三度目の訪問(1)
九月に入った。俺はイライラしていた。
みのりがつかまらないのだ。
何度か家に行ったのだが、いつ行っても留守だった。どうやら避けられているからのようだと、後ればせながら新学期始まって三日後にやっと気づいた。
うちの学校では新学期ごとに席順がリセットされる。
つまりスタートはいつもみのりと隣の席なわけだ。
しかし公衆の面前であんな話をするわけにもいかないし。休み時間になるとみのりはすっと席を立って行き、休み時間が終わるまで帰ってこない。放課後も急いで友達と合流して帰って行く。そうこうするうちに金曜日だ。苛立ちも最高潮。この状態で明日も居留守を使われたら、次の満月はあさって、日曜日(の午前中)だ。返す返すも、夏休み中に捕まえられなかったのが痛い。
授業も終わり、ホームルームも、先生の冗長なあいさつも終わり、日直が抑え切れない週末への渇望を含ませた声で号令をかける。さよーなら、の、らの余韻が消える寸前に俺は声を張り上げた。
「福田みのりさーん」
やべ、声がでか過ぎた。クラス中が静まり返った。
まーいーや。俺は続けた。
「お話があるんでこの後屋上に来てくださーい」
一瞬の沈黙。
そのあと、冷やかしの声が一斉に沸き上がる。後ろの席の本田がからかう声を上げた。
「ついに藤沢も告白すんの? 今まで全然興味ねーとか言ってたくせに! 頑張れー! 骨は拾ってやるぜ!」
「そんなんじゃねーよ」
一応苦笑して見せたが、まあ誰も信じてねーな。と、先生が笑った。
「屋上は駄目だろ。立ち入り禁止だ」
「やっべ先生まだいたのかー」
言うと笑いが巻き起こった。先生は苦笑した。
「この分じゃやじ馬が集まるだろうしな。体育館裏とかにしなさい。じゃーまた来週ー」
みのりは真っ赤になってうつむいている。自業自得だから罪悪感もなかった。俺は言った。
「じゃ一緒に帰っか。どーせ方向同じだし道々話せっから」
「……」
みのりは何も言わなかった。いつも一緒に帰ってる女子に救いを求めるような視線を投げたが、すみれちゃんはにこにこ笑って「あたしのことは気にしないでー」なんて手を振ってくれる。悪いねすみれちゃん。君の期待してるような話じゃないんだ。
みのりは泣きそうな顔で急いで帰り支度をして先に出て行く。後に続くとクラスメイトの無責任なやじが追いかけて来た。
「頑張れよー」
「おまえならいける!」
「当たって砕けろ! 華麗に砕け散れ!」
あーこりゃ来週以降しばらくうるさそーだなー。
思いながら俺は足を速めた。みのりは怒ったような足取りで階段を駆け降りて行く。うーんやっぱこいつけっこ足速いな。
本気出すとようやくげた箱で追いついた。
「待てって。何で逃げんだよ」
「……逃げてないよ、別に」
やっと返事が来た。でも油断すると置いて行かれる。校庭に出ると一階の、俺らのクラスにやじ馬が鈴なりになっているのが見える。また上がった冷やかしの声を聞きながらみのりの隣に並ぶと、
「……」
涙目で睨まれた。
「ひどいよ藤沢君。出席番号で隣の席ってだけでいろんな子からいーないーな言われてんのに。来週どんな顔して登校すればいいの」
「そりゃお互い様だろ。そっちが話する機会をことごとくつぶすからだろーが」
「つぶしてなんかないよ。偶然だよ偶然」
「俺の目ェ見て言ってみろ」
あ、逸らしやがった。へたれめ。
校庭を出て、駅へのゆるやかな坂道を下る。人影もまばらになって来たので、俺は言った。
「おはぎやっぱマジうまかった。ありがとう。ごちそうさまって、おばーさんに伝えといて」
みのりは顔を上げた。意外そうな顔。
「……え? おばあちゃん、おはぎ渡してたの」
「あ? みのりが言ってくれたんじゃねーの?」
