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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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初めての訪問(2)

 歩き出すと少しずつ頭も働き始めた。今時の高校生を侮ってはいけない。普通に生きてくれば、現代日本の人間が別世界に飛ばされてしまうという、いわゆる『トリップ』ものの物語に一度か二度は触れている。小説、マンガ、ゲーム――その物語の形態が何であれ、ちまたにはそういうストーリーがあふれている。


 ちなみに俺はそう言うの、大好物だから。むしろ好んで読みあさったクチだから。


 だから俺の身にもそれが起こったのだと、想像することは容易だった。いやまあ、自分でも、も少し別の可能性も疑ってみたらどうなのよ、と思わないでもないんだけど。


 さっき俺の体が『崩れた』のも、やっぱり夢じゃなかった――のだろう。てことは俺、一度バラバラになってここでまた再構築されたのだろうか。ちゃんと元に戻ってんだろうな。


 時折振り返ってハンカチの位置を確かめながら進む。ハンカチの間を妨げそうな枝や葉は、申し訳ないが折らせてもらった。森の神様が俺を呼んだのだとしたら愛想を尽かして俺を見放すかもしれない、いやこの程度で見放すくらいなら最初から呼ぶまい、などとつらつら考えるうちに、難なく小川に着いた。まだハンカチが小さく見える位置だ。手を浸してすくって飲む。冷たくて美味い。


「さて……」


 これで少なくとも乾き死にだけはしない。

 俺は川縁に座り込んで、秩序立ててよく考えてみようとした。


 日暮れまではまだ時間がありそうだった。俺が目を覚ましたのは、朝か、遅くとも昼前くらいだったようだ。耳を澄ませてみても、人の気配はない。全然ない。話し声も、下ばえを踏み分ける音も聞こえないし、だいたい道らしきものも全くないのだ。これが本当によくある(?)トリップなのだとしたら、誰かが俺を呼んだはず――


 ――誰も呼んでなかったりして。


 浮かんだ考えは慌てて打ち消した。そんなの怖い。すげえ怖い。


 だから誰かが俺を呼んだのだ。これは決定。絶対そう。そうでなきゃつらすぎる。トリップし甲斐がなさすぎる。


 けど普通は、なんか神殿とか、魔法陣の中とか、そういうところに出てくるもんじゃないのか。それか、せめて人間のいるところに出るべきじゃないか。人一人異世界に飛ばすんだから、何か大きな理由および方法をもって行われたはずだ。そう、儀式とか。


 でもここには、状況を説明してくれる巫女も神官もいない。繰り返すが、人っ子ひとりいない。


 淋しい。


 水面を見つめる。川の水はとても澄んでいて、木漏れ日にちらちら水が踊っている。とにかく、と俺は考えた。とにかく乾き死にだけはしないのだ。砂漠にトリップするより数百倍はマシだ。可愛い巫女が俺を探しに来てくれるまで、ちゃんと生き延びなければならない、と思う。飢えてたら世界も救えない。


 その辺の草を縛って目印にした。縛った草の先がハンカチを指すように調節してから、とりあえず下流に向かうことにした。人が住んでいるとしたら下流に決まっている。



 道らしきものはなかったが、結構歩きやすかった。木々の間隔があいていて、太陽(仮称)の光も降り注いできて暖かいし、地面には柔らかな苔や草が生えていてふかふかしている。今日は学校指定の革靴じゃなくてスニーカーを履いていたのも運が良かった。



 辺りが赤くなり染める頃まで歩いた。川はだいぶ水量も増え、幅も大きくなっていた。俺が目覚めた場所はどうやら山の中だったらしくて、途中で勾配がきつくなってきたので川をそれて木々の間を進むことにした。川からつかず離れずの場所をいけば、少なくとも乾き死にはしないし、溺れ死にもしない。けれど。


