最後の訪問(6)
「邪魔……って」
「イコクハヘイワトキイテマス。イコクニ、アナタニ、ミノリサマトラレタクナイデス」
「なんでどいつもこいつも俺があいつを取れるとか思うわけですか!?」
「やれやれ……フジサワクンは本当に救いようのない朴念仁でござるのう」
ため息まじりの声がした。
――アトレンだ!
思いがけず近くだった。三人が狼狽の声を上げたが、がっとかぐっとか金属音とかが響いて静かになった。エレナちゃんは引きつった声を上げた。穴の外に、既に大勢の人が集まって来ていた。すっかり取り囲まれていた。
さっきちらついた人影は、アトレンの近侍だったのだろうか。
エレナちゃんは周囲を見回し、唇を噛み、俺を見た。何のためらいもなかった。右手に握った剣を構え、俺の上に倒れ込もうとした。真っすぐに殺意が降ってくる。
寸前でダルスさんがエレナちゃんを抱きとめ、やすやすと右手をねじり上げる。目の前まで迫っていた刃物が弾かれ、俺のすぐわきの地面に刺さった。
あまりに呆気ない幕切れだった。
「――! ――……っ!」
(放して! 放して……っ!)
「――。――」
(静かに。抵抗はよせ)
「……アトレンサマ! ――っ、――!」
(……アトレン様! どうしてっ、どうしてここに!)
エレナちゃんが涙目で叫んだ。アトレンは冷静な声で、おまえの行動をずっと見張っていた、と言った。
エスラディア王エノラスにモフオンの死骸を渡し、逃亡を幇助した……
それはダヴェンの指図があってのことで……
だがそなたが私を裏切ったのだとは思っていない……
そんな言葉のやり取りを、俺はぼーっと聞いていた。
ずっと見張ってたんですって。そうですか、エノラスをおびき寄せて捕まえた時と同じ手口ですね。くっそあっちに逃げりゃ良かったのか。どうせなら、ぷしゅってされる前に出て来てくれりゃ良かったのに……。
ニースさんがやって来て、俺を助け起こした。もう本当に、情けなかった。もういっそこのまま埋めてくれ、と言いたいような気持ちだった。ほんとにされたら困るから言わないけど。
穴の外に出てみると、あの三人はとっくに縛り上げられていた。何かわめいているのがうるさい。アトレンが指示を出し、数人がかりでずるずる引きずられて行く。
俺が木の幹に背を預けて座らせてもらうと、アトレンが言った。
「騒がせて申し訳なかった。エレナが叔父に協力してエノラスの逃亡を助けたという、証拠が欲しかったでござるよ。エレナがエノラスを逃亡させたとするならその理由はひとつしかないゆえ、トリップが起こればフジサワクンを狙うのではないかと思った。案の定でござった」
いろいろと疑問のある説明だったが、ひとまず言えることとしては。
……今この王子様、俺のこと囮にしましたって明言しませんでしたか!?
アトレンはしれっと頭を下げた。
「ご協力かたじけない」
「喧嘩売ってんの!?」
「何を言っているのか判らぬ。異人の言葉は難しいでござるのう」
「そんだけぺらぺら喋って何言ってんだ今更ー!」
「ミノリは? リオノスが姿を変えたのは見たが」
「見たのかよ! いつからいたんだよ!」
「どこへ行ったでござる? 姿が見えなくなったということは、モフオンに転じたと思って良いでござろうか」
「あんたなあっ!? ……あー、もう……」
なんかもう、疲れてしまった。
俺は長々とため息をついた。
「あー……だからもう、その、あんたの城がね? ダヴェンに占拠されてるらしいって旗見てわかったからさ」
「さよう。事実でござる」
「そのまま城に駆け込んじゃやばいんじゃないかっつー話になってね。リオノスにモフオンに変えてもらって、とにかく事情を探りに行ったわけです」
「誠に、フジサワクンがミノリと共に来てくれて助かる。ミノリはちと猪突猛進的というか、自らの危険に気が回らないところがあるゆえ。こたびの作戦の懸念はまさしくミノリが城に駆け込むことでござった。止めてもらえてかたじけない」
やっぱこいつ性格悪いよな。飴と鞭の使い分けがマジで半端ないわ。
つい毒気を抜かれそうになり、そうやすやすと抜かれてたまるかと抗議する。
「……あのさ。ぷしゅってされたのが毒だったら、俺今頃この世にいなかったわけなんですけど」
「エレナとあの三人の行動は逐一監視していたゆえ、毒が手に入らなかったことは分かっていた。あともう数分もすれば動けるようになるゆえご心配めさるな」
この薬が何なのかも、どういう作用なのかも、よくご存じのご様子で。
これをあいつらに渡した人間も王子様の息がかかってたとかそういうことが……
