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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
43/44

最後の訪問(15)

   *


 がん、と全身に衝撃が走り、さらに鋭くなった痛みが襲いかかってくる。たまらずはね起き、顔面にへばり付いて掻きむしってる黒い何かを引きはがすと、右肩に噛みついていた誰かが叫んだ。


「藤沢君……!」

「……いいいいいいいてええっつーの! うがあっ!」


 叫んで衝動をやり過ごしてから、我に返る。


「あれ?」


 顔面から血が出ていた。

 右肩にはTシャツの上からでもわかる、くっきりした歯型がついている。

 俺の左手に掴まれている黒い温かな何かは、子猫だ。


 ソファのわきに座り込んでいるみのりは、ひどい有り様だった。涙でぐしょぐしょの顔を歪めて、俺を見ている。


 福田家の居間のソファの上に俺は寝ていたらしい。窓が開いていて、窓のそばにおばあさんがいる。

 首筋に突き付けられていた冷たい剣の感触も、四方八方から注がれていた視線もない。両脇にいた兵士もいない、そばにいたアトレンも、リオの亡骸も――


 帰って来たのだろうか。まさか。

 俺は一番痛む肩をさすって、思わずうめいた。


「……噛むなよ……」


 黒猫がもぞもぞしている。ぱっと放すと、黒猫は俺のひざの上に着地して、ごろごろ喉を鳴らした。


「んにゃああん」

「……おかえり、ふじさわ、だって」


 みのりが涙声で言い、袖で顔を拭う。俺は黒猫を見つめた。リオニアに行く前に、福田家の門前でキャットフードをやった猫だ。いつにも増して人なつっこいな、と思ったのを覚えている。


 ――まあいっか、悪いものじゃなさそうだし。


 ああそうか、と思った。

 先にこっちに来てたのか。


「……藤沢君のバカ」


 みのりが言い、俺は笑った。


「どうもすみませんでした」

「すみませんで済ます!? 冗談じゃない、信じられない、何いきなり勝手なことしてるの!? 帰ってこられなかったらどうするつもりだったの!?」

「あっちで闇のリオノス育てて魔王として降臨しようかと」

「まじめな話をしてるんです! ちょっとそこに座りなさい!」

「ごめん」


 言うとみのりは黙った。悔しそうな顔。

 思わず笑ってしまい、みのりがまた怒る。


「なんで笑うの!?」

「いやほら、……噛むか普通」

「今はその話じゃないでしょ……!」

「ごめんな。深く考えたり相談したりするとできなくなりそうだったからさ。あっちで仲いい人もいっぱいいたのに、挨拶もさせてやんなかった。何より、大事な使い魔を殺してごめん」


 言うとみのりは、顔を歪めた。


「藤沢君ってそういうとこがずるいよ……」


 話をそらすと怒られて、まじめに謝るとずるいと言われる。姉ちゃんズで慣れてはいるけど、ほんとめんどくさいよな。


 でも。怒られても詰られても、目の前にいて、元気そうだから、まーいーかなんて思ってしまう。我ながらおかしい。思考回路が全く論理的じゃない。これが盲目というものか。よりいっそうバカになっただけという気もする。


 ――そういう気持ちを何と言うでござるか。


 何と言うんでござろうか。ねえ。


「みのり」


 おばあさんがみのりに救急箱を差し出した。


「猫の引っ掻き傷はちゃんと消毒しないと腫れるかもしれないから……お医者さんに行く前に、応急処置だけでもしてあげなさい」

「あ、いえ、自分で」

「私は」


 あ、スルーされた。


「タクシー、呼んでくるから。来たらすぐ病院に行きましょう」

「うん……」


 おばあさんはそのまま出て行き、みのりが救急箱を引き寄せる。うわー、すっごいぐりぐりやられそう。モフ美はといえば、自分の役目はもう終わりだとばかりに、俺のひざの上で丸くなっている。

