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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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最後の訪問(5)

 ……というところで目が覚めたのは、たぶんその人を自分だと思うのに無理が生じすぎたからだと思う。有り体に言えば、こっぱずかしかった。目覚めと同時にその辺をごろごろ転がり回りたくなるほどの衝撃だった。実際には体が動かなかったので、俺はただ間抜けに青空を見上げて長々とため息をついただけだった。


 胸の奥に、じりじり焦げるような、ずきずき痛むような、重くのしかかるような複雑な感触が残っている。


 なんだ今の。

 青空を見ながらぼんやり考える。

 ずいぶんアグレッシブなお姫様だった。予想外。


 少しずつ体の感覚が戻ってくる。背中の下にもふもふした毛皮の感触。ぬくぬくで、むくむくで、とても暖かい。おまけにひざの上に一頭、肩の上に一頭、モフオンものっていた。どちらもモフ美じゃなかったので、また落胆する。

 と、体の下でもふもふの塊がぐうっと動き、巨大なりりしいリオノスの顔が、俺をのぞき込んだ。


『なぜ拒否する。話はまだ終わってない』

「いやそう言われても……」


 拒否しようとして拒否したわけではないので、これは不可抗力と言うものだと思う。つーか話ってこれ? こういうの、話すっていうのか? リオノスの真意がどうも読めなかった。雪之丞さんのことを俺に教えて、なにがしたいのだろう。


「……雪之丞さんの使い魔だったんですか」


 そう訊ねると、リオノスは頷いた。

 俺は目をこすり、ふかふかの感触を名残惜しく思いながら、ゆっくりと起き上がった。太陽の様子を見るに、あまり時間は経っていないらしい。

 手のひらを握ったり放したりしながら体が動くようになったことを確認していると、リオノスが言った。


『しょうがない』


 見上げると、リオノスは俺の背後を見ていた。

 俺はリオノスの体越しにそちらを見た。少し離れた木陰に、ぽつんと立っている人がいる。

 見覚えのある男の人だった。にこやかな笑みを浮かべて、少し離れた場所から、伺うように声をかけてくる。


「リオノス、フジサワクン、リッケルサ。――――、――」

『知り合いか』


 リオノスに問われ、俺は眉根を寄せる。どこかで見たことのある人だ。でも、誰だっけ? リオニア人の顔見知りなんて多くない。ダルスさんに道場で手合わせさせられた時、能天気に野次を飛ばしていた人のひとりだろうか? 兵士らしいことは間違いない。服の上からでも鍛えている様子が見て取れる。


「……たぶん。どなたでしたっけ」

「――――、――。アトレンサマ――、――」

『あとれんの護衛の一人だと言ってる』


 言われて俺は、少しほっとする。遅くなっていた迎えが来たと、いうことなのだろうか。

 離宮が占拠されていると言っても、そう深刻な事態じゃなかったのかも。

 と、モフオンが二頭とも俺の体から浮かび上がり、どこへともなくふわふわと飛んで行った。それはきっと、あの男が剣を刷いているせいだろう。

 その人がまた何か言い、リオノスは少し考えた。

 そして、くああああああ、と大きなあくびをした。


『ひとの話は面倒だ。あとれんの迎えが来たというならみのりを呼び戻す。ふじさわ』


 言って、リオノスは俺にふう――と息を吹きかけた。


『おまえの中の神聖力は微弱だから長くは効かないが、みのりが戻る間くらいはこれでもつだろう』


 なにが? と聞き返す間もなくリオノスは羽ばたいた。ぶわっと風が巻き起こって思わず顔を背け、また見るともうリオノスは梢の上にいた。次の羽ばたきで視界から消える。


「フジサワクン」


 アトレンの使い? の男がにっこりする。近寄って来て、右手を差し出した。


「――――、――。――リオニア」

(初めまして。お会いできて光栄です。先日はご活躍だったとか。リオニアへの再度のお越しをいただき、誠にありがとう存じます)


 俺は目を瞬いた。男が言った言葉は確かにテルミアの言葉だったのに、頭の中に意味が流れ込んできたのだ。これでもつだろう、とリオノスが言ったのはこれのことか。俺は嬉しくなった。意志疎通が自由にできないってのは地味にストレスたまるんだよな。


「こんにちは。あの、アトレンの城がなんか……」


 途中で言葉を切った。男は明らかにきょとんとしている。

 リオノスの神聖術でも、俺の言葉の意味をあっちに伝えるってことまではできていないようだった。それってやっぱ、俺の力が弱いからなんでしょうか……。


 けど。


 男がにこやかな笑みを消したことで、俺はようやく、その男をどこで見たのかを思い出した。

 そいつは、初めまして、と言った。あの道場にいた人間ならそんな言い方はしないだろう。俺は出しかけていた右手を引っ込めた。男が差し出していた右手が空を切り、男の顔から表情が消える。


「――」

(どうなさいました)


 ヤバイヤバイ、と何かが訴えていた。俺は後ろに下がり、どん、と背後の木に背を打ち付けた。男が後ろに隠している左手の辺りに、冷たい光がちかっと見えた。


「――、――、――ミア? ――ルッテ!」

(なぜわかった。やはり鋭い。ミアの加護があるということか。出て来い!)


