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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
20/44

三度目の訪問(4)

  *



 塔を降りて少し歩いた場所に、どんよりと汚い牢屋があった。


 場所はといえば、中庭のど真ん中だ。素っ気ない、側面にいくつか空気孔があいただけの四角い箱に見える。見るからに不潔でみすぼらしく、こんなもんを中庭のど真ん中に設置する美意識がよくわからない。城から外を眺めたときにこんなものが目に入ったら、気が滅入るんじゃないだろうか。まあ監視しやすくて合理的ではあるのかもしれないけど。


 ぎいいいい、と扉が開かれる。とたんに吹き出した臭気に俺は顔をしかめた。兵士にふたりがかりで押されても足が進むのを拒否するほどの臭さだった。「ギブレ!」ドスの利いた声と共に小突かれて、腕を捕まれ中に引きずられ、手近な鉄格子の中に突き飛ばされる。


 小さな窓がある。顔を出せるかどうかという程度のものだが、俺は突き飛ばされた勢いのまま、その窓に駆け寄って外の新鮮な空気をむさぼった。壁の厚みが結構あるのでもどかしい。それほどに、汚物の臭いがひどかった。


 部屋の隅に小さな壷があり、臭いからするに、あれで用を足せと言うのだろう。目にしみるほどの悪臭だった。多分前にここにほうり込まれた人間が、死ぬか釈放されるかしてから、掃除されていないに違いない。


「うわ、くっさ」


 花園千絵子が、牢の扉の外で言った。鼻をつまんでいるらしく変な声になっている。


「藤沢君、はやくみのりが来るように祈っといてー? あんま長いことそこにいたら、臭いが移っちゃうよ。台なしじゃん、いろいろと」

「おまえさ」吐き気をこらえて、俺は言った。「なんで? どうなってんのおまえ、福田と、友達だったんじゃねーのかよ」

「みのりと友達? ん、まーね。でもあたし、トリップがどうとか聞く前からさ、みのりのこと好きだったことなんか一度もないよ」


 鼻から指をはずしたらしい。からかうような、残忍な声だった。この牢にはたぶん鉄格子で区切られた独房が六つほどはあるらしいが、入っているのは今は俺だけのようだ。静寂の中に千絵子の声だけが響く。


「まあそんなこといったらさ、あたし、誰かを好きとか、守りたいとか、願いをかなえてあげたいとか、思ったのなんて、こっちにくるまでなかったから、みのりだけが特別嫌いだったってわけじゃないけどね。……や、そんなことないっか、みのりが一番嫌いだったか」


 話がよくわかんねえ。「……なんで」


「だってみのり、美人でしょ。ねえ藤沢君、あたしの顔、どう思う? けっこ美人なんだよ、これでも。ひとりで街歩いてたら、スカウトされたことだってあるんだからね」


 何を今さら、と、俺は思った。

 花園千絵子は、クラスで誰がかわいいか、という男子の会話では必ず名前が上がっていた。自分でもちゃんと分かってるはずだ。


「……でもみのりと一緒にいるとダメだね。街を歩いてる人達も、絶対みのりしか見ない。その顔を鼻にかけるような嫌な性格だったらまだいいのに、全然そんなことないしさ。みのりってさ、成績だって悪くないし、病弱補整がかかってみんなちやほやするでしょ。まさにお姫様扱いだよ。そのくせお母さんとおばあさんが忙しいからって家事もするから、調理実習とかでも上手だしさー。あたしはね、ずっと、ずっと、ずうううううっと、みのりが嫌いだったんだ。……その上リオニアの王子様に求婚されて、さらにミアの子だとかって崇められて。極めつけに藤沢君とお付き合い? あああ、鬱陶しいったらないよ」


「……それ、ただの嫉妬ってやつだろ」


 言うと千絵子は笑った。


「そうよ。あたしはみのりが羨ましくて、羨ましくて、妬ましくて苦しくてたまんなかった。ここだけの話だけどさ、異世界トリップ、あたし、ずっと憧れてたんだよ。そう言う本大好きだったんだもん。なのに、それもみのりのものだった。リオニアの人達はみんなみのりが好きで好きで、だあい好きで、あたしはそのおまけだった。

 エノラスに会うまでは、その気持ちを殺しておかなきゃいけないと思い込んでたの。そんな気持ちをもつなんて悪いことで、こんな気持ちを外に出しちゃいけないんだ、って思って、苦しくて苦しくてたまらなかった。でも今はもう、我慢する必要なんかないんだって知ってる。あたしはみのりが憎い。妬んでる。羨ましい。――だから殺す。我慢なんかしない」


「……」


「みのりは藤沢君を手にいれた。だから、みのりの目の前で藤沢君を取り上げてやる。一番みのりが嫌がる方法でね。――エスラディアって最高だよ。なんにも我慢しなくていいんだもん」