「……良かった」みのりはちょっと笑った。「気になってたんだよ。約束したのに、おばあちゃん、トリップの間に全部人にあげちゃったって言うんだもん。でも藤沢君にあげてたんなら良かった」
「起きたら自分家だったからびっくりした。運んでくれなくていいっつったのに。女だけで人ひとり運ぶのって大変じゃねーの」
少しだけ非難を込めて言うと、みのりは首を振った。
「あたしが起きた時はもう藤沢君運んだ後だったんだよ。トリップ中に運んだんだと思う。ほら、抜け殻なら軽いから」
「え、でも……鍵は?」
みのりは微妙な顔をした。
「管理人さんに言って開けてもらった……らしいよ? ごめん、ほんとに……孫の家を掃除に来たとか何とか言ったら簡単に開けてくれたわーって言ってた」
セキュリティとかどーなってんのかねあのアパート。まあいーけど。
つまり、と、俺は思った。
あのおはぎにはやっぱり、何か思惑がありそうだ。
みのりと話をしようとするより、福田祖母と話した方が良かったのかもしんないな。今さらだけど。
電車に乗った。ほどほどに混んでる電車の中であんまり変な話をするわけにもいかず、俺は黙って、どう話すかを考えていた。みのりはどうして俺を避けていたのだろう、と考えて、決まってる、と即座に思った。
今度こそ逃げ切ろうと考えているに違いない。
絶対逃がすか、バカめ。
と、……考えていたはずだったのに。
途中の駅でどっと人が乗って来て、そっちに気を取られてる間に逃げられた。隣の車両に移って、そっちから入って来た人達の陰に隠れて降りたらしいのだった。
バカはこっちだった。悔しい。
土曜日は毎月恒例の家族会議だった。先月のお返し騒動の報告をさせられたのは言うまでもない。
三時頃放免され、暴れん坊兄貴にしごかれた後、夕食は断って実家を出た。一食浮くのはホントにありがたいんで、ふだんならたらふく詰め込んで帰るんだが、今日はどうしても行かなければならないところがあったので。
母親が山ほどもたせてくれた食料品をありがたく家におき、日が暮れる前、荷物を準備して俺は出かけた。自転車で。
最近福田家によく来るので、その辺りに住みついている黒猫と顔見知りになっていた。まだ子猫だろうか、体が小さくて、人懐っこい。通行人とかに良く餌をもらうのだろう。
しかし、動物ってありがたいよな。
モフ美の感触を懐かしく思いながら、俺はその猫を撫でた。もちろん賄賂として、猫缶も買ってきた。
動物ってホントにありがたい。
このご時世、誰かん家の前を、男がしつこくうろうろしてたら通報される。でもそこに猫がいたら、道端で見つけた猫を構ってる小動物好きの人間、とレッテル貼ってもらえるわけだ――まあもちろん、何時間もいたら怪しいだろうけど。
でも実際、そう長く張り込む必要はなかった。
猫がまだ猫缶を食べ終わらないくらいのタイミングで門が開いた。俺は立ち上がった。
ボストンバッグとスポーツバッグを装備したみのりが、顔をあげて俺を見た。
がしゃん、と門が鳴る。後ずさったみのりが門にぶつかった音だ。ポニーテールだった。ポニーテールだった。繰り返す。ポニーテールだった。
あーこいつ、外見はほんとに好みなんだけどな。ポニーテール、ごめん、俺のツボど真ん中だ。何で学校にはこれしてこないんだろう。
みのりは引きつった声を上げた。
「ふふふふ藤沢君」
「トリップん時俺がこの家の近くにいたら、また巻き添えにするもんな」俺はニヤリと笑ってやった。「でも抜け殻を下手なところに残しとくわけにいかねーから、前日からビジネスホテルでも取るんじゃねーかなと思って。で、抜け殻はおばあさんにでも回収してもらうんだろ、チェックアウトの時間に抜け殻見つかったらひと騒動だもんな」
