最後の訪問(14)
みのりが叫んだ。
「藤沢君! もうやめてよ!」
「みのりも知ってんだってな。なんで平気なふりしてんだよ。……神の子はみんな二十歳以前に死んでるんだって?」
ざわめきが湧き起こる。ダヴェンがそれを圧するように怒鳴った。
「何を根拠に――!」
「リオノスが俺に教えてくれたんだ。あんたはそれを知ってたんだろ? それでもリオニアのために、無理やり王位を継がせてでも、神の子を縛り付けようとしてるんだろ。……つーか、さあ」俺はため息をついた。「ほんとは知ってるんだよな? トリップ終わらせる方法」
「藤沢君……!」
「でも方法が方法だから、そんな方法採るくらいなら自分が死んだ方がましだなんて、まさか思ってるわけか?」
みのりは刺されたような顔をした。
ずっと隠してきた傷口をえぐってしまったのかもしれない。
「……違うよ」
泣き出しそうな声だった。
「死にたくなんかないよ。ただ……他の方法があるんじゃないかって……」
「そりゃ確かにそーかもしんないけどさ。もう既に昼間っから居眠りとかしてんじゃんか。他の方法捜してて間に合うわけ」
「藤沢君には関係ないでしょ!? 一緒に来ないでって何度も言ったよね!? お世話なんかしてないし、したくてしたわけでもない! あたしのことなんかもう放っておいてよ……!」
俺に関わられたくないって、意味なんだろうか。
漠然と、そう考える。
俺がみのりを好きじゃないから? 好きでもなんでもないくせに、同情で助けられても嬉しくないって?
なんでだよ。ああもう、本当に苛々する。
愛とか恋とか、本当に面倒だ。そんなものがあるって、どうやって証明するんだよ。今この状況で俺が何言ったって、信じないんだろうに。
そんなものなくたって、放っておきたくないって、思ったっていいじゃないか。
「みのりが俺の立場だったらさ。放っておけって言われて、はいそうですね関係ないですもんねって放っておけんの?」
リオノスがふわりと俺の頭から舞い上がり、元の体躯に戻りつつ、俺の目の前に降り立った。琥珀色の瞳がじっと俺を見る。やっぱこれが正解らしい。俺が神剣を抜くと、みのりが走った。あっと言う間にリオノスの前に飛び出し、その巨大な頭を背中にかばった。
「やめて」
「……あのさ」
「モフ美ちゃんのこと大事にしてる藤沢君には、わかるでしょう。使い魔がどんな存在なのかって」
「わかるよ。……でもさ。リオの気持ちも考えてやれば」
みのりは瞬きをする。「え」
「その獣はさ、リオノスじゃなくて、リオなんだよ。みのりが神の子じゃなくて福田みのりなんだってのと同じことでさ」
「……そんなの」
「わかってるよってか? じゃあさ、使い魔がどんなに主を好きかってことも、良くわかってるだろ。……思ったんだけどさ。神の子が弱って死ぬのって、環境の違いというよりは、リオのせいなんじゃねーの? モフ美が使い魔になってから、食事してるとこ見たことないんだよね。神聖術使うのだって、俺の体内の神聖力使うしかないみたいだった。……リオもそうなんだろ? あんなになんでもできんのに、エスラディアでもこっちでもいつもどこかセーブしてんのは、みのりの体内の神聖力しか使えねーからだろ。……トリップが起こって神の子が呼ばれるのも、それが理由なんじゃねーのかな」
「……藤沢君」
「神の子を弱らせて殺して、次の神の子を呼んでんのはリオなんだよ。光のリオノスであり続けるために……雪之丞さんがリオに、光のリオノスになってリオニアを守ってくれって願ったから。リオノスであり続けるのに必要なエネルギーを確保するために、トリップを起こして、血だか波長だかしんないけど、条件の合う人間を地球から呼び出して、その体内の神聖力を使い尽くして弱らせて殺してるんだ。……なあ、それ、いつまでやらせる気なんだよ。気の毒に」
「……やめて……」
「雪之丞さんが来るまで、リオノスの代替わりは百年くらいで起こってたらしいよ。それをリオは、もう五百年もやってんだ。何人も何人も使い魔の契約し直して、大好きな人間を、自分のせいで弱らせて殺してきたんだ。それを望んだ雪之丞さんは、もういないのに。誰も褒めてくれねーのに。……もう充分だろーよ。レミアさんだってこんだけ発展して豊かになってんだから満足してるよ。もう解放してやりなよ」
