なんかありませんよ……おばあちゃんに、あんたは邪魔だから出てなさいって言われちゃった……」
「藤沢君ってそんなに料理上手なの? 何でもできるんだね、藤沢君って。……あっ! わかった、明日、みのりも一緒に家族会議に行くんだ!」
言うとみのりは身を震わせた。正解らしい。
「だだ大事なご子息の顔に傷をつけた者として、誠心誠意謝罪させていただきます……どうしようどうしよう」
「ふつつか者ですがって言うのね!?」
「いっ、言わないよ!?」
「えーなんでよー親公認になるわけじゃん! そこは伝統美だよ! 清楚さアピールだよ!」
「いやふつつか者は早いよみかりん」
ちいちゃんが呆れた声で言う。「そこは幾久しくよろしくお願いします、だよ!」
「いやーいいなあー、なんかこう、幸せだなあ、みのりの片思いがついに……」
「ボケをスルーするな!」
ちいちゃんの抗議もスルーして、あたしはみのりをじっと見た。みのりの頬はまだ少し青い。
「そりゃ緊張するよね。嫌われたらどうしようって」
「ん……」
「でも大丈夫だよ」
あたしはにっこり笑った。
「みのりがリオを殺すはめにならなくて良かった。みのりはこっちで生きたかったんだよね。お母さんとおばあちゃんと、あたしたちと、藤沢君に、会えなくなっちゃうのが嫌だったんだよね」
「……う、ん」
「だから嬉しい。あたしたちに会えなくなるのが嫌だって、思ってくれたのが嬉しい。それ以前に、みのりが死ななくて良かったよ。それにさ、これからはもう、キャンプだってスキー旅行だって修学旅行だって、行けちゃうんだよね。藤沢君は、全部うまくいくようにして、そのうえ自分もちゃんと戻って来た。顔の傷はそのせいなんだよね。その程度で済んで、ラッキーだったじゃん? それにみのりと猫ちゃんがいなかったらさ、藤沢君戻ってこられなかったんだし」
「……う、うん。……うん」
「そんなに無残な傷痕なの」
ちいちゃんが訊ね、みのりは身をすくめた。
「まあ……治療が良かったみたいで、跡は残らずに済むみたい、だけど……その治療っていうのがね、湿潤療法って言って」
「シツジュン?」
「あーなんか、絆創膏みたいなの貼りっぱなしにするやつじゃなかったっけ」
ちいちゃんが言い、みのりはうなずいた。
「顔だし、範囲が結構広いから、今も顔中パッドだらけで……痒いけどかけなくて悶えたりしてるし……申し訳なくて、もう……しかも肩の歯形がっ」
「歯形!?」
「噛んだのみのり!」
「噛みました……! もう必死で……!」
みのりは両手に顔を埋め、あたしは感嘆した。
「いやぁ……みのりに噛まれる権利をもし学校で売ったら大もうけだよ! それだけの価値がある歯型だよ!」
「論点が違ーう」
ちいちゃんに裏拳つっこみされた。あたしはさらに身を乗り出した。
「ねね歯形がどしたの? 膿んじゃったの?」
「腫れちゃったの」
「わーお。やるねえみのり」
「大丈夫だよ! 名誉の負傷だよ! ね! ……藤沢君ちのご両親も、きっとわかってくれるよ」
「……うん。ありがと、みかりん」
みのりは微笑み、あたしはうっとりした。あああ、なんて目の保養。
みのりは家に寄って行かないかと誘ってくれたけど、あたしもちいちゃんも、また今度にすることにした。おはぎ作ってるとこ邪魔しちゃ悪いしね。別れ道で、みのりはすっきりした顔で、手を振って帰っていった。ちいちゃんとあたしは家が近いので、ぶらぶら一緒に歩いて行く。
あたしは幸せだった。みのりがどんなに長い間、片思いしていたか知ってるから。
藤沢君には彼女がいるって噂だったんだけど、実際あたしは信じてなかった。なんというか、彼女臭がしなかったんだよね。噂の真偽を確かめようとしても、みのりはそれすら嫌がった。みのりなら絶対うまくいくよって励ましても、病気があるからといつも言ってた。
そうかあ、といまさら納得していた。
みのりはトリップする体質を知られて、気味悪がられるのが嫌だったんだ。
それが全部解決して、藤沢君とみのりが一緒にいられることになったのだ。あたしまでお肌がつやつやしちゃいそうなくらい幸せだ。
それから。
けっこう長い間、何かの上で危ういバランスを必死で保っているようだったちいちゃんの、あの不思議で恐ろしい影のようなものが、すっかり消えている。
だから。
あたしはもう、とっても幸せだったのだ。ちいちゃんが気軽に冗談言うなんて久しぶりだったから、もう少しからみたくなってしまった。じゃれたかったと言ってもいい。
