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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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最後の訪問(11)

 朝起きて顔を会わせても、みのりは普通だった。


 朝食を摂り、馬車で離宮に向かう途中も、離宮に着いてからも、審問が開かれるというきらびやかな大ホールに通され、貴賓席って言葉がふさわしいくらい豪華な長椅子に案内されても、やっぱり普段どおりだった。

 自分が二十歳になるまでに死ぬかもしれないと知っているのに、どうして平気でいられるのだろう。




 着替えさせられるのかと思っていたが、異人の正装はやはり異人の服だということらしく、俺はジーンズに長袖のTシャツというラフにもほどがある格好でステージの真ん前という特等席に座らされることになった。みのりの方は、こういう時のためにいつもスカートを一枚持ってくることにしているそうで、裾のふんわりした空色のワンピースを着ていた。髪は一本の三つ編みである。これも異人らしい髪形、ということなのかもしれない。どんな格好しても似合うってどういう了見だ。アトレンの衝撃過ぎる要望のせいで、まともに顔を見るだけで一苦労だった。


 でも、きらびやかな大ホールの中にきらびやかな人達が次第に集まってくるのを見、みのりの解説を聞いているうち、だんだんと落ち着いてきた。


 みのりと何げない話をするのはやっぱり楽しい。この時間が失われることを、できるだけ避けたいと思う程度には、俺はみのりが好きなんだろう。


 周囲は程良くざわめいている。大ホールはおおむねすり鉢状になっていて、北側がステージになっていた。たぶん劇場を審問用に整えたのだろう。ステージ上には二十四脚の陪審員席がぐるりと並べられ、中央に議長席と、発言席(とみのりは表現した)がひとつずつ、設えられていた。俺たちはそのステージの正面にあたる座席にいた。長いすはふっかふかで座り心地がよく、視線を気にしないでいいように、背もたれの後ろに低めのついたてが立てられているが、さすがに頭上まで隠すほどではないので、背後からの好奇の視線が後頭部にざくざくと突き刺さっている。


 このホールは裁判をやるには広すぎるのではないかと思っていたが、とんでもなかった。たぶん町中の人が傍聴に詰めかけているに違いない。俺たちのいる場所の後ろの通路からはロープで仕切られた傍聴席になっているが、どの席もすでに埋まっていた。みのりが身動きするたびにさざ波のように反応が走る。みのりは全く気にしていない。きっと慣れているのだろう。


 王様もダヴェンもアトレンも、まだ姿を見せていない。


「あ、サイシンさんがきた」


 左手にある入り口に現れた恰幅のいい男を見て、みのりが嬉しそうな声を上げた。サイシンの方もめざとくみのりに気づき、茶目っ気たっぷりに眉を上げてウインクをした。みのりはほほえんで手を振り、俺に言った。


「面倒見のいい人でね。前にお世話になったんだ」

「へー」


 目があった。サイシンの視線が鋭さを含んだ。

 え、と思った。睨まれたような気がする。

 でもそれは一瞬だけだった。サイシンは俺にもにこやかに会釈をして、半分ほど埋まった陪審員席に着いた。


 陪審員の人たちは、本当に多種多様な人たちの集まりだった。サイシンのような恰幅のいい中年男もいたし、細身の老人もいたし、俺たちとほとんど変わらないような若い男もいた。びっくりするくらい小さいしわしわの老人(老女?)が輿で運ばれてきて、地蔵様みたいに座席の上にちんまりと設えられた。そして――女性がきた。彼女が入ってくると、みのりは嬉しそうな声を上げた。にこにこして、彼女に向けて両手を振った。よほどに親しい間柄なのだろう。


 二十代後半くらいの年齢の、銅色の巻き毛を豪奢に垂らし、体の線を強調する扇状的な格好の、ものすごい美人だった。おまけに巨乳。


「キッカだ。久しぶりだなあ。あのね、あの人はウェルルシア近郊の人でね、一応リオニアの領地なんだけど、ウェルルシアとの交流もとても盛んな自治区でね。族長の争いに勝って、その土地を治めてる。すごい人なんだよ。彼女が族長になってから、ウェルルシアとの国交が正式に始められたの。今も、ウェルルシアとリオニアとの橋渡しをするために、いろいろ働いてくれてる。とっても頼りになるんだよ」