みのりは両手で顔を覆った。
呻くような声が聞こえた。
「できたらとっくにやってるよ……!」
『ふじさわ』
みのりの細い体を押しのけるように、リオが顔を出した。
『ありがとう。神剣の真の力を引き出せるのは異人だけだ……』
「リオ!」
みのりが悲鳴を上げる。俺は神剣を構える。あの時と同じく、小刻みに振動する柄を手のひらの中に握りこむ。
「やめて! ダメだよ! 藤沢君にそんなことさせないで――」
みのりの姿がかき消えた。
と、リオの巨大な頭ががくんと揺らいだ。
リオは目に見えてよろけ、その巨大な体躯が傾いで、通路に倒れた。ずしん、と重い振動が足に伝わる。
ふう――とため息を吐いて、リオは目を開いて俺を見た。
『……みのりは帰した。ふじさわ』
「ん?」
『お前はみのりのついでにこっちに来たわけじゃない。お前を召喚したのは俺だ。テルミアに古くから伝わる、伝説の勇者のように。お前の光臨を、ずっと、ずっと、待ち望んでいた』
思わず笑ってしまった。
おまけだのついでだの巻き込まれただのって、今まで散々言われてきたけど、最後の最後に、トリップの張本人にこんなこと言われるとは。
「今まで良く頑張ったよな。偉かったよ、リオ」
言うとリオは微笑んだ。『ありがとう』
「待て!」
ダヴェンが叫ぶ。背後で、周りで、人々が次々に立ち上がる。考え過ぎるとできなくなる。俺は歩み寄り、リオの頭に、神剣を、
「――フジサワクン!」
突き立てた。
何かがぱんぱんに詰められた、重い革袋を刺したような手ごたえだった。どう考えても俺の膂力でどうにかなるはずがないのに、神剣はやすやすとリオの毛皮を突き破り床に届いた。破れた毛皮の隙間から、中に詰まっていた輝く液体が盛り上がりあふれ出た。液体は毛皮や神剣や床に触ると反応して、まばゆい光になって迸った。
激しい光の奔流が全身を打った。俺は目をかばい、後ずさった。悲鳴と怒号と驚愕の喘ぎが光の爆発にかき消される。
後悔なんかしない、と俺は思った。
どんな結末になっても、絶対に後悔だけはしない。
そして。
俺は目を開けた。
大ホールの中は凍りついたように静まり返っていた。今の出来事は夢でも幻でもなく、リオの骸は神剣をその首筋に突き立てられたまま変わらずにそこにあった。
俺は呻いた。
「あー……」
まあそりゃそうだ。そうだよな。
そんな都合のいいことが、起こるわけないよな。
「……フジサワクン」
アトレンが言い、その呟きに反応して、人々が少しずつ、我に返り始める。俺は神剣から手を放し、アトレンを見た。今さら、さっき俺を止めようと叫んだ声はアトレンのものだったのだということに気づいた。
「……――――?」
アトレンが何か言い、俺は苦笑した。リオが死に、神剣から手を放した俺は、やはり、言葉がわからなくなっていた。
後悔なんかしない、ともう一度思う。
してたまるもんか。
「……何を考えているでござる」アトレンが言い直した。「それでは、貴殿はどうやってあちらに帰るつもりでござるか」
「いやー、それが。もしかして自動的に帰れるんじゃねーかなって期待したんだけどさ。まーそーうまくはいかねーよな」
「わかってて」
アトレンが足を踏み出した。
みのりそっくりの綺麗な顔が、驚きと怒りに歪んだ。
「……わかっててやったでござるか!? 神殺しでござるぞ! ただの異人に過ぎぬフジサワクンが、こんな大勢の前でリオノスを害しては、どうやっても庇いきれぬ! この場で八つ裂きにされても――いくらミノリのためとはいえ、そこまで頼んだつもりはござらぬ!」
ああやっぱ、まともな奴だなあ、と俺は思った。
光のリオノスを殺したことを、リオニアのためではなく、俺のために怒っているらしい。
「なあやっぱさ、あんた、王様になれよ」
俺は笑ってやった。
「ダヴェンよかずっとまともだよ。光のリオノスはもう死んだ。リオニアの優位を無条件で約束してくれてた存在はもういないんだ。これから大変そうじゃん? 暴動とか起きるかもしれないし、外国から攻められたりもするかも? 誰かまともで、頭よくて、性格悪い王様が力強く引っ張ってやんなきゃ、みんな路頭に迷うよきっと」