 ざっと草が鳴って、俺の左右、いずれも少し離れた場所に男がひとりずつ姿を見せた。やっぱりだ、と俺は背後の木を回って走りだしながら考えた。やっぱりあいつ、アトレンの近侍じゃなかった。

 ダヴェンとベルトランがみのりに会わせろと風呂場に押しかけた時、護衛としてついて来ていた三人のうちのひとりだったのだ。

 なぜ分かったと、不思議に思うのも当然だった。俺はモフ美を通してそいつらの顔を見ただけだ。彼らにとっては、まさに初対面だった。


「ハイテ!」


 馴染みの言葉を叫ばれる。三人はもはや隠す気もなく、抜き身の剣を掲げて俺を追ってくる。なんかこういうの多くないすか俺! なんでいつでもどこでも逃げ出すはめになるんだろう。

 みのりが戻るまで――あとどれくらいあるんだろう? リオノスは本当にみのりを呼びに行ったのだろうか?

 走りながら辺りをざっと見て取った。けどエノラスらエスラディアの残党に取り巻かれた時とは違い、手頃な棒など見当たらなかった。幸運を呼ぶというみのりは今いない。だからその恩恵も受けられない。みのりが戻るまでの間なんとか逃げなければと思うけど、戻ったらみのりがやばいんじゃないだろうかとも考える。どっちにせよここでの俺の命運は、いつもみのりが握っている。情けないことこの上ない。


「――!」

(そっちに回れ!)


 背後から聞こえる声は少しだけ遠ざかったようだ。平地だったら逃げきれなかっただろうが、ここは木立の中でありがたかった。木々の間を闇雲に駆け回る。あいつらはここの地理にそれほど明るくないらしい。


 その時俺は、前方に、人為的に折られた枝を見た。先をみると折られた枝はいくつかあり、ほぼ真っすぐに並んでいるようだ。

 あれって、初めて来たときに、俺が目印にしたハンカチを目視できるように折ったものじゃないだろうか。


 速度を上げた。ということは、もう少し行けば川があるはずで、それを下って行けば滝に行き着くはずだ。あいつらをなんとか撒いてからあの滝に行けば隠れられる。ここから結構歩いたはずだけど、あそこならモフオンがいるはずだし、名前をつけないように気をつけて話しかけたら、リオノスに連絡取ってもらえるかもしれない。先行きが少し明るくなったことでやる気も湧いてきた。果たして前方に、川が見えてくる。


 けどその時、少し離れた場所に人影がちらつくのが見えた。

 少なくともひとりじゃなかった。俺を追いかけて来ている三人とは方向が違う。あいつらの仲間だろうか。でも、近づいてくる様子がない。俺が気づいたと知らないのだろうか。見えたのは一瞬だけで、もう木陰に隠れてしまった。俺を完全に包囲してから姿を見せるつもりなのだろうか。


 ぞっとして、そっちから逃げるように川沿いを下り始めた。自分が慌てていることは分かっていた。エスラディアの時とは違い、なぜ追われているのかがわからないのが不気味だった。ダヴェンはアトレンの城を占拠している、みのりを狙っている、そこまでは分かっていたけど、なんでわざわざ人手を割いて俺を殺さなきゃならないんだろう?


「フジサワクン!」


 抑えた声で名を呼ばれ、俺はぎくりとした。

 エレナちゃんだった。


 彼女はひどくやつれて思い詰めた顔をしていた。簡素なスカート姿で、赤毛は灰色の頭巾で隠していた。腹の辺りに何か丸い物を持っている――


「――! ――!」

(こっちへ! はやく!)


 一瞬逡巡したのは、千絵子の警告があったからだ。

 でも背に腹は変えられなかった。エレナちゃんはエノラスを逃亡させたかもしれないが、少なくともダヴェンの味方ではない、と思う。持ってる丸いものは水晶玉なんじゃないだろうかと、思い至ったことも俺の背を押した。ダヴェンが離宮を占拠したとき水晶玉を死守して逃げたことで、あの三人に追われてるんじゃないだろうかと。


 なによりあの三人の抜き身の剣との差がまた狭まりかけていて、その足音と息遣いとカタカタ鍔の鳴る音に追い立てられるように俺はエレナちゃんに向かって走った。


「――!」


 こっちへ、とまた言われてそのとおりに走る。エレナちゃんは川を逸れ、斜面を下って鬱蒼とした薮をためらいなく突っ切った。一瞬迷ったが、俺もその薮に飛び込んだ。顔中にぴしぴしぱしぱしと小枝が当たり、とがった刺が髪や皮膚や服に引っ掛かった。振り切るように薮を走り抜けるとエレナちゃんが次の薮に飛び込むのが見えた――

