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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
26/44

三度目の訪問(10)


   *



 青空が見えた。


 上半身裸の状態で、俺は倒れていた。塀と木々と、電信柱が見える。体中がだるく、わき腹が少々痛んだが、五体満足で、死んでもいず、動くにもそれほど支障はなかった。俺がゆっくりと体を起こすと、後ろのほう、少し遠くで、あわてたような声がした。


「だ、大丈夫かね、あんた?」

「え、」


 振り返ると、少し離れたところにおばあさんがいた。この近所に住んでいる人だろう、家から出てきたばかりのようだ。門につかまって、おばあさんはほっとした声を上げた。


「いやびっくりしたわあ……外見たら人が倒れてるんだもの。大丈夫? あれかね、熱中症かね? 救急車呼ぼうか? だめだよ、まだまだ暑いんだからちゃんと帽子かぶって水分取らなくちゃ」


 おばあさんは矢継ぎ早に言い、俺の向こうをのぞき込むようにした。

 そこに、千絵子が倒れていた。死んではいないようで、目を開けていた。目が合うと、すっと逸らした。青空を見つめて、はああああ、とため息をつく。

 俺はおばあさんの方に視線を戻した。


「あの、ありがとうございます。大丈夫ですから」


 危ないところだった。そりゃ炎天下の路上で人が倒れてたら救急車呼ぶよな。病院で目が覚めてたら話がややこしくなるところだった。


「でもそっちの子は……やっぱり救急車呼ぼうかね」


 いやこいつ、俺とは関係ないんで。

 一瞬そう思った。見捨てたかった。あの壮絶な痛みの余韻はまだわき腹に残っていたし、千絵子への憎悪や怒りもまだ俺をじくじくと蝕んでいた。千絵子が俺を見た。ほんの少し前まで、俺をなぶり殺そうとしていた相手。


 千絵子が目を伏せた。あの妖艶さも猛々しさも消え失せて、今は、ただの、傷ついて疲れきった少女にすぎなかった。


 だから俺は、何も言えなかった。


「……みのりん家で休ませてもらう」


 千絵子がか細い声で言った。目を上げて、俺を見た。


「すぐそばだし。動けそうな気がしないから、藤沢君、つれてって」


 冗談じゃないと、反射的に思った。

 あいつん家にこんな奴連れてくなんて、冗談じゃない。

 俺の沈黙に、千絵子は泣き出しそうな目をした。


「みのりのおばあちゃんに、変なこととか余計なこととか、言ったりしないから。藤沢君、今からみのりん家行くでしょう。みのりが帰ってきたとき、おばあちゃんから聞いてすぐ安心できるもんね。みのりは、あたしのことも心配してる……してくれてる、と、思うんだ。お願い。救急車は困る。親に連絡されちゃう。藤沢君、武士の情けって言葉、知ってるでしょ……?」

「……近くに友達の家があるそうなんで。そこつれてって、休ませてもらいます」


 俺がおばあさんにそう言うと、おばあさんは安心したようだった。

 確かに、千絵子はぜんぜん動けないようだった。俺が背中にかつぎ上げても、ただされるままになっている。ぐんにゃりしてて、正直重い。俺は周囲を見回し、そこが、召還されたあの場所だと言うことを確認する。置き去りにしていったはずの自転車と荷物は見あたらないが――たぶん、みのりかみのりのおばあさんが回収してくれたんだろう、と、思う。


「お騒がせしました」


 千絵子を背負っておばあさんに頭を下げると、おばあさんは、お大事にね、と言った。

 そして、歩きだした俺の背に向かってまた言った。


「でも、いくら暑いからって、裸はどうかと思うわよ」


 そりゃ確かに俺もどうかと思うわ……。

 俺は苦笑して、もう一度頭を下げておいた。他にどうしろと言うんだ。




 みのりの家までは緩やかな登り坂だ。体中がギシギシ言ってるし、暑いし、千絵子は重いしで、武士というよりは、苦行僧になった気分だ。と、千絵子が言った。


「藤沢君ってさあ……」

「……あんだよ」

「みのりといつからつきあってんの」

「あー」やっと誤解が解けるわけだ。「別につきあってねーし」

「……は? そーなの」

「そーだよ。おまえが勝手に誤解したんだ」

「ふーん……」千絵子は、苦笑したようだ。「まー、そっか。そんな度胸ないっか」


 ひどい言いぐさだ。なんで俺、こんな奴必死で運んでんだろ。


「……そりゃーないだろ。高校入ってからも同級生先輩問わず百人切りだぜあいつ。アトレンさえ袖にする相手に、俺にどうしろってんだ」

「はー?」


 千絵子はしばらく考えた。

 そして、ため息をついた。


「藤沢君って学年トップのくせにおバカだねえ」

「あー? 喧嘩売ってんのか? 捨ててくぞ」

「すみませんごめんなさい。捨てないで。って痴話喧嘩みたいー。ふふふ」


 千絵子は足をばたばたさせ、既に疲労を訴えていた俺の膝が悲鳴を上げる。


「おーい! 落ちるって! つーか暴れられんなら歩け!」

「エノラスってさーあ」


 千絵子が言い、俺は降ろしかけてた動きを止めた。千絵子が囁く。


「優しかったんだよねえ。かっこよくてさ、綺麗でさあ、国のためにって目標もあって、……優しくってさあ。言い訳になるけどね、闇の民って可哀想なんだよ。雪之丞が獣を無理矢理光に固定しちゃってから、貧乏のどん底。衰退の一途だよ。知ってる? 昔はね、聖山とかスヴェナの町とか、エスラディアの領土だったんだよ。エノラスは、民たちのために必死なんだ。――ほんとに藤沢君とは比べようもないよ」


