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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
18/44

三度目の訪問(2)

 薄暗くなり始め、ひぐらしの声が聞こえるのに一向に涼しくならない。


 福田祖母はそんな残暑の厳しい町中を、てきぱきと歩いて行く。俺は自転車を押しながらそのあとをついていく。


 福田家が見えなくなる場所まで来ると、福田祖母は、ふう、とため息をついた。


「ごめんなさいね。トリップのことになるとナーバスになるのよあの子」

「でしょうね」


 相槌をうつと、福田祖母は俺を見上げる。

 そして、体ごと向き直った。


「明日もみのりについていっていただけるの」

「は」俺も居住まいを正した。「まあ、できれば」

「殺されかけるようなことが待ち受けていても?」

「……それはむしろ、そのせいで、後に引けなくなったっつーか」


 福田祖母は、長々と嘆息した。


「……そう……。みのりは最近、あちらのことをひと言も話さないの。以前は良く、話してくれたものだけどね……あの子の母親とそっくり同じよ。当たり障りのないことは楽しそうに話すの、でも、生き死にの話だとか、陰謀の話だとか、そういうことは話さない。私に心配かけると思うのかしらねえ……つまり」福田祖母は悲しそうな顔をした。「みのりは最近、あちらで、当たり障りのない出来事などひとつも経験してない、ということになるわ」


「……ですね」


「私も鈴香も……あの子の母も、なんとか、あの子にくっついて行こうとしたの。でも無理。何度もそばにいて、手を握っていたのに、それでも行けなかった」

「あ……そーなんだ」

「だから」福田祖母は深々と頭を下げた。「よそ様のお子さんを危険にさらすなんて……申し訳ないけれど、でも……あなたにおすがりするしかないのよ」

「あの、顔、上げてください」


 あわてて、俺は言った。


「じゃあ明日、また家に行きますんで。もし別の場所に出掛けるようなら、連絡してもらえませんか、携帯俺持ってないんですけど、その」

「もちろん」


 請け合われて、ほっとした。家の電話番号を手帳に書いて破り、福田祖母に渡す。彼女はその番号を見てうなずき、大切そうに握り締めた。まるでお守りか何かのように。


「トリップは呪いですわ」


 かすれた声で彼女は言った。


「福田家に伝わる、呪いです」

「……雪之丞さん、という人を?」


 訊ねると彼女はうなずいた。


「福田雪之丞は江戸時代半ばごろの人ですわ。雪之丞が行方不明になってから、連綿と続く福田の不幸が始まったのです」


 俺はぞくりとした。

 今まで、雪之丞の次はみのりの母親、鈴香さんだとばかり思っていたのだ。

 でも違うらしい。福田祖母は淡々とした口調で話を紡ぐ。


「江戸時代にもうひとり、福田ちえという人が……それから幕末のころに梅、明治に向子、大正に良子。戦時中に知佐子……そして鈴香。わかっているだけでもみのりを入れて八名です」

「……そんなにいたんだ」

「ええ。雪之丞は例外ですが、あとはみんな、いずれも十代の……初潮を迎えたころに神隠しに遭うようになったと聞いています。……帰ってきました。初めはね」

「初めは……?」


 福田祖母は顔を上げ、俺を見据えた。うちのばーちゃんよりだいぶ若い。へたすると俺の母親より若いだろう。福田母によく似た、涼やかな美人の面影が色濃く残っている。まだまだ張りのある口元が小刻みに震えていた。


「私の娘が……鈴香が神隠しに遭うようになったころ、私は絶望しました。今度はこの子が生け贄に選ばれたのだと」

「生け贄、」

「福田から別の家に嫁いだというのに、私の中に流れる血が、鈴香に伝わった福田の血が、生け贄に選ばせてしまったんだとね。……ちえも、梅も。向子も良子も、知佐子も。最後は帰ってきませんでした」