「……へー」


 俺は当たり障りのない相づちを打った。

 みのりがこっちを向いて説明してくれている間中、キッカは俺を睨んでいた。殺気さえ感じるほどの、鋭い視線だった。


 みのりがキッカに視線を戻したとき、キッカはサイシンの隣に座っていた。みのりを見て、とろけるような笑みを浮かべる。


「……その族長の争いにさー」


 言うとみのりは俺を見た。とたんにキッカもサイシンも、あからさまに俺を睨んだ。

 子供ですかあんたたち。


「神の子が尽力してあげたりしたわけですよね」

「へっ? ……いやいやキッカは正当な族長の嫡子だったからね」

「でもちょっとはお手伝いしたんだよな」

「……うんまあ、ちょっとだけ。何でわかるの」


 そりゃわかるだろーよ。


「いやーいかにも勇者っぽいなーと思ってさ。サイシンさんにはどんな風にお世話になったの」


 キッカとサイシンににっこり笑ってやると、ふたりはふんっとばかりに視線を逸らした。やっぱ子供だ。


「あの人はね、アトレンが反乱軍を鎮圧するために、お忍びでヘルデ島に渡らなきゃいけないことがあってね」

「……いっつもそんなことやってんだ……」

「反乱軍の略奪が横行してたから、船を出してくれる人がいなくてねー。サイシンさんが出してくれたから、ほんと助かったんだよ」

「へー。その途中で反乱軍に襲われてサイシンさんが死にそうになったのを神の子パワーで助けてあげたとか、そういうことが」

「あたしじゃなくて、リオがね、小さくなって一緒に乗ってたから。……ねえ、何でわかるのさっきから」

「いやすっげ好かれてるみたいだからさ」


 もしかして、と思う。

 みのりが今まで『言い訳』に使っていた『同じクラスの男の子』が、最近一緒に来るようになったって、いろんなところに広まってるんじゃないだろうか。


 エレナちゃんはみのりにこっちにいて欲しくて、つなぎ止めておきたくて、それで俺を狙ったわけだ。……町中でみのりに浴びせられていた歓呼の声を思い出すまでもなく、この国の人たち全員が、『同じクラスの男の子』、すなわち俺を、憎んでいる、こないで欲しいと思っている、できるならいなくなって欲しいと思っている……なんてことが。


 あるんだろうな、きっと。俺はへへっ、と思った。背中に刺さる視線が痛い。


 アトレンの近侍とか侍女さんとかって、プロフェッショナルだったんだなあ。内心複雑だったんだろうな。のほほんとくつろいで申し訳なかった。


「……いろんな経験してんだな。無責任な言い方だけど、羨ましいよ」


 言うとみのりは目を見開いた。「え?」


「いや俺さ、兄姉多いから。みんな俺より年上で、社会に出てるのもいっぱいいて、……いろんな人生を歩んでるわけだよ。で、俺に教えてくれるんだ。いろんなこと。自分で経験してきた楽しいこととか、やりがいあることとか。つらいこととか、苦しいこととかは、でもやっぱ見てればわかったりするだろ。さすがに犯罪者はいないけどさ。まだ」

「まだって」


 みのりはくすっと笑う。サイシンとキッカが、それを見て寂しそうな顔をしたのを俺は見た。異国の、故郷の、自分たちの知らない人間と、楽しそうに話してるのが淋しいのか。


「……でもそれって自分で経験したことじゃないわけだよ。素手で崖のぼって、上から見た景色が綺麗で感動したのも俺じゃないしさ。自分の開発した香水の配合を同僚に盗まれて商品化されちゃって、それに対して合法的に一番効果的なやり方で報復して会社からたたき出したのだって俺じゃない。剣道で全国大会行ったのも、そのために血吐きそうなほど練習したのも、料理作っていろんなひとの笑顔見てきたのも、でっかいビル造って完成直後に屋上で徹夜で飲んで叱られたのも、奥さんに包丁で刺されそうになったのも俺じゃないんだ」


「……」


「だから俺は、兄も姉も絶対経験したことないようなことを、やりたかったんだ。そんで、みんなに話してやりたかったんだよ。だから異世界トリップに憧れてたんだ。誰も絶対やったことないから」

「まあ、普通はないよね……」

「だから花園の気持ちもさ、悪い、はじめは、ちょっとわかるなんて思ってた。あいつが気持ち悪いって言ったのは本心じゃないってもう知ってる? あいつも憧れてたんだってさ、異世界トリップ。自分でやりたくてたまらなかったのに、それがおまえのものだったから、悔しくて心にもないこと言っちまったんだって。……だからって言っていいことじゃねーだろって思うから、別にあいつの肩持ちたいわけじゃねーけど」