「だから喧嘩売ってんのかっつーの」


 俺はまた千絵子を担ぎなおして歩きだした。武士の情け武士の情け、と自分に言い聞かせる。溝に放り捨てる気になれないのは、ここが日本で、明るい昼間で、人目も気になるからだ。それ以上の理由などなかった。

 でもみのりはリオニアでも、人目なんか気にする必要もなくても、こいつを見捨てなかったんだな。なんでだろう、と不思議だった。なんでそんな気持ちになれるんだろう。

 千絵子がうめくように言った。


「……だからしょうがなかったんだ」

「……あ?」

「あたし、エノラスのことが好きだった。『綺麗で』『かっこよくて』『優しくて』『国を憂う王様』であるエノラスが好きだった。……その条件が」


「……」


「だからきっと、みのりがいなかったら、あたしがミアの子だったら、アトレンを好きになってた。『綺麗で』『かっこよくて』『優しくて』『国を憂う王子様』なアトレンがね……その条件がそろってたら、きっと誰でもよかった」


「……」


「だから……エノラスもきっと、そうだったんだ。『国民の前に出して恥ずかしくない容姿』の、『国のために協力してくれる力の持ち主』の、『ウルスの力を使えるウルスの子』だから、あたしを選んでくれたんだ。その条件がそろってたら、……あたしじゃなくて良かった」


「……」

「……あたし、ずっと、誰かが選んでくれるの待ってた」

「……」

「……みのりは違った」

「……」

「……みのりは自分で選んでた。リオニアとエスラディアの戦争を何とか解決しようとしながら、合間に必死で受験勉強して……行軍の合間にまで単語帳めくってたよ、あの子。それで、志望校に受かったんだ、あんなに大変だったのに。どうしても、どうしても、行きたいんだっつって」

「……」

「……自分で選ぶって、そういうこと。そりゃ勝てっこないわ……」


 自分の心を整理するような言葉は、どことなく、言い訳めいて響いた。自分の心を――エノラスの行為に傷ついた自分を、必死で納得させようとしている言葉だった。俺はずっと、黙っていた。そうか、と、相づちすら打ってやらなかった。みのりならなんて言ってやるんだろうと考えながら、慰めてやる気にもなれなかった。お前バカだったなあ、と思っていた。バカではた迷惑で、間抜けで、みっともなくて、大勢巻き込んで傷つけて殺して、取り返しのつかないことしたなあ、なのに報われなくて、ホントにバカだったなあ、って。


 でももう、責める気にはなれなかった。


「……藤沢君、アトレンに何か、言ったでしょ」


 みのりの家はもうすぐだ。俺は黙っていた。


「アトレンにはねえ、あたし、すっごく憎まれてるはずなんだ。あいつなら、藤沢君ひとり送り返す魔方陣書くはずなんだよ。後腐れなく、すっぱりとね。でも、あたしも一緒に返してくれた。みのりが頼めたとは思えないし……藤沢君、何か言ってくれたの」


 俺は答えず、福田家のチャイムを鳴らした。ぴんぽーん、と聞きなれた明るい音が響く。門の中に俺の自転車が停められているのが見える。中で人が動き……ちょっとした騒動が起こった。ばん、がたん、と音が響き、玄関の扉が開いた。


「藤沢君!」


 おばあさんがかけだしてくる。俺は頭を下げる。


「すみません、ご心配おかけして」

「そんな……まあ、ちいちゃん!」

「お久しぶりです」


 千絵子が言う。久しぶりだったのか、と俺は思った。みのりのおばあさんにとっては、千絵子は孫の親友のままなのかな。

 そうだったらいい、と思う。

 そして、こっちに帰ったみのりがおばあさんに何も話さなかった気持ちが、よくわかった。

 安心していてほしいんだ。何も知らないで、心配しないで、帰ってきたら気を使われたりしないで、いつもどおりに迎えてほしいんだよな。

 そうすれば、こっちの居場所は何も変わってないって思えるから。

 帰ってきたら、いつもどおりの、優しく穏やかな日常が待ってるって、――思えるから。


 居間に通され、荷物を渡してもらい、中から着替えをとりだして着る。エアコンの効き始めた部屋はとても気持ちよく、張りつめていたものが、呼吸とともにしゅるしゅると抜けていくような気がする。

 冷たい麦茶を出してもらい、おばあさんが茶菓子を取りに行った。そのとき、ソファにながながと寝そべった千絵子が言った。


「藤沢君」

「あー?」

「エアコン入れてもらえて気持ちいーねえ」

「あー」

「冷たい麦茶も、美味しいねえ」

「あー」

「お菓子って何かなあ。みのりのおばーちゃんて、トリップの帰りを待つ間、いつもお菓子作るんだよ。上手でさ、どれも美味しいんだよね」

「へー」

「運んでくれてありがとう」

「おー」

「藤沢君?」

「あー?」

「あたしとつきあわない?」

「お断りだ」


 頭をもたげ、視線を合わせてきっぱり言うと、千絵子は嬉しそうに笑った。


「だよね」

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