 その時、足の下の地面が消えた。


「……でっ!?」


 浮遊感、続く落下、そして衝撃。穴はそれほど深くはなかったが、斜面を走って来た勢い分のダメージを胸と腹と足に受ける。体が跳ね返って、穴の底に背中からまともに落ちた。ぐるり、と視界が回ってから、丸く切り取られた木々の梢とその透き間から覗く青空に固定される。

 要するに、落とし穴に落ちたわけです。それもまともに。

 何年ぶりだよ畜生。


「フジサワクン」


 エレナちゃんが戻ってくる。穴の縁から覗いたその顔が、やけに無表情で。さっき俺を、隠し持っていた刃物で刺そうとしていたらしい、ダヴェンの護衛と同じ表情だ、と、思う。

「ゴメンナサイ、フジサワクン」

 エレナちゃんの手が俺に向かって差し伸べられた。その手には小さな瓶が握られていて。エレナちゃんの指先が、その瓶のてっぺんを押した。

 ぷしゅっ、と軽い音が響く。



 ――赤毛のアンが、


 千絵子の言葉がよみがえる。


 ――彼を逃がしてくれたんだって。




 千絵子にそれを聞いたときから、ずっと考えていた。

 千絵子が嘘をついていないなら(そしてこの期に及んで俺を騙すメリットも無さそうだ)、エレナちゃんはモフオンの死骸をエノラスに渡した上で、奴を逃がしたということだ。いくらアトレンの侍女でも、そんなこと簡単にできるだろうか。

 そしてそんな危険なことを敢えてやるメリットなんて、エレナちゃんにあるのだろうか。




 毒かと思ったが、俺は別に死ななかった。何の変化も感じなかった。胸と腹と足と背がずきずき痛んで、それ以外の感覚がなかった。どくどく言う心臓の音、はあはあ酸素を貪る呼吸音がやけに大きく聞こえる。エレナちゃんは俺をじっと見て、慎重な動きで体を起こし、穴の縁から足をいれて腰をかけた。

 俺は、あの三人がもはやここにたどり着いているのに気づいた。初めに話しかけて来た男の声が聞こえる。


「――、エレナ。――――……」

(わかっているだろうな、エレナ。異人を殺せば……)


 うわあー、と俺は思った。

 まさか仲間だったとは。もうどうなってんのこれ。

 扉の前に立ち塞がったエレナちゃんをぶん殴った張本人じゃないか。あれが演技だったとは到底思えない。


「グー。――、――。――」

(わかってるわ。審問で、証言しない。黙っている)


「――。――、――――、――――――」

(よし。下がれ、その痺れ薬の効果はそれほど長くないと聞く。だが窒息するには充分だろう)


 ……今度は生き埋めかよ。あーもー、と思いながら俺はなんとか動こうとしたが、まさに、体が痺れて動かなかった。はああ、とため息をつくと、エレナちゃんがびくりとする。

 そして言った。


「ルク。――――」

(いいえ。私がやるわ)


 やるって何を!?


「――――――、――リオノス」

(この人にも使い魔がいるのよ。今頃きっとリオノスを呼び戻しに行ってるわ)


 言ってエレナちゃんは立ち上がり、三人のひとりから剣を受け取った。ゆっくりと穴の中に入ってくる。俺を見下ろす目は暗かった。あの時見た目だ。モフ美を通して見た、風呂場の前の廊下でひとり佇んでいたときの、昏く静かな色。


 エレナちゃんはモフ美の不在を知らないのだ。俺の身に危険が及べばモフ美が対抗するだろう事も、今一番やりそうなのはリオノスを呼びに行くことだろう、ということも推測している。自分の行為をみのりから隠しおおせるとは考えていないのだろう。それなのに、それでも敢えて、俺を殺そうというのだろうか。


 すごい人です、と、頬を染めてみのりのことを評したエレナちゃんを思い出す。俺を殺せばみのりが怒るだろうと分かった上で……


 エレナちゃんが剣をかまえる。その手は震えてさえいなかった。あーもー千絵子から警告もらってたのに何やってんだ俺。いやでもまさかいきなり殺しにかかるとは。つか保身も考えずに俺を殺すメリットって何なんだ。


 でも、このままあっさり殺されてやるわけにはいかない。


「……あのさ……」


 幸い口までは痺れてなかった。四肢だけの力を奪うなんて随分ピンポイントな痺れ薬だな。いやまあ、こっちの発言は向こうに通じないんで、言っても何の役にもたたなさそうだけど。


「ゴメン、ナサイ、フジサワクン」エレナちゃんは囁いた。「アナタハワルクナイデス。デモジャマナンデス」


 以前のような切れ切れの単語の羅列ではなく、やけにちゃんとした言い方だった。これ、あらかじめ文章考えて、練習してきたんじゃないだろうか――

 つまり計画的な犯行ってことになりますね。落とし穴まで使われといて今更ですけど。

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