「あ、そうだ。ねー、ちいちゃん……?」
囁くとちいちゃんは条件反射のようにびくりとした。
中二の時のあの事件がいまだに尾を引いているらしい。
「な、なに?」
「こないだ嘘ついたね……? みのりのこと避けてたの、藤沢君関係ないじゃん……?」
ちいちゃんはしまったという顔をした。必死の声を上げる。
「うっ、嘘じゃないもん! 藤沢君ほんとに好きだったもん、一瞬!」
「一瞬ってなんだ! みのりがどんなに藤沢君好きだったか知ってるくせにー、本人の目の前でー、口実に使ったなあぁ〜?」
「違うもん違うもん! みのりん家までおんぶして運んでもらったんだもん! 胸キュンじゃん! ちゃんと告白だってしたもん!」
「えっあれマジだったの? 返事は?」
「お断りだ! って叫ばれました」
「そっか……ドンマイ☆」
「どうも……」
呟いた声が、少し、へこんでいるようで。
しまったな、と思う。実際、本当に、ちょっとは好きだったのかな。どうだろう。ちいちゃんは嘘つきだからなぁ。
ちいちゃんはいろんなことに嘘をつく。
自分にもつくのだろう、たぶん。
「みかりんは、みのりが大好きだもんね」
ややしてなんでもない口調でちいちゃんが言い、あたしはうなずいた。
「うん、好きだよ。ちいちゃんも好きでしょ」
「……うん。そうだね」
言ってちいちゃんは。
足を止めた。体にぴったりした長袖のかわいいシャツが、ほんとによく似合っている。美人でスタイル抜群で、あたしの大事な友達。
そんな泣きそうな顔は、ちいちゃんには似合わないのにな。
「あたしはただ、みのりに甘えてたんだろうなって、思うんだ」
か細い声でちいちゃんは言った。あたしはさっき聞いた、異世界での、ちいちゃんの行動について考える。
「……そうなの」
「うん。あたしはみのりがどこまであたしのことを許してくれるのかって、……試そうとしてたんだろうなって、今は思うんだ。あたしが嫌ってもひどいこと言っても、いろんなひどいことしてみのりの大事な人をたくさん苦しめても、みのりはあたしのこと好きでいてくれるのかなあって、知りたかった……のかなあ」
「うん……」
「みのりに、ちいちゃんの言うことなんかもう信じないって、言われたときに……やりすぎたんだってわかった。あたしは越えちゃいけない一線を越えちゃったんだなって。藤沢君を巻き添えにして囮にしてみのりのこと誘い出そうとした……みのりを理由にして、藤沢君を傷つけようとしたってことだよね……それだけは、どんなことがあっても、やっちゃいけなかったんだなって。わかった瞬間、慌てちゃった」
「……そっか」
「慌てて、しまったって思った。もしかしてあたし、やっぱみのりのこと好きだったのかなって。どうしていいかわからなくなっちゃった。やけっぱちになっちゃった。……なのにエノラスがあたしを見捨てたときも、みのりは見捨てなかった。だからもう、……参っちゃったよ」
「みのりだけじゃなくてさ。あたしもちいちゃんのこと好きだし、大事だよ」
まじめに言うと、ちいちゃんはたじろいだ。
「う……」
「好きだから余計にさ、ちいちゃんにひどいことされるとつらいと思うんだ。みのりもきっと、そうだったと思うよ」
「……うん」
「だから、あたしも大事にするからさ、あたしのことも大事にしてね?」
「……」
「みのりもね。大丈夫だよ。これからちいちゃんが大事にすれば、きっと元どおりだよ」
「うん……」
ちいちゃんはうなずいた。小さな子供みたいだな、と思う。
みのりもそうだけど、ちいちゃんも、
無事に帰って来て、良かったなぁ。
あたしは微笑んだ。
「一度悪者やったからって、主人公に戻っちゃいけないなんて、絶対ないよ。大丈夫」
会話はそこで途絶え、その日は手をつないで帰った。
ぶらぶら歩きながら、あたしは藤沢君にお礼をしたいと考えていた。あたしは当事者にはなれなかったし、藤沢君にはあたしにお礼を言われる筋合いなんかないって思われそうだけど、でも、それでも。みのりも、そしてちいちゃんも、無事であたしのそばに戻ってきてくれたのは、やっぱり藤沢君のお陰なのだから。
ここはやっぱり、キャットフードだろうか。それも、一番高級なやつ。
うん、とうなずいて、あたしは微笑んだ。
明日にでも買いに行こうっと。
これで完結です。
お付き合いありがとうございました!