 ぞくり、と、背筋が粟立った。

 雪之丞さんも帰らなかったのだ。


「雪之丞はね、冷や飯食い……おわかりでしょうかしら、武家の三男坊でしてね。家督は長男が継ぐものでしょう、それで、武家の次男や三男は、冷や飯を食べるような肩身の狭い生活をするものだったんですわ。特に雪之丞は不憫でした。裕福なお家とご縁がありまして、運よく婿養子に入れてもらえたのですけれど……雪之丞にはなんの咎もない出来事で、福田家と、養子先の家とでいさかいが起こりまして。雪之丞は針のむしろでございますわ。まあ、女性よりはましだったかも知れませんが……でもいろいろあって、最終的には帰されましてね。かなり異例の出来事です。武家にとっては醜聞です。福田家は出戻りの彼に、それはそれはひどい仕打ちをしたようです。両家のいさかいは、彼にはどうすることもできないことでしたのにね……彼が失踪した時、福田家がついに彼をいびり殺したのだなんて噂が立ったほどだったようです。気の毒に」


「……」


「福田家はありとあらゆる手を使って彼の失踪を隠蔽しました。お上にわいろをたっぷり渡したりして」

「山吹色の菓子ですね」


 言うと福田祖母はちょっと笑った。


「時代劇ですわねえ。そうですわ。雪之丞は二度と帰らなかった。誰もその行き先を知りませんでした。福田ちえが一度目に『仮死』して戻ってくるまではね。ちえは、リオニアという国で、ご先祖様が崇められていたと話した、と伝えられております」

「……そうですか」

「雪之丞は異国でやっと幸せになれたのですわね。でも彼は、福田を恨んでいたでしょう。ですから」

「だから、生け贄、なんだ」

「そう。私にはどうも、そういう気がしてならないんです。憎い福田の、なんの咎もない無垢な娘を、福田に悲しみを味あわせるためだけに、呼び出しているのではないかしらと。ちえも、梅も、ほかの娘たちも……あちらでいい人を見つけて、幸せに暮らして、その生涯を閉じたのだと、……願う余地はあります、リオニアでは、異人はとても丁重に遇されるそうですからね。でも……残される家族にとっては、やはり呪いです。これが年経た意地悪ばあさんが呼び出されるのならばまだしもね。十代の娘ですよ。一番傷つきやすい年頃の。家族が自分を薄気味悪く思うことに、一番傷つく年頃の」


「……」


「彼女たちは皆、自分の意志であちらに残ったの、でしょうね。薄気味悪い『甦り』の娘と冷たい目で見られるこちらより、神の子と崇められるあちらの方がよほど幸せでしょう。……身体全部があちらに行って、また戻ってくるのなら、残されるものの心情も少しは違ったんだと思うんです。でも抜け殻が残るでしょう。正直、異様な光景ですわ。目の前でいきなり倒れて、半日から数日もの間息も心臓も止まるんです。それがいきなり息を吹き返す。魔性に取り憑かれたのだと思われても、仕方がありませんでしょう。

 でも、私は鈴香に帰ってきてほしかった。夫がなんと言おうと、私にとってはかけがえのないひとり娘ですもの。ですからみのりが鈴香のお腹に宿った時にはそりゃあ嬉しかったですわ。体質が変われば呼ばれなくなるだろうと……生け贄ですからね、もしかしたら、子を宿してその資格を失ったのではないかと。期待したとおり、鈴香はあれ以降、呼ばれることはなくなりました。みのりが生まれて、元気にすくすく育ってくれて。なんて平穏な、幸せな日々だったことか」


「……でも」


「……そう。でも、です。みのりにあの体質が引き継がれていたんです。これが呪いでなくてなんでしょう? ……みのりはあちらで」福田祖母は呻いた。「幸せになれそうでしょうかしら。みのりを本気で守ってくれるような人がいるでしょうかしら? 強情で、ええ、子供じみた捨てぜりふを叫んで部屋に閉じこもるようなばかな子ですけれど、それでも私にとってはかわいい孫で、鈴香にとってはかわいい娘なんです。幸せになってくれるならあちらに取られても仕方がないと諦めがつきますけれど」


