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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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初めての訪問(3)

 空腹がこれほどまでに暴力的なものでなかったなら、一日中でもそのもふと戯れ続けていたかもしれない。


 けれど、朝の比較的早い時間に俺は我に返った。いったい何をやってるんだ貴様このままここで飢え死にする気か、と叫ぶ腹の虫と、このままここでこいつらをもふもふし続けることができるなら死んでも本望だ、と叫ぶ両手との板挟みにあったが、まあわりとあっさり腹の虫が勝った。


 もふもふを地面におろして――もふぅん、と抗議の声を上げられた――立ち上がった。もふもふのおかげで体が温まっているのがありがたい。


「あのさ」


 ダメもとで、聞いてみた。


「この辺に食えるもん、ないかな」


 と、ふわりと宙に浮かび上がったもふもふが、とすん、と柔らかな感触とともに俺の頭に着地した。

 ついで、声が聞こえた。


(あっち)


 俺は目を見開いた。子供の声だった。いや、声、というか、なんというか……言語になっていなかった。たぶん、思念、とかいうたぐいのものだろう。


(あっちだよ)


 もう一度、子供の思念。こいつ、もしかして相当頭よかったりする? もしかして俺のこと呼んだの、こいつだったりする? こいつについてったら、神殿があって巫女がいてお捜しいたしましたわ勇者様、魔法陣の不備でちょっと位置がずれてしまいまして申し訳ありませんでした……! なんて涙ながらにすがりついてくれたりするッ!?


 俺は舞い上がった。いよいよ始まるんだ、俺の異世界冒険勇者様ライフ! 待ってろ巫女、今行くぜ! 魔法陣の不備なんか気にするな、いいじゃないかドジっ子! むしろ様式美!


 空腹が抜き差しならなさすぎてなんだかハイになってきた。俺はふわふわと浮かんでいるような気持ちで、たぶん実際にはよろよろと、もふもふに案内されて進んだ。




 昨日、滝がある、と思ったのは的外れではなかった。もふもふの言うとおりに川を下っていくと、それからほどなくして滝があった。けれど、昨日想像したほどの高さではなく、落差はほんの二メートル程度だった。俺の身長よりちょっと――二十センチ少々、高い程度。これなら丸太にすがって川下りしても軽傷で済みそうだ。


 もふもふが、滝の中に入れと言う。ははーん、なるほど、滝の裏側に神殿があるというわけだな。すると奉られてんのは水神だな。龍神が俺を呼んでるってわけか、龍の勇者ってかっこいーじゃねーか、いーねいーねテンションあがるねー、と思いながら滝をざぶざぶかき分けていくと、そこにあったのは洞穴だった。


 滝の直撃を浴びたはずなのにほとんど濡れなかった。俺の頭上のもふもふが、何かしたのかもしれない。猫って濡れるの嫌いだしな。何にせよありがたい。


 暗闇に目が慣れるのをしばらく待つ。――と。


 そこに、もふもふの山があった。


 神殿も何もなく、ただの洞穴だったが、あまりに夢のような光景に俺は立ち尽くした。俺のもふもふと同じ生き物が何十匹も、互いに寄り添いあっていたのだった。もう少しで、奇声を上げてなりふり構わずもふもふの山にダイブして思う存分もふもふするところだった。いや、実際そうしかけたのだ。操られるようにふらふらと踏み出しかけた俺の足を止めたのは、においだった。


 庶民的で強烈で刺激的でどうしようもなく場違いな、懐かしいにおい。

 そう、カップ焼きそばのにおいだった。


 腹の虫が悲鳴を上げた。意志の力で何とか退けていた空腹が襲いかかり、理性が吹っ飛んだ。ほんのかすかな残り香だ、おそらく昨晩食べられて、カップはゆすがれてビニール袋にきちんと捨てられている、でもカップ焼きそばの残り香は換気してファブリーズでもしない限り一日くらいはしつこく残っているものだ。俺はもふもふの山に飛び込み、かき分けた。「もふうん」「もふっ」「もふぅぅん」と抗議? の声を上げながらかき分けられるもふもふの感触にいちいち意識を持って行かれそうになりながら、なんとか底を探り当てる。そこにあったのは膨らんだ赤いスポーツバッグ。