「……わかんねえな。じゃあ中学ん時にさ、あんな楽しそうに、仲良さそうに、してたの、全部演技だったってわけか?」


 千絵子は嘲るように笑った。


「演技じゃないよ。確かに一緒にいると楽しかったよ、あんなに美人でさえなきゃあ、ほんと良かったのになあ。ねえ、女の子はね、いろいろと大変なわけよ。学校でひとりでいると、差し障りがあるわけ。どこかのグループに属してないと、一人前扱いされないっつーか。人間扱いされないっつーかね」


「……はあ?」


「だから女の子はね、契約を交わすんだよ。オトモダチって契約ね。身を守るために。孤立しないために。学校でうまくやっていく、立場を手にいれるために。――美佳もみのりも、ただそれだけなの。仲良かったんじゃなくて、好きだったからでもなくて、ただ、契約してただけだよ」


 男の子って呑気でいいよね、羨ましいよ――そう言いながら、千絵子は遠ざかって行った。俺をここにほうり込んだ兵士が、鉄格子に鍵をかけ、牢の外に出て、石の重い扉を閉めた。ずしーん、と体が揺れる音と共に視界が遮られた。――耳が痛いほどの静寂。


 荷物は置いてきてしまったようだから、俺に使えるものはほとんどない。部屋の中には、体を伸ばせないほど狭くて短い寝台たぶんがひとつ、悪臭を放つ便器たぶんがひとつ、床に置かれた汚れた食器たぶんがひとつ。


 食器……だよな。

 その汚さに、打ちのめされるような気がした。

 茶碗を洗ってもらえるような待遇なんて得られないってことだよ、これ。たぶん長柄の柄杓とかで食事をよそって、で、鉄格子から柄杓だけを差し込んで食事をこの中に入れるんだよ。これだと囚人の食器をいちいち回収して洗って、って手間がいらなくなる。扉を開けた拍子に囚人に襲いかかられたり逃亡されたりって懸念もない。合理的だ。衛生的に扱う必要なんかない。病気になって死んだって構わないって、思ってるってことだ。


 実際にそう扱われたら本気で打ちのめされそうだから、出来るだけその前に逃げ出したいものだ。腹が減る前に。この悪臭で吐く前に、この待遇に、慣れてしまう前に。

 でも、そうだ。

 敢えて、ふふふ、と笑った。


「こんなこともあろうかとー」


 万一鞄持ってこられなかった時のために、ポケットにマーブルチョコをしのばせておいたのだった。

 いやまだ鼻が慣れてないから食わないけどさ。けど今回は日本の甘味があるので、一番最初の時よりマシだ。……とでも思わなきゃやってらんねえよ、もう。


 しかし花園千絵子、いったいどーなってんだろうな。

 窓に顔を押しあてて新鮮な空気を必死で吸いながら、俺は中学ん時の、千絵子の様子をできるだけ思い出した。


 美佳ちゃんもけっこ可愛い子なので、みのりと千絵子と美佳ちゃんという三人組は、そういえば有名だった気がする。美佳ちゃんは控えめでおとなしくて、派手な千絵子と別格のみのりの陰に隠れていたけど、千絵子は印象としては、決してみのりに負けてなかった。ムードメーカーというか、お調子者というか、男子とも一緒にふざけてくれるというか。明るくて楽しい奴、という印象だった。それが。


 俺を殺すと、はっきり言ってた。みのりへの恨みのためだけに。しかもその恨みだって、逆恨みみたいなもんじゃないか。それってどうなんだ。そんなことしそうな奴だったなんて思いも寄らなかった。


「うえー」


 俺は意識して、一生懸命呼吸をした。どうにかしてここから逃げる算段を考え出さなければならないが、この窓から出るのは無理そうだ。鼻が早く麻痺しないだろうかと思いながら、この強烈な匂いに慣れたらなんか負けな気もする。





 しばらく、そこでぼーっとしていたらしい。

 いやにおいがあんまりひどくてね、頭が回らないわけよ。現実逃避してたわけじゃないんだ。鼻を慣らすのに専念してただけだ。などと反射的に言い訳しながら、何かの気配を感じて目を開けた。

 目の前にモフオンがいた。


「げ」


 藤沢君吊しておけばモフオンが寄ってくるよ――

 千絵子の声を思い出したが、いや待て。待て待て。こんな臭えとこにまで来るなよ、つーか、こいつ見つかったら大変じゃねーか。何とか追い払わなくちゃ、と思った時、その瞳に見覚えがあるのに気づいた。

 いやこいつらの見分けなんかつかねーけど、でも。この目とか、俺をみる色とか。


「……モフ美?」


 聞くとモフオンは、もふう、と鳴いた。

 接触しないとモフ美の思念が聞こえない。俺は手を伸ばして、窓の外にふよふよ浮かぶモフ美に手をさしのべた。モフ美は少しだけ近づいて――


 ぷに。肉球が俺の指先に触れた。


(くさいよお、ふじさわ)