 俺は何も言えなかった。

 幸せかどうかなんて、本人以外が決めるべきことじゃない、はずだ。

 ……でも、勇者って面倒くせえ、と、先月思ったことも確かだった。

 福田祖母は、微笑んだ。悲しそうに。


「そうでないなら……手遅れに……帰って来られなくなる前に」

「……、」

「よそさまのお子さんを危険にさらして、ご好意におすがりして、多大なご迷惑をおかけしてでも……あなたの存在に、希望を託すしかないんです。……どうか」

「役に立てるかどうかはわかりませんけど」

「いいんです。私達はあちらで、あの子に何もしてやれません。心配をかけるからと、打ち明け話さえしてもらえません。鈴香の知っている時代とは少し違っているようで、アドバイスも、状況を推測することさえも。……ですから」


 福田祖母は、また頭を下げた。


「お願いいたします、どうか」


 俺は、咳払いをした。

 それから、笑って見せた。


「……またあのおはぎ、作ってもらえませんか」


 言うと、福田祖母も笑った。


「今回も作りましたのよ。王子様の大好物だとかで、よくみのりに頼まれるんです」

「じゃあ今度も、絶対ついてかないと」


 福田祖母は声を立てて笑った。


「あれはね、本当は、できたてが一番なんですよ。じゃあ今度、目の前で作って差し上げます」


 目の前で!!!

 つーことはあの絶妙なあんこの配合だの細かなノウハウだのを間近で吸収できるってわけだ……!

 俄然やる気出てきた。……いや、何ができるのかはいまいちよくわかんねえんだけど。



   *



 さて、トリップの朝だ。『望』の瞬間まで、あと二十分。


 福田祖母から電話をもらい、俺は荷物の最終チェックをして、家を出た。万一みのりが走って逃げても大丈夫なように、また自転車に乗る。


 今日は土曜日だから、福田母も家にいるはずだ。あの人にも話を聞きたいんだが、みのりの前でちゃんとした話ができるとは思えないから、今日は無理だろう。しつこく厳しい残暑の中をゆっくりと走る。リオニアは涼しいんだよな。爽やかだし。早く行きてえ。


 みのりん家に続く坂道をえっちらおっちら上がる。キャミソールとホットパンツというとても目のやり場に困る格好の女の子を追い越したとき、その子から声をかけられた。


「あ、……藤沢くーん」


 俺は振り返り、ぎくりとした。

 花園千絵子だった。


「どこ行くのー? そーそー、ちょっと話があるんだけどー」


 またなんか用事だろうか。

 一応自転車を停めたが、正直、無視したくてたまらなかった。モフ美のこともあるし、前回いちいちカンに触ることばっか言われてイライラしっぱなしだったし。俺は時計を確かめた。あと十分しかない。


「悪い、ちょっと急ぐんだけど」

「すぐ済むよ。あのさあ、クラス会がね、結局できなかったの。場所がなくてさ」


 咎めるような口調にまたイラッとした。俺のせいじゃねーだろーよ。


「藤沢君、家貸してくれない? 藤沢君留守でもいーからさ」

「良くねーよ」

「いーじゃん」花園千絵子は挑戦的な目で俺を睨んだ。「一人暮らしなんだから構わないでしょ」

「構うだろーよ」

「じゃあどこか場所借りてよ。カラオケルームでいーよこの際」


 今回は美佳ちゃんという緩衝材もおらず、俺は自転車を停めたことを心底後悔した。


「何言ってんだよお前……場所ねーならやんなきゃいーだろ」

「だってやりたいじゃん! みんなやりたいって!」


 俺はやりたくない。


「藤沢君お金持ちでしょ! カラオケルーム借り切るくらい簡単でしょ! みんなで集まりたくないの!?」


 もはや集まりたいとか集まりたくないとかの問題じゃない。


「悪い、ホント急ぐから。じゃーな」

「藤沢君!!」


 金切り声に、俺は一瞬気圧された。思わず見返すと、花園千絵子は俺を睨み据えていた。


「みのりにあんま近づかない方がいーよ」


 俺は息を飲んだ。「……はっ?」


「今からみのりん家行くんでしょ。藤沢君、他校の彼女と別れてみのりと付き合うことにしたの? あの子、ついに藤沢君まで手に入れたってわけ? でもね、みのりは、藤沢君が考えてるような子じゃないんだよ」


