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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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三度目の訪問(9)

「……あたしとやる気? 勝てると思ってんの? 藤沢君なんか、モフオン一匹しかいないじゃん……」


 そう、勝てるわけがない。やだったんだ、俺は。暴れん坊兄貴に、道場のがきんちょ共の前でさんざん叩きのめされたあのときから、こう言うの、ほんとやだったんだ。痛いし、負けたらかっこ悪いし。みっともないし。情けないし。勝てっこないし。でも。


 でも、もう。しょうがないじゃないか。


 魔獣が金色の瞳で俺を見ていた。モフ美がふわりと飛んできて、俺の頭の上に乗った。

 下へ続く穴から甲冑の音が溢れ出てくる。もうすぐそばまでエノラスたちが来ているのだろう。俺はちらりとアトレンを見た。立ち上がる気配も、何かが起こりそうな気配もまだない。


 さっきの崩壊にも関わらず、アトレンも魔方陣も無事だったのは、たぶん、アトレンがさっきの結界みたいなのをあらかじめ張っておいたからだろう。兵士たちがなだれ込んでくる前に、俺はまずみのりを抱き上げた。


 なんだこれ、と思う。

 勇者のくせに何で、俺なんかに運ばれちまう程度の体重しかないんだ。


「ふ、じさわ、くん。なに――」


 千絵子がこちらに向けて右手を挙げる。黒い光がその手の先に収束する。でも当然、それが放たれることはなかった。崩れた壁の上にいるリオノスが、千絵子に飛びかかった。魔獣がそれを阻止しようと躍り出て、千絵子の姿がその向こうに消える。

 俺が魔法陣の横ぎりぎりにみのりを寝かせると、アトレンが言った。


「あと五分」

「任しとけー」


 軽く言うと、アトレンが何かを俺に放った。小さな短い筒――マーブルチョコだ。


「半分もらった。美味にござった」

「だろ?」


 受け取って、結界の外にでる。この結界はエスラディア兵には見えないはずだ。ならばエノラスが来るまではみのりは無事だろう。俺は筒を開け、残りの半分ほどをざらざらと口に入れた。残った残り五粒ほどを、筒ごとモフ美に渡す。


「みのりに食わしてやって」

(ふじさわ、モフ美……)

「いくら力をもらえるっつったってさ、モフ美が死んだらやなんだよ、俺」

(……モフ美……)


 うめいて、モフ美は筒を受け取り、みのりのそばへ行った。

 俺は千絵子の方に視線を戻した。魔獣とリオノスの戦いは未だに続いている。リオノスはもちろん、魔獣も、あの砲弾のような派手な攻撃を放つことはなかった。魔方陣が壊れたらどうなるのか、魔獣も知っているのだろう。うなり声と苦悶の声、噛みつき、噛み裂こうと頭を振りたてる猛々しい音。神獣と魔獣にしては、あまりに肉弾的な戦い方だ。


 そして、千絵子ももう思い切っては力を使えないだろうと、俺は計算していた。自分でも驚くほど、冷ややかな気持ちで。


 千絵子は傷ついたような、見捨てられたような目をして俺を睨んでいる。


「……まだやんの? 誰のために?」


 俺は白銀の剣を構えて、千絵子に言った。

 剣が小刻みに震えている。みのりが持っていた時と同じ白い光が、刀身からあふれ出した。


「エノラスのためにか? 人のことさんざんバカにしてくれたけど、おまえが一番、バカだよな」

「……エノラスは……藤沢君にはわかんないよ……!」


 千絵子は言い、漆黒の剣を構えて、切りかかってきた。

 噛み合うだけで凄まじい衝撃が迸った。白銀の光と、黒く輝く光がばちばちと踊る。その向こうで千絵子は、凄惨な顔をしていた。どう考えても千絵子の方が強いはずなのに、追いつめられた顔をしていた。


「エノラスはあたしを選んでくれた! 藤沢君にはわかんない! はじめから選ばれてる藤沢君には……!」


 兵士が穴から飛び出した。ごろごろと部屋中を転がるリオノスと魔獣の戦いに巻き込まれないように、次々と出てきては剣を構えて穴を守る。そして――そこから、エノラスが現れる。

 エノラスはローブのフードをはだけていた。目眩がするほどの美貌が部屋中を冷徹に一瞥し、魔方陣のあるあたりに目を留める。

 エノラスは、微笑んだ。


「チエコ。……ありがとう。そなたのお陰だ。愛している、ウルスの子。そなたのお陰で、ウルスは神獣を取り戻す」


 なぜエノラスの言葉がわかるのかなど、疑問に思ってる暇はなかった。千絵子は目に見えて生気を取り戻した。一瞬、ほわ、と、花がほころぶように微笑った。可憐な笑顔だった。

 千絵子は微笑を消し、剣を構えて、一度俺から距離をとり――再び、切りかかってきた。先ほどとは比べものにならないほどの鋭い一撃、がいん! と耳障りな音が腕に響く。

 千絵子はたぶん鍛錬などしていないだろう。でも魔剣自体が意志を持って千絵子を操っているかのようだった。暴れん坊兄貴に匹敵するほどの力量で続けざまに打ち込まれる。

 対して、俺は焦っていた。五分ってまだなのかよ。


 アトレンとみのりと魔方陣を守っている結界が、ぎちぎちばちばちと音を立てている。エノラスの歌声が聞こえる。空間が、軋んでいく。あれが破られたらおしまいだ。千絵子の太刀筋をかいくぐり、俺はそちらに向かおうとした。

 神剣には確かに何かの意志があるようだった。俺の望みを読み取ってそのとおりに動こうとする何かが。神剣を振り抜くと、触れた相手の剣が砂になって飛び散る。手ごたえすら感じない。

 でもエノラスの周りの兵は崩れなかった。柄だけになった剣を投げ捨て、身を丸め、鎧を盾に壁を作った。蹴倒しても蹴倒してもエノラスに届かない、あまりにも多勢に無勢だった。俺はわめいた。


「モフ美、何とかしてくれ!」

(むりー!)