 リオが保険のために、モフ美を送っておいたのだろうか。

 言っといてくれよ。


「おまえもさー……いーのか、こっち来ちまって」


 喉を指先でくすぐるとモフ美は嬉しそうにゴロゴロ言う。まあ、つれてってね、と前に言ってたくらいだから、これはこれでいいのだろうか。


「藤沢君ち、アパートだから。家で飼おうか」


 みのりが脱脂綿に消毒液を染み込ませながら言い、俺はうなずいた。


「そりゃ助かる。母親が猫アレルギーなんだよ……痛えっ」


 容赦なくぐりっとやられた。まだ怒ってるらしい。当然だけど。


「……他の方法、一緒に捜してやれなくてさ、悪かったよ」


 言うとさらにぐりっとされた。


「痛いんですけど」

「……」

「もうちょっとそっと」

「……」

「痛えー」

「ごめんね」

「いや謝るんじゃなくてもうちょっと」

「他の方法がね、ないっていうのは、わかってたんだ」


 あ、そっちの話か。

 目の辺りをぐりぐりされてるので、みのりの表情はわからない。


「リオは三百年、捜したって言ってた。新しいリオノスを生まれさせて、自分が解放される方法をね……でもダメだったんだって。だから、あたしが捜したくらいでどうにかなるものじゃないんだろうなってわかってた。リオが苦しんでるのも知ってた。だからそのうち、あっちで、あたしが、リオを殺すしかないんだろうなって思ってた」


「……あ、そうなんだ」


「でも」またぐりっとされた。「勇気が出なかった。リオニアのみんなからリオを取り上げて恨まれる勇気も……リオの手を借りられない状況で、ひとりで、あっちでずっと暮らしていく勇気も……地球を捨てる勇気も、全然なかった。こっちでの生活を、諦められなかった。行くたびに、また今度にしようって。こっちで、お母さんと、おばあちゃんと、……と、もだち、と。会ってからにしようって。もう少し、もう少しって、ずるずる先に延ばしてきてた」


「そっか」


「……藤沢君はずるいよ。どんなこともあっさりやっちゃって。人の気も知らないで」

「みのりだって俺の気持ちなんか知らないだろ」

「……そうだけど」

「考えたらできなくなるだろそりゃ。俺はただかっとなって暴走しただけだよ。なんも考えてなかったし。こっちに帰れなくなったらどうなるとかも考えなかった」

「……考えてよ……」

「ただみのりがさ、花園みたいに、リオニアの人間に使い捨てられんのがやだったんだ。神の子だから当然だって言われて、いろいろ無理やりやらされるのが嫌だった。それで気づいたんだけど、実際のところ俺、みのりのことが好きなんだと思……ぎゃー!」


 最強にぐりっとされて思わず悲鳴を上げる。みのりがピンセットを取り落とした。開けた視界の中で、みのりは目を見開いて硬直している。見る見るその顔が朱に染まり、俺は、あー、と思った。いいもん見たー。


「そ――そんな告白があるかー!」

「いや告白つーか……告白か」

「ふふふ藤沢君のバカああっ! しっ信じられない、そんな、じっ、実際ってなに実際って!?」

「あ、そーだ。アトレンがたぶん、次の王様になりそう。たぶんだけど」

「今この状況で話変える!?」

「は? いや別に返事は求めてないから」

「求――ええっ!?」

「知っといてもらえればいっかなって」

「いやでもなんでいきなりそれなの!? よよよくわかんないとか言ってたじゃん!」

「いやー死ぬか生きるかの瀬戸際までいってやっと開花したっつーか」

「開花して実際とか言うなー!」

「だからさ、別に付き合ってくださいとか言ってるわけじゃないんだって」


 言うとみのりは虚をつかれた顔をした。


「あ――ああ、そっ……か」


 納得すんのか。


「いやだって、今いろいろ複雑だろ。大事な使い魔殺されたり、毎月行ってたとこ行けなくなったり、大事な兄だか弟だか、父親だとか友達だとか姐御だとかおじさまだとかに会えなくなった。その原因作った張本人が俺なわけで」