「腹減ったぁ」


 もう何度言ったかわからない言葉をつぶやいた。つぶやいても仕方がないが、黙っていても仕方がない。今頃は福田みのりの家にプリントを届け終え、家に帰って風呂入って晩飯、のはずだった。今日はハンバーグの予定だった。ハンバーグに焦げ目を付けた後、ゆでたブロッコリーとジャガイモとにんじんを投入して白ワイン入れてふたをして、ハンバーグに中まで火を通したら、ハンバーグを取り出して残った肉汁にケチャップとウスターソースを適当に入れてじゅわっとさせて野菜に絡めて、山盛りの炊き立てご飯にハンバーグと一緒にどばっとのっけてひとり暮らしの特権で人目をはばからずかっ食らう予定だったのだ。朝、挽き肉を冷蔵庫に移してきてしまったが、腐る前に帰れるだろうか。あー腹減ったあー、ともう一度つぶやいて、足を止めた。水音が近づいているのに気づいたからだ。


 いや、水音が大きくなっているのだ。俺は川を見て、距離がせばまっているわけではないことを確認して、川下に目を凝らした。水音が大きくなっている、ということは、もしや、滝が近づいているのではないだろうか。


 どんだけ人里離れてるんだ。


 ――人間がいればの話だけど。


 思い浮かんだ考えはまたもや即座に封印した。人間、いるはずだ。いて欲しい。いなきゃ泣く。せっかくトリップしたのだから、色んなところを見たいし色んな人に会いたいじゃないか。これで俺を呼んだのが獣だったら悲――いや、人間のはずだ! 人間最高! 人間大好き!


 ――誰かが呼んでいればの話だけど。


 先ほど振り捨てた暗い考えがしつこく頭に浮かんで、俺はその場に座り込んだ。だめだ。疲れた。疲れると人間、ろくなことを考えない。あたりは赤く染まり始めていた。暗くなる前に水を飲もう。そして木に登るべきだろう。ここにくるまで、危険そうな獣には出会わなかった(危険じゃなさそうな獣にも出会わなかったが)から、地面に寝ても襲われることはないかもしれないが、ないかもしれないからといって安心する気にはならない。それに虫のこともある。地面や下生えを這ううぞうぞの虫と、宙をぷぅんと飛んでくる虫と、どっちに刺されたいかと言えば俺は断然後者だ。いやそもそも刺されないに越したことはないんだけど。


 川へ行って水を飲み、良さそうな木を物色した。木登りなんて何年ぶりだろう。小学校低学年以来のことだ。ちゃんと登れるといいけど。


 結論から言うと、ちゃんと登れた。ここの森は結構木々の間隔があいていて、枝振りのいい木が多かったのが幸いだった。手のひらと膝をすりむいたが、数分間の格闘で、俺は枝の又になったところに居心地よく――はないが、それなりに――体を落ち着けることができた。


 せっかく待ちに待った異世界トリップが俺の身に降りかかったというのに、誰にも見つけてもらえずに野宿するはめになるとは。その上空腹で。泣ける。


 太陽(仮称)が沈むと、梢の間から星が見えた。それはもう、見事な星空だった。こんな星空、プラネタリウムでしか見たことがない。降るような――落ちてくるような――体が浮き上がりそうな、星空だった。木の中腹のあたりにいるのに、梢の隙間から覗く星空の濃さと言ったら怖いほどだ。月はどこにあるのだろう。もうすぐ上るのだろうか。今夜は新月なのだろうか。そもそも、ここに月はあるのだろうか。星座にはあまり詳しくないので、この星空が地球と同じなのかどうか、わからないのが歯がゆい。ここはどこなのだろう。もしかして、地球なのかもしれない。異世界トリップとかじゃなくて、ただ宇宙人に吸い上げられて、途中で落っことされて、地球のどこかに移動しただけなのかもしれない。いや、宇宙人とか異世界人とか考えるよりまず、誘拐を考えるべきだったかもしれない。悪の組織が人体実験とか人間の精神分析とか行動パターンのサンプル採取とかのために、俺を拉致って森ん中に放置したのかもしれない。白衣姿の細い眼鏡のキッツイ美貌の研究者が、俺の行動をどこかで監視してるかもしれない。