「外にアトレンの兵がいるはずだ! そいつらここに移動さして!」

(むりー! 絶対むりー!)

「無理でも、」


 背後から千絵子が放った一撃を、俺はかろうじて避けた。大きく体勢を崩したところを追撃されて膝が崩れる。千絵子が右からあの黒い砲弾を放ち、俺は吹っ飛ばされた。「うあ……っ!」壁にまともに激突した。そのままくずおれる。壊れかけていた壁からさらに瓦礫が降り注いできたが、それを認識している暇はなかった。


 体の右半分が消し炭になった、ような、気がした。


 肉の焦げるにおいで意識が戻る。ぶすぶす燃える音がすぐそばで聞こえる。


 なにこれ。と俺は思った。

 なにが燃えてんの、これ。


(ふじさわ……!)


 モフ美がわき腹にとりついたので、けがは見えなかった。でも気を抜くと目の前が真っ白になりそうなほどの、壮絶な衝撃がわき腹に食い込んで消えない。千絵子が魔剣を構えて嬉しそうに笑う。恋する乙女の顔をしているのが、異様で怖い。


「ふじさわくん、まだ生きてんのォ? 生身のくせにしぶといねえ。みーのり」


 結界が、そのとき、はじけ飛んだ。

 エノラスが魔法陣の中に歩み入るのがなぜか、見えた。みのりは体を起こしていた、でも、立つことはできないようだった。アトレンはまだ下を向いて、魔法陣に手を加え続けている――アトレンが排除されたら終わりだと、俺は思う。


「みーのり、こっちにおーいで」


 千絵子が笑いながら言っている。気づくと千絵子は目の前に来ていた。千絵子が俺の髪をつかんだ。痛みなどまるで感じなかったが、頭を無理矢理引っ張りあげられて、視線を合わせられたのが不快だった。こんな奴の顔なんかみながら死ぬなんてごめんだ。


「――ほらほら、藤沢君、もうすぐ死んじゃうよ? あんたの大事な藤沢君がさ……」


 そのとき、だった。


 千絵子が、目を見開いた。俺の頭から手を離し、大きくよろめいた。同時に魔獣を振り払ったリオノスが、俺に飛びかかってきた。モフ美が舞い上がり、入れ替わりにリオノスの蜂蜜色の体毛に覆われた腹が、俺の視界を包む。


 リオノスがその体で俺をかばった。その向こうで。


 千絵子が魔剣を放り出し、両手で、胸をかきむしった。「ああ、あ」悲鳴が聞こえた。


「ど……して……!」


 エノラスが、魔法陣から、モフオンの死骸をひとつ、持ち上げていた。

 エノラスはアトレンには目もくれていなかった。ゆっくり歩いて、もうひとつを持ち上げる。「あああっ!」千絵子の悲鳴が響く。リオノスの腹が暖かくて、俺は何も感じなかった。痛みも遠のいていた。意識まで遠のきそうだった。


「どォしてぇぇェェエェェッ」


 千絵子が叫ぶ。魔獣が咆哮をあげ、かき消えた。それを見たとき、初めて、エノラスの動きが止まった。


「チエコ、なぜあの獣を返すのだ? まだ終わっておらぬ」

「え……のらす……」


 千絵子がよろめき、倒れた。ひくひくと床の上で痙攣する千絵子を、エノラスは不思議そうにみた。


「どうした、チエコ」

「まほうじ……ん……こわし……あたし……」

「ああ、そうだったな。忘れていた」


 エノラスはこともなげに言い、ふたつの死骸を掲げた。あまりに無関心な仕草だった。そのまま詠唱に入りそうになったその足を、千絵子が掴んだ。


「あたし……死ん……いい……の」

「もちろん」エノラスはあくまで不思議そうに言った。「そなたはウルスの子。死んでもまた次の子が召還される。そうであろう?」

「エ……」


 みのりが、動いた。

 兵士の間をかいくぐってエノラスに後ろから体当たりする。その手からこぼれたふたつの死骸に飛びつき、みのりは床の入り口に向けて放った。すでにそこに、アトレンの兵たちがたどり着いていた。真っ先に踊り込んできたダルスさんが、モフオンの死骸をキャッチして。アトレンが立ち上がる。やっと魔方陣が書き換えられたのだ。詠唱が始まる。殺到したアトレンの兵たちがエノラスとその兵に襲いかかる。


 俺はリオノスの腹の下で、それらの動き一切を知覚しながら、ただ千絵子とみのりを見てた。みのりは「ちいちゃん!」倒れた千絵子に覆い被さろうとしていた。リオノスが俺にしているように。千絵子はエノラスの兵にもアトレンの兵にも無視されて、床の上で、みのりの下で、目を見開いて、ただひくひくと痙攣していた。


 それがまるで断末魔のように、見えて。

 俺は蜂蜜色の毛皮の下で、この視界もこのもふもふの毛皮で閉ざしてくれりゃいいのに――と、思っていた。


 ほんとになにやってんだろ、俺。


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