 あまりにみのりへの反感が溢れる声に、なんだか、ぞっとした。

 俺は心を落ち着けて、できるだけ穏やかな声で言った。


「なんでそんなこと言うんだよ」

「……わかんないよ!」悲鳴のような声だった。「ただあたしにわかるのは、みのりが変なんだってことだけ! みのりのせいだってことだけ! みのりが悪いんだってことだけだよ! あたしがこうなったのはみのりのせいだ! ――全部みのりが悪いんだ!」


 涙が出ていないことが不思議なほどだった。

 俺は、先月の、記憶が戻る前のことを思い出した。みのりを見るとわけもなくいやな気分になったことや、ぽっかり胸に穴が空いたような、自分がおかしいと自覚していながらどこがおかしいのか分からない、不安定なもどかしい気持ちや――


 あれがずっと続いてたら? 正直、ぞっとするな。


 でも花園千絵子は、実際にそうなのだ。

 いまだに、心に穴が空いたままなのだ。


 でも、今はそれに付き合ってやってる余裕がなかった。昨日の福田祖母の話が、早く早くと俺をせかしていた。もし一緒に行きそびれたら、あの人に会わせる顔がない。時計を見た。――あと五分。


「その話はまた今度聞くよ」


 言いかけて、俺は、坂の上に、福田祖母が姿を見せているのに気づいた。俺が遅いから見にきたのだろうか。その瞬間、花園千絵子がかけよってきて、俺に抱き着いた。キャミソールという心もとない布切れ越しに、柔らかな弾力のある体がぎゅっと密着する。


「!」

「藤沢君、……みのりなんかやめときなよ」


 千絵子がそう言った、瞬間だった。


 耳の奥で、歌が聞こえた。


 聞き覚えのある歌声だった。同時に、かすかに、覚えのある香りを嗅いだ。全身が粟立った。


 あの声だ。


 まぶたの裏に、暗黒ローブの男が、モフオンの死骸を掲げて歌う姿が見えた。


「……」


 俺に抱き着いた千絵子が息を飲んだ。視界が朱に染まった。ローブの陰で、男の瞳が紅く、紅く、血の色に輝いていた。その男の顔を、初めて、俺はまともに見た。ぞっとするほどの――アトレンさえ霞むほどの美貌だった。


〈ウルスの子よ……来たれ……〉


 暗黒ローブの男が、微笑んでいた。微笑んで、俺に……いや違う、千絵子に、手を伸ばした。


〈ウルスの子よ……そなたの居場所はここだ〉


 召喚だと、俺は思った。

 福田家の女性たちやみのりを呼んでいる、得体の知れないものではなく。俺がずっとイメージしていたような、儀式で、呪文で、呪術で呪いで血で魔法陣で、あの男は明確な意志と目的を持って、千絵子を召喚していた。


〈愛するウルスの子よ……〉


「エノラス……」


 千絵子がうっとりと呟いた。俺は千絵子の手を振り払おうとした。でも。


「……藤沢君……っ!」


 みのりの声が聞こえた。おばあさんが呼んだのだろう。みのりは坂の上に姿を見せたところだった。目を見開いて、必死の顔で、こちらに駆け降りてくる。それを見た千絵子は、よりいっそう強い力で俺にしがみついた。


「一緒に行こ、藤沢君」


 妖艶な、甘い声が耳元で囁く。

 そして――視界が暗転した。

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