 一気にジッパーを引き開けた。

 そこに宝の山があった。


 缶詰、カップ焼きそば、カップめん、カップスープ、コンビーフ等々がごろごろと転がり出た。なんでこんなものが。なんでこんなところに。と思いはしたのだが、もう構ってはいられない。俺は手近なカップめん(味噌)のセロファンを引きむしり、お湯、と思った。水はある、でもお湯がない、火、そうだ、木を切ろう、枝を折ってこすりあわせれば何とか、でもダメだ。

 鍋がない。


「う……」


 叫ぼうとして、思いとどまる。まだ諦めるのは早い。缶詰がある。缶詰をあけようとして、缶の表面のどこにもプルトップが見あたらないことに愕然とする。何年前のだ! 今時プルトップのついてない缶詰なんか作るな! 缶切り! 缶切りどこ!


「うああああああああああっ!!」

「ふぁ?」


 寝ぼけたような声がした。

 すぐそばのもふもふの山から、黒い髪が一房覗いていた。


 もふもふの山が崩れる。もふぅん、と気遣わしげな? 声をあげながら転げ落ちたもふもふの、下から、眠たげな福田みのりが顔を出した。


「あ……おはよー、藤沢君……」

「お……」


 俺は。

 申し訳ない。俺は、初めて、生まれて初めて、同級生女子の胸ぐらをつかみあげた。


「おはよじゃねええええええ――ッ!」


 みのりはそれで、目が覚めたらしい。悲鳴も抗議の声も上げずに、目を見開いて俺を見た彼女の、胸元の布をまだつかんだまま、俺は泣き崩れた。


「缶切り貸して……」


 何言ってんだ、俺。

 もうダメだ。俺は泣いた。えぐえぐと。せっかく食い物見つけたと思ったら湯がなくて、水はあるのに火がなくて、いや火はあっても沸かすもんがなくて、じゃあ缶詰食おうとしたら缶切りがなくて。悲劇だ。何段階のボディブローだ。いっそ食い物なんか見つけなければ――と思ったとき、鼻の先に海苔の香りを感じた。

 目を開けると、そこにおにぎりがあった。


「どうぞ」


 まだ体中にもふもふを乗せたままみのりが言う。

 俺はその手にそのまま食いついた。


「!」


 口の中に固形物。それはコンビニおにぎりだった。中身は鮭だった、と、思う。噛まずに飲み込んだから喉に残る余韻で判断するしかない。俺がふた口で食べる間に、みのりは次のおにぎりのセロファンを剥いていた。礼も言わずにかぶりつく。それでようやく、ひとつめのおにぎりを差し出したみのりの手をまだ握りしめていることに気づいて外す。手加減なんかできなかった、だから痛かったはずだ。それに、ということは、ふたつめのセロファンは片手と口ではがしたのだろう。でもみのりは何も言わなかった。自由になった両手で三つ目のおにぎりを剥いてくれる。次に缶詰――


 ぱっかん、と、プルトップを引いて難なく缶詰(鰯の味噌煮)を開けた。

 さっきの俺は、裏側だけ見て絶望していたらしいのだった。


 ――消えたい。


 みのりは黙ったまま、次々と食べ物を出してくれた。俺の醜態を笑わなかった。クラス中から笑われたあの時、ひとりだけ笑わなかった彼女の姿がダブる。三年経って、ずいぶん大人びたんだなと思う。ずっと同じクラスだったから、今まであまり思ったことがなかった。