「で、でもそれは」


「もっとよく考えて相談してれば、もっといい方法捜せたのにそうしなかった。勝手に暴走して勝手に無理やり終わらせちまった。余計なお世話って言われるとほんとそのとおりだと思うんだよね。その辺よくよく考えると普通にふられそうだから。だから今返事されると困るわけで」


「……困る、の」

「困るよ。だから」


 俺は頭を下げた。


「まずはお友達からよろしくお願いします、ってことで」

「…………なんかあたし今、ふられたみたいになってるんですけど」

「なんでそーなんの。ひとの話聞いてた?」

「聞いてた」


 みのりは言って、苦笑した。ピンセットを拾い上げ、また治療を再開しようとする。思わず身構えたが、今度はそんなに痛くなかった。脱脂綿の隙間から盗み見ると、みのりは穏やかな顔をしていた。まだ少し頬は赤いけど。


 ゆったりした沈黙が流れる。

 寝てしまいそうな心地よさだ。ひざの上のモフ美が温かい。


「今度さー」


 ゆっくり手を動かしながら、みのりが言った。


「クッキーの焼き方教えて。あれって型抜きしたの? 丸と四角だけだったけど……」

「まさか。アイスボックスクッキーっつって、生地まとめて棒状にして、冷凍して包丁で切るんだよ」

「そーなんだ。あれもおいしかったけど、やっぱ型抜きもやりたいな」

「生地くらいなら作ってやるけど。ねーちゃんたちがやりたがるからさ。自分じゃもう面倒で」

「ほんと? じゃあ、明日?」

「明日あ? また急ですね」

「ダメですか」

「まさか。いーですよ」


 言うとみのりは嬉しそうに笑った。その顔を見て、俺は既に後悔していた。しまった、お友達からなんて言うんじゃなかった。ほとぼり冷めるのって、どれくらいかかるんだろう。


 モフ美があくびをした。くあああああ、と、伸びを兼ねたような長々しいあくびに、リオを思い出す。もう雪之丞さんに会っただろうか。今までリオに頼まれて、その願いをかなえてやれなかった神の子たちにも、やっと会って、ちゃんと労ってもらっているだろうか。


「リオにとってはさ……藤沢君が、きっと、勇者だったんだろうね」


 みのりがそう言い、俺は笑った。




 神の子の使い魔は、やっとその役目を終えた。




「アトレンがいればきっと大丈夫だよなー」

「そうだねえ。やっと彼女と大っぴらに付き合えるようになるわけだし」

「なにそれ!? あいつ彼女いんの!?」

「いるよー。ウェルルシアのお姫様でね、結構おてんばな子で、さっき言った反乱軍鎮圧にもついて来ちゃってて」

「なにやってんの……」

「彼女がどうしてもって聞かないから、あたしが女王陛下に頼まれて護衛することになったんだよ。すっごく可愛いんだよ。あたしの求婚者って嘘つかなくてもよくなったら、政略結婚を装って求婚するって随分前から」

「……なんかすっげ悔しい……」




 神の子も、役目を終えて。




「エレナの罪も、そんなに重くないといいな」

「……知ってたんすか」

「そりゃわかるよ。モフオンになればあっちの人に気づかれないから、情報収集とかも簡単だもん。……エレナにも、みんなにも、お世話になりっぱなしだった。あっちで楽しいことも、いっぱいあったし。あっちが大好きだった。あっちの人たちが、大好きだったよ。……でも」

「……」

「でもあたしは、やっぱりこっちで生きたかった。神の子じゃなくて、福田みのりとして」

「そっか」

「だから。……ありがとう、藤沢君」




 普通の人間になった。

 俺の彼女になるかどうかは、まだわからない。

これで完結です。お付き合いくださりありがとうございました!

本編はここまでですが、後日談的なおまけ短編があるので、明日更新して「完結」となります。もし良かったら、明日も遊びに来てくださいね。

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