「……どの口でそれを言うでござるか」
「ごもっともで」
「フジサワクン」
アトレンが近づいて来る。ダヴェンがステージの上で何か叫んでいる。周囲の兵たちがぎりぎりと弦を鳴らして弓を引き絞っている。剣を抜いた兵士たちが走る音が聞こえる。
アトレンは俺の目の前に来て、静かな声で言った。
「なぜ人前でやったでござるか。……こういうことは普通人のこない裏庭などでこっそりやるものでござる。しかし、ご安心めされよ。それがしがフジサワクンを八つ裂きになど絶対にさせぬ」
「頼もしいっす」
「痛みも苦しみもない薬殺を何としてでも勝ち取ってみせる」
そっちかよ。
「……いやそういうんじゃなくてさ……数日猶予もらえればモフ美が来ると思うから」
アトレンが顔を歪めた。泣き出しそうに。
「生きるつもりでござるか。リオノスはもういない。貴殿に帰る方法はもうないのに。すべての光の民が貴殿を憎む場所で、どうやって生きる」
「そう簡単に死んだらあいつに悪いじゃんか」
「……愛とか恋とかわからぬと言ったが……フジサワクン、誰が理由でも、こんな無謀ができたでござるか。だとすれば貴殿は底無しのお人よしというよりは、単なる見境のない愚か者でござるな」
兵士が掲げる白刃の切っ先が、背に肩に首に突き付けられる。その冷たさと鋭さに、これが現実なのだと思う。
これは紛れも無い本物なのだ。
俺にとっての現実で、真実だった。
ああそうか、と思う。
両手を上げて、害意のないことを見せながら、俺は笑った。
「まー……このままじゃ死ぬって言われてんのがあいつじゃなかったら、こんなことできなかったですね」
「そんな気持ちを普通、何と言うでござるか。……しかしミノリはフジサワクンにそんな気持ちをもたれたことを、喜びはしないでござろうな」
「フジサワクン、――、――」
ダヴェンが険しい声で言う。何を言っているのか分からないのがありがたい。アトレンが鋭い声でそれを制し、ダヴェンは反論しようとして、続いたアトレンの声に鼻白んだように黙った。頑張れ王子様、と俺は考えた。やっぱあんたが王様になった方が絶対いいよ。
リオニアを、何も不幸のどん底に突き落としたかったわけじゃない。いい人が大勢いたし、もてなしてもらったし、うまいもんも食わせてもらったし、居心地よく過ごさせてもらった。恩を仇で返すって、きっとこういうことだよな。
家族会議で話したら、きっと非難轟々だろう。もっとよく考えればもっといい方法があっただろう。俺以外の人間なら、きっともっとうまくやっただろう。みのりは今すぐ死ぬってわけでもなかったのだし、王位を継がされた後だって間に合ったはずだ。
でも、後悔はしない。あいつが千絵子みたいにダヴェンやリオニアに使い捨てられるのを、放っておきたくなかった。ただそれだけで、それで充分だった。俺が自分で選んで、自分で決めた道だった。
アトレンがダヴェンを言い負かした。そのまま周囲の兵に命令を出す。堂々とした言い方で、ダヴェンの兵であるにもかかわらず、皆その指示に従った。剣を収めた兵がふたり、俺の両脇を固めた。人々の視線の中を、促されて、歩かされる。
あーやだなあ、と、思った。
なんというか、末路、という感じだな。リオニアの牢屋がエスラディアのものほど臭くないことを祈ろう。
リオの骸のそばを通り過ぎる。神剣がまだ突き立っている。その死を悼む人間は誰もいなかった。これから悼まれるだろうか、と、考えた。ショックが過ぎたら、誰かリオの亡骸に取りすがって泣くだろうか。泣いてくれるといいけど、そうなるような気がしない。
リオニアの人たちにとって、大切なのは神の子だった。
奇跡をもたらしてきたのは、その使い魔の方だったのに。
と。
顔面に激痛が走った。
誰か先走った兵が顔に斬りつけたんだと思った。それほど鋭い痛みだった。とっさに上げた両手の隙間から、アトレンの、兵士の、驚いた顔が見えた。俺も驚いた。誰も斬りつけたりしてない。なのに痛みは執拗に続く、顔ばかりじゃなく胸、腕にも伝播して、混乱して視界がブレた。
なんだこれ。
なんだこれ。
どこが痛いんだ?
突然ひと際鋭い痛みが肩に走り、俺は耐えかねて悲鳴を上げた。
「いってええ……っ!」