 みのりが割り箸を出して、割って、缶詰の上に揃えて置く。次にタッパーが開いて、たくあんとキュウリの漬け物が出てくる。それから彼女は立ち上がって、滝の方へ向かった。


「今オ湯沸カシマス、ネー」


 ぎこちない声で彼女は言った。

 キャンプ用の、アルミの小さい鍋を持って、滝から水を汲んだ。彼女の足下には、同じくキャンプ用のバーナーが。


 ――なんだこいつ。


 初めてそう思い至った。


 ――用意周到。


 まるでここでキャンプでもしてたみたいな。


「……何で敬語?」


 とりあえず疑問を口に出す。水の入った鍋をバーナーにセットして、火をつける彼女は、こちらを見なかった。俺は返答を待ちながら、せっせと食料を口に運んだ。おにぎり三つに缶詰、コンビーフ、漬け物を食べて、少し落ち着いていた。みのりがこっちを見ないのをいいことに、袖で頬をこする。


 周囲を見回すと、もふもふの山。


 俺を案内してきたもふもふも、合流したのだろう、今やどれがどれだかわからない。これだけ大量のもふもふにくるまれて眠っていたなら、さぞ気持ちよく眠れただろう。


 彼女はまだこちらを見ない。


「……福田。ここどこ?」


 訊ねる。……沈黙。

 少しして、ぎこちない声で彼女は言った。


「……リオニア、デス……」


 ぎぎい、と、音を立てそうなぎこちなさで、俺は彼女に向き直った。


「……リオニア」

「ソウデス」

「なんで敬語」

「イエ特ニ、理由ハナイデス」

「リオニア」

「……ソウデス」

「聞き覚えがありますね」俺もつられて敬語になった。「誰かさんのお父さんのご出身だという噂の」

「……覚えておられましたね、やっぱり……」

「何で敬語」


 重ねて問うと、彼女は。

 こちらに向かって土下座した。


「ごめんなさい」


 ぶちっ、と何かが音を立てて切れた。


「……謝って済むかああああー!!!!」

「ち、違うのっ!」彼女はがばっと顔を上げた。「まさかあの距離で道連れにするなんて思わなかった! いや藤沢君あの時信じたから……! やばいなってちょっと思ってたんだよー! だからできるだけ避けてたのに、なんでよりによってあの時間に家に来るかな!?」

「プリント届けに行ったんだ! 毎回恒例だろうが!」

「だから別の人に変えてくださいって先生に何度もお願いしたのに同じ駅の人が藤沢君しかいないからしょうがないだろって聞いてもらえなかったんだもん……! じゃあ郵送にしてくださいって住所書いて切手貼った封筒まで用意したのに使ってくれないし……! あたしだってトリップのシステムがどうなってんのかなんてわかんないしまさかあの距離で巻き添えにするなんて……」


 さっきと同じことをもう一度言いかけて、彼女は、しょんぼりとうつむいた。


「ごめんなさい……」


 俺は怒鳴りかけた言葉を飲み込んだ。実際、なにを怒鳴っていいのかよくわからなかったし。そもそもみのりのせいなのか、コレ。みのりの意志ではなく不可抗力だったのなら、みのりを責めるのは筋違いだ。


 ふたりとも、しばらく黙っていた。みのりは洞窟の地べたに正座したまま、しょんぼりとうつむいて顔を上げない。俺は黙って頭の中を整理していた。


 ややしてしゅんしゅんと音がして、みのりが身じろぎをする。


「お、お湯が沸きましたけれども……カップ焼きそばとカップラーメン味噌、醤油、塩、コーンスープにコーンポタージュにカボチャポタージュにクラムチャウダーに、各種取りそろえてございますが……」