……とてもありそうで嫌だ……。
俺は何だかもう、げんなりしていた。やるせない。
エレナちゃんはと言えば、もう放されていた。でもダルスさんとニースさんに両脇を挟まれていて、やけに小さく頼りなく見えた。俺が視線を向けると、暗い目で睨まれた。あまりの剥き出しの憎悪に、今更だけど背筋が冷える。
なんでこんなに憎まれてんだろ。ホントにわけがわからない。
バナナケーキをみのりとアトレンに出したとき。あのとき見せてくれた共犯者の笑みは、本物だったように思うのに。
アトレンが言った。
「エレナ。フジサワクン――――。――。――――」
(エレナ。フジサワクンにこれ以上手出しはさせぬ。もう諦めろ。審問ですべてを話してもらう)
「アトレンサマ! ――ミノリサマ――!? ――――、――!? ダルス! ニース! ――――、――っ」
(アトレン様! ミノリ様を取られてもいいのですか!? ミノリ様にずっとこっちにいてほしいと、どうして思われないのですか!? ダルス、ニース! なぜ平気なの、どうしてっ)
「――――、エスラディア――。エノラス――、――モフオン?」
(そのためにおまえは、エスラディアに与した。エノラスを逃がし、モフオンの死骸も渡した。そうだな?)
エレナちゃんは唇を噛む。アトレンが言葉を重ねた。
「バルテダヴェンヒルセラスリッカ。――――」
(それはダヴェン王弟殿下の命令だった。あの三人による手助けもあった)
エレナちゃんはうつむいて、……頷いた。悄然として、顔を上げなかった。
ややして、アトレンが言った。
「事情を説明すると、前回エノラスが自由の身となっていたのは、叔父の差し金でござった」
「……なんで?」
「ミノリを」アトレンは俺を見た。「永遠にリオニアに縛り付けるためでござる」
俺は口を開けた。ぽかんと。
「……なんだそれ」
「つまり叔父もようやくミノリに無理強いし過ぎたと気づいたでござる。それがしとベルトランをみのりの相手として見限ったということでもある。……フジサワクンの存在によって」
なんでそうなるんだ。
俺がぼんやり予想していたこととは掛け離れた次元の話を聞いているような感じだった。
「叔父やエレナにとって、今まで、異国は単なる絵物語でしかなかった。理想郷で、平和で、ミノリの故郷、というだけの……ただの記号のような存在だったでござる。だから歴代の神の子と同じく、ミノリがいつか異国を捨てリオニアに永住することを信じて疑わずに済んでいた。チエコはほとんど初めからリオニアの人間を敵視して、馴染もうとはしなかったゆえに、チエコを通して異国の平和さや楽しさを知ることは難しかった。
しかしフジサワクンは違った。バナナケーキのような、異国の優れた文化をもたらした。選ばれた神の子ではなく、どころかテルミア人の平均よりも弱い程度の神聖力しか持たない、ただ巻き添えになっただけの一般人でありながら。近侍にもすぐ受け入れられた。親しみやすくて、バナナケーキでひとを驚かせるというような善なるいたずらも好きで、豪奢な部屋を宛てがわれると部屋中覗いて回るほどに無邪気に喜んだ。――フジサワクンを通して、エレナは異国に住む人間の善なる部分をかいま見た。
ミノリは今まで、誰がどんなに願っても、こちらに永住することを明言しなかった。婚姻を拒み続け、行動や言葉の端々に、異国との関わりを断つ気はないことを、事あるごとに周囲に見せていた。富を積まれても、いかなる栄誉を約されても、エレナやキッカがどんなに情に訴えても……その理由を、ミノリが異国に住み続けたいと願う気持ちを、エレナはフジサワクンの存在によって初めて理解したでござる」
「……」
「何よりミノリが」
アトレンは言い、ため息をついた。
「……本当にわからないのでござるか。フジサワクンはあまりに鈍い。酷なほどに。叔父も一回会っただけで見抜いたというのに」
「……なに?」
「エレナ。フジサワクン――、――ミノリ」
(エレナ。なぜフジサワクンを殺さなければミノリをつなぎ止められないと考えた?)
問われて、エレナちゃんは微笑んだ。
俺を嘲るような笑みだった。
「アトレンサマ――――、――――。――フジサワクン――――」
(アトレン様もあの場にいらしたら、すぐお分かりになったはず。フジサワクンを除いて、あの悲鳴を聞いてわからない人間がいるものですか)
悲鳴――
みのりの悲鳴なんて、聞いたことあったっけ。
考えて、すぐ思い出した。
一度だけあった。呆気に取られた。なんだこいつ、と思った。
――藤沢君、もしかしてそのモフオンに名前つけた!?