 やっぱモフ美だ。俺は焦った。この牢は周囲を取り囲む巨大な城から丸見えなのだ――いや大丈夫、テルミアの人たちにはモフオンが見えないんだった。千絵子には見えるけど、今はエノラスと再会の喜びを確かめあってるところだろうから、中庭なんか見てる余裕はないだろう。


「も、モフ美。お前なんでこんなとこ、どうやって、」

(ふじさわがえすらでぃあにつれてかれたってみのりが言うから。モフ美のつながりを手がかりにして、リオノスが飛ばせてくれたんだよ)


 言われて俺は、泣きそうになった。いや実際さ、見捨てられてんじゃねーかなって思ってたからさ。


「そ、そっか。でもお前、あぶねえよ、こんなとこ――」

(ふじさわ)モフ美は遮った。(とにかくそこ出て。くさい。鼻が曲がりそう)

「で、出たいのは山々なんだけどな」

(話はそのあと)


 モフ美はそう言い、俺をじっと見た。いや、見られても……。


(……困ったな)少ししてモフ美はまた言った。(モフ美はふじさわから力、もらわないと、神聖術が使えない。でもふじさわ、やっぱり力少ない)


 すまねえな、俺がこんな体なばっかりに――

 浮かんだ言葉は飲み込んだ。笑えねえよ。


 千絵子だったらもしかして、モフ美に力分けて、ぴゅうんとリオニアまで飛んだり出来るんだろうか。切ない。考えながら俺はダメもとで訊ねた。


「ここから俺とお前を移動させるとか出来る?」

(ふじさわの力全部使っても城の中に落っこちる)


 弱えー!


 その上全部使ったらこないだみたいに動けなくなるわけだろ。情けないにもほどがある。


(だからふじさわが動けるくらいの力を残して……そうすると、神聖術での移動はやめたほうがいい。この窓からふじさわが自分で出て、自分の足で逃げるのがいい。だから、まず、ふじさわの体を少しの間だけ小さくする)

「そんなことできんのか。どれくらいの時間?」


(二秒)


 短えよ!


(それなら力あんまりいらない。でも窓を通る途中で元に戻ると引っかかる。挟まって苦しい)

 だろうなあ。でもそりゃあ、やるしかねえよな。俺は粗末な寝台を、音をさせないように動かして足場を作った。その上に乗ると、胸の上まで窓に届く。体が縮めばいけそうだ。

 でも、


「……まだ外、明るいよな。窓から出たらすぐ――」

(んーん。ふじさわ、えすらでぃあは闇の国だから。明るいうちはみんな普通寝てる)

「あ、そうなの?」


 少しほっとした。このまま夜まで待つなんて絶対無理だ。


(光があったら目も見えにくい。……見える人ももちろんいるけど、少ない、ってみのりが言ってた)

「そっか。じゃあ……」

(少なくとも夜逃げるよりはずっと簡単、の、はず。あとれんが、えらのすの逃亡に気づいて軍を出してる。もうすぐそばまできてる。みのりはリオノスに乗ってそこに合流するって言ってた。でもふじさわ、ここにはモフオンの死骸がいっぱい。ここにリオノスがきたらたいへん)


 モフ美は、なんだか、こないだまでより知能が進んでいるような気がする。体も、心なしか大きいような。成長してんのかな。


(だからみのりが暴走する前にふじさわを外に出したい。ふじさわはこんなところにいちゃだめ)


 思わず聞き返した。「暴走?」

 これほどみのりにふさわしくない単語も珍しい。いや俺は勇者としてのみのりなんかぜんぜん知らないわけだけど。


(みのりはこれ以上誰かが殺されるのに耐えられない。それもふじさわが、ちえこに殺されるなんて絶対だめ)


 あー、そりゃそうかもしんない。千絵子は契約だとか言ってたけど、みのりにとっては千絵子は大事な友達だろう。たぶん。それが自分が招いてしまった異世界で、それも自分のクラスメイトを惨殺するなんて、そりゃ嫌だろう。俺も嫌だ。


(リオノスはみのりの願いに逆らえない。逆らわない。みのりがリオノスに乗ってここにこようと思ったら止められる人は誰もいない。ちえこのねらいはそれなんだと思う)


 そっか。

 なんかね、ずっと、変だと思ってたんだよ。エノラスは前回も、みのりに、『リオノスを呼べ』って言ってたし。モフオンの死骸があるところにリオノスは呼べないってみのりも言ってたし。千絵子も、みのりがリオノスに乗ってここに来ることを期待してたし。


「リオノス――ミアの聖なる獣にモフオンの死骸で呪いをかけると、ウルスの魔獣になるわけな」

(そう)


 やばいじゃん、それ。

 みのりがここにリオノスをつれてきてしまう前に、絶対自力で脱出しなきゃいけないわけだ。よし、理解した。俺は顔をしかめて窓から顔をはずし、準備運動をした。


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