「あのさ……」


 俺が言いかけると、みのりはびくりとする。寝乱れたツインテールの毛先がぴょんと跳ねた。


「……あのさ。福田もしかして、発作って、これなの」

「……はい」

「……なんで敬語」

「……」

「……毎月?」

「……はい」

「毎月、トリップ、してんの」

「……」彼女はうつむいた。「はい」

「つーか」俺はぼりぼりと頭をかいた。「……じゃあ帰れんの」

「はい。わたくしめは、毎回いつも、必ず、きちんと帰っておりますです」

「いつから?」

「小学五年生の夏休みから」


 そりゃ結構長いな。五年近い。毎月一回と仮定すると、もう六十回近い。慣れてるわけだ。


「なんかきっかけとか」


 訊ねると彼女は、少し口ごもった。


「なんて言うか……その……お赤飯炊いてもらった、次の満月から、というか」

「あー」


 それは言いにくいことを言わせてしまった。俺はため息をついて、言った。


「味噌」

「へ?」

「味噌ラーメン、お願いします。つーか豚骨ねえの」


 みのりはほっとしたように立ち上がった。


「ないんだ。あたしとんこつ嫌い」

「うお信じらんねえ。豚さんと博多人に謝れ。つうか俺に謝れ」

「豚さん、博多の人、藤沢君、ごめんなさい」

「……ほんとに謝んなよ」


 みのりがお湯入りの鍋を持って戻ってきて、食料の山から味噌ラーメンを取り出してふたをはがして具とスープの素を取り出して具の袋を破って中に入れて、お湯を注いだ。しゅそそそそ、とカップラーメンがお湯を受け入れる独特の音が聞こえる。ふたをして、箸を乗せて、タイマーをセット。俺は感心した。


「すげーな。ほんとに用意周到」

「年季入っておりますので……」

「……俺がやばいっつーのは何よ」


 みのりはタイマーに落としていた視線を俺に向けた。


「中一の、六月くらいに、花園千絵子ちゃんが藤沢君のこと、騙したことあったでしょ」

「あーあー、花園千絵子ね」ちいちゃん、だ。「リオニアの王子様が福田のお母さんに一目惚れして駆け落ち、ってやつ」

「それ。……たまに信じる人がいるんだよ」

「すみませんねー単純バカで」

「違う」みのりはまっすぐに俺を見た。「あのほら話に含まれた真実の破片に気づいたってこと。そういう感受性を持っている人は……」


 単純だが、俺はちょっと気を良くした。


「巻き添えにする可能性があるってこと?」

「そう……」みのりはため息をついた。「ちいちゃんがそうだった」

「はあ? あいつもここ、来たことあんの?」

「うん。それで……他にもああいう感受性を持ってる人がいるか、調べた方がいいよって、言って、ああ言う話を……」

「そっか」


 事情が少しずつわかって来たこと、なによりみのりが(そして彼女に同じく巻き添えにされた花園千絵子が)無事に帰っている、ということがわかって、俺はようやくほっとした。誰が呼んでいるのかも、いつ帰れるのかも、そもそも人がいるのかどうかもわからないというのはやはり結構キツかった。何より今は食料がたっぷりある。安心感がぜんぜん違う。


 タイマーが鳴った。滝の音に電子音が響く。かなり場違いだ。


 みのりはラーメンにスープのもとを入れてかき混ぜまでしてくれた。すぐに食べられる状態にしてから、箸を揃えて乗せたどんぶりを差し出してくれる。


「どうぞお召し上がりください」

「あーどもども。くるしゅうない」


 俺は遠慮なく箸とラーメンを受け取ってふうふうしてずるずる啜った。熱くて美味い。めっちゃ美味い。俺が食べるのを、みのりはただ黙ってじっと見ている。ややして彼女はプラスチックのマグカップを取り出し、コーンスープの素をその中に入れた。

 こここここ、とお湯が注がれる。コーンスープの香りが漂う。


「今更だけどパンもあるよ。ジャムパン、アップルパイ、ソーセージ、コーンマヨネーズ、」


 スポーツバッグのほかに、ボストンバッグまで持ってやがった。おにぎりやらたくあんやらはそこから出されていたらしい。俺はラーメンの最後の汁まで一滴残らず飲み干してから、身を乗り出して、中をかき回すみのりの手の隙間から見えた好物をつまみ上げた。


「メロンパンくれ」

「あー、待って、これは……」

「ミノリ!!」


 ばしゃあ、と。

 滝が割れ、そして。

 そこから、王子様が現れた。

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