「……!」
「晩飯くらい家で食うんだろ? 明るいうちに一回荷物置きに行くんだ? だよなー暗くなってから大荷物持ってったら補導されかねねーよな。荷物持ってやろーか。重いだろ」
「……!!」
「まーでも諦めれば? ホテル代もったいねーし」
みのりは俺を睨んでいた。泣きそうな顔で。
「……満月になる瞬間に、あたしの半径二百メートル以内に近寄らないでくれませんか」
俺はニッと笑ってやった。
「やっと言った。そーそー最初からちゃんと釘刺せばいーんだ。まー聞いてやんねーけど」
「……やっぱり聞かないんじゃん! 人としてちゃんと言うべきだとか言ったくせに! それはどうなの人として!」
「……みのり」
静かな声が響いた。
おばあさんが顔を出していた。
「ご近所にご迷惑だから。……入ってもらいなさい」
「おばーちゃん!」
「お邪魔しまーす」
俺はさっさとみのりの横を通って門の中に入った。みのりは涙目で俺を睨んでいる。俺は苦笑して、言った。
「おばあさんはなんで巻き添えにならないんだ」
みのりは息を飲んだ。「……っ」
「一回目の時。俺よかずっと、おばあさんの方が近くにいただろ。でも巻き添えになったのは俺だけ。……もう諦めれば? 俺たぶん、次は、どこにいても一緒に行けそーな予感がすんだよね」
「……そ」
「そんなのわかんないじゃんってか?」俺はみのりの手からボストンバッグを取り上げた。「まあ確かに。でもまあ、そーなるだろうと思うよ。俺にはモフ美がいるから」
「……」
「俺が今日きたのは、あっち行った時に、みのりとの距離があり過ぎるといろいろめんどうだなって思っただけだから」
ボストンバッグと自分の荷物を玄関の中に運び入れると、みのりのおばあさんが、俺を見上げた。俺はその目を見下ろして、軽く頭を下げた。
「おはぎ、ホントに美味しかったです。ごちそう様でした」
「……藤沢君。今回も」
福田祖母が静かな声で言う。俺はうなずく。と、まだ門のそばにいるみのりが、泣きそうな声で言った。
「なんでよ……」
言うなり、走ってきた。家の中にスポーツバッグを投げ入れて、叫んだ。
「なんでよ! もうやだ! もう懲りてよ!」
「なんで懲りなきゃなんねんだよ」
「だって藤沢君、ころ……っ」
言いかけて、絶句する。殺されかけたじゃない、かな、と俺は想像する。絶句したのはおばあさんがそばにいるからのようだ。視線を一瞬おばあさんの方へ動かして、唇を噛んで、うつむいた。
「……もうこないで」
「なんでだよ」
「あたしのせいで、藤沢君に、これ以上迷惑かけたくない、から」
「俺がいつ迷惑だっつったんだよ」
「殺されかけるのが迷惑じゃなくてなんなの!?」
あーあ、言っちゃった。
おばあさんがじっとみのりを見ている。みのりはぎゅっと顔をしかめ、
「とにかくもう帰って! 二度と来ないで! 藤沢君のバカー! 大っ嫌いー!」
捨てぜりふを叫びながら階段を駆け上がって行った。子供か。
沈黙が落ちた。
俺はつめていた息を吐き、福田祖母に視線を移した。福田祖母は、黙って俺を見ていた。
ややして、ため息をついた。
「みのり」
二階へ向けて声を張る。いつも応対してくれる時とは違い、凜、と響く声だった。
「藤沢君をお見送りしてきますから、留守番頼むわ」
みのりの返事はなかった。福田祖母は先に立って玄関を出る。俺は追おうかどうしようか迷う。さっきはああ言ったけど、実際、みのりから離れていてトリップできるかどうか不安があるのだ。
と、福田祖母が囁いた。
「本番は明日でしょう」
どうやら話がしたいらしい。
俺は了解して、自分の荷物を抱えて後に続いた。