あの時までみのりは、俺がこっちの言葉を一切理解してないと思っていた。だからうろたえて、悲鳴を上げた。
――ちちっ、違うの! 藤沢君じゃないの、本当に! たたっ、ただっ、ほほ方便にって言うか……っ!
――藤沢君、みのりのこと気になるの?
美佳ちゃんの期待に満ちた視線とか。
――藤沢君、みのりになんて言ったの?
すみれちゃんの、真っすぐな聞き方とか。
――藤沢君って、学年トップのくせにお馬鹿だねえ。
千絵子の、呆れたような声だとか。
あああ、と、俺は思った。ああああああああ。
ほんと馬鹿じゃないの、俺。
「まあとにかく」アトレンが話を引き戻した。「明日の審問までにエレナを捕らえられて誠に重畳。城に戻るわけにはまいらぬゆえ、今宵はここで野営する」
「……野営?」
「天幕を持って来た。そろそろ動けるでござるか。無理をせず、天幕でゆるりと休まれるといい。野営ゆえにご不便をおかけすることになるがどうぞご勘弁願いたい。ミノリが戻ったらすぐ知らせてほしい。それと」
「……」
「先ほどの話はできればミノリに伏せておきたい」
「あー」
そりゃ話しませんよ。どんな顔して話せるっつーのか。
輿を用意するとか言われたが、固辞して自分の足で立った。ふらついたが、何とか立てた。歩き始めると、体が少しずつ動き方を思い出してくるようだった。隣に並んだアトレンが、穏やかな口調で言った。
「数日前より水晶玉に兆候が現れていたが……誠に審問に間に合うようにトリップが起こる。トリップとは全く不可解な出来事でござる。……ミノリはまだ戻らぬでござるか」
「まだですね」
戻って来たらどうしよう、と情けないことを考えた。
今戻って来たら遁走しそうだ。敵前逃亡。
「歴代の神の子は皆リオニアで伴侶を得た。ミノリの母、スズカ殿が、リオニアに残らなかった神の子の、唯一の例外でござった。スズカ殿が姿を消してのち、六十年あまりの歳月は、リオニアにとってはゆるやかな衰退の日々でござった。リオノスが現れなくなり、夜がわずかずつ長くなり、曇りの日が増え……エスラディアが力を少しずつ回復し、国境がざわめくようになり……リオニアは久方ぶりに闇の存在を思い出し、自らの優位が絶対のものではなかったということを、思い出した」
――五百年の間に驕ることばかり覚えてしまったんだって、自分の仲間なのに辛辣なの。
以前確かに、みのりがそう話していた。
本当だ、と思う。アトレンはリオニアの現状を、喜んでいない。
「……ミノリが現れたとき、国民は喜んだ……というよりむしろ、安堵したでござる。自らの優位はまだ続くと」
それが嘆かわしいと、言ったも同然だった。
天幕についた。どっしりした厚い布でできた、いかにも暖かそうな、大きなテントだった。
中に通されると、大きなベッドがあった。地面はふっかふかの絨毯で覆われ、家具もいくつか置いてあり、ともすれば建物の中だと思ってしまいそうだ。空気も暖められていて、俺はほっとした。近侍たちの視線から逃れられて、ありがたかった。
靴を脱いで、天幕の中によろよろと入る。薬のせいか、衝撃の後遺症か、ベッドに倒れ込みたくてたまらなかった。現実逃避でもなんでもいいから、寝たい。寝てしまいたい。
「それがし、フジサワクンに、ぜひミノリと共にまた来てほしかった」
入り口で立ち止まったまま、アトレンがそう言った。
――頼みたき仕儀がござる。
離宮で、俺がぶっ倒れたとき。アトレンは静かな言い方で、俺が聞いていることを知っているかのような口調で、そう言っていた。
頼みたいことって、なんなんだろう。あの時は、ダヴェンに対抗するためだって思って、疑わなかった。けど。
「こたびも来てもらえて誠に良かった。少し休まれよ。ミノリが戻ったら呼んで欲しい。では後ほど」
あれ以降、アトレンはみのりの感情について触れなかった。
それがありがたかった。
アトレンが出て行くやいなや、俺はベッドに倒れ込んだ。わーおふっかふか。こんな旅先にまでこんなベッド持ち運ぶなんて、さすが王子様はやることが違っておられますね。
ため息をつく。
――さっきから手、握ってるんですけどっ!
あああああ。
本当に、本当に、馬鹿なんじゃないの、俺。