 まあとにかく、状況を説明してくれる可愛い人間の女の子に出会うまで、何とか生き延びよう。


 ――誰かが捜してくれていればの話だけど。


 性懲りもなく浮かんだ考えを何とか振り払うために、食料をとる手段を検討することにした。まずはナイフ。絶対ナイフ。黒曜石とかどういうところにあんのかな――



 夢を見ていた。今度は本当の夢だ。

 ふわんふわんのもこんもこんにくるまれて、とてもいい気持ちだった。目の前には真っ青な空が果てしなく広がり、俺はその青い空に浮かんでいた。真っ白な雲に包まれて。


 その雲の手触りときたら、最上級のふかふかの羽布団――いや違うな、風呂に入って念入りに洗われてドライヤーで丁寧に乾かされたもこもこの羊――ともちょっと違うか、では王侯貴族が使うような毛足の長いふわっふわの絨毯――ともちょっと違う。とにかく清潔で、いい匂いがしていた。指が沈むほど柔らかくて、とてもあたたかい。雲はむくむく動いて、俺の頬にビロードのような頬を押しつけ、言った。


「もふう」

「おう、鳴き声までもふもふ……」


 呟いて、そうだ、と思う。この手触り、ふかふかでももこもこでもふわふわでもなく、もふもふ。これだ。


 そのひらめきで、俺は目を覚ました。

 目の前に、黒々としたつぶらな瞳があった。


 俺はがばっと身を起こし、木の枝から落ちかけた。今度はもふもふのあたたかな布団の中にトリップしたのかと、かなり期待したのだが、そこはやはり眠る前によじ登ったあの木の又だった。早朝らしかったが、辺りが見える程度には明るい。落ちかけた木の枝にかろうじてしがみついた俺に、もふもふした毛皮を持つ湯たんぽくらいの大きさの、毛皮の固まりが言った。


「もふぅん」


 ――やべェ。


 かなりの破壊力だった。

 俺は骨抜きにされかけ、慌てて毛皮の固まりから目をそらして、何はともあれ地面に降りた。危うく落ちるところだった。


 咳払いをし、現状を把握しようと周囲に目を走らせる。場所は移動していない。が、もふもふの生き物が、俺が眠っている間に密かにきていたらしい。あの夢、それから体が暖まっている、ということから考えあわせると、もふもふはしばらく俺の体の上にいたらしい。ちっとも気づかなかった。


 考えるうちに、もふもふは宙に浮いて、俺を追ってきた。俺はそれほど驚かなかった。いかにも宙に浮きそうな生き物だったのだ。そのかわいさに比べたら、宙に浮くなんてそれほどのインパクトじゃない。そもそも背中に翼があるのが見えたし。


 俺は地面に座り込んだ。もふもふが俺のひざに乗った。湯たんぽくらいの大きさがあるのに、あんまり重くない。宙に浮けるからかもしれない。暖かみを感じる、適度な重さだった。


 にしても、何という凶悪な肌触り。


 その生き物は、蜂蜜のような色合いをしていた。黒々とした瞳に、愛くるしい顔立ち。猫科の生き物を彷彿とさせる。もふんもふんとしたたてがみが頭の周りを縁取っている。これは――俺の知識の中にある生き物で、一番似ているのは、ライオン、だ。


 子供のライオンにふっさふさのたてがみをつけて翼を生やした生き物、というのが一番近い。ここが地球じゃないと言うことがこれで確定したわけだけど、あまり悲観する気になれないのはなぜだろう。むしろ天国。




 ああ、それにしてももふもふは可愛かった。親父に言って商品化したら大ヒットしそうな形態だった。愛くるしい、という単語がこれほど似合う生き物なんて初めて見た。羽布団を念入りに太陽に当てたような、眠気を誘う匂いがする。何より凶悪なのはその手触りだった。全身が、絹のすべらかさとビロードの柔らかさを兼ね備えた上等な毛皮に包まれていて、そっと指を乗せると、もふ、と沈む。たてがみときたらもう――というか、耳の後ろの深さときたらもう! もうっ!!


「もふぅん」


 撫で回されて気持ちがよかったのか、俺の手の上でもふがうっとりと鳴く。そうかそうか、好きなだけ撫でてやるぞこいつう。俺は我ながら目尻を下げて撫でまくった。クラスメイトの野郎どもには絶対見せられない姿だった。いろいろ考えなければならないことはあるはずなのに、そして何より、空腹という問題が歴然と俺の腹の中で存在を主張しているというのに、もふもふに魅了されて何も考えられなかった。


 天使のような愛らしさ。でも実際、悪魔ってこういうのかもしれない。

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