「……うん、それは知ってたよ。ちいちゃん家はすっごく厳しいから」


 みのりは言って、淋しそうに微笑んだ。


「ずうっと前に、家から逃げたいって、言ってたことがあったから」

「そっか。……だから俺もさ、初めは悔しかったんだよ。主人公が自分じゃなかったからさ。でもそれはおまえのせいじゃないし、いろいろ大変なんだなあってわかってるし、悔しいとか悲しいとかはもうないけど……つーか、嫌がってるのに無理矢理ついてきといてなんだけどさ。でも滅多にない経験させてもらえてありがたいと思ってる」

「えぇ……いやそんな……」

「だからまだ、脳天気に、神の子ってポジションになれたらおもしろそうだなあって思うよ。主人公だしさ。仲間がいてさー、みんなに好かれて、頼りにされて、いろんな経験できて、楽しそう。ひとから聞いたり本で読んだりする疑似の体験じゃなくて、リアルなわけだし。本物なんだよな、いいなあ、ってさ。その分、痛いことも苦しいこともあるんだろうけど」


「……うん」


「いい人いっぱいだしな。菓子はあれだけど、食い物うまいし、住むとこは豪奢でぴかぴかだし。でもベルトランとダヴェンのことはめんどくさそうだし、その他にもさ、こないだみたいに危なくなって、死にかけたりするような、こともあるわけだし……それでもやっぱ、ずっと今のまま、こっちに来続けたいわけ」


 みのりは一瞬、唇を引き結んだ。

 平気なわけじゃないんだと、俺は思った。

 ただ隠してるだけなんだ。

 なんでそんなことができるんだろ。俺なら絶対騒いじゃうけど。

 みのりは少し経ってから、言いにくそうに、口を開いた。


「……えっとね、まず、これは体質だから。意志は、関係ないから」

「そんなのわかってるよ」軽く笑ってやった。「もしもの話をしてるんだよ。もしも、こっちか地球か、どっちか、好きな方を選べるとしたら、の話。いや、だってやっぱ、危ないこととかあるだろ? 無理やり結婚迫られたりもしてるわけだし。おばあさんも心配してた。修学旅行もキャンプも行けないって聞いたし……だからトリップ体質がなくなって、ずっと地球にいるのと、今のままテルミアに来続けるのと、どっちがいいのかなって。世間話だよ、暇だし」


「……んー」


 みのりは迷い、迷って、……しばらく迷って、

 かすれた声で答えた。


「……憧れることはあるけど。毎月休まなくて良くて、こんな体質じゃなくて、……みんな、と、おんなじだったらなって。でも」

「でも?」


 みのりは、哀しそうに笑った。


「それってきっと、もう、あたしじゃないんだよね。こっちでいろんな人にあって、いろんな経験して、今のあたしがあるわけだから……生まれたのだって、お母さんがトリップして、お父さんに出会ったから、なんだよね。今まで、怖いことも辛いことも、嫌なこともあったけど、楽しいこともいっぱいだった。人生をもうひとつ、生きたような感じなんだよ。……だから、しょうがない、よ」


 しょうがないってなんだよ。

 なんでそこで諦めてるんだよ。


 助けて、って、言ってくれればいいのに。そんな理不尽なことを考えた。アトレンは今までずっと、こんなもどかしい思いをして来たんだろう。思い余って、もうみのりの意見なんか聞くもんかって思い定めちまうくらいに。

 苛立って、腹が立って、口が勝手に動いていた。


「これからもずっと? 今のままでいーの」

「……だって」

「もしトリップ終わらせる方法が存在するとしたら、それ捜さねーの」

「……」


 みのりはまた唇を引き結ぶ。

 俺は腹の奥でどろどろうごめく何かを押さえ付けて、努めて何げない口調で続けた。


「こっちですっげ世話になったからさー。もう世界も救ってるんだし……やめたいんなら、やめられるんなら、やめちゃえばいーんじゃね? 手伝うよ」


 みのりは苦笑して見せた。


「お世話したくてしたわけじゃないんですよ? 昨日も一生懸命逃げたはずだったんですけど」

「いやーベルトランに追いかけられて半泣きだったの見ちゃったからさー、なんか手伝えるんじゃねーかなって」

「頼んでないよ」声がかすれた。「放っといてよ」


 放っとけるかよ、阿呆。


「俺はバカで鈍いから。ちゃんと言われねーとわかんねーんだよ。手伝っていいのか悪いのか。どうすればお前にとっての最善なのか。助けて、っていわねーなら、勝手にするよ。いいのか?」

「ベルトラン伯爵のことなら――」


 ひときわ高いざわめきが、みのりの言葉を途